第五章

第1話 二番街のカトリーヌ

 メイルグラードの町は大きく3つの区域に分けられている。


 貴族や富裕層の住む『上層区』、多くの商店が立ち並ぶ『商業区』、そして一般庶民が住む『下層区』。

 さらに下層区のなかには、公的には認められていないが、『貧民街』と呼ばれる半ば無法地帯となっている区域がある。


 その下層区と貧民街の境界線あたり、ごく一部の狭い地域に、『二番街』と呼ばれているところがあった。

 なぜそこが二番街と呼ばれるようになったのか、その由来は不明だが、そこはある意味貧民街よりも危険だと言われていた。


 その二番街を、陽一よういちはアラーナに連れられて花梨かりん実里みさとと歩いている。

 噂どおり危険な場所のようで、住人たちから向けられる異様な視線に、陽一は股間が縮み上がる思いをしていた。


 ひとりならば一目散に逃げていただろう。


 貧民街に比べて、というか一般的な下層区とくらべても綺麗な街並みではあったが、そこに漂う空気は異様だった。


「ヨーイチ殿、ここだ」


 その二番街の最奥部とでもいえそうな場所に、その建物はあった。


 ほかの建物に比べて随分と大きく、各所に荘厳かつ華麗な意匠が施されている。

 貴族の邸宅といっても通じそうなその場所に、アラーナは躊躇ちゅうちょなく足を踏み入れ、ドアをノックした。


 不安げにたたずむ陽一の隣には実里が寄り添い、彼を安心させるべく手を握っている。

 そして花梨はそんな陽一の姿を、なにやら意地の悪い笑みを浮かべつつ眺めていた。


「私だ、アラーナだ」

「はぁーい、ちょっと待ってねぇーん」


 奥から返事があり、しばらくすると住人とおぼしき人物が現われた。


「はぁーい、おまたせぇー」


 明るい金髪のロングヘアをツインテールにし、随所にフリルをあしらったピンク色のドレスに身を包んだその人物に、陽一は目を奪われ、一瞬だが意識も奪われそうになった。

 眉は陽一の倍ほどあり、彫りの深い顔に大きな青い目と高い鼻。

 エラの張ったしっかりとした輪郭、顎は真ん中で割れており、頬全体にうっすらとヒゲが浮かび上がっていた。

 身長は2メートルを超え、肩幅は広く、胸板も厚い。

 腕はアラーナの太ももほどあるのではないかというほど太く、がっちりとしている。


「やぁん、アラーナぁ! それにカリンとミサトまで、またきてくれたのぉ?」


 その立派な体躯たいくを持つ人物は、甲高い声――容姿から想像できる地声に比べればというだけで陽一よりも明らかに低く野太い――でアラーナに声をかけつつ、駆け寄って軽く抱きしめた。


「うむ、先日ぶりだな、カトリーヌよ」

「ふふ、また来ちゃった」

「先日はお世話になりました」


 アラーナとのハグを終えたカトリーヌと呼ばれた人物は、花梨と実里へ視線を向ける。


「カリン、ミサト、装備の調子はどぉ?」

「まだ実戦で使ってないけど、着心地は最高ね。もちろんデザインも素敵よ」

「うん。私もすっごく気に入っちゃった」

「お気に召したようでうれしいわぁ」


 続けてふたりとハグを終えたあと、カトリーヌはちらっと陽一のほうを見た。


「ねぇ、もしかして彼がこないだ言ってたあなたたちの大事な人?」

「ああ」


 冗談のつもりでからかうように言ったカトリーヌだったが、アラーナからまっすぐな肯定の返事が返ってきたことに驚きの表情を浮かべた。

 やがて彼女(?)は目から涙をこぼし、笑顔でアラーナを抱きしめた。


「やっと……!! やっと現われたのね、姫騎士のハートを奪う白馬の王子様が!!」

「はっはっは。白馬の王子様かどうかはともかく、心を奪われたのは事実だな。あと、苦しい」


 カトリーヌはアラーナを解放すると、笑顔のまま涙をぬぐう。


「んもぅ。そんな真顔でのろけられたら、こっちが照れるじゃなーい」


 そしてカトリーヌは陽一のほうを向き、手を差し出してきた。


「アタシ、カトリーヌ。よろしくね、アラーナの大事な人」

「あ、どうも。陽一です」


 陽一は出された手を握り返した。


「あなたも隅に置けないわねぇ、こんな美人を3人も」

「あはは……」


 陽一よりもふたまわりほど大きな手は、ゴツゴツと節くれだっていた。


(お、なんか職人って感じのいい手だな)


