第3話

「さぁーどうぞー」

 丸い机の上に用意されていたのは、ハーブが効いた鶏肉のグリル。

 このハーブも自身で栽培しているらしく、ほどよく焼けた胡椒の香る鶏肉に乗せらているローズマリーの緑がいい色合いを描いている。

「あ、ちょっと待って下さいね。今、スープを持って来ますから~」

 先ほどと変わらない店主殿は、朗らかにキッチンに戻っていく。

「花屋って、すごい‥‥」

「あの人にとっては、仕事兼趣味みたいな物だからかな?でも香辛料とかも扱ってるのは、意外だったかも」

 特段気にした様子もないアビゲイルは、グラスに注がれている水を一口含む。アビゲイルと同じ学校の卒業生と聞いて、ただの人間ではないと思っていたが―――。

「どうしたの?」

「いいや、美味しそうだと思って、家でも作ってみたい」

 鶏肉と胡椒、ハーブをここまで豪勢に食べられるとは思わなくて、少し面食らっていた。いや、おかしいのはきっと自分の方なのだろう。

 ここは世界有数の都会、経済大国の帝都。自由な商売が現在は促進されてるのだから、肉類だって金さえあれば買える。

 それに花以外の取り扱いをしているのは既に知っていた。いい加減慣れるべきだ。

「あ、なら後でレシピとか聞いてみる?私も作ってみたいかも」

「聞いてみたいけど、企業秘密とか言われるかもしれないな」

「言うかも~。結構ちゃっかりしてる所あるし~」

 そんなふたりだけの冗談を言い合って、ハーブと香辛料の香りを大きく吸った時、手招きでもされているような風味に笑みを浮かべる。つい魔が差しそうな雰囲気になった瞬間、「すみません、お待たせしましたー」と店主は、銀色のトレーで三つのマグカップを運んでくる。スープ皿代わりのカップからもハーブの香りがする。

「今日は冷えますから、身体が温まるものを用意してみました。どうぞー」

 そして、ほんの数秒も待たずに勧められるままに、鳥を口に運ぶ。

「美味しい‥‥」

 繊細な焼き加減により、柔らかいままの肉と外側の皮が香ばしい。強すぎない塩と胡椒の香りで脂肪の少ない鳥の旨味を無駄なく存分に表現している。

 また感じた事のない深みのある味が、鼻を伝って運ばれる。

「どうですか?」

「このハーブの香り、少し焼いたんですか?」

「わかりましたか?ちょっとだけ頑張ってみました」

「これは、家では無理そうだな‥‥」

「うん、ちょっと難しそう‥‥」

 顔を見合わせて確認をする。これはハーブや香辛料の扱いに長けているからこそ出せる味と香り。これこそ金を出して味わうべき食事だと断言できる。

「とても美味しいです」

「うん、すごい美味しい。料理得意だったんですね」

「少しだけですけどね。よかった、失敗しないで~」

 頬に手を当てて、にこやかに微笑んでくれるなか、アビゲイルを奪い合うように鳥肉を取り分けていると「あのいいですか?」と微笑みから一転、急に見つめてくる。

「えっと、どうしました?」

「あ、そんなに身構えないで下さい。お風呂、入るの早いんだなって思いまして。もうおふたりとも、お湯が終わったようなので」

 眼球だけ動かして――――アビゲイルと確認を取る、だが。

「そ、そうなんです!?私、あの、そう早いほうで」

 たった数語の防衛で、彼女は戦力外だと悟った。二人きりだと、余裕な雰囲気を持つくせして、隙を突かれるとこの通り。あまりの脆さに心配になる。

「そうなんですか?私はてっきり、お二人で入ったのだと思いまして」

 もうこの人は答えを知っているのではないだろうか?

 仕事と言って、店で帳簿を付けているのを確認しながらふたりで浸かったが、もしかしたら既に予想はしていたのではないか?

