第17話 〇〇王

「なんだルドルフ、随分と民から嫌われているではないか」


 俺が項垂れていると、勝ち誇ったように口角を上げた男が近付いて来て、俺をおちょくるような口調で話しかけてきた。


「民から信頼を得られない者が領主になるのは、些か難しいのではないか?」

「おい、俺の噂を流してるのはお前か、モーリッツ・・・・・?!」


 民が好き勝手言っていた言葉の中に、『姉や兄にも、容赦なく殺すと宣戦布告した』という文言が含まれていた。

 容赦なく殺すという余計な尾びれが付いているが、たしかに俺は宣戦布告している。――意図して言った訳ではないが。

 そしてそれを知っているのは、一部の従者と腹違いの姉弟だけだ。

 従者が噂を流している可能性も否定できないが、眼前の男が意図して流している可能性はかなり高い。


「相変わらず兄を呼び捨てか、この愚弟め」

「うるせークソ兄貴! そんなことより、何適当な噂を流してんだゴラァ!」


 ルドルフとして覚醒してからは、自身の評判を良くするために負の感情を抑え込んでいたが、俺の足を引っ張るこの男には文句の一つでも言わないと気が済まなかった。


「お、おいおい、僕はヴォルフガング辺境伯家の者として、ヴォルフガング家の正しい情報を民に伝えているだけだ」

「うるせー! 何が正しい情報だテメー!」

「た、民は噂話が好きだからな、話が歪曲して伝わることもある。それは僕の預かり知らぬところで」

「チッ!」


 鳶色の瞳をギラつかせ、愉悦混じりの表情を見せるモーリッツに対し、俺はぶん殴りたい気持ちが湧き上がってくるも、ここはぐっと堪えた。


 俺は腹違いの姉弟を敵認定している。

 しかしそれは、いずれ暗殺者を送ってくるなりして、物理的に俺を排除してくる者として見ていた。

 だが実際は、情報を操作して、社会的に俺を抹消しようとしている。

 勝手にバカだと見下していたモーリッツは、バカっぽい言動とは違って実にしたたかなヤツだったのだ。


 そんな腹違いの兄は、俺と1歳しか違わないというのに、体つきは大人と子どもほどの差……は言い過ぎだが、実際にかなりの差がある。

 ここで俺がモーリッツに殴りかかっても、ただの肥満体でろくに動けない俺は、みっともなく返り討ちにあうだろう。

 そんなことになれば、俺はヴォルフガングの名を背に好き勝手しているだけで、自分の実力はない虎の威を借る狐だと思われてしまう。

 遠ざかっていった民の一部が、遠巻きにこちらの様子を窺っているのだ、そんな無様な姿は見せられない。


「いやー、まさか街中でルドルフと会うとはな。それにしても、お前がここまで民から嫌われているとも思っていなかった。ヴォルフガングの名を汚さぬよう、お前は引き篭もっていた方がいいぞ」


 どの口がそれを言う。


「僕は10歳になってから、ヴォルフガング家の者としてこうして警邏で街を回っているが、お前と違って頼りにされているぞ」

「だったら警邏に戻れよ」

「言われなくてもそうするさ」


 ここでモーリッツと不毛な言い合いをしても仕方がない。

 だから俺は、この場を離れるべくモーリッツに背を向けた。


「あなたが蛮族王ルドルフですの?」


 唐突に、なんとも嫌な枕詞を付けて俺の名が呼ばれた。

 呼んできたのは、モーリッツに絡まれていた宵闇色の髪の女性だ。


 民の中で俺を殺戮王とか言ってたヤツもいたが、今度は蛮族王ルドルフか。

 もっとまともな呼び名はないものかね。何なの、蛮族王って?

 ……ん、ちょっと待て。蛮族王ルドルフ? 初耳なはずだけど、どこかで聞いたことがあるような気がする。

 なんかモヤモヤするけど思い出せんな。


「お嬢さん、ここは危険ですから僕が安全な場所までお送りいたしますよ」

「貴方、いい加減ウザいですわ。ナンパなら他所でなさってくださいな」

「し、失敬なっ! ヴォルフガング家の長男たる僕が、ナンパなどというゲスなことをする訳がなかろう」

「それでしたら、もうあたくしに構わないでくださいまし」


 俺が頭を悩ませている間に、モーリッツと宵闇の女性が口論を始めていた。


「どこぞの名家のご令嬢なのだろうが、流石に君の態度は無礼だぞ」

「あたくしはしがない商人でございます。ですがあたくしのお祖父様は、先代ヴォルフガング辺境伯と旧知の仲でしたの。あたくしも現辺境伯夫人マレーネ様に良くしていただいておりますし、貴方のお父上である辺境伯にも可愛がっていただいておりますの」

