第31話 集中

「ルーくんのお腹をね、こうしてむにむにすると気持ちいいの。お兄さまもむにむにしてみる? ――あれ、お兄さま痩せた?」

「お、おう……」


 にこにこと機嫌良さそうにウーリボゥの腹を揉みしだいていたミルヒが、こちらに視線を向けると眉根を寄せて俺の腹を凝視し、今度は俺の顔を見て責めるような口調で『痩せた?』と聞いてきた。


 実際に俺は痩せたのだが、めっちゃデブが少しだけ肉が減った程度なため、俺がデブであることに変わりはない。

 なので、その非難するような視線を向けてくるのは、本気で止めていただきたいのだが……。


「よいしょ。――もしかして、ティナさんに痩せるよう言われたから、お兄さまはダイエットしたの?」


 抱えていたウーリボゥのルーくんを下ろし、こてりと小首を傾げ、乳白色の髪がさらりと流れるミルヒ。

 その仕草は可愛らしく、あどけない少女の浮かべる笑顔は素敵だ。……漆黒の瞳が笑っていれば、の話だが。


「あー、そんなことをティナ嬢に言われた記憶はあるけど、ベルとヘクセのしごきがキツいんだよ。――あっ、ミルヒはヘクセを知らないんだっけ?」

「お兄さまの魔術講師になった有名な冒険者さんだよね?」

「そうそう」


 ミルヒはなぜかティナに敵意を抱いている。

 であれば、意識を他に向ければ良いと考えた俺は、単に真実を語ることでミルヒの意識を反らせることに成功した。

 しかし、何も悪いことをしていないのに責められたように感じた俺は、少しばかりミルヒを責めることに。


「ところでミルヒ」

「なんですかお兄さま?」

「そのウーリボゥの名前は、たしかルーくんだったよな? 」

「……そ、そうですけど」


 淑女の仮面を脱ぎ捨て、素の状態に戻っているミルヒは、わかりやすいくらいに動揺を見せた。


「じゃあ、ルーくんの名前の由来って何?」


 ニヤリと広角を持ち上げた俺は、8歳児に対して少々意地の悪い質問をしてみた。


「そ、それは……」

「それは?」

「……お、お兄さまの名前からですっ!」

「お、おう……」


 追い詰められて開き直ったのか、ミルヒはまるで俺が悪いかの如く言い放つ。

 その迫力に押された俺は、思わずしどろもどろに。

 そんな俺のことはお構いなしとばかりに、ミルヒは更に口を開く。


「だってミルヒは、よくわからないうちにお兄さまの婚約者になったんだよ。しかも怖い人だって聞いてて、初めて会ったときもずっと不機嫌で、物凄い目つきでミルヒをにらみつけてきて……」

「…………」

「だからミルヒは、お兄さまに会うときはいつも俯いて足元ばかり見てたの。それでちょっと視線を上げると、ミルヒの目に入るのはお兄さまのお腹だったの」


 予期せぬミルヒの激白に、俺は申し訳ない気持ちになったのだが、なんだか雲行きが怪しくなってきた気がした。


「なんだかお肉がたぽたぽしてるなーって思ったんだよね。それでホルスに戻って少しした頃、迷い込んだウーリボゥを保護したの。そのウーリボゥ目つきが悪くてちょっと怖かったんだけど、お世話してるときにお腹を触ったらむにむにしてて、触り心地が物凄く良かったの」

「…………」


 もはや聞くまでもなく、ミルヒの言わんとすることはわかった。


「それからウーリボゥにルーくんって名前を付けてお世話を続けたのね。それでね、ルーくんが段々可愛く思えてきたの。それからはね、お兄さまをルーくんだと思って見るようにしてたら、ちょっとずつ怖さが和らいできたんだ。でもね、やっぱりお兄さまに『お腹を触りたい』とは言えなかったの」


 まあそうだろうな。


「でもねでもね、お兄さまが記憶を失って今のお兄さまになったでしょ? それでやっと、念願だったお兄さまのお腹をむにむにできたの。それなのに、ティナさんはお兄さまにダイエットするように言ってたでしょ? それでミルヒは――」


