第2話 ヘンリーとパトリック

 ウィリアムの息子にしてアラーナの弟ヘンリーは、コルボーン家が王都に持つ邸宅を目指して馬車を走らせた。


 父が謹慎の命を受け、数日が経つ。

 謹慎とはいうが、監禁に近い状態だった。


 同じサリス家の邸宅にいながら、ヘンリーは父ウィリアムに会うことを禁じられており、父の部屋には常に見張りが立っていた。


 ひどい扱いは受けていないようだが、心配ではあった。


(パトリック様は、なぜこのようなことを……!)


 馬車の中で、ヘンリーはひとり唇を噛んでいた。


 いつもそばにいるメイドのヘイゼルは置いてきた。

 パトリックのもとを訪れるうえで、彼女は邪魔だからだ。

 なぜ邪魔なのかは、考えもしなかった。

 ただ邪魔だとしか思っていなかった。


(父上が叛逆などと……)


 パトリックの訴えでウィリアムが謹慎を命じられたと知ったヘンリーは、すぐにコルボーン家の邸宅へ駆けつけた。


『なに、疑いが晴れるまでしばらくお休みいただくだけのことだ』


 パトリックはそう言ったが、ほどなく叛逆の噂が流れ始めた。

 しかも、ヘンリーがサリス家の者を使って調べさせたところによると、その噂を流しているのがパトリックである可能性が高いということがわかった。


 それだけではない。

 パトリックはなんらかの方法で有力貴族や官僚、軍の要人を何人もろうらくし、メイルグラード叛乱はんらん説をより強固なものにしようとしているのではないか、との疑いもある。

 そうでなければ、王と宰相も同席する審問の場で、ああも簡単にウィリアムが謹慎を命じられるはずはないのだ。


 王国における上級貴族はかなりの権威を誇っている。

 コルボーン家の考えはともかく、辺境伯という爵位はそうそうないがしろにしていいものではない。


 もし今回のことでウィリアムがヘソを曲げて、本当に叛乱、あるいは独立などをもくろんだらどうするのかという意見もあった。

 宰相などはせめて謹慎ではなく待機を、と主張したが、その意見は多数の上級貴族や高級官僚によってしりぞけられたのだった。


 だがその後、パトリック一味の暗躍もあり、これまで中立の立場に近かった者も反ウィリアム側に回りつつあるという。

 謹慎ではなく拘束に切り替え、サリス家自体はともかくウィリアム個人からは爵位を取り上げるべきだ、という過激な意見もわずかながら出始めているとの噂もあった。


(でも、父上がいなくなれば僕がメイルグラードを……。そうすれば、姉さまだって……)


 ふとよぎった考えに、慌てて頭を振る。

 自分はいったいなにを考えているのか。


「ようこそおいでくださいました、ヘンリー様」

「案内は不要だ」

「かしこまりました」


 執事がそう言ってうやうやしく頭を下げ、数名のメイドがそれにならう。

 今回研修で王都へ来てからというもの、何度もここを訪れていた。

 ウィリアムが謹慎を命じられる前も、そのあとも。


 何度も訪れ、よくパトリックに会ったが、具体的になにを話したのかをうまく思い出せない。


「旦那さまは寝室でお待ちです」

「わかっている」


 まだ日中だというのに、邸宅の主は執務室でも応接室でもなく、寝室にいるという。

 そのことに疑問を抱くこともなく、ヘンリーは勝手知ったる邸内を歩き始めた。


(なぜ父上に叛逆の疑いをかけるのか。その真意を、今日こそは聞かないと)


 強くそう思いながら、寝室のドアに手をかける。

 ドアが開いた瞬間、寝室から漏れ出た淫靡な匂いが鼻をついた。


「あら、いらっしゃい、ヘンリー坊や」


 キャミソールにショーツだけ、という格好の女性が、ヘンリーを迎え入れた。


 褐色の肌にクセのある黒い髪を持つ、目鼻立ちのくっきりとした美人だった。

 厚ぼったい唇や大きな瞳、そして長いまつげという、このあたりであまり見ない顔立ちだった。

 身長は少し高く、170センチメートル程度だろうか。


 キャミソールを押し上げる大きな乳房に、ヘンリーは思わず目を奪われてしまう。

 ほんの数秒ぼんやりとその女性を見ていたヘンリーだったが、ふと我に返ったように何度か小さく頭を振った。


「アマンダさん、パトリック様は――!?」


 パトリックの居場所を訪ねたヘンリーだったが、唇に指を当てられ、言葉をさえぎられてしまった。

 人差し指でヘンリーの唇を軽く押さえながら、アマンダと呼ばれた女性は妖艶に微笑む。


「うふふ……少し、落ち着きましょうか?」


 彼女はヘンリーに顔を近づけながら、ささやくように語りかけた。吐息が鼻にかかる。


「パトリック様に、話が……」


 温かく、どこか甘い香りのする吐息を吸い込んだ瞬間、ヘンリーは思考にもやがかかるのを感じた。


「あら、いったいなんのお話かしら?」

「なんの、話……? それは、もちろん……父上の……」


 父ウィリアムのことでパトリックに話さなければならないことがある。

 だが、自分はいったいなにを話しにきたのだろう?


