第15話 パワフル少女

「ミルヒはカールと面識があるのかい?」


 嫌な予感がして穏やかでない心境だった俺だが、冷静を装って質問の言葉を口にした。

 爽やかな笑顔で問いかけられたと思う。……たぶんだけど。


「はい。カールハインツは以前、ホルシュタイン伯爵家の牧場で働いておりましたので」


 俺の聞いた話では、カールが遠目からミルヒを見かけていた、というだけだったはずだが……。


「カールハインツは馬の気持ちがわかる、そう言われるほど的確に馬の状態を判断し、最適かつ親身になって世話をすると評判でした。その真摯な勤務態度が評価され、ヴォルフガング行きを推薦されたのですよ。それに、ミルヒが牧場のお手伝いしていて困ったことがあると、カールハインツにはよく助けられていたのです」


 ミルヒが昔を思い出すように語ると、カールは感動した様子で「僕のような者を覚えてくださっていたとは感無量。ありがたき幸せです」なんて言ってやがる。


「カールハインツのお仕事が、馬の世話からお兄さまのお世話に変わっても、真摯な姿勢で仕事に臨むのは変わっていないのですね」


 馬の世話と俺の世話が同列のように語られているが、これはミルヒによる遠回しな嫌味なのだろうか?

 そんなことを考えてる俺を他所よそに、カールが口を開く。


「はい。素直な馬より手のかかる若様ですが、僕は若様のお世話をするのは楽しく思っています」

「……おいカール」

「ヒッ……」


 ロリコン野郎があまりにも調子に乗っていたため、俺は無意識にドスを効かせたいつもより低い声――といっても、まだ変声期を迎えていないため子どもが粋がっているような声――でカールを呼んでしまうと、ミルヒ……ではなく、彼女の侍女が小さく悲鳴を漏らした。


「あ~、すまんすまん」


 失態に気づいた俺は、努めて明るい声で、しかも重々しくならないよう侍女に謝罪をした。心の中で、後でカールにお灸を据えよう、と誓いつつ。

 すると、ミルヒが慌てた様子で声を挟む。


「あ、あれです、お兄さまも怪我の功名と言いますか、丸くなられたようなので、ミルヒは嬉しいです!」


 ミルヒはただならぬ空気を察したのか、8歳とは思えぬ気の使いようを見せた。

 18歳間際までの人生を二度経験し、実質ほぼ36歳の俺が空気を読めないというのに……。


 この小娘、なかなか侮れないな、なんてことを思っていると――


「あっ! 丸くなったというのは、お兄さまがお太りになられたという意味ではありません。ごめんなさい! でも、お兄さまのお腹のお肉をむにむにしたいのは、た、確かです。本当にごめんなさい……」


 まずいことを言ってしまったと思ったのだろう、ミルヒは自分の言葉を訂正すると共に、ほんのりと頬を染めながら、わけのわからないカミングアウトをしていた。


 脂肪の塊を揉んで楽しいもんかね?


 確かに俺は太っている。だが、それを気にしたことはない。

 であれば、ミルヒが気に病むことなどないのだが、世間一般では『丸くなった』という発言はまずいのだろう。覚えておく必要がありそうだ。


 さて、せっかく空気の読める小娘との距離が縮まりそうな話題が出たのだ、これを活用しない手はない、そう思ってミルヒに俺の腹を触らせてやった。

 すると少女は「柔らかぁ~い」とご満悦で、それ以降は彼女との距離感が縮まった気がする。

 ついでに、ミルヒの口調も変わった。

 どうやら俺に対してかなり気を遣っていたようで、随分と背伸びをして淑女を演じていたらしい。ご苦労なことである。


 そもそも俺とミルヒの婚約は3年前、つまりミルヒが5歳の時点で約束が交わされていたと聞いた。

 6歳男児と5歳女児で婚約を交わすのは、どうにも受け入れ難い。いくら貴族とはいえ随分と早急だ。

 とはいえ受け入れざるを得ないのもまた、貴族として生まれた者の宿命なのだろう。実際に年端も行かないミルヒが、それを受け入れさせられていたのだから。


 当時のミルヒは、すでに悪名を轟かせはじめていた俺と婚約させられ、あまつさえヴォルフガング家の嫁に相応しくあれと教育さられていたらしい。

 しかも俺と会えば、俺が従者を叩きのめしている場面に何度も直面し、いつ自分も折檻せっかんされるかと怯えていたそうな。

 ただ俺がミルヒに手を上げることはなかったらしいが、それでも不安は拭えず、強迫観念にかられて必死にあれこれ覚えたとのこと。

 ミルヒが場の空気を読むのがうまいのも、強迫観念とやらが身に付けさせたのかもしれない。


 そんなミルヒは現在、8歳とは思えないほど淑女然とした所作を見せる。

 いくら強迫観念にかられていたとはいえ、普通に考えれば身に付けられないだろう見事な所作だ。ということは、それらを身につけられる能力を持つ、十分に優秀な下地があったと考えられる。


