第45話 野望

 終戦からひと月少々経った頃だ。

 ローゼンクロイツ王国は南方での戦勝に浮かれ、10年間の休戦協定締結をも勝ち取り、喜ばしい年明けを迎えている一方、ヴォルフスルーデル地方は悲しみの中で新年を迎えた。

 だが年明け3月、新領主となったイゴールの正妻マレーネが、僻地のミュンドゥングで極秘裏に子を生んだ。


 言わずと知れた”ルドルフ”である。


 新領主イゴールは、ただでさえここ数年不振だったところに、父である辺境伯が急逝して一層精彩を欠いていた。

 しかし、正妻マレーネが子をなしたことで、イゴールは”狂狼”と呼ばれていた頃の力を取り戻したのだ。

 それにより民の間に安堵感が漂い、ゆっくりだが確実に活気が戻り始める。

 ヴォルフスルーデルは、イゴールを頂点とした新たな時代に突入したのだ。


 その一方で、危機感を抱いた者がいる。

 イゴールの側室ヴァイータだ。

 マレーネを石女うまずめと揶揄することで、本館へ立ち入ることもできぬ側室ながら、ヴォルフガング家の女主人を気取っていたヴァイータだが、予期せぬ正妻の出産で一気に窮地に陥ってしまった。


 野心家であったヴァイータの父ホルシュタイン伯爵は亡くなり、跡を継いで新ホルシュタイン伯爵となった兄は兼業軍人を辞め、領主としてより酪農に特化した領地経営を始めてしいる。

 そんな兄では後ろ盾として心許ない。

 では、と目を付けたのが、イゴールの弟であり実妹の夫でもあるホラーツだ。


 ホラーツは兄が跡目を継いだと見るや否や、早々に裏方に回った。

 裏方と言っても、ヴォルフガング家どころかヴォルフスルーデル地方の政治を一手に担う重要な役割。そのホラーツを後ろ盾にできれば、戦闘にしか興味のないイゴールも上手く操れる、ヴァイータはそう考えた。


 そして都合の良いことに、妹であるハイダは女性では当代随一の武力を誇るため、イゴールの正妻マレーネや、子を成すことが最大の役割であるヴァイータに代わり、イゴールとついを成して戦場に立っていた。

 しかも、ルドルフと同じ年の男児をもうけたことで、ホラーツの妻としての役目も果たしている。

 だが最大の強みは、ホラーツがハイダではなく”ヴァイータに恋心を抱いていた”ことだ。ヴァイータはどこからかその情報を得ていた。

 ここまでお膳立てされていれば、ヴァイータのすることは唯一。


 ホラーツを籠絡ろうらくするのみである。


 更にそこへ、嫡子であるルドルフが魔闘気を使えない、という予期せぬ朗報が飛び込んできた。

 するとヴァイータは、自身の子であるグレータとモーリッツを徹底的に鍛え上げることを決意。

 使えない石女の子と違い、自分の生んだ子こそ領主に相応しいと、はっきり思い知らせるために他ならない。


 こうして、ヴォルフガング家を実質的に手中に収め、自身の子に跡目を継がせるという、ヴァイータ一世一代の物語が始まった。




 ルドルフが生まれた翌年、ホルシュタイン伯爵となった兄に女児が生まれた。その女児の名はミルヒ。

 ミルヒが順調に成長して5歳を迎えれば、ヴォルフガング家の嫡子と婚約関係を結ぶ契約が先代の間で取り交わされている。


 女児であったグレータを予備とし、長男モーリッツの婚約者にミルヒをあてがうのも手だが、まかり間違ってルドルフが継嗣になってしまった場合、次代にホルシュタインの血が入らないことになってしまう。

 だがルドルフとミルヒの婚約を認めることは、ルドルフの継嗣任命を後押しすることにもなる。


 ヴァイータは散々悩んだ結果、魔闘気の使えないルドルフが継嗣に任命される可能性は限りなく低いと判断した。

 何より、マレーネは持病により長生きはできない。ならば、その後はヴァイータに正妻の座が巡ってくる。

 そうなれば、ルドルフとミルヒの婚約を破棄し、改めてモーリッツと婚約させればいいだけのこと。あくまでルドルフとミルヒの婚約は保険なのだ。


 こうしてヴァイータは、マレーネの妹でありラントヴィルト家代表として家宰補佐を務めるベルティルデに、ミルヒをルドルフの婚約者にあてがう旨を伝えた。


 ホルシュタイン家の女児が、ヴォルフガング家の嫡子――言い換えれば次期当主――の嫁になるという約束が交わされていたのは暗黙の了解で、当然このことを知っていたベルティルデは、ラントヴィルト家との話し合いを経て了承した。


 かくしてヴァイータの暗躍により、ヴォルフガング辺境伯であるイゴールそっちのけで、ホルシュタイン家の意志が着々と形作られていった。

 そして――


「ちょっと待て!」

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃねーよ! ヘクセの情報網がヤバいのは知ってたけど、流石にこんだけの情報を握ってるのはおかしーだろ!?」

