第3話 転移失敗?

 陽一はトラックにねられて死んだはずだった。

 同時に死んだ東堂とともに正体不明の白い空間に飛ばされ、世界の管理者と称する女性に会った。

 そして東堂は異世界へ別人として転生した。

 陽一が死んだのは予定外だったらしく、元の身体のまま『定番スキルセット』という便利なスキルを付与され異世界へと転移することとなった。

 ……はずなのだが、ここはどう見ても現代日本だ。

 では、あれは事故で意識を失ったショックで見た夢だったのだろうか?

 とにかくそれを確認する必要があった。


「ステータス!」


 陽一がそう念じようが口に出そうがなにも起こらない。

 一応身体は動くようだが、長時間眠ったあと急に起き上がるのはよくないと、以前テレビかなにかで見たことがあった陽一は、寝転がったままシーリングライトや脇の機器等を見て、「鑑定!」「これはなんだ?」と念じてみたが特に反応はない。

 声に出してみてもやはり反応はなかった。


 しばらくすると若い男性医師が陽一の許を訪れ、いろいろと確認された。

 まず治療費や検査費はトラック運転手の所属会社がすべて負担してくれるらしく、明日精密検査を行なうとのこと。

 事故から半日程度しか経っていないため急性肺血栓塞栓症エコノミークラス症候群などの心配はなく、起き上がったり歩いたりはしてもいいが、激しい運動と、病院から出るのは禁止された。


「あの、もうひとりいませんでしたか?」

「ええ。ただそちらの方は残念ながら……」

「そうですか……」


 事故現場にもうひとりいたこと、そしてそのもうひとりが死んだのは確かなようだ。

 身元を確認したかったが、個人情報に関わるので教えてはもらえなかった。

 残念に思う反面、病院側のコンプライアンス意識の高さに少し安心もした。


 半日ぐっすり休んだおかげか、点滴などの医療行為のおかげか、体調はすこぶるよかった。

 とにかく空腹を覚え、病院食でいまひとつ満足できなかったた陽一は、病院内の売店でサンドイッチと缶コーヒーを購入した。

 食事制限についてはなにも言われていなかったので。


 翌日、MRIやレントゲン等の検査を行ない、その合間に警察が事情を聞きにきた。

 一応覚えていることを説明しておく。


「事故を起こした運転手の人は?」

「亡くなったよ。心筋梗塞でね。事故の原因もそれ」

「そうですか……」

「ああ、これもよろしく」


 警察官から渡されたのは、加害者に厳罰を求めるかどうかの書面。

 死者に鞭打つのもどうかと思い、“罰は求めない”と回答しておいた。

 試みにもうひとりの被害者について尋ねてみたが、やはり教えてはもらえなかった。


「あ、運転手の人の会社に僕の情報って……」

「警察からは伝えてないよ。そういうのは随分問題になったからね」

「ここの治療費を払ってくれることになってるらしいんですが……」

「いまはお互い会わずにそういうことができるようになってるから、安心しなさい」


 その言葉に、陽一は少し感心した。

 所持品で破損しているものがあれば補償を受けられるかもしれないので申請するよう言われたが、カバンの中にあったものは奇跡的に無傷、財布の中身もまったく問題なかった。

 事故についてはその後も細々と手続きがあったが、特筆すべきことはなかったので省略する。


 検査がすべて終わる頃には日も暮れていた。

 このまま帰ってもいいし、もう1泊してもいいと言われたので、陽一はもう1泊することにした。

 ただ、病院側の要望で、個室から大部屋へ移ることになった。

 陽一を大部屋へと案内すべく先行する看護師に続いて病院の廊下を歩く。


(最近の看護師さんてのは、ナース服とか着ないのな。ナースキャップもかぶってないし)


 陽一の前を歩く看護師は、半袖のウェアに九分丈ほどのパンツスタイルで、上下とも白だった。

 これも立派なナース服なのだが、陽一のイメージしているナース服というのは、上はともかく下は少しタイトな膝丈程度のスカートというものだった。


(まぁでも、これはこれで……)


 陽一を案内する看護師は、陽一と同じくらいの身長の、栗色の髪をショートカットにした女性だった。

 顔の大半がマスクで隠れているが、目だけを見るに、なかなか艶のある綺麗な人だった。

 ただ、目が綺麗でもマスクを外すと微妙な顔だということは多いので、この看護師も案外そうなのかもしれないが、かといってマスクの下を見る機会もおそらくないだろうから、陽一は彼女を綺麗な人と思うことにした。

 サイズが合っていないのか、そもそもそういうデザインなのかはわからないが、看護師の少し大きな尻のラインがくっきりと出ており、彼女が歩くたびにわずかながら揺れるその尻に、陽一の視線はしばしば誘導されていた。


(……てか歩き方エロくね?)