「お湯はどうでしたか?私、あのお風呂が気に入っているんですよ」

「すごい広くて、快適でした。あれはご自分で設計されたんですか?」

「あ、嬉しい事言ってくれますね。でも、違いますよ。少しだけ無理をして作ってもらったんです」

 やはり相当の財力を持っているようだ。

 この世界の湯船は屋敷の物しか見たこと無かったが、あれもあそこまでは広くない。浴室全体が風呂場なんて向こうの世界でもそうそうない。

「ん?どうしましたか?」

「店主さんに見惚れた?」

「そんな所。スープも美味しいです」

 葉野菜のスープに生姜が入っている為、身体が温まってくる。喉にも良い。

「すごい褒めてくれますね。アビゲイルさんは、いい方を見つけましたね」と、パートナーが褒められたのがすこぶる嬉しいようで、「そう!!この人が私の恋人です!」と声高らかに宣言する。その様子に、微笑んで返した店主さんは、

「お父様はどうですか?たまにですが、寄ってくれるんですよ」と告げた。

「え、お父さんが?何しに来るんですか?」

「自室に置くアロマや花を買いに来られるんですよ。ただ最近は忙しいようなので、姿が見えなくて」

 決して意外とは思わなかった。あの人は紳士である。

 アロマの香りをさせていても不思議ではない。

「知らなかった。そう、お父さん、花を買うんだ」

「たまにですけどね。ふふ」

 こちら方を見て、その後にアビゲイルを見つめる。成る程と思った。アビゲイルの様子を聞きに来ている訳か。あの人も、娘と同じで中々に不器用だ。

「今度、ふたりで帝都を回ってみたらどうだ?」

「ふたりって、私とお父さん?」

「ああ、あの人も、アビゲイルと話したそうだったから」

「ふーん、お父さんがね‥考えとく」

 父と娘の距離感とは、こういうものなのか?

 興味が無い訳では無さそうだが、あまり乗り気でもなさそうだ。そんなアビゲイルの様子を見て、店主さんが頬に手をつけて笑う。

「父と娘の関係とは、このようなものですよ。それに今日はお父様に挨拶をしてきたのでしょう?恋人との挨拶なんて出来事があったばかりなのだから、なかなか顔を合わせづらいと思いますよ」