「情報網なんてないわよ? これくらい魔女っ子ヘクちゃんに――」

「魔女っ子とかおちゃらけてる場合じゃねーっつーの!」

「おちゃらけてないし……」


 ヘクセの口から語られた衝撃のあれこれは、流石に俺のおつむの許容範囲を大幅に超えてきたため、これ以上は黙って聞いていられなかった。


「大体にして、ヴァイータがどうこうのレベルを超えて、ホルシュタイン家の野望みたいな話になってるじゃねーか」

「それは前当主の頃までの話で、現当主は真面目で良い方よ?」

「いや、そーゆーことじゃなくて――」

「そういうことでしょ?」

「そう……なのか?」


 よくわからなくなってきた。


「でもまあ、あたしだって何でも知ってる訳じゃないから、所々で憶測含みの話になってるよ」

「なんで全部が事実みたいな言い方したんだよ!?」

「その方が盛り上がるでしょ?」

「そーゆーのは要らねーの! 俺は事実だけを知りたいんだっつ―の」

「仕方ないわね」


 ぶつくさ言うヘクセに要点を纏めさせると――

・ヴァイータは元々真面目だった。

・本気で憧れていたイゴールを奪ったマレーネを憎んだ。

・婚約破棄されたヴァイータが少し壊れる。

・正妻ではないが、イゴールの子を産めることを本気で喜んだ。

・マレーネが石女でもイゴールの愛は揺るがず、我が子を継嗣にすると決意。

・父が亡くなり正妻が子をなし、ヴァイータが更に壊れ始める。

・道を踏み外しつつあったヴァイータが、本格的に道を踏み外す。

・ミルヒの婚約に関しては、ベル側も切り札に成り得るので予定通り承諾される。

・強い後ろ盾を求めてホラーツを籠絡し、成功する。


「ちょっと待て!」

「また? あ、さっきと内容が前後しちゃってたかしら?」

「そーじゃねーよ!」

「じゃあなによ?」

「叔父上とヴァイータの関係って、不倫ってヤツじゃね?」


 よくよく聞いてみると、倫理観を問われる内容だと思ったのだ。


「あー、そこが難しいのよ」

「何で?」

「ヴァイータちゃんの妹のハイダちゃんはね、出産から1年後くらいの戦闘で、ヘマして亡くなっちゃったのよ」

「え?」


 何やら重い話が新たに加わった。


「それでまー、ヴァイータちゃんがイゴールくんに上手いこと言って、『ホラーツのケアをしてやってくれ』と言わせたの」

「…………」

「それでなんというか、公認? みたいな感じだったのよ。そもそもイゴールくんは、ヴァイータちゃんのことは気にも留めてなかったけど、ホラーツくんとの兄弟仲は良好そうだったし」

「…………」


 なんか大人のこういったドロドロした話は本当に嫌だ。


「……そういえばさ、ヴァイータにはもうひとり娘がいるよな? 俺は会ったことないけど」

「シアナのこと?」

「たしかそんな名前だったかも」


 ヴァイータには3人の子どもがいて、末っ子で俺の異母妹に当たる娘がいるとは聞いていた。

 名前も聞いたことがあったはずだが、面識もないのでど忘れしていたのだ。


「あの子はホラーツくんの子だけれど、イゴールくんは自分の子だと思ってたわ」

「え? なにそれやだ怖い……」


 マジもう何なの?

 不倫やら隠し子やらって、俺には一生縁のない話だと思ってたのに、会ったことのない異母妹が不倫でできた子って……ん? ちょっと待てよ……。


 あれ? それだと両親どちらも違うから、異母妹どころか赤の他人じゃね?

 いや、叔父の子だったら従兄妹関係になるのか?

 でもまあ、形式上は異母妹で実際は従兄妹だとしても、今まで一度も会ってないんだし、これからも会うことはないだろう。

 だったら気にしなくてもいいや。

 それより気になるのは……。


「親父はその……、俺が生まれた後も、ヴァイータと、や、や、やったのか?」


 なぜか残っているどうでもいい記憶に、”托卵”というのがあり、証拠作りをするというのがあった。

 本当にどうでもいいことなのだが、俺はなぜか気になって仕方なかったのだ。


「うふふー、ルドルフくんはおませさんだなー。ベルが言ってたけど、ルドルフくんは思ったより大人の世界を知ってるんだね」

「茶化すなよ!」

「ごめんごめん。――まぁあれよ、ヴァイータちゃんがイゴールくんにお酒を飲ませたりして、上手いことそれっぽい状況を作ったのよ」


 あー、やっぱそんな感じなんだ。

 ホント、影でそんなことやられてる親父があわれに思えて……こない!

 だってあれじゃん、親父が自分の勝手でヴァイータを婚約者にして、自分の勝手で婚約破棄してるわけでしょ? それって自業自得だよな。

 それにしても、影でコソコソ裏切ってるのも確かだし……。


 こういうのを聞くと、マジで結婚とか嫌になる。

 俺もミルヒとの婚約を解消……ってわけにもいかないよな? なにせミルヒは、俺が次期当主になるための切り札っぽいし、そうも言ってられないんだよな。


 あっ! 俺も親父のこと言えないじゃん。

 結局俺も、自分勝手な理由で婚約をどうこう考えてるわけだし。

 マジもう色々嫌だ……。


「……なあヘクセ、もしかして叔父上は、俺の敵なのか?」


 ドロドロした生々しい話が嫌になり、そこから自己嫌悪に繋がる流れで意気消沈した俺は、現実逃避気味に無理やり話題を変えた。

 といっても、これも重要なことに変わりはない。


「ホラーツくんに関しては、正しい情報が拾えてないのよねー。ヴァイータちゃんみたいにべらべら喋ってくれないから……。本心はどうなんだろうね?」

「俺に聞かれても困るんだが……」


 っていうか、ヴァイータの情報は本人が発信源だったのか?!


「なんかもう頭ん中がごちゃごちゃだ。相談とか色々ひっくるめて、また後で話がしたい」

「あー、はいはい」


 あんまり考え込まないようにねー、と言いながら退出するヘクセを見送り、俺は思いっきり考え込むのであった。

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