 具体的にどうとは言い難いが、腰のあたりの動きがなんとなく艶めかしいような気がしないでもない。


「藤堂さんごめんなさいねぇ、大部屋に移ってもらって」


 軽く振り向きながら、看護師が声をかけてきた。


「え、あ、はい?」


 看護師の尻に卑猥な視線を送っていた自覚のある陽一は、慌てて声が上ずってしまう。


「こっちの都合でご迷惑かけちゃって……」


 個室だと余分に料金が発生するのだが、そこは事故を起こした運送会社が持ってくれることになっていた。

 本来なら個室のまま、ということなのだが、緊急手術明けの経過観察で、ICUに入るまでもないができれば個室で様子を見たいという患者が現われ、かわってほしいという打診が昼頃にあったのだった。

 あとはどうせ明日まで寝るだけと思っていた陽一は、特に嫌がる様子もなく個室を譲っていたのだった。


「いや、べつにいいですよ」

「ふふ。そう言っていただけるとありがたいですわ」


 そう言いながら、看護師は歩みを止めた。


「おっと……」


 そのせいでうしろを歩いていた陽一は、看護師に軽くぶつかった。

 そしてそのとき、看護師のうなじのあたりからツンと体臭が漂い、その匂いに反応し、陽一の鼻がスンと軽く鳴った。


「ごめんなさい、におうでしょう?」


 看護師は眉を下げて陽一のを見たあと、特に乱れてもいないえりを正した。


「夜勤明けでバタバタして帰れなくて、顔も洗えてないんですよ」


 そう言いながらも彼女は特に恥じる様子もなく、むしろ誘うような雰囲気を醸し出しているように感じられるのだが、それは気のせいであろうか。


「はは……。いや、まぁ、だったら俺もですよ。昨日仕事明けでそのままだから」


 と、陽一は病院で借りているパジャマの襟を軽く引っぱり、自分の胸元をクンクンと嗅ぐような仕草しぐさを見せた。


「あら、私、男の人の汗の匂いは好きですよ?」


 陽一を見る看護師は目が、妖しくほほ笑んだように見えた。


「お、俺だって、女の人の汗の匂いは嫌いじゃないです」


 陽一は看護師の表情や言葉、なにより漂う体臭を受け、息子がどんどん硬くなっていくのを感じていた。

 ほほ笑んだまま陽一を見ていた看護師の視線が、ふと下に移る。


「あら、たいへん」


 そう呟いたあと、看護師は視線を前後に移した。

 いま、廊下には看護師と陽一のふたりしかいない。

 それを確認した看護師は、すぐ近くにあったトイレの『開』ボタンを押した。

 すると、トイレのドアが自動でスライドされる。


「こっち」


 看護師は陽一の手を取ると、トイレの中に引きずり込み、即座に『閉』ボタンを押した。


○●○●


「それでは藤堂さん、ごゆっくり」


 陽一を大部屋に案内した看護師は、ひと言そう言い残すと病室を出ていった。

 お互いに少しばかりスッキリしただけだが、それ以上は求めないほうがいいだろう。

 この先もしばらく入院するというのであればともかく、陽一は明日には退院するのである。

 しかもあの看護師は、夜勤明けからこの時間まで働いている様子だった。

 さすがにもう帰る時間だろうし、夜勤明けで夕方まで働いて、翌日出勤ということも考えづらい。

 おそらくこの先彼女と会うことはあるまい。


 一旦ベッドに入ったあと、ひと眠りしようと思ったが、あの白い空間でのことを思い出した陽一は、一応確認、検証できるところはしておこうと思い直し、入院病棟のデイルームへ足を向けた。

 ここは自動販売機や電子レンジと流しがあるだけの小さなキッチン、大型のテレビと新聞各紙が用意されている公共のスペースである。

 もう日も暮れた時間帯なので、人の姿はほとんどない。

 誰に迷惑がかかることもなさそうなので、置いてあった新聞をすべて手に取り、テーブルのひとつに陣取った。

 それらの新聞にざっと目を通していき、陽一は地方紙の死亡欄に目当ての名前を見つけた。


 東堂洋一


 告別式は明日の午後となっていた。

 次に英字新聞を見てみる。


(……………………読めねぇや)


 どうやら【言語理解】スキルも発動しないらしい。


 病室に戻り、所持品を確認する。

 といっても、あの日着ていた服と、安物のショルダーバッグに入ったスマホ、財布、タオルくらいのものだが。

 飲みかけのペットボトルのお茶もあったが、衛生面の関係で廃棄されたらしく、ひと言メモが添えてあった。

 たいしたケガがなかったおかげか、服も切られたりせず、綺麗に洗われていた。


 ふと見ると先ほどは気づかなかったが、フルーツの盛りかごが置かれていた。

 どうやら事故を起こした運転手が所属していた運送会社からの、見舞い品らしい。

 会社の人が直接ここに持ってきたのではなく、受付で預かったうえで病院のスタッフがここに持ってきてくれたようだ。

 陽一には積極的に果物を食べる習慣がないので、同室の人たちにおすそ分けした。


「……ん?」


 果物を全部取ると、盛り籠の底に封筒があった。

 なにも書かれていなかったが、中には現金10万円が入っていた。

 特に書類らしいものやメモのようなものもない。

 こういったものを受け取ると、あとあと示談等で不利になるという話を聞いたことがあったが、無記名の封筒に入っていたものであり、受け取ったかどうかの証拠もないから、もらっても問題ないだろう。

 そう判断した陽一は、その10万円をありがたくいただくことにした。


 一応目についたスマートフォンを手に取り、異空間に収納すべくいろいろ念じてみたが、やはりというべきか、特に反応はなかった。


(やっぱ、あの空間での出来事は夢だったのかなぁ……)

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