 なるほど、と手を叩いてしまった。

「ち、違いますー!」

「ほら」

「みたいですね」

 からかわれ、ご立腹なアビゲイルは頬を膨らませながら鶏肉を食べていく。こんな姿も可愛らしいが、いじめ過ぎると不機嫌になるから、この辺にしておこう。

「ふたりの学校ってどんな感じなんだ?」

「気になってくれてるの?」

「もしかしたらアビゲイルの後輩になるかもしれないから。聞いておきたい」

「うんうん!いいよ!あ、でも、入学したら後輩じゃないよ。取りたい授業によって教室を選ぶから、私と同じ授業をとれば一緒に受けられるから」

「選択制なのか。やっぱり年下と同じ学年は、ちょっときつかったかもしれない」

「そうかも。でも大丈夫だよ!しっかり学校でも私が一緒にいてあげるから!」

 さっきまでと打って変わって上機嫌になってくれた。やはり子犬か子猫を思わせる。

「仲がいいですね」

 アビゲイルというよりも、俺とアビゲイルが楽し気に話し合っている光景がよろしいらしく、店主さんも上機嫌にハーブティーを飲み始める。

「店主さんとアビゲイルは、一緒に登校したことはないんですか?」

「う~ん、無いことも無いですけど、その時私は教員として教鞭を取っていたので、登校とは違いますかね」

「そうなんだよ。植物とか生物の先生、客員教授として授業をしてる時があったの」

「店主さんが先生か、絵になるな―――受けてみたいかも」

「同じこと言ってる」

「ん?誰と?」

「男の子達と!」

 そうなのかと、視線を店主さんに向けると困りながらも頷いてくれた。それは仕方ないと受け取って欲しい。あの世界の先生はろくなものではなかった。

 優しい先生の授業を受けてみたいと思うのは、当然だ。

「優しかったんだろう。俺も習うなら優しい先生がいい。アビゲイルは違うのか?」

「え、あ、まぁーそうかも。うん、優しいからみんなで取ってた、かな?」

「俺も、アビゲイルと一緒に店主さんの授業を受けてみたかった。専攻はなんだったんですか?」

 今度は『飲めるハーブティー』を用意してくれていたので、遠慮なく口に運べる。

「見ての通り植物ですよ。だから――――生物は少し苦労しました。人に教えるのって、あんなに大変だったんですね‥‥」

 相当の苦労があったようで、暗く赤みがかった顔になってしまう。アビゲイルと顔を見合わせて別の話題を振ることにした。

「帝都が生まれですか?」

「はい、そうですよ。だから、帝都を走り回ってるアビゲイルさんが懐かしくて」

 好感触だ、また頬に手を当ててハーブティーを飲んでくれた。

「あなたはどう思いますか?」

「俺ですか?」

「この帝都、どう思いますか?」

 カップを置き、両手で頬杖を突きながら身を乗り出して微笑んでくれる。

「ここは私の生まれ故郷で、アビゲイルさんの庭でもあります」

「‥‥とても、素敵なところだと思います。ほんとに」

 今日一日中、出歩いてわかった事がある。この帝都は、平和だ。

 至る所に兵士がいて、秩序維持に貢献している。

 そして、決して高圧的な態度ばかりしている訳ではなかった。商業区での彼らは適正な取引をされているかの確認、パトロールをしているようだった。

 それを住民も店側も受け入れている。正しい秩序が造り出されていた。

「ここは平和です。アビゲイルが案内してくれた気持ちがわかる気がします」

 横目だけでアビゲイルを確認すると、ひざの上に手を置いてくれた。

「気に入りましたか?」

「勿論。アビゲイルには、いい友達がいるようですから」

「ふふ、ありがとうございまーす♪」

 納得してくれたようで、乗り出していた身体を元の席に戻して行く。微笑みはそのままなのに、先ほどよりも柔らかく『受け入れてくれた』のだとわかった。

「うん、私の大切な友達なの」

「ああ、素敵な人だな」

 恋人の振る舞いをする為、アビゲイルの置いている手に手を重ねようとした時、「アビゲイルさん、キッチンの方にあるパンを見てきて下さーい」と、急に店主さんが頼み込んだ。