 しばらく陽一を真顔で見続けていたカトリーヌだったが、ふっと表情が緩む。


「よろしくね、ヨーイチさん」


 握手を終えたカトリーヌは、アラーナの耳元に顔を近づける。


「彼、いい男ね」

「否定はせんが、まだ会ったばかりだろう?」

「うふふ、アタシにはわかるのよ。いえ、アタシたちには、と言えばいいのかしら?」


 なにやら嬉しそうなカトリーヌを、アラーナは半目で見据え、軽く口を尖らせる。


「むぅ、私のヨーイチ殿に色目は使うなよ?」

「あら、いきなり牽制けんせい? ふふ……あなたも相変わらずいい女ね」


 二番街にはカトリーヌのような者――以降『オトメ』と称する――が多く住んでいる。


 オトメたちはその姿とキャラクターのせいか、多くの人から迫害されることが多い。


 特に男性からは。


 そんな中、陽一は躊躇なくカトリーヌと握手を交わし、ごく自然に自己紹介をしてくれた。

 なかなかできることではない、とカトリーヌは思う。


 もちろん文化の違いというのもあるだろう。


 この世界では忌避される存在かも知れないが、陽一の住む世界でのオトメたちはそれなりに市民権を得ており、テレビをつけてチャンネルを回していけば、どの時間帯だろうとどこかしらに出演している存在である。

 なじみがある、とまではいかないにしろ、忌避するほどではなく、アラーナとの様子を見れば友好的に接すべき相手であるということはすぐにわかる。


 なにより――、


「(鍛冶師とか武器防具屋がオトメって、ある意味テンプレよねぇ?)」


 という日本のフィクションではよくある設定について言及した花梨のささやきに対して、即座にうなずける程度の価値観を持ち合わせている陽一にとって、自己紹介くらいは問題なかった。


「で、なんの用かしら?」

「うむ、ヨーイチ殿の防具を見繕ってもらおうと思ってな」

「あらぁ、いつもありがとうね」


 そこで陽一は、アラーナにうながされ、カトリーヌに要望を伝えた。


「なるほど、ローブを着ることに抵抗はないわけね。遠距離攻撃が主体で、動き回ったりはしない、と……。でもこのローブ、生地は随分と綺麗だけど、なんの効果もないのねぇ」


 参考までにと陽一はコスプレ用のローブを渡していた。


「そうね、じゃ早速採寸しましょうか」


 できればあまりあちこち触ってほしくないと思っている陽一だったが、ここで抵抗するのは失礼に当たるだろうと思い、おとなしく採寸に応じた。


「あらぁん、着痩せするタイプぅ? 思ったよりいい身体してんのねぇ」

「すっごくお肌すべすべねぇ。どんなお手入れしてるのかしらぁん?」

「やだぁ、ここ縮こまっちゃって可愛いんだからぁん。でもぉ、夜はどれくらいおっきくなるのかしらぁ?」


 となにやら余計な部分をいろいろ触られたような気もするが、気にしないことにした。


「ご予算はぁ?」

「えっと、白金貨2枚に足りないくらい」

「だったら革製品のありもので揃えておきましょうかね。もしお金に余裕ができて金属製のが欲しくなったら注文してちょうだい。格安で作らせてもらうからぁ」

「でも、金属製の防具って森の探索なんかには向かないんじゃ?」

「ご心配なく。ウチはこの街いちばんの錬金鍛冶師と懇意にしてるから」

「そっか、魔術付与」

「そういうこと。さすがに魔術付与されている金属製の防具となると桁違いに高くなるし、サムは使用者に合わせたオーダーメイドしか作ってくれないから、今回は無理だけどねぇ」


 余談だが、カトリーヌが懇意にしている錬金鍛冶師は名をサム・スミスというらしく――、


「いかにもな名前ですね」

「だな」

「きっとずんぐりむっくりのヒゲもじゃドワーフ親爺おやじに違いないわね」

「ああ。んでもって頑固者な」


 ――と陽一と花梨、実里の3人は後日そんな会話を交わした。


 陽一が今回用意してもらったのは、魔物の素材を加工したそれなりに高級なものばかりだった。


 まずはローブ。

 これは温度や湿度調節機能がついており、外の環境にあまり左右されることなく快適にすごすことが可能だ。

 これ1着で白金貨1枚の価値がある。


「後方からの援護射撃がメインって聞いたから、ゴテゴテした防具はらないわよねぇ?」


 これまでは銃などを扱うことからミリタリー系の装備を身に着けていたが、それはこちらの世界での常識に合わせて一新することにした。


 膝をついて構える膝射しっしゃや、うつ伏せで肘をついて構える伏射ふくしゃの際に必要だろうと革の肘当てと膝当てを用意してもらう。

 革といってもランクの高い魔物のもので、鋼鉄とほぼ同等の防御力があるものだ。


「その膝当てだとこのすね当ても必要ねぇ、コーデ的に」


 というわけで、すね当ても追加することになった。

 インナーにはタートルネックのカットソーとチノパンを用意してもらう。

 これらは蜘蛛くも系魔物や羊系魔物からとれる糸で織られた布製のもので、鎖帷子チェインメイルくらいの防御力はあるらしい。


 また、衝撃をある程度和らげてくれる魔術効果を付与したグローブも用意してもらった。

 本来はメイスやハンマーなどの鈍器を扱う際に役立つ効果だが、射撃時の衝撃緩和にも有効だろう。


 防具やインナーはそれぞれ金貨1枚程度だった。 


(えっと、全部で150万円くらい? 高いのか? 安いのか?)