「なっ!」

「そうそう、商人許可証も辺境伯直々に頂いておりますわ。なんでしたら、”ヴォルフガング家の長男様があたくしをナンパした”と辺境伯にお伝えしてもよろしくてよ」


 俺が騒動に近づいた際、宵闇の女性は弱々しくモーリッツに断りの言葉を伝えていたが、今はまるで別人のように高飛車な言動で反論していた。


「だから僕はナンパなど……えーい、もう知らん。ルドルフに何かされても、それは君の自己責任だ、勝手にすればいい。それから、父上に余計なことを言わないように」


 モーリッツはそれだけ言うと、足早にこの場を去っていった。


「お見苦しいところお見せしてしまいましたわ。貴方はヴォルフガング家の嫡子である、ルドルフ様でお間違いないですか?」


 モーリッツを一蹴したご令嬢は、楚々とした足取りで俺の近くまでくると、切れ長な目を艶っぽく細め、妖艶な笑みを浮かべながら問うてきた。

 俺は『ルドルフではない』と突っぱねようと思ったが、白を切るのも今更な気がして、素直にルドルフであると認めることに。


「ああ、私がルドルフだ。それで貴女はどちら様で?」


 ご令嬢はヴォルフガング家とそれなりの関わりがあるようだが、モーリッツも彼女のことを知らなかったように思う。

 であれば、引き篭もりの俺が知らないのも当然で、この女性が誰であるか見当もつかない。

 しかし、彼女のどこか見覚えのあるような宵闇色の髪に意識を持っていかれそうになるが、改めて対面したことで気づいた彼女の瞳の色は、やはり既視感のある真紅であった。


 何か引っかかるんだけど、どうにも思い出せないんだよな。


「申し遅れました。あたくし、ミュンドゥングでヒルフェ商会を営むティナと申しますわ」


 ティナと名乗った女性は、黒いゴスロリのスカートをちょこんと摘み、美しいカーテシーをしてみせた。


「ミュンドゥング?」


 しかし俺は、女性の名や彼女の商会の名前より、地名であろうミュンドゥングという言葉に反応してしまう。

 すると、俺の後ろに控えていたカールが「若様の母君が療養なさっている地です」と教えてくれた。


 なるほど。元々ヴォルフガング家と親交がある上、俺の母親が住まう地で商売をするにあたり、便宜を図ってもらってた訳ね。

 家名を名乗っていないのは貴族じゃないってことなんだろうけど、ヴォルフガング家の長男を名乗ったモーリッツを一蹴できたのは、よほどヴォルフガング家の信任が篤いんだろうな。


「ところでルドルフ様、よろしければどこかでお茶でもしながら、少しばかりお話しをしませんこと?」

「かまわないよ」


 見ず知らずの者と会話をするには勇気が要るが、ヴォルフガング家に親しい者と縁を結んでおくことが『ルドルフイメージアップ作戦』に有効だと感じた俺は、考えることなく即答した。


「お兄さま、ミルヒのことを忘れていませんか?!」


 背後から、怒気を含んだ声が聞こえてきた。


 予想とは大幅に変わってしまったボーナスステージだったが、『ルドルフイメージアップ作戦』に繋がる結果に落ち着いたことに気を良くしていた俺は、本気でミルヒのことを忘れていたのだ。


「わ、忘れてないぞ。これからミルヒに声をかけようと思っていたところだし」


 ミルヒはいつからここにいたんだろ?


「…………」


 漆黒の瞳がくりくりしているのが特徴的なミルヒだが、珍しくその目を細くじとっとさせ、可愛らしく頬を膨らませていた。


「そうそう。ティナ嬢、こちらはホルシュタイン伯爵家のミルヒ嬢だ。彼女も同席しても?」

「もちろんよろしくてよ」


 遠目からだと大人びて見えたティナだが、近くで見て中学生くらいの少女だとわかった。

 だが彼女の言動が大人びているため、『見た目にそぐわぬ年齢なのか?』と俺を惑わせる。年齢不詳のなんとも言えない謎めいた人物だ。


 そのティナからミルヒの同伴が認められ、俺たち一行は近くの喫茶店のような店に向かった。


 すっかり俺の周囲から人が消えていたため、人混みを気にせず歩け、すんなりと店に入る。

 店の者たちは青褪めていたが、住民への名誉挽回は後ほどすることにして、とりあえず今回は開き直ることにした。


 さて、これから会話をするわけだが、相変わらず俺から話を振ることはできない。

 とはいえミルヒとティナがいれば、勝手に会話が始まるだろう、そう思っていたら案の定、ティナが口火を切ってくれた。

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