「はい、わかりました」

 重ねる直前だったのに、アビゲイルも朗らかに従った。

 まるで打ち合わせでもしていたかのようなタイミングの良さに、こうなる事をアビゲイルは察していたのだと、店主さんに対して背筋を伸ばす。

「アビゲイルさんのこと、好きですか?」

「愛してます。それに、アビゲイルも愛してくれてます」

「—――少しだけ、私に刺激が強いですね」

 顔を赤らめて笑ってくれた。意外だ、この人は恋愛に慣れていないのだろうか?しばらく帝都を歩き回ったが、この人レベルの容姿の持ち主はそうそういなかった。

「あの、もしかしてですけど」

 更に店主さんが、顔を赤く染めながら聞いてくる。

「やっぱり、先ほどは一緒に入ったんですか?」

「‥‥はい。すみません、人の家で」

「そ、そこは気にしないで大丈夫です!!」

「どうかしたーー?」

「大丈夫!少し話してるだけだから!」

 店主の上ずった声がは気になったらしく、一瞬キッチンから戻ってきそうになる。

「その‥‥」

 申し訳なさそうに、今度の声は小さかった

「‥お湯は取り換えた方がいいですか?」

「‥‥お願いします」

「‥‥‥わかりました」

 視線を合わせられない。

 ついさっきの事だから思い出してしまい。アビゲイル以外の女性を見れない。だけど、アビゲイルは空気を読んでいるつもりらしく、なかなか帰って来ない。

「私、入れるかな‥‥?」

 癖らしく、頬に手を当てるという仕草をしながら顔を左右に振っている。

「あ、あの店主さんには、そういう人、おられないんですか?」

「—―――いません」

 色素が薄いからか、暗い表情というのが実際に色彩として見えてくる。

 空気を読もう。この話は振らないと決めた。

「アビゲイルとはいつからの知己なんですか?」

 キッチンを眺めながら聞いてみる。ここからではアビゲイルの姿は見えないが、何か作業をしているらしく、先ほどから物音を立てていた。

「アビゲイルさんのお母様がご存命だった頃からですね」

 落ち着く為、そして覚悟を決めたように―――ハーブティーで唇を湿らせた。

「とてもいい家族で、お母様とアビゲイルさんは、よくここを訪れてくれました―――ここは元々、私の親戚が開いていた店で、私もよく手伝いに来ていました」

 遠い過去なのか。それともつい昨日の事のような物なのか。

 店主もキッチンへ振り返って、音だけのアビゲイルを見つめ始める。

「私のスカートに抱き着いてくるアビゲイルさんを見て、お母様はよく笑っておられました。アビゲイルさんから、お母様のことは?」

「‥‥詳しくは、まだ聞いてません―――待つ、つもりです。アビゲイル自身、折り合いがついていないようなので」

 アビゲイルの母が亡くなって、どのくらい時間が経っているかすら聞いていない。

 だから、待つことにしている。

「ふふ、本当に。あの子は良い人を見つけましたね。‥‥本当に」

 両手を胸につけて両目をつぶった。

 安心しているようにも、何かに飛び込む準備にも見えた。

「アビゲイルさんが攫われそうになった事は聞いています。あなたが助けた事も」

 開かれた青い目がまっすぐに射抜いてくる。この目は知っている。

「あなたには、本当に感謝しています。此処へ安全にアビゲイルさんを連れてきてくれることにも。あの子は私の友人で、妹だとも思っています」

 心の底から―――人間を測る目だった。信頼できるか信用できるか。

 大切なものを任せられるか。血を流してでも、見通そうとする目だった。

「あなたのことは、アビゲイルさんからもお父様からも聞いています。信じられる人だと、アビゲイルさんを任せられる強い人だと」

「‥‥俺を、信用出来ませんか」

「信じたい、と思っています」

 置いていたカップを手に取って、一切の瞬きもしないで見つめてくる。

 どこにも逃がさない。視線を逸らすことさえ許さない。そう訴えていた。

「だけど、あまりにも都合が良過ぎるとも思っています。丁度連れていかれる時、あなたが近くにいて無言で守ってくてた。刺されても刺されて守ってくれた。そう聞いています」

 喉を潤す隙すら与えてくれない。それなのに、この目から熱砂を感じた。

 雨が降らず、あらゆるものが乾き切ってしまう。残酷な自然そのものを感じる。

「アビゲイルさんの人を見る目は知っているつもりです。あの子はとても賢い子。あなたという人間を一番近くで見たからこそ、あなたを選んだ、そうわかっているつもりです」

「アビゲイルは俺を選んでくれました。それに恩があります」

「それはどんな恩ですか?また刺されても、彼女を守れる程の恩ですか?」

 被せるような質問攻めだった。

「ありがとうございます。店主さん」

「—―――なんでですか?私、あなたを疑ってるんですよ」

 こちらからでは見えない、キッチンにいるアビゲイルに視線を向ける。

「アビゲイル。悪いけど、ちょっと店の方に行ってくるよ」

「はーい、わかった!」

「いいですよね?」

 席から立ち上がって見つめると、無言を貫き、頷いて店内まで案内してくれる。

「いい香りですね」

 前を歩く店主さんから漂ってくる香りに、頭が揺れる。

「ありがとうございます。これ、アビゲイルさんが選んでくれたんですよ」

「昔から、センスあるんですね」

「はい。あの子は、昔から素敵な子です」

 重々しい空気のまま、廊下を歩いて店に入ると、先ほどまでアビゲイルが倒れていたテーブルとイスを勧めてくれる。自然な動作には慣れ親しんだ陣地を思わせる。

「座って下さい」

 そして自分は無言のまま、勧められままにイスに座って大きく息を吸う。

 覚悟を決める時だった。

 血の繋りもないこの人が、これだけアビゲイルを案じてくれている―――応えるなければならない。自分の拳が小さく感じた。身体が縮み、逆に女主人は強大に見える。きっとこれは錯覚ではない。自分は今から『挑もう』としているのだから。

