第4話 殺意
「いくら魔力があろうと、魔闘気と違ってダメージを受ける。実際に落馬して一週間も目を覚まさないんだ、それが証拠だろ?」
「言われてみればそうね」
自称姉の『殺せるの?』という問いに自称兄が答えているが、俺には何のことかサッパリわからない。
だが自称姉にはわかるようだ。
「それに、本館にこれることは滅多にないんだ。しかもこの豚は意識がない。――姉貴、こんなチャンスはもうないぞ」
「…………モーリッツの言うとおりね。
おいちょっと待て!
何が『殺っちゃいましょ』だ。重々しいことをそんな軽々しく言うなよ!
ってか、これは本格的にまずいだろ。
俺は二度の人生が18歳間際で終わっていたことから、密かに17歳までは確実に生きていられる、そう思っていた。
問題なのはその後で、それまでに蓄積された恨みなどで、17歳から18歳までの1年間に殺されないようにすることが大事。つまり、これから人間関係を構築して失った信頼を取り戻し、今後は恨みを買わなければいい、そう心の中で余裕をぶっこいていたのだ。
なにせ約9年もの時間があるのだから。
だが現実は違うようだ。
俺がルドルフとして目覚めてまだ1時間すら経っていないというのに、早くも生命の危機に陥っている。余裕などない。
こんなとき、物語の主人公はどうしていた?
俺は日本人時代の愛読書の数々を懸命に思い出す。
だがどれも、いきなり姉弟に殺されそうな物語は知らない。
アテにしていた知識が初っ端から使えない状況に、俺は戸惑い、体がこわばる。
すると――
――チリンっ
布団の中から僅かにくぐもった鈴の音が漏れた。
俺の手に握られていたベルが、体がこわばった拍子に鳴ったようだ。
「え、何?」「何だ?」
どうやら二人も気づいたらしい。
これは――
「……ん、ん~…………」――チリンっ
俺はわざとらしく思われないよう、自然な感じで身じろいだ。――迫真の演技。
「従者が豚……ルドルフにベルを握らせていたのか?」
「そんなの知るわけないでしょ!」
二人が険のある声で言い合う。
そして二人の気配が俺に近くなった気がする。
どうする?!
――チリンっ
俺の体が再度こわばり、またもやベルが鳴る。
「チッ! もしかすると、そろそろルドルフが起きるかもしれない」
「どうするの? すぐに仕留める?」
おい、自称姉! 頼むから早まるな!
「……いや、今回は諦めよう」
ナイスだ自称兄!
「そうね。……従者にそのことを伝えて、あたくしたちはお暇しましょ」
その声を最後に二人の声は聞こえなくなり、扉が開閉する音が聞こえた。
「助かったぁ」
俺の口から、自然に安堵の声が溢れていた。
今後のことは……考えられない。今はただ、急場をしのげたことを喜ぼう。
どれくらいの時間が経ったか定かではないが、しばし呆けていると、俺はあることに気づいた。
「俺が起きそうなことを従者に伝えるって自称姉が言ってたけど、誰も部屋に入ってこないな?」
『若様の許可なく、誰であろうと勝手にこのお部屋に入ることは許されていないのです。また私が
「そういえばあの従者、確かそんなことを言ってたっけ。もしかして、一日一回の生存確認以外はマジで入室してないとか? そんなん、餓死するわ! ……って、もしかしてルドルフが死んで、そこで俺が覚醒したのか?」
自分がルドルフとして覚醒した理由に思い当たったが、それを知ったとしても状況は変わらない。
「今は俺がルドルフなんだから、まずはあの従者と会話をしないと」
勝手に入室する二人を、あの従者は必死に止めようとしていた。
あの必死さは、忠誠を尽くした主の言葉に従っていた……のではなく、主の言いつけを守れなかった場合の処罰を恐れ、自己保身からの必死さだったのだろう。
だが従者をそうさせたのはルドルフだ。あれは酷い。
ルドルフの記憶を客観的に見て、自分も傍若無人な振る舞いをしていたのだと気づかされたのと同時に、『そりゃー恨まれるわ』と納得した後なのだから。
「はぁー……」
俺はため息を一つつくと、姉弟から自分の命を守ってくれたベルを鳴らす。
すると、弾けるような勢いで壮年の従者が入室してきた。
目を伏せ、膝を震えさせる壮年従者を前にして、俺は気持ちが滅入ってしまう。
これからこんな感じの者たちから、信頼を勝ち得なければならないのか。
姉弟から予期せぬ殺意を向けられ、自身に従っている者は俺が生きていることを残念がり、そのくせ俺の目の前に立つと酷く怯えながらも
俺はボッチ気質で、会話を交わすことさえ苦手だというのに、これから良好な人間関係を構築せねばならない。
俺の死を願う者たちと。
転生直後のハイテンションから一旦落ち着いた際、自分がやろうとしていることは、かなりハードルが高いと気づいた。
だが甘かった。
俺がすべきことは想像の数倍や数10倍……いや、数100倍もキツいのだ。
甘くない現実を突き付けられた俺は、それでも自分を
俺はまだこの世界に来たばかりで、まだ何もやってない。
だから大丈夫、まだ何もやってないのだから。
俺はやればできる子で、今までただやらなかっただけのこと。
何もやってないのに絶望するのは俺らしくない。
よし、大丈夫。ここからが俺のターンだ!
