第18話 ティナ

「ルドルフ様にはご挨拶させていただきましたが、ホルシュタイン伯爵令嬢にもご挨拶したいと思いますの。あたくし、ミュンドゥングでヒルフェ商会を営むティナと申しますわ。どうぞよしなに」


 ティナが俺にしてみせたように、ミルヒにも優雅なカーテシーをしてみせた。


「ミルヒ・フォン・ホルシュタインです。ミルヒとお呼びくださいね」


 ミルヒもまた、ティナに負けず劣らずのカーテシーをしてみせる。


 ここは社交場でもない街中の喫茶店なのだが、二人の淑女が挨拶を交わしただけで、この場が王宮の晩餐会会場になったのかと錯覚するほどの高貴なオーラに包まれていた。


 まあ、王宮の晩餐会とか実際にどんな感じなのか知らんけどな。


 小学生の高学年と低学年くらいの少女であっても、この世界の子どもは日本人より大人びている。それを改めて実感した。


「商会主であるティナさんがガングにいるということは、ヒルフェ商会というのはあちこちを回る行商なのですか?」

「違いますわ。あたくし、幼少期に病を患っていましたの。ミュンドゥングには療養で訪れ、そのまま彼の地で生活していましたわ。ですが、ようやく普通の生活ができるまで回復しましたの。そこでこの度、王都の実家へ戻ることになり、訪れたことのなかったガングに立ち寄った次第ですわ」


 王都に実家があるということは、かなり裕福な家庭の子なのだろう。

 俺は王都に行ったことはないが、たぶんヴォルフガングより栄えているはず。

 そんないいとこのお嬢さんが、長年田舎暮らしをしていたのだ、王都に戻れるのは嬉しいだろう。


「ミルヒは王都に行ったことがありませんが、やはり王都は凄いのですか?」

「あたくし、3歳から9年間ミュンドゥングにおりましたもので、王都で生活していた頃の記憶は残っていませんの」

「それは失礼しました」

「お気になさらず」


 3歳から9年間ということは、今は12歳ってことか。

 ってことは、これからはある意味初めての都会暮らしになるんだな。

 俺も日本人時代に田舎から東京に引っ越したけど、環境が変わるとすべてがガラリと変わって生活しづらかったのを覚えてるよ。

 でもまあ、わざわざ絡んでくる輩がいたのは、田舎も都会も同じだったけどな。


「不躾な質問になりますが、ミルヒ様はルドルフ様の婚約者でらっしゃるのかしら?」

「そうです。ミルヒはお兄さまの婚約者です」

「? ミルヒ様はなぜ、ルドルフ様をお兄さまとお呼びになっているのかしら?」

「ミルヒはいずれはお兄さまの家族になります。そうすると、お兄さまの年下の家族となるミルヒは、お兄さまの妹になるのです」

「そ、そうなのですね」


 俺は少し後悔した。

 ミルヒが婚約者として俺に接するより、妹として接してくれる方が楽だと思ったため、あえて現状を良しとしていた。

 しかし、こうして第三者にミルヒの立場を説明する場に遭遇したことで、なんとなく恥ずかしくなってしまったのだ。


「ルドルフ様は、ひょっとしてシスコンなのかしら?」

「しすこん?」


 話しかけるというより、つい口から漏れ出てしまったようなティナの言葉に対し、シスコンの意味がわからないのであろうミルヒが、こてりと首を傾げていた。

 俺は慌てて口を挟むことに。


「ま、まああれだ、私もミルヒもまだ幼いので、兄妹付き合いの方が接し易いというかなんというか……」


 つい言い訳じみた言葉を口にした俺だが、上手い言葉が見つからずに尻すぼみになってしまった。


「それはそうと、噂に聞いていたルドルフ様と、実際にお会いしたルドルフ様では随分と印象が違いましたわ」


 空気を読んでくれたのだろうか、ティナがさらっと話題を変えてくれた。


「先程の光景をご覧になったでしょ? あのように、私の噂はかなり偏った方向に誇張されているらしい」


 噂の出処は、俺を憎んでいる従者やヴォルフスシャンツェに出入りしている商人だと思っていた。その考え自体は間違っていないだろう。

 しかし、必要以上に尾びれ背びれを付けた誇張は、モーリッツのクソ野郎がしているのだと気付かされた。

 これはなかなか厄介だ。


「ミュンドゥングでもルドルフ様のお噂は轟いておりましたわ。それもなかなかのものでしたが、ミュンドゥングに噂が届く間に誇張されたものだと思っておりましたの。しかしお膝元のガングですら、殺戮王などと呼ばれているのですね」

「私自身、そんな風に呼ばれているのだとさっき初めて知りましたけどね」


 まあ虐殺王とか言われるマシだろう。――いや、五十歩百歩だな。

 それより、ミュンドゥングがヴォルフガングのどこにあるか知らないけど、そこで俺は蛮族王って呼ばれてるのかな?