「アビゲイルさんには、聞かせたくない話ですか?」

「そうです。それに、俺の口からは教授にも話していないことです」

「‥‥それを、どうして私に?」

 店主は身構えてなんていない。むしろ、無防備だ。

 広がった分厚い、柔らかい長いスカートは武器など隠し持っていないとわかる。

 そしてテーブルの上に両手を置き、武器がないと見せてくる。

 一瞬で首を折れる。

「教授は、もうある程度察していそうでした。それに、アビゲイルも」

「そうですか。それで、話とは?」

「俺がいた場所の話です」

 だから自分も――――両手をテーブルの上に乗せて指を組む。

 見せられる最大限の敬意を見せ、一切動かないと告げる。

「俺は遠くから来ました。もう、二度と帰れないぐらい遠い場所から」

 無言で聞いてくれる。植物に囲まれているこの人と対峙すると寒気すら感じた。

「帰る方法は、もうありません」

「なら、どうやって来たんですか?」

「わかりません。逃げ続けた結果、ここに流れついたんです」

 元いた世界と、この世界の関係は自分にはわからない。因果が存在したとしても追手など来ないだろう。この『身体』は、形を持ってはいけない存在なのだから。

「だから、俺はここに知り合いなっていないんです。いるはずが無いんです」

「そんな遠い場所から、どうしてここに?」

「俺の居場所が無いからです」

 嘘など吐かない。嘘を吐く必要もない。だから包み隠さず話さなければならない。

「なくなったんじゃないんです。元から無かったんです。向こうでの俺は―――人間としての生活を許されませんでした」

「‥‥あなたは、少年兵だったんですか?」

 こちらにも少年兵という言葉があってしまった。いや、あるに決まっている。

 この帝都をみればわかる。

 老いも若きも、皆一様に女性。アビゲイルぐらいの子共すらほとんど見ない。

「いいえ。俺の土地では、もう戦争は終わっていました。もう100年は昔です」

 俺の世界の戦争は、100年前に終結した。

「だけど『戦争』は続いていました。目に見えないレベルの水面下で――――こうして手に取ることすら、許されませんでした。指が折れるまで、罰を受けました」

 観葉植物の葉を撫でながら――――思い出す。あの痛みを。

 『小さい手』を『大きな手』がゆっくりと音が出るまでに折り曲げる。泣いても叫んでも止まらない。関節から骨が突き出るまで続いた。

「‥‥酷い場所ですね」

「そう思いますか?」

 胸を手で抑えた店主さんは、瞳孔を開いた。

「それが俺の日常でした。自分の意思を全て消して、ただ老人達の命令のままに死んでいく。それが俺達でした。おかしな話をしていますか?」

「‥‥帝都と同じですね」

 若い男性は全て砦に連れていかれた。アビゲイルはそう言っていた。

 ならば、その砦とやらにも同じようなルールがあるのだろう。

「俺が少年兵だったのか、そう聞きましたね――――俺は工作員でした。潜入、窃盗、爆破、脅迫、殺人。なんでもしました。本当に何でもして来ました。怖いですか?」

「いいえ。あなたと今の帝都は似ていますね。子供に、そんな事をさせるなんて」

「ふふ」

 つい笑ってしまう。子供か、そうだった。自分は子供だった。

「どうしたんですか?」

「これはアビゲイルも知らないことです。俺は人間じゃない。だから人間の子共という判別は正しくないんです」

 意味がわからない。そんな言葉が喉まで出かかっている。

 だから店主さんの顔に、答えを浴びせる。

「本当です。俺は人間ではない。過去の偉人や英雄、そういった人間の遺伝子で作られた生き物。ウツシミと呼ばれてます」

「——っ!まさか、人造人間!?」

 そんな言葉すらこちらにも存在していた。

 やはり戦争とはあらゆる技術の揺り籠であったようだ。

「俺は戦争の為、生命倫理と戦術的観点から存在を抹消された生物。死んだところで、元からいない人間の『ような生物』。だから、いくらでも使い潰せる」

「なんてことをっ。人間のやることじゃ、ごめんなさい‥‥」

 両手で口元を抑えて謝ってくれた。

 店主さんは正しい――――人間のやることじゃない。

「いいんです。俺も話せて、心が晴れた気分ですから」

 人間の極致を目指して作られた肉塊。

 使える部位をかき集めて製造された継ぎ接ぎ。

 それが自分達—――ウツシミだった。