 ちなみに同じ装備を商業区の防具屋で揃えようと思ったら倍以上の金額を要求されるだろう。

 店によっては温度調節機能つきのローブだけで白金貨3枚は取られてもおかしくないのだ。


 相場に関してはよくわからないものの、アラーナと懇意にしているカトリーヌを信用し、言い値を支払って防具類を受け取った。


 こういうときこそ【鑑定+】の出番のはずだが、陽一にとってこのスキルは諜報や戦闘を支援するシステムという認識になっており、言葉どおりものの価値を見極める『鑑定』という機能について失念してしまっていたのだった。

 だからといってなにか問題があるというわけではないのだが。


 テキパキと効率よく動く従業員が数名いたが、例外なくオトメであり、何人かは陽一に流し目を使ってきた。


「じゃあ早速装備してくれる? 防具は持ってるだけじゃ意味がないのよね。ちぁゃんと装備しないと」

「うふふ。どこかで聞いたことのあるようなセリフねぇ。じゃ、あたしたちも着替えてこようかな」

「陽一さん、またあとで」


 店内のフィッティングルームへと消えていく花梨と実里を見送りながら、陽一は用意してもらった防具を身に着けていった。


 各部位の装甲に関しては装備後に微調整を行なう。


 ローブを羽織ると、少し肌寒かったのがふっと暖かくなるのを感じた。

 それは衣服がもたらす暖かさではなく、エアコンの効いた部屋に入ったときのような、そんな感覚だった。


「あらぁ、一気に男前ぶりがあがったんじゃなーい?」

「うむ、似合っているぞ、ヨーイチ殿」


 陽一は、カトリーヌが用意してくれた姿見で自分の姿を確認した。


(魔術士っぽい? まぁ遠距離攻撃メインの後衛だから、役割的には似たようなもんか)


 鏡に映る自分の姿に、陽一はそう心の中で呟く。


 シンプルなインナーに少なめの装甲。

 その上からローブを羽織った姿は、たしかに魔術士に見えなくもない。

 地味な色のインナーは少しサイズが大きめだったが、袖直しと裾直しをすれば特に不自然ではなくなった。


「おまたせー」

「おまたせしました」


 そうこうしているうちに花梨と実里も着替えを終えたようで、店の奥から姿を現わした。


「ほぉ」


 ふたりの姿を目の当たりにした陽一の口から感嘆の声が漏れる。


「えっと、どう……かな?」


 花梨は白を基調としたインナーの上に布製のチェストガードを身に着けていた。

 手脚はアームガードを兼ねたロンググローブと膝上まであるロングブーツに覆われているが、二の腕や太ももは露出されている。

 チェストガード、ロンググローブ、ロングブーツはそれぞれチャコールグレーの生地に白い装飾が施されており、全体的にモノトーンな服装のなか、えんじ色のミニスカートがちょっとしたアクセントになっていた。


「どう、でしょう……?」


 実里はブルーグレーのローブに身を包んでいた。

 全体的に落ち着いた色合いだが、縁取りを中心としたアイボリーカラーの装飾や、胸元にあしらわれたライトブルーの宝珠のおかげで地味という印象はない。

 ローブはウェストあたりから下の前面が少し大きく空いており、そこから膝下までのロングブーツ、膝上丈のタイツ、そして白い太ももと黒いミニスカートが見えた。


「うん、ふたりともいい感じだよ」

「えへへ……そう? 陽一も男っぷりが上がったんじゃない?」

「ありがとうございます。陽一さんも、かっこいいです」


 三者三様に照れたり褒めあったりする様子を、アラーナとカトリーヌは微笑ましく眺めていた。


「よし、では装備も整ったことだし、早速なにか依頼を受けてみるか?」


 ある程度落ち着いたところでアラーナは3人に歩み寄り、そう声をかけた。


「ああ、そうだな」


 防具屋を出ようとする4人の前に、カトリーヌが立ちふさがり、軽く腕を広げた。


「気をつけてね」


 どうやらハグを要求しているらしく、アラーナはいつものことと言わんばかりにハグを済ませ、花梨と実里もごく自然にカトリーヌを受け入れた。


「カトリーヌ、ありがとうね」


 そして陽一も特に抵抗なくハグをする。


 最初はその威容を前に敬語で対応していたが、カトリーヌがそれを嫌がり、またオトメ特有のコミュニケーション能力で随分と気安く話せる間柄となっていたのだった。

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