 それから暫く、ミルヒのお肉講座は続いた。


 俺はミルヒの言わんとすることをわかっているつもりでいたが、実情は想像と少し違う。

 自惚れかもしれないが、ミルヒはなんだかんだいって俺に惚れている、そう思っていた。そのうえで、彼女は俺の肉が好きなのだと。

 だが実際は、単純に肉を揉むのが好きなだけで、ミルヒが俺に惚れているわけではなかった。

 ティナに敵愾心を向けていたのも、恋愛感情的な何かだと思っていたがそうではなく、俺の肉を削ごうとするティナは、ミルヒにとっての敵だっただけの話。

 恋愛経験のない俺は、そんなこともわかっていなかったのだ。


「――お兄さまが痩せなきゃいけないのはミルヒもわかったよ。でも大丈夫、ミルヒにはルーくんがいるから」


 俺が思い違いに気づいてどんよりした気持ちになっていると、ミルヒは溜まっていた何かを吐き出し終わったらしく、とても清々しい表情をしていた。

 一方の俺は、ミルヒに惚れられていなかったことを残念に思う自分がいた、ということに気づいてしまう。

 それがまた、俺の気持ちを沈ませた。


 自分では、『俺も少しは成長したな』などと思っていたが、他人の気持ちを理解するのは難しいと改めて感じ、ままならない自分の感情に不快感を抱いてしまう。


 そして俺は、集中できないままミルヒとの会話を続けたのであった。




「さあルドルフくん、今日からまたビシバシしごくわよー」


 新年の休暇が終わり、実家に帰ったミルヒと入れ替わるように、ベルとヘクセがヴォルフスシャンツェに戻ってきた。

 戻ってきた昨日は、お互いに報告し合うような形で会話をしただけ。

 しかし翌日の今日は、旅疲れが残っている様子もない元気なヘクセが、嬉々として俺をしごくと宣言してきた。

 俺の方も、鬼コーチが不在中に可能な自主練をちょこちょこやっていたものの、基本的にミルヒとのんびり過ごしていたため、しっかりした訓練を受けたいと思っていたところだ。

 ヘクセの申し出に否はない。


「早速、いつもどおり魔力巡りね」

「よし来い!」


 訓練と言っても、ヘクセの魔力を俺の体内に巡らせる『魔力巡り』だ。

 既に数カ月間毎日行なっているが、魔力操作ができそうな気がまるでしない。

 それでも、魔力錬成ができない俺が、魔術を使えそうな手がかりがこの方法しかないため、藁にもすがる思いで続けていた。


「ほらルドルフくん、君の魔力が膨らんでるよ」

「だからー、ただ気持ち悪いだけで魔力がわからないんだって!」

「そんなのは百も承知。愚痴をこぼす余裕があるなら、気持ち悪さで膨らんだ魔力を感じられるように、もっと深く意識を集中するの」

「――っ!」


 明確な方法論もなく、一昔前のスポ根漫画の如き根性論的なことを言ってくるヘクセ。

 しかし、過去に”無自覚魔力生成症”と呼ばれる体質の者が、魔力操作ができた試しがないため、可能性のあるこの方法を続けるしかないのが現状だ。


 ちなみに、無自覚魔力生成症の者に魔力巡りを行うと、通常以上に魔力が生成されてしまうらしい。

 この方法はすなわち、生命の源であるオドが必要以上に消費されることを意味し、命の危険を伴う行為なのだ。

 そのため、一般的には使われない手法なのだとか。

 だが俺は、オドの量が尋常ではないほど多くあるので、禁忌とも言えるこの方法を採用している……というかされている。

 過去に無自覚魔力生成症治療法が色々と試され、どれも結果が出なかったことを考えれば、本当にこの方法にすがるしかないのだ。


「ここまでにしましょ」

「あー、疲れたー」


 半月ぶりの訓練だったが、やはり今回も成果がなかった。

 

「休憩の後は槍術ね」

「はいよ」


 魔術に可能性を見出したとしても、使えない可能性も勿論ある。

 だから俺は、引き続き近接戦闘も訓練しているのだが、そもそも戦闘センスのない俺は、剣より間合いのある槍で少しでも優位性をとることにした。


 S級冒険者であるヘクセの戦闘スタイルは魔術がメインであるが、近接戦闘も含めてなんでもマルチにこなすオールラウンダーだった。

 本人曰く、近接戦闘では魔闘気を纏った俺の父にはかなわないらしい。

 それでも、ヴォルフガング軍の上位者と五分五分以上で打ち合えるというのだから、S級冒険者の実力はやはり凄いと思う。


 そんなヘクセからのしごきは、当然のように日暮れまで行われた。


「じゃあ今日はここまで」

「お、お疲れ様でした……」


 ようやく訓練が終わると、俺はその場で大の字になって寝転んだ。

 半月間の休暇で物足りなさを感じていたが、いざ訓練を再開すると、はやくも休暇がほしくなる。

 ちょっとした自主練しかしておらず、怠けていた体でいきなり本気の訓練は堪えたのだ。

 それでも久々に味わった疲労感は、なんとも言えない心地良いものでもあった。

 だから思う。


 誰かと何かをしながらの生活は、何もない独りきりの生活より刺激があって面白い、と。

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