 ミルヒみたいな優秀な娘を、俺みたいな結婚願望の欠片もない奴のところに嫁がせちゃダメだよな。

 まあ俺が18歳の誕生日を迎えるまでは、このまま婚約者でいてもらうけど、その後は良い家に嫁げるようにしてやろう。

 なに、俺が18歳を迎えられるのであれば、きっとミルヒの結婚相手を見つけてやるのなんて簡単な状況のはず。問題はないな。


 ミルヒが俺に打ち明けてはいけないようなことを打ち明けてくれるほど、うまい具合に打ち解けられた一方で、俺とカールの距離感は若干開いていた。

 いくらカールが危険なロリコン野郎だとしても、彼は『ルドルフイメージアップ作戦』の最重要人物だ。そのうち開いてしまった距離を縮めねばならない。


 これだから、対人関係の構築は面倒くさいんだよなー。


 久々に煩わしい気持ちを味わいつつも、その煩わしさが少し嬉しく感じた。


 その後も、馬車に揺られながらミルヒに腹を揉まれつつ、いい感じに打ち解けていると――


「若様、まもなく到着します」


 カールから声がかかった。

 護衛の乗っていた馬車は、先行してすでに配置に着いているとのこと。

 俺たちは商業区画の入り口手前で下車し、そこからは徒歩で散策する予定だ。


「とりあえず本屋に行こうか」

「若様、どうして本屋なんですか……」

「なんだよカール、本屋は不服か? だったら図書館にするか?」

「頭の中から本を消してください」


 誰かと外出などという俺史上最難関とも言える問題を与えられたことで、俺なりに回答を導き出した結果、本に関連した場所に行けば問題ないと判断した。

 それを馬車から降りた際に口にしたのだが、呆れた表情のカールにダメ出しをされたのだ。――マジふざけんな!


「お、お兄さま、広場では市が開かれてるんだよ。ね、マルタ」

「はいお嬢様」


 空気が読めることでお馴染みの8歳児ミルヒが、さっそく空気を読んで行き先を提案してくれた。

 ついでに、ミルヒの侍女がマルタという名前なのもわかった。――見た目的には20歳前後だが、俺の観察眼は当てにならない。

 マルタという音の響きは、日本人的感覚で丸太を連想してしまうが、当の本人は丸太体型ではなくスレンダーだ。むしろ俺の方が丸太が似合う体型と言えよう。


「マルタ、案内してくれる?」

「かしこまりましたお嬢様」


 ヘソの下辺りに両手を合わせて置いたまま、という歩きにくそうな姿勢で歩くマルタに先導を促したミルヒは、俺の手を掴むと俺を引きずるように歩き出す。

 身長は俺の方が少し高い。だが、俺の体重はミルヒの倍近くあるにも拘わらず、少女は然も当然のように歩いていくのだ。


 すげーなミルヒ! どこに俺を引きずるような力があるんだ?


 ミルヒがこんなパワフル少女とは思っていなかった俺は、少しだけ驚いてしまったが、引きずられるのも情けないので自力で歩き出した。

 俺の従者であるカールは、なぜかミルヒの後ろを歩いている。――なんなんだコイツ。


 メインストリート的な場所を歩いているのだが、左右にある店舗には目もくれず、先導するマルタはてくてく歩いていく。

 そうしてしばらく歩くと、急に開けた場所に出た。

 目につくのは、テントというか屋台風の店の数々に、単にゴザのような物を広げた上に、商品と思しき物を並べている者もいる。

 所狭しと言うほどではないものの、それなりの数が出店しているようだ。

 そしてその光景は、どこか日本の縁日を思い出させる、一種独特な雰囲気を感じさせていた。


「今日は祭りか何かか?」


 誰に言うでもなく、俺の口から自然と疑問が零れ出ていた。

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