第32話 イゴールくん

「そうそう、近い内にイゴールくん・・が戻ってくると思うよ」


 訓練後にその場で大の字になって寝転がっていると、ヘクセが思い出したようにそんなことを言ってきた。


「イゴールくん? ……ああ、父上か」


 ヴォルフガング辺境伯をイゴールくんと呼ぶのは、きっとヘクセだけだろう。

 S級冒険者だからそう呼べるのか、ヘクセの性格ゆえかわからないが、どちらにしてもヘクセという人物に対する謎が深まるばかりだ。


 それはそうと、父は何をしに戻ってくるのだろうか?

 俺がヘクセから魔術を習っているのは知っているだろう。と同時に、魔術を使う前段階の魔力操作で手こずっていることもどうせ知っているはず。

 ならば、俺と手合わせをするための帰還ではなく、別件で何かあるのだろう。

 だが油断はできない。

 何らかの理由を付けて俺を呼び出し、またフルボッコにされる可能性があるのだ。


「ヘクセがその情報をどこから拾ってるのか知らないけど、父上が戻ってくる理由も知ってたりする?」


 冒険者のいないヴォルフスルーデル地方で、冒険者の伝手で情報を得るのは難しいだろう。

 それでもヘクセなら、何らかの情報網を持っていても不思議ではない。


「だってイゴールくん、ずっとミュンドゥングにいたし」

「え?」


 軽い調子で言われたヘクセからの言葉があまりにも想定外過ぎて、俺は思わず素で驚いてしまった。


 ヘクセが言うには、俺がミュンドゥングに行くと、母が自分より俺を構うであろうことが予想できたため、俺をヴォルフスシャンツェに留め置いた、とのことだ。

 それでもベルがいたため、あまり構ってもらえなかった父は、ベルが帰還しても暫くミュンドゥングに留まり、母に甘えることにしたらしい。

 だが、ヴォルフスシャンツェに戻らなくてはならない用事があるらしく、数日後には帰還するのだと言う。


「あんなワイルドな見た目のくせに、自分が母上に甘えるために俺を外出禁止にするとか、父上はこじらせてはいけない何かを拗らせてるのか? それとも単純にバカなの?」

「イゴールくんは本当にマレーネさんが大好きだからねー。ルドルフくんのことは、マレーネさんを奪い合うライバルだと思ってるかもね」

「いやいや、別に俺は甘える気なんてないし。そもそも、母上に会った記憶すらないから」


 俺の言葉から何かを察したのか、ヘクセは見てくれだけは良い顔に薄っすらと微笑みを浮かべ、慈愛の篭もった眼差しで俺を見つめてきた。……が、目の奥で紫紺の瞳がいたずらっぽく笑っているのを見逃していない。


「ああ、そう言えばそうだったね。でもまあ、ルドルフくんが甘えるならベルがいるものね」

「別にベルにも甘えてないし……」

「ん? それならあたしに甘えるかい?」


 ここで両手を広げ、ヘクセが一段と深い笑みを浮かべたことで、自分に甘えさせるのが本命だと気づいた。


「遠慮しとくよ。膨らみのないヘクセに抱きしめられても、ゴリゴリして何だか痛そうだし」

「むむむ、ルドルフくんはかなり失礼だぞ。それに、まだまだ女性を理解していない。大人の女性と言うのはだね――」

「そういうのは結構です」

「まあ何にしても、甘えん坊さんなルドルフくんなら、そのうちあたしにも甘えてくるだろうし、その際に女性の素晴らしさを教えてあげよう」


 どうして当然のように俺の甘えん坊設定が定着したのかと疑問に思っていたが、父親が妻を愛してることを隠していないのだ、その息子である俺が甘えん坊であることは、当然のことわりくらいに思われているのだろう。――いい迷惑だ。