「俺はそんな所から逃げ出してきました。もう一度聞きます。俺はおかしいことを言ってますか?俺がいたところと、今の帝都は似ていますか?」

 植物に守られていた店主さんは、変わらず両手を口に当てたまま、首を振った。

「違う、全然違う。‥‥あなたのいた場所は一体なんなの。人間を命をなんだと思っているの‥‥」

「人間の命?俺は人間じゃない――――すみません」

 テーブルの上の水差しの中身を掛けられ、慌てて立ち上がった店主さんに、タオルで顔や服を拭かれる。顔を見せない姿に、自分は何を思うべきかわからなかった。

「‥‥ごめんなさい。あなたには、何の落ち度もないのに」

「わかってくれましたか。俺は、ここに知り合いなんかいない。命を懸けてもいい。俺は、いつもそうやって使われてきました。パーツならいくらでもありますから」

 作戦のたびに—―――死にかけていた。もう起こさないでくれと思っても、何度も蘇った。パーツならいくらでもあった。無いならつくればいい。

 そのたびに、俺は死が怖くなった。同時に身体が軽い物に変わっていった。

「だから、俺がアビゲイルを刺されても守ったって、実は理に適ってるんです。俺にはパーツが――――」

 頬を叩かれた瞬間、口内を歯で切ってしまった。

「もう、やめて」

「すみません」

「私に、もうあなたを疑わせないで」

 こちらの世界に来て、怒られたのは二回目だった。

「それをアビゲイルさんには‥‥?」

「言ってません。話したのはあなたが始めてです」

 何度も話す機会はあった。昨日の夜だって、挨拶をした後だって、あの公園でだって、いくらでも機会はあった。でも、俺は結局アビゲイル本人に話せていない。

「どうして、どうして話さないんですか?」

「‥‥ありがとうございます」

「またそれですか!?いい加減怒りますよ!」

 拭いていたタオルを握りしめて見下ろしてくる。でも、俺にはそれが有難かった。

「今日の今日まで誰にも疑われないで、アビゲイルと一緒に生活してきたんです」

「—――何が、言いたいの?」

「つらいんです。誰にも疑われないで、誰にも断罪されないって。アビゲイルを裏切るようなことをずっとしてきました。遂には、アビゲイルと恋仲にもなりました」

 アビゲイルは会った時から優しかった。

 自分を守ってくれたらしい俺の背中を拭いてくれ。

 薬や食事に寝床、全て用意してくれた。こんな優しさ、触れたこともなかった。

「教授に、君は人買い共の手先なのではと言われた時、救われた気分になりました。でも、違うって言ったら、ならいいって―――こんなに、俺のことを信用してくれてる人達を、ずっと裏切ってました」

 膝の上に置いていた拳に爪が食い込む。拳の骨が軋んでいく。

「それは、裏切りなんかじゃ、」

「いいえ。裏切りです――アビゲイルも教授も、職人さん達も、皆、俺を人間だと思ってるから、俺を側においてくれてるんです。怖くないですか?人間の見た目をした違う生き物って」

 本心からそう思う。人間の死体をつぎはぎにして作り出された、生ける人形。

 そんないつ壊れるかもしれない、いやもう壊れた糸の切れたマリオネットを、隣に置きたいと思うだろうか?

「そんな俺を、あなたは始めて疑って、問いただしてくれました。俺、裁かれたかったんです――――自分のことを話せる機会が欲しかった」

 タオルを持った店主さんは、今一度、テーブルに着いてくれた。

「だから、ありがとう、なんですか?」

「おかしいですか?」

「‥‥私にはわかりません。あなたの言っていることが、本当だっていう確証もありませんから」

 テーブルに戻った店主さんは、落ち着かない様子で手と指を動かしていく。

 確かに、こんな話なんて信じ難いだろう。でも、事実だ。

 腕が無くなった翌日、『ほとんど同じ腕』が取り付けられていた。

 誰の物かもわからない、そんなパーツが。

「アビゲイルさんには、話していないんですよね。初めて話す相手が私で良かったんですか?」

「店主さんなら、信じられると思ったので」

 少し話してわかった。店主さんは、本当にアビゲイルを心配している。

 俺のような、生まれも育ちも牢獄の人形を疑ってくれた。

 それに何よりも――――救われた。

「店主さん、俺はアビゲイルに相応しくないんだと思います。店主さんの思っていた通り、俺はあまりにも都合が良過ぎた―――刺されればいい、血を流せばいい。たったこれだけで選んでくれた。でも、俺は、初めて人に選ばれたんです」