しっかり自己暗示をかけると、単純な俺はすぐにかかった。
だから自然と浮かべてしまう――
凶悪な笑みを。
そして気づかない――
目の前の従者が、より一層の恐怖感を滲ませていることに……。
「――…………ふぁ~あ、ぬぁ~……」
ルドルフとして覚醒した翌日、俺は誰にも起こされることなく起床した。
17歳だった前世と比べると随分と小さくなった身長。その身長に不釣り合いな大量の肉を携えた俺は、重たい体をどうにか動かして姿見の前に向かう。
「うん、ビックリするほどボンレスハム。なんとなく日本人時代を思い出すな」
前世の侯爵家時代、従者を甚振る以外は自堕落的な生活を送っていたが、スリムで銀髪碧眼のイケメンだった。――褐色肌で中東の王子様風って言うのかな?
しかし日本人時代は、控えめに言っても肥満体型、ハッキリ言ってデブだった。
「まあデブなのは構わないけど……相変わらず人相が悪く見える目をしてるよな」
ルドルフである今の俺は、やや吊り目の三白眼で碧い瞳というパーツ構成だ。
しかし目の周辺のパーツ構成は、前世の侯爵家時代や日本人時代から変わっておらず、俺にとっては馴染みのある造りと色味であった。
「でもこの髪色は悪くないな」
全体的に見ると、僅かに青みを帯びてくすんだ暗めの銀とでも言うべき鉛色だ。
かっこよくいえば暗めのアッシュグレーだが、かっこつける必要もない。
そして俺の髪色はそれだけではなく、根本は真っ黒で毛先は白いとう珍しい色合いなのだ。
今世の俺は、オオカミを連想させるヴォルフガングという姓を持つ。
そんな姓に呼応するような髪色は、少しばかり中二病の心をくすぐり、なんとなくかっこいい。
俺は中二病でもないし、かっこつける必要もないが、それでも気分がいいのは確かだ。――髪型は坊ちゃん刈りでダサいけど。
とはいえ根本的に、俺は自分の容姿は気にしない。
念の為に確認したが、どーでもいーや、という結論に達した。
1分も経たずに自分の姿に見飽きた俺は、窓辺に向かうとカーテンを開いて窓を開けた。すると眩しい朝日が俺を襲う……などということもなく、すでに中天にある太陽から優しい光が降り注いでいた。
「こんな時間まで寝かせてもらえるのはありがたいけどさー、誰も起こしにこないとか、それはそれでどうかと思うけどな」
”悪の権化”や”極悪非道な悪童”などと言われるルドルフが、眠りを邪魔されるのを嫌い、起こしにきた従者を処罰していたのが原因であろう。
それを考えれば、悪いのは起こしにこない従者ではなく、ルドルフの方だ。
さて、そんな諸悪の根源であるルドルフ・フォン・ヴォルフガングは、ローゼンクロイツ王国の北西に位置するヴォルフガング辺境伯家唯一の嫡子であり、今の俺である。
昨日からルドルフとして生活することになった俺だが、ダイジェストで見せられた記憶と、怯える壮年の従者から聞き出した情報により、僅かながら現状を把握しているつもりだ。
情報を聞き出す”会話”という名の作業は、なかなかに大変だった。
そもそも俺という人間の根幹は、日本人時代の『ボッチ最高!』という思想で出来上がっている。
幼い頃から、一番
当然ながら、自分の対話能力が恐ろしく低いことも自覚している。
そんな俺も前世では、侯爵家の嫡男として使用人に囲まれる生活をしていたことで、煩わしくとも口を開く必要があった。――会話や対話をすることなく、”命令”という形でしか口を開かなかったが。
だからだろうか、俺そのものであるルドルフの記憶を客観的に見た際、話し方がとても威圧的だと感じた。
そしていざ、この世界の住人と初めて接触した――実際には寝た振りをしていたが――際に、いきなり姉弟に殺されかけ、従者から生きていることを残念がられるほど、俺は
否応なしに現実を突き立てられたのだ、苦手だなんだと言っていられない。
だから俺は、生きるための努力、人間関係の構築を本気でやる必要を感じた。
当初は18歳の誕生日を迎えるまでに、のんべんだらりと改善していけばいいと思っていたが、そんな呑気な状況ではないと気づいたからだ。
それらを踏まえ、昨夜は従者から情報を聞き出した。
怯える壮年の従者を相手に、面倒でも威圧しないように気を配り、命令ではなく会話をするよう心がけ、慣れない笑顔で。
9歳の子どもが親の権力を利用し、無邪気に我が侭を言う……というレベルを超え、人死が出るような処罰を下す極悪非道な外道であると知ってしまったのは、さすがに頭を抱えたくなったが……。
「まあそれは、時間をかけて評価を覆していくしかないし、焦ってもどうのしようもないよな。はぁー……」
少しばかり優しく接したところで、急激に俺に対する評価が良くなることはないとわかっている。のんびりしていられないが、焦って更に悪化させるわけにはいかない。
そもそも俺には、人間関係を構築するノウハウがないのだから。
思わず溜息が出てしまうが、今の俺にできるのは溜息を吐くことくらい……ではない。
「このベルを鳴らせば誰かが姿を表すのは、昨日証明されてるし――」
俺はベッドまで戻り、サイドテーブルに置かれていたベルを取って適当に鳴らした。
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