第9話 本宮花梨 4
(やっぱり、嫉妬とかないわね……)
陽一がほかの女性と関係を持ち、その女性を本気で好きになったと知った。
あのときは陽一の様子に憐れみを感じたせいかとも思ったが、それから数日経ってもやはり嫉妬のような感情は湧き上がってこなかった。
陽一から新しい部屋の住所がショートメッセージで送られてきたときは、素直に嬉しいと思った。
(あ、先に連絡しといたほうがよかったかな?)
出張の前日に少し時間ができたので、思わず花梨は陽一の新しい住まいへと足を向けていた。
「えっと……2、5、0……3っと」
エントランスのインターホンから呼び出し音が鳴る。
『……はい』
「あ、陽一? あたし、花梨だけど」
『うん、どうした?』
その声色から、なにやら都合が悪そうな雰囲気を察した花梨は帰ろうとしたが、結局呼び止められ、部屋に通された。
「いらっしゃい」
「うん……。急にごめんね?」
「いや、いいタイミングで来てくれたよ、ホント」
「いいタイミング……?」
「ああ、いや、なんでもない。じゃ、あがって」
「うん、おじゃましまーす」
部屋に入った瞬間、突然空気が変わり、危うく花梨はふらつきそうになったが、なんとか眉をひそめるだけに留められた。
(……エッチな匂いだ)
陽一の部屋にはそんな匂いが充満していた。
「にしても、すっごい綺麗な部屋ねぇ。家賃とか大丈夫?」
随分と高そうな部屋に引っ越したようで、そのことを振ってみたが、どうしてもこの匂いが気になって話に集中できない。
ときどき陽一の視線が寝室と
ならば彼らの邪魔をするのは悪いと思い、慌てて帰ろうとした花梨だったが、陽一に止められ、寝室に通された。
「きれい……」
寝室に充満する匂いはリビングの比ではなかったが、そんなことを忘れてしまうくらい、ベッドに横たわる女性は美しかった。
まっすぐでサラサラな銀色の髪。
上気して少し赤くなっているが、ふだんは透き通るほど白いと思われるきめの細かい肌。
そして完璧なバランスで配置された顔の造形。
同性でありながら、何時間でも見ていられそうなほど、彼女は美しかった。
そんな女性の世話を、花梨は任されたのだった。
「すご……」
かけ布団を剥がして現われた身体は、圧巻のひと言だった。
「ここまで完璧だと、羨ましいとも思わないわね……」
そんな完璧な女性の肢体を、花梨はバスタオルで丁寧に拭き取っていく。
「ひぅっ……!」
「あ、ごめ……」
タオルが肌に触れると、悲鳴のような声とともに女性の身体がビクンと震える。
「ドラッグの影響かしらね。かわいそうに……」
なにか深い事情があるようだが、いまは看病に専念する。
「よい……しょっと」
ひととおり身体を拭き終えた花梨は、彼女の背中に手を入れ、少しだけ身体を起こした。
そしてあらかじめふたを開けておいたスポーツドリンクのペットボトルを口に当てる。
「さ、飲んで……」
そう言ってペットボトルを傾けたが、意識のない彼女の口の端からはダラダラとあふれるだけだった。
「しょうがないわね……ん…………んむ……」
花梨はスポーツドリンクを飲むと、女性と唇を重ね、そのまま口移しで女性の口内に流し込んだ。
「んく……こく……」
そして、女性は喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲み込み始めた。
「んはぁっ! はぁ……はぁ……。女同士だから、セーフ、だよね……?」
誰に問いかけるでもなくそう口にしたあと、花梨は何度か口移しでスポーツドリンクを飲ませた。
そのおかげか、ほどなく女性はペットボトルから直接スポーツドリンクを飲むようになった。
女性に500ミリリットルのスポーツドリンクを飲ませたあと、彼女の身体をベッドに横たえ、布団をかぶせた。
「ふぅ……。やばい……わね……」
作業が一段落ついたところで、花梨はそう呟いた。
頬は上気し、呼吸は乱れ、目はどこか虚ろだった。
「匂いのせいかしら……」
美しい女性を介護したせいか、あるいは寝室に充満する匂いのせいか……。
寝室を出た花梨は、貪るように陽一を求めた。
そして寝室に入るたびそれは繰り返されるのだった。
○●○●
はじめにおかしいと思ったのは、南の町で会ったときだろうか。
小料理屋で再会したあと、体調がよくなったのは、ちょっとした心境の変化が影響したのだと思った。
多少の違和感はあったが、それでも異常だとは思わなかった。
問題は南の町で会って以降のことだ。
単なる心境の変化というだけでは説明がつかないほど、体調がよくなった。
若返ったといってもいいほどだ。
決定的だったのは、先日新しい住まいを訪れたときだった。
「あんな美人、みたことない……」
あのときは、あの匂いのせいでどこか判断力が低下していたように思う。
数日経って思い返してみたが、あの女性の美しさは異常だ。
テレビでも、映画でも、雑誌でも見たことのない完璧な容姿の女性。
「それに、あんなきれいな銀髪、自然にはありえないし」
昨今の発達したヘアメイク技術を使えば、あれくらいの銀髪は再現可能なのかもしれないが、ひと晩見て、触った感じだと、あれは地毛としか思えなかった。
「陽一……、なにが起こってるの?」
気がつけば花梨は、陽一の住むマンションの前に立っていた。
「あ、そうだ。先に電話しとこう」
事前に電話をかけたところ、この日も都合が悪そうなので出直そうとしたが、前回同様呼び止められ、部屋に通されることになった。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
部屋に入った瞬間、思わず鼻を鳴らして匂いをかいでしまう。
(あ、エッチな匂い……)
なぜか花梨は、その匂いをかいで少し安心したのだった。
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