 起きるたびに、新しい身体になって生き返る。

 死ぬたびに、死が遠のく。

 都合のいい人形だ。壊れた部分を取り換えれば、またいくらでも酷使できる。

「アビゲイルは叱ってくれました。なんであんなに血が出るまで守ったんだって。初めてでした。俺の身を案じてくれた人。アビゲイル以外いませんでした」

 こちらの世界には、ウツシミのパーツなど無い。

 アビゲイルが知っている筈ない。

 だけど。

「アビゲイルは、俺の為に泣いて怒ってくれました。アビゲイルへの恩は一生掛かっても払い切ります。アビゲイルが俺を愛してくれるから、俺はアビゲイルを愛します」

「‥‥それが、あなたの恩ですか」

 自分の足に目をやって撫で始めた。

 きっとアビゲイルが抱き着いてくれた場所なのだろう。

「アビゲイルは純粋ですね。この話を聞かなくても、信じてくれました」

 アビゲイルは教授との距離を測っているようだったが、二人はよく似ていた。

「そうですね。ふふ、あなたが来る少し前まで、男の子と話すところを見たことありませんでした。アビゲイルさんと初めて話したことって、なんですか?」

 だいぶ懐かしい、いや最近のことを聞いてくる。

「あなたの名前は?これだったは筈です」

 俺が元いた世界では、お目にかかれなかったサイズのベットで起きた時、アビゲイルがまず最初に聞いてきたことだった。

 真っ白なベットの中、目が覚めた時、黄金の髪を持った少女が心配そうに見つめていたのを覚えている。心の底からここは天国かと思った。

 だけど傷の痛みが次瞬、襲ってきた為—―――何も言えなかった。

「その時、お怪我の具合はどうだったんですか?」

「毎日、血に染まった包帯を外していました。意識がない時は、教授や医者が処置をしてくれていたらしいです。だから、感染症を気にしてアビゲイルは」

「大丈夫。わかってます。」

 アビゲイルは血が苦手だということを知っているようだ。

「それでアビゲイルさんとは、どうやって恋仲に?」

「‥‥それ、言わないとダメですか?」

「ダメでーす」

 悪い癖だ。

 人の恋の話を聞きたくてしょうがないらしい。ゆっくり思い出すしかないようだ。


「最初はアビゲイル、一言二言しか話さないのに、ずっとベットの隣にいて」

 お陰でこっちはなんとなく眠れなかった。その上、目が覚める度に肩を震わせる彼女の心が読めず、やはりなかなか目を閉じ難い日々を過ごした。

 心配してくれているのは間違いなかったが、話し掛けたら驚いた表情をして下を向く。それをしばらく繰り返していた。

「アビゲイルは、昔から同年代に対してはあんな感じだったんですか?」

「そうですね。私が教員として学校に通っている時は、ほぼ男の子と話している時は見ませんでしたし、話してても、そんな感じでしたね~」

 想像通りだった。

 あの調子では、本当に同年代の異性とは話した試しなど無かったのだろう。

「途中から、食事を運んできてくれて、それで―――」

「食べさせてもらったんですねー」

「聞いたんですか?」

「ふふ、まさかー」

 真相は闇の中。何度聞いてもはぐらかされるだろう。

「アビゲイルさんに食べさせてもらう時って、どんな風でした?」

「それも、ですか?」

「それもです!これも全てはアビゲイルさんの為、あなたを見通す為に!」

 容赦がない。

 どうやら大義名分さえあれば、自分の食指が望むままに求める活発で強欲、悪魔のような人のようだ。

 しかも先ほどから、やけに身を乗り出してくる。アビゲイル以上に質量を持つ胸部をテーブルの上に乗せて、楽な態勢を取っていた。

「‥‥お互い、そんなことした事なかったので手から滑るし、口から零れるし、仕方ないからスプーンを受け取ろうとしたら、悲鳴をあげられるし」

 口からパンが落ちるならば、まだいいが水がこぼれた時は大惨事だった。

 一連の看病でも群を抜いて騒ぎになった『アレ』は、身体が動くようになった時だった。

 スプーンを受け取ろうと手を伸ばし、偶然にも指と指が触れた瞬間—――屋敷中にアビゲイルの悲鳴が響いてしまった。またか、そんな顔で様子を見に来た教授には感謝してもし切れない。

