第43話 誰さ?
「ミルヒ、この前は内輪揉めに巻き込んでしまって申し訳なかった。その後にまた引き篭もってしまったのも悪いと思っている。母上の死を経験した影響か、あのときほど塞ぎ込むことはなかったが、それでも父上の死が自分で思ってたよりショックだったようだ」
ヴォルフスシャンツェに滞在するミルヒの部屋に入ると、暫く放置していた彼女に謝罪した。
「お母さまを
そういえば、ミルヒはこういう子だった。放置されていたことに文句を言うのではなく、俺のことを心配してくれる優しい子だ。
下手に俺が謝罪したことで、逆に要らない気を遣わせてしまった。
そこで俺は、自分の軽率な言動に後悔する……が、そこから更に謝罪してしまったことで、お互いに謝罪合戦になってしまう。
少しして落ち着いたところで、俺はようやく本題を切り出ることに。
「父上が亡くなったことで、暫くの間は叔父上が領主代理だか代行をすることになった。そしてその叔父上から、ミュンドゥングの代官を命じられた。任期は年明けから2年と言われている」
「お兄さまが代官ですか?」
ミルヒは代官という部分に疑問を抱いたらしく、その理由を聞いてみた。
通常、ヴォルフガング家の者は12歳になると軍に入り、武功を上げることを最優先にする、そう両親から聞かされていたと言う。
しかし俺が任命されたのは、戦場の任ではなく僻地中の僻地であるミュンドゥングの代官だ。
そのことでミルヒは、なぜそのような差配になったのか気になったらしい。
だが俺は、継嗣問題を含めた様々な問題を抱えているため、ミルヒに詳細を伝えるのは時期尚早だと思い、当たり障りのない回答をするようにした。
「ミュンドゥングは母上が愛した地であり、最期を迎えた地だ。そして父上も、彼の地を気に入っていたらしい。だから両親の愛した地で、俺も心を癒やしながら少し勉強してこい、そう叔父上に言われたんだ」
「お勉強、ですか?」
ミルヒが不思議そうな表情で、こてりと小首を傾げる。その拍子に、乳白色の髪がサラリと流れるが、彼女は顔にかかったその髪を手で梳き、自然な感じで耳にかけた。
その様子をぼんやり眺めてしまった俺だが、答えを求める漆黒の瞳に凝視され、俺は慌てて口を開く。
「ああすまん。あれだ、今までこの地方の象徴とも言える父上は、戦闘一辺倒の武の化身的存在だったろ?」
「そうですね」
「でもそれは珍しいことで、本来のヴォルフガング家では、領主が戦場に立ちながらも領地運営をするのが当然らしい。だから俺は今までどおり訓練をしつつ、代官として領地運営の勉強をすることになった、という訳だ」
「そうなのですね」
俺が次期領主になるために、などの理由を省けば、嘘ではなく本当のことを言っている。
だからこの説明は、ミルヒを騙しているわけではない。
それはそうと、俺がミュンドゥングに行くことで、一つだけ気がかりなことがある。そのことで、ミルヒに言っておかなければならないことがあった。
「ミルヒは半年に一度、わざわざ俺に会いにきてくれてるけど、ミュンドゥングまでくるのは大変だよな? 無理して会いにこなくてもいいぞ」
強制しているわけではないのだが、それが当たり前になっている。しかし、ミュンドゥングは僻地にあるため、無理にきてもらうのは申し訳ないと思っていたのだ。
「むっ! お兄さまは私が会いに行くのが迷惑だと?」
「そうじゃないけど、ミルヒが大変だと思って……」
「言っておきますけど、私もミュンドゥングは好きなんですよ」
「そうなのか?」
思わぬ返答に、俺はドギマギしてしまう。
「ミュンドゥングには、あそこでしか食べられない物が多くあるんです」
「そ、そうだったか?」
「そうなんです!」
「お、おう……」
「そうだ! ミュンドゥングに行ったら、私お勧めの美味しい料理を、是非お兄さまに教えて差し上げますね」
「それは楽しみだな」
ミュンドゥングに行った際、母のことで気が滅入っていた俺は、終始心ここに非ず状態だった。なので、食事は惰性で行なっており、何を食べたかまったく記憶に残っていないのだ。
それはそれとして、ミルヒがミュンドゥングにきたがっているのは、俺に会うというより、珍しい食事が目当てなように思うのだが、それは考え過ぎだろうか。
「それに、ホルスからガングは3日、ホルスからミュンドゥングは5日でいけます。たかだか2日増える程度では、全然苦になりませんし」
「そうなのか?」
「そうですよ。そもそもお兄さまと会うのは、マレーネ様のお見舞いに同行するためでしたし。その場合はホルスからガング、それからミュンドゥングと、片道11日も移動していたんですよ。それに比べれば片道5日など、往復してもお釣りがくる日数です。むしろ滞在期間を増やせて、お食事の時間が増えます!」
そう言われてしまうと、俺は何も言えなくなってしまう。
ってか、結局は食事がメインじゃねーか!