「私はミュンドゥングで蛮族王と呼ばれているのですか?」

「それは違いますわ」

「と言うと?」

「王都でのルドルフ様の異名が蛮族王なのですわ」

「なぜ王都で……」


 ヴォルフガング領内で悪名が広がっているのは、それはもう仕方ないことだと諦めている。

 汚名返上のハードルは、ヴォルフスシャンツェの城塞内だけに比べれば高くなっていたが、大変でも何とかしようと気持ちを切り替えた。

 しかし、王都にまで悪名が広まっていたのは想定外だ。


「ヴォルフガング領を含めた王国北西部のヴォルフスルーデル地方が、中央から蛮族の地などとさげすまれているのを、ルドルフ様はご存知かしら?」

「かつてそう呼ばれていたとは聞いてるね」

「昔は蛮族と呼ばれる獣人が住まう地であったためにそう呼ばれていましたが、現在はヴォルフスルーデルに住まう者が蛮族と呼ばれていますの」


 蛮族と言われる獣人がいなくなっても、今度はそこに住む者が蛮族扱いってか。


「そのような蛮族の住まう地で”ルドルフ様が悪行の数々を繰り返している”、そう伝わり、今ではルドルフ様を蛮族王と呼んでおりますの。――とはいえ、あたくしは王都から情報を受け取っているだけですので、どこまでその名が知れ渡っているか存じませんけど」


 王都に実家を持つ商人の情報なのだから、もしかすると一部にしか知られていない情報なのかもしれない。

 それでも多かれ少なかれ、そのような噂が広まっているのも事実だろう。


 もしかして『ルドルフイメージアップ作戦』は、王国内すべてで行わないとダメなのか?

 超えなきゃいけないハードルが、いつの間にかちょっとした段差から走り高跳びへ、そして今は棒高跳びくらいまで高くなってる気がするんですけど。


 ティナの話を聞いた俺は、かつてないほどテンションが下がってしまった。


「そうそう、ルドルフ様の御母上であるマレーネ様が、最近のルドルフ様のご様子がお変わりなったと仰られていましたわ。実際にお会いできていなくとも、そのような報告を頂いたとか」

「ああ、ティナ嬢は母と面識があるんでしたっけ?」


 詳しく聞いていないが、そのようなことを言っていたはず。


「実はあたくし、ルドルフ様に興味がありまして、マレーネ様にルドルフ様とお会いできるよう何度か仲介をお願いしていましたの。ですが、『ティナちゃんにルドルフは会わせられないわ』と断られ続けておりましたのよ」


 怖いもの見たさってヤツか?


「それがミュンドゥングを出る際、マレーネ様にご挨拶をしたところ、ルドルフ様がお変わりになられたとのことで、今回は紹介状をいただけましたの。ですが、たまたまとはいえこうしてお会いできたので、せっかくただいた紹介状も無駄になってしまいましたわ」


 俺は他人に興味を抱かない人間だっため、美人や可愛いと言われる女性を見てもなんとも思わなかった。

 そんな俺でも、ティナが世間一般では美人と言われる少女であろうことは、感覚的になんとなくわかる。

 だがやはり、俺がティナに興味を惹かれることはない。

 それでも、ややもすれば冷たそうに見える切れ長の目を細め、茶目っ気たっぷりに微笑まれてしまうと、俺の意志とは別に勝手に魅入ってしまった。


 見覚えがあるようなないような、あの真紅の瞳に惹き付けられてる気がするな。

 もしかして、ティナの目は魔眼的な何かのか?

 うん、きっとそうに違いない。注意しなければ。


 俺は、自分が他者に魅入ることはないと思っているし、中二病ではないと自負している。にも拘わらず、あの目は中二心をくすぐるヤバいアレだと思い、ティナを少しばかり警戒することにした。


「ところで、どうして俺……私に会ってみたいと?」

「失礼を承知で言わせていただきますと、怖いもの見たさですわ」


 やっぱりね。


「ですが、噂とは往々にして誇張されるもの。あたくしは自分の目で見て、噂通りの人物か確かめてみたかったのですわ」


 商人としては、ヴォルフガング家嫡子の人物像を、今後を考えて確認しておきたかったのだろう。


「今回はミルヒ様もご一緒にお目通りできましたので、あたくし的に、本日の邂逅はとても行幸でしたわ」

「ティナさんは、ミルヒのことを知っていたのですか?」

「ルドルフ様の生贄にされた、とても可愛そうなご令嬢と伺っておりましたの」

「そういうことですか……」


 ティナの口から自分の名前が出たことで、ミルヒは興味深そうに問いただしていたが、生贄という説明を聞いて少し落ち込んでしまったのだろうか、少々暗い表情になっていた。


「ですが、やはり噂は誇張されていたのですね」

「ん、どーゆーこと?」


 やれやれといった表情を浮かべ、呆れたように言い放ったティナの言葉に、俺は素の言葉で反応してしまった。


「ミルヒ様から、生贄として捧げられたような悲壮感を感じませんもの。やはり噂はアテになりませんのね」

「そうなのですか?」


 ティナの言葉に反応したのは、生贄と言われたミルヒ本人だ。


「ミルヒ様はルドルフ様の婚約者になって、辛かったり悲しかったりしていますか?」

「う~ん、最初の頃はよくわからず、立派な淑女になれと沢山お勉強させられたので、少し辛かったです。それに、お兄さまも少し怖かったですし……」

「うっ……」


 ミルヒからの流れ弾に被弾してしまった。いや、昔の俺がミルヒを追い込んでいたのは確かなのだから、これは流れ弾ではなく俺に対する攻撃として受け止めるしかない。


「で、でも、お兄さまは落馬の影響で記憶が失われてしまいましたけれど、以前より優しくなって、お腹のお肉をむにむにさせてくれるように……あっ!」


 ミルヒが”しまった”と言う表情を見せる。

 そんなミルヒの失言を、ティナが聞き漏らしているはずもなく――


「記憶が失われた? うふふ、聞き捨てなりませんわね」


 そう口にしたティナの目が細められ、真紅の瞳が妖しく輝いていた。

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