「もしかして、男同士で難しいお話でもするのかしら?」

「それは……」

「私をのけ者にするの? なんだか寂しいわね……」


 口元に笑みを浮かべつつ眉を下げるアマンダの表情にドクンと胸が鳴り、股間が熱くなってくる。


「そんな……のけ者だなんて……」


 パトリックと会うのに、アマンダがいないということが、なぜか不自然に思えてしまった。

 本当に、自分はいったいなにをしにここに来たのだろう?


「じゃあ、私も交ぜてもらえるのかしら?」


 王都に来てから、パトリックとは何度も会っていた。そしていつもアマンダが一緒だった。


「もちろん、アマンダさんも……一緒に……」


 3人で過ごした時間を思い出す代わりに、ヘンリーはここへ来た目的を忘れてしまったようだった。


 ヘンリーの目からは光が薄れ、表情が緩んでいく。


「うふふ……ありがと。さぁ、入って」


 アマンダの招きに従い、ヘンリーはふらふらと寝室に入った。


 ガチャリ、とドアを閉めたあと、褐色肌の美女はヘンリーを追い越して彼の前を歩く。

 肉感的な脚が動くたび、ショーツに覆われた張りのある尻がぷるんと揺れた。


「ヘンリー、よくきた」


 声のほうを見ると、豪奢ごうしゃな革張りのソファにもたれかかるパトリックの姿があった。

 ガウンを羽織っただけの格好で、ワイングラスを片手に悠然と微笑んでいる。


「まずは、飲め」


 すでに用意されていたグラスに、アマンダが赤ワインを注ぐ。


「はい」


 力なく答えたヘンリーは、グラスを手に取り、中身を一気に飲み干した。

 それを見たパトリックも同様にグラスを空け、おもむろに立ち上がる。


「では、さっそく始めようか」

「はい」


 つられて立ち上がったヘンリーは、その場で服を脱いで全裸になり、ベッドに乗った。


「ふふ、せっかちさんね、坊や」


 妖艶な笑みを浮かべながら、アマンダも服を脱ぎ、ヘンリーの前で膝立ちになる。


 それからヘンリーは、パトリックとともにアマンダの身体を堪能した。


「ウィリアムが失脚し、わがコルボーン家が辺境伯となったあかつきには、お前が私に代わってメイルグラードを治めるのだ」

「僕が……辺境を……」



 行為を楽しみながら喋るパトリックに、ヘンリーはぼんやりとした表情のまま答えた。


「もちろん、私も折を見て辺境へ視察に行くだろうから、そのときはアラーナの肢体を楽しませてもらうかな」

「ねえ……さま……」


 ヘンリーは途中から、目の前の女性と姉とを重ねて行為にふける。


「ねえさま……ねえさま……」


 王都に来てほどなく、魔物集団暴走スタンピードの報が入った。

 すぐに帰るつもりだったが、父からは王都に留まるよう指示が出た。

 反対を押し切ってでも帰ろうと準備していたところに、魔物集団暴走スタンピード終息の報せが届いた。


 それ以降、トコロテンの活躍が耳に入るようになった。

 人の口を飛び交う噂の中には、彼らの冒険者としての活躍だけでなく、陽一とメンバーとの関係も含まれていた。


 猥談として語られることもあった。

 どこの馬の骨とも知れぬ冒険者風情に、姉が抱かれている。

 そんなことが耳に入るたび、ヘンリーは血を吐きそうなほどの苦しみと怒りを覚えた。


 現実には叶わぬ関係だからこそ、負の感情はより高まったのかもしれない。

 その感情はメイドのヘイゼルを乱暴に犯すことでほんの少しだけ発散できた。


「にい……さま……」


 さきほどのパトリックの言葉が、頭に浮かんでくる。


「いっしょに、ねえさまを……」


 ほかの男が姉を犯すなどもってのほかだが、パトリックだけは特別だ。

 兄と慕う彼と大切なものを分かち合うのは、当然のことだからだ。


「うぅ……ん……?」


 行為を終えた直後、ヘンリーはアマンダに視線を落とし、首を傾げた。


 大きく反らされた褐色の背中。

 その腰に近いあたりに、黒い翼のようなものが見えた気がした。

 夜の闇のように黒かった髪も薄い紫色になり、側頭部には角が生えている。

 そして尾てい骨のあたりからは、黒い尻尾が伸びて、ゆらゆらと揺れていた。


「ふふ……どうしたの、坊や?」


 尻を突き出したまま顔だけで振り返ったアマンダと目があった。

 彼女は、やはり黒髪の褐色美女だった。

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