それから暫く、他愛もない会話を交わした。
俺があまり塞ぎ込んでいないとは言え、まだ父の葬儀も終わっていない状況だ。
ミルヒが俺に気を遣って話題の選択をしているのがわかるだけに、申し訳ないと思いつつ、ありがたいという感謝の気持ちを抱いた。
ミルヒと話しをした翌日、彼女は一度実家に戻った。
まだ日程の決まっていない父の葬儀に、改めて両親とやってくるらしい。
するとミルヒと入れ替わるように、ベルとヘクセが戻ってきた。
ミュンドゥングで母関連のあれこれが終わり、ようやくヴォルフスシャンツェに戻ってきたベルだが、今度は父の葬儀関連にも駆り出されてしまう。
俺としては、ベルに相談したいことが山ほどあるのだが、じっくり相談する時間が捻出できず、少しばかりフラストレーションが溜まっていた。
だからそれは、訓練後にヘクセに吐き出すことにしたのだ。
「ねえヘクセ、ベルは母上の妹だから、ミュンドゥングで母上関連の何やらがあったのは、まあなんとなくわかるんだ。でもさ、どうして父上のことでもベルは駆り出されてるの?」
未成年で継嗣でもない俺は、辺境伯の嫡子であっても何一つ役割がない。12歳になれば成人の準備として軍に入ることになるが、俺は軍に入る替わりにミュンドゥングの代官になる。
といっても、俺が12歳になるのは来年で、現状はただの無職だ。
一方で俺の講師でしかないベルが、なぜか知らないが慌ただしく働かされており、俺にはそれが不思議でならなかった。
「あー、ルドルフくんは知らないのかー」
「何を?」
「ベルは元々、ヴォルフガング家の家宰補佐という役職なのよ。まあ、お飾りになっちゃってる職なんだけどね」
「は? 俺の講師として仕えてるんじゃないの?」
何も知らない俺に、なぜか俺よりヴォルフガング家に詳しいヘクセが教えてくれた。
なんでもヴォルフガング家の家政は、元々はヴォルフガング家や辺境伯領全般を取り仕切る家令という役職の者が行なっていた。
しかし、ヴォルフスルーデル地方全体のことも取り仕切るようになり、家令以上の権限を持つ家宰という役職を設けたという。
だが発展して巨大化していくヴォルフスルーデル地方のすべてを、ヴォルフガング家の家宰だけで取り仕切るのは大変になったため、ラントヴィルト家とホルシュタイン家も家宰補佐として人員を出すようになった。
しかし、今代の家宰である俺の叔父が非常に優秀なため、ヴォルフガング家の内政を担当する家令を兼業しつつ、家宰の仕事も単独でこなしていたらしい。
結果、今の家宰補佐は名目上の役職となっており、ベルは家宰補佐としての仕事をしていなかったようだ。
ちなみに、現在の家宰補佐はラントヴィルト家の代表がベルで、ホルシュタイン家の代表がヴァイータなのだとか。
「でも領主夫妻が相次いで亡くなってしまって、ホラーツくんも大変なのでしょうね。流石に一人では手が回らず、ベルに仕事を割り振ったようよ」
情報通のヘクセは、辺境伯家嫡子の俺も知らない内部事情を、然も当然のように語ってみせた。
それはまあいい。ヘクセとの付き合いの中で、彼女なら何を知っていてもおかしくないと思えるようになっていたから。
しかし気になることもあった。
「ところでヘクセ、ホラーツくんって誰さ?」
「ん? イゴールくんの弟でルドルフくんの叔父さんよ」
「ああ、叔父上の名前はホラーツだったのか。話の流れでそうだろうと思ったけど、一応確認したんだ」
執事長のローレイが叔父の政治能力を褒めていたが、ヘクセの話も合わさると、叔父は本当に優秀なのだと思い知らされる。
そんな叔父を、やはり気安くホラーツくんと呼ぶヘクセは、相変わらず謎の人物だと思った。
「ってか、ヴァイータは一応父上の側室で、ヴォルフガング籍なんじゃないの? いくら出身がホルシュタイン家だったとしても、元ホルシュタインの人間が代表でいいの?」
「この地方って、言い方が悪くなっちゃうけど、基本的に戦闘バカばかりでしょ?」
「ああ、まあ……」
ヘクセの言い草はあんまりだったが、そのとおりなので頷くしかない。
「そうなると、内政を任せられる人材が少ないのよ。だから大事な文官を伯爵家から連れてくるのは勿体ないとホラーツくんが言って、すでにヴォルフガング家にきていた、ベルとヴァイータちゃんに家宰補佐の肩書だけ与えてたのよ」
「本当に名誉職みたいな感じなんだな」
でもまあベルは賢いから、いざとなれば仕事を任せられるんだろうな。
ヴァイータは……あれは本当にお飾りなんだろう。
ってか、ヘクセはヴァイータをちゃん付けして呼んでるくらいだから、面識があるよな?
せっかくだか、ヴァイータのことも聞いておこう。
俺は善は急げとばかりに、ヘクセに質問を開始した。
そして、まさかあんなことを聞かされると思っていなかった俺は、安易に聞いてしまったことを後悔してしまうのであった……。
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