 免疫以前の話であり、本当に何も経験がなかったようだ。

「うんうん、想像出来ます」

「楽しんでますよね?」

「はい、あ、まさか、そんな。それでそれで?」

 もはや隠すのも面倒になってきたようで、いよいよ言い訳すら止める。

「ある程度血が戻ってきて、足が動けるようになった時です。ベットから落ちた事もありました」

 ベットの上では、自由に操れていた手足が――――自分の血肉と骨が重すぎて一切動かなくなる。肌に血管が浮き上がり、骨が突き破ってくる幻覚すら感じた。

 幸いにも傷が開くことはなかったが、それでも正直死にかけていた。

「なんで動いたんですか?じっとしていれば良かったのに」

「アビゲイルの声が聞こえたので、身体を引きずって動いたんです」

 匍匐前進には自信があったが、腹に石でも詰められているようだった。

 ―――動くたびに石が腹の中を抉ってきた。

 今思えば腹を抉っていたのは自分自身だった。しかし、あばら骨がどれだけ内臓を傷つけていようが、止まる事は出来なかった。

「どうにかアビゲイルの声がしているところに行ったら―――」

「行ったら?」

「‥‥言わないと」

「ダメです!!」

 だいぶ欲望塗れだ。先ほどの表情や、掛けた水の事など忘れている。

「剥がした包帯を処分してくれてたんです。その時、血が苦手だって知りました」

 往診で治療を受けている時間、感染症や清潔であるべきという理由で部屋にいなかったが、その意味がわかった。なのに苦手な血を我慢してでも、傍にいてくれた。

「知らなかったんです。血が苦手だって。なのに、血塗れの包帯を焼いてくれて」

 暖炉の前で、腰が抜けているアビゲイルを見て気が付いた。

 その手にまとわりついた、血に濡れた包帯と足元に散らばった灰は――――全て彼女が看病をしてくれていた証拠だった。全て俺の為にやってくれていた。

「医者が持って帰ってると思ってたんですけど、アビゲイルがやってくてたんです」

「‥‥どうして、あの子が?」

 店主さんの疑問は当然のものだった。

 俺自身も気になった。だけど、この問いに答える言葉を自分は持っていない。

「いまだに教えてくれないんです。私の役目だった。これしか言ってくれなくて」

 そう正直に、無知を晒したというのに、店主さんは仄かに笑った。

「えっと、笑いました?」

「まさか。続けて下さい。どうやってベットに戻ったんですか?」

 確かに笑った気がしたが、気のせいだったのだろうか。

「もう戻れる体力も無かったので、どうにか安楽椅子に座って暖炉に当たっていました」

「お一人で?」

「‥‥アビゲイルに助けてもらいました」

 あの時、アビゲイルと二人で抱き合って椅子に座ったのは二人だけの秘密。

 あの屋敷で看病され始めた頃から家政婦はいなかったので、何から何までアビゲイルに頼っていた。たまに職人さんも来たが、それでも自分の仕事も忙しいので、あまり長くはいなかった。

「アビゲイルさん、真っ赤だったのでは?」

「まさか―――真っ青でしたよ。それに、俺は真っ白でした」

 あの時に血の気なんてなかった。

 暖炉の上に飾ってある鏡に写った自分を見て愕然とした。あそこに行くまでに全ての血を落としてきたのではないかと思う程。

 そして、そんな俺を抱えて一緒に歩いてくれたアビゲイルには感謝しかない。

「しばらく休めば、自力で戻れるだろって思ったんですけど」

「けど?」

 相槌の上手い人だ。自然と話してしまう。

「ずっとアビゲイルと話していました」

 何時間話しただろうか。

 アビゲイルの私物である毛布を足の上に被せて、暖炉の火に当たるあの時間は、初めての時間だった。初めて心が休まったのを覚えている。

「アビゲイルのお父さんは教授とか、外に工場があるとか、俺が守ってくれたとか。そんな話を‥‥」

 火に照らされたアビゲイルの髪や顔、そして瞳が美しかった。

 アビゲイルは自分を悪魔と言ったが、あの時は違って見えた――天使だった。

「それからですね。今みたいな会話ができるようになったのは」

「『力』もですか?」

 親しい人としか繋がれない。

 彼女は過去にそう言っていたのだから、家族で親しい間柄である店主さんに話していない筈がなかった。この言葉は、自分とアビゲイルの関係を心得た店主さんによる、最後の試練だったのかもしれない。

「‥‥知っていますよね」

「やっぱり、あなたも知っているのですね。実は私もですから」

 軽い声で告白した言葉だった。しかし漠然とだが、自分も察していた。

「‥‥そうですか」

「はい。それでアビゲイルさんとは、どうやって」

「ねぇーまだー?もうパン焼けたよ?」

 時間切れだった。

 無念そうな店主さんと共に腰を上げて、ふたりでテーブル越しに見つめ合う。

 最も聞きたかったらしい、アビゲイルとどうして恋仲になったかは、またの時間となってしまい――――自分は、ようやく安堵した。

「残念ですねー」

「またお邪魔になりますから。その時に」

 残念そうな店主さんを置いてテーブルから離れた時、店主さんが口を開いた。

「でも、私にはわかりました」

 予想だにしない言葉に、思わず振り返ってしまう。

「え?」

「私にはわかります。どうしてあの子が苦手な血のついた包帯を処分していたのか」

 目を瞑って、祈るように手を胸の前に置いた。

「教えて下さい」

「ダメです。いつか、アビゲイルさん自身から直接聞いて下さいね」

 散々話させてこれだった。。

 そんな表情を見て心底満足したらしく、店主殿はにこやかな表情を変える事はしなかった。






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