 さて、ヘクセの予告(?)から約半月、2月の初頭に父がヴォルフスシャンツェへ帰還したようだ。

 顔を合わせたくないが呼び出されるだろう、そう思ってゲンナリしていたのだが、父からの呼び出しがないまま数日が過ぎた。

 そして、今回の帰還は完全に俺には無関係だったんだな、と気を抜いた途端に父から呼び出されてしまう。


「おうルドルフ。お前ヘクセから魔術を教わってるらしーが、魔術も駄目なんだってな。当然、今もよえーまんまなんだろ?」


 初めて訪れた父の執務室に入ると貴族らしい挨拶もないまま、父は俺をあおるような言葉を投げつけてきた。

 以前の俺なら、嫌味に対して脊髄反射で反論していただろう。

 しかしヘクセとの魔術巡りの影響だろうか、あの不快感に比べれば父の嫌味など屁とも思わない。


「お久しぶりです父上。私に何か御用ですか?」


 俺は父の言葉には取り合わず、当たり障りのない真っ当な言葉を返し、父の向かいのソファーにドカッと腰を下ろした。

 着席を勧められる前に座ってしまったが、これくらいはかわいい反抗だろう。


「愛想のいいマレーネから生まれたくせに、お前はちっとも可愛げがねーな」

「でしたらそれは、可愛げのない誰かさんに似たのでは? それより、私を呼び出した要件についてお話し願えますか?」

「口だけは達者だな」

「…………」


 言い返してもらちが明かないと感じた俺は、無言でいることで要件を早く言え、と促す。


「チッ!」


 父は舌打ちすると、つまらなそうに口を開く。


「ベルから教わってるはずだが、ルドルフは”南征”を知ってるか?」

「先代がご活躍された戦争のことでしたら」

「それだ。んで、その戦争の後に10年間の期限付き休戦協定が結ばれたんだけどな、その期限が去年末で切れた」


 領政に関与していないと言っていた父が、急に政治的な話をしてきた。


「俺はよく知らねーが、前々から協定の延長がされねーだろーって予想されてたんだと。んで予想どおり、休戦協定は破棄されたって話だ」

「…………」


 なるほど、そうなるとローゼンクロイツ王国、ひいては爺さんが奪った街を相手方が取り返しに来るってのは、まあ俺でも想像できる。

 でもそれだと、今度は防衛戦争にヴォルフガング軍が引っ張り出されるってことか。

 爺さんが圧倒的戦力で奪い取った地を、親父が死守するのはある意味道理だし。


「で、予想通り戦争は起きるらしい」

「…………」

「開戦は4月か5月頃って予想だ」


 それを俺に話すってことは、3月で10歳になる俺のお披露目で、念の為に継嗣としてもお披露目するってことだろうな。

 たぶん勝ち戦になるだろうけど、勝負に絶対はない。親父に万が一があった場合のことを考えて、正式な継嗣を決めておくのは当然のことだ。

 俺には相変わらず強さはないけど、努力が花開くことを見込んで、嫡子の俺を跡に据える決断をしたに違いない。


「まあ、防衛戦は王国の方でやるらしーが、万が一の場合はヴォルフガング軍を出さねきゃならねーらしい」

「ん? 最初からヴォルフガング軍が戦争に参加する訳じゃないのですか?」

「戦争ってのは、攻めるより守る方が簡単だからな。それに、攻め落としたのがヴォルフガング軍で、守るのもヴォルフガング軍。なんでもヴォルフガング軍に頼ってちゃー、王国のメンツが丸潰れだろ?」


 たしかに王国は、攻城戦の時点でヴォルフガング軍に助けられたようなものだ。

 対外的にはローゼンクロイツ王国の勝利でも、王国内ではヴォルフガングが勝利した、といった風に語られている。

 これで防衛までもヴォルフガング軍任せでは、王国のメンツが立たないだろう。


「でだ、戦争に参加するかもしんねー状況を考えると、呑気にお前のお披露目をやってる余裕はなくなる」

「ん?」

「だからお前のお披露目は延期する」


 なるほどなるほど。

 俺を継嗣にするのを決めたんじゃなくて、先延ばしにしたってことね。

 そりゃそうだ、弱い俺に次代は任せられないって言ってたのに、現状は頼みの綱である魔術も使えないんだ、条件的に俺を継嗣にするわけないよな。

 でもまあ、先送りにすることで俺が強くなるための時間がもらえた、そう好意的に捉えることもできるし。

 親父もなんだかんだ言って、俺のことを考えてくれてたんだな。


「俺からしてみりゃそんなん関係なく、ちゃちゃっとお披露目して終わりで構わねーと思ったんだけどよ、マレーネが延期しろ延期しろってうるさく言うから、仕方なく延期することにした」

「…………」


 このクソ親父、マジで俺に跡目を譲る気がないらしいな。

 こうなってくると、時間を作ってくれた母ちゃんにはマジ感謝しないと。

 なんだかんだで一度も見舞いに行けてないけど、外出禁止令が解けたら見舞いに行ってみよう。

 それに、母ちゃんを味方に付ければ、このクソ親父をうまいこと操れそうだし。


「話は終わりだ。――ルドルフの辛気くせー顔見てるとこっちの気が滅入る。もう行っていいぞ」


 物思いにふけっている俺は、周囲からすると辛気臭く見えるようだ。

 そんな俺を、父はハエを追い払うように手を払って退出を促す。


「……失礼します」


 俺は文句の一つでも言ってやりたい気分だったが、弱い俺が何を言っても負け犬の遠吠えだ。

 ならばここでグダグダ言っても仕方ないと思い、静かに礼をして父の執務室を辞した。


 この日から俺の日常は、再び平々凡々で同じことの繰り返しとなった。

 あの日が訪れるまで――

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