第4話 離すべきかも知れない縁

 きょとんとする紗也さやさんを一瞥いちべつし、坂巻さかまきさんは何かを諦めた様に小さな溜め息を吐いた。


「俺、ゲイなんですよ。なので彼氏がいます」


 紗也さんは精一杯目を丸くし、あんぐりと口を開ける。しばらくそのまま呆けていたが、やがて「ええーーーーー!!!?」と大声を出した。


「ちょ、ちょっと紗也ちゃん、他のお客さんにもお店にもご迷惑だから!」


 冷静な坂巻さんの向こうでナナオさんが慌ててなだめる。だが紗也さんの耳には届いていない様で、「えー!」「やだー!」とこの世の終わりの様な叫声きょせいを上げる。


 幸い今来られているのは常連さんばかりで、坂巻さんが同性愛者だということもご存知だ。見目の良さから女性人気の高さも想像されている様で、佳鳴と千隼が「すいません」と方々に頭を下げると、皆さん「いやいや」「大丈夫」と鷹揚おうように応えてくれた。


「紗也ちゃん!」


 ナナオさんがいささか強くとがめると、紗也さんはびくりと口を閉ざす。だが「でもぉ〜」と唇をとがらせた。


「男なのに男が好きなんて変じゃ〜ん。絶対女の子の方が良いって〜」


「それは紗也ちゃんが決めることじゃ無いでしょ?」


「おかしいじゃ〜ん。ねっ、坂巻さんも本当は女の子の方が良いでしょ〜?」


 紗也さんが甘えた声で言いながら手を坂巻さんの腕に添える。すると坂巻さんはあからさまに迷惑そうな顔になった。


「いや、俺はゲイなんで、女性より男の方がいいです」


 坂巻さんはきっぱりと言うと、紗也さんの手を剥がす様に上半身を動かした。すると紗也さんはショックを受けた様に呆然と「何それ」と呟いた。


「紗也ちゃんは私なんかとも仲良くしてくれるから、性的マイノリティに理解があるんだと思ってたわぁ」


 ナナオさんが落胆らくたんした様に言うと、紗也ちゃんは「だってぇ」とまた唇と尖らす。


「ナナオちゃんは背高いけど見た目も女の子みたいなんだもん。話ししてても普通に女の子と話してるのと変わらないしぃ。でも坂巻さんは男の人じゃん。女の子の格好しているわけじゃ無いじゃん。なのになんで男の人が良いの? どうして私じゃ駄目なのよ〜ぅ?」


 坂巻さんとナナオさんは複雑そうな顔を見合わせる。だが坂巻さんはもう何も言う気が無いのか、ナナオさんが「あのね」と口を開いた。


「そういうものなの。何でって言われても、そうなんだから。それが坂巻くんの当たり前なのよ」


「でも、私と付き合ったら絶対に女の子の方が、私の方が良いってなるよ。だから私と付き合ったらまともになれますよ〜、坂巻さぁ〜ん」


 紗也さんが甘い声色で言いながら坂巻さんに寄り掛かろうとすると、間髪かんぱつ入れずナナオさんのと怒声どせいが響いた。


「紗也ちゃん! 坂巻くんを馬鹿にすると、いくら紗也ちゃんでも許さないわよ!」


 ナナオさんは険しい表情で紗也さんを睨みつけた。


 確かに紗也さんはひどいことを言ったのだ。まともになれる、だなんて。坂巻さんは充分に「まとも」だ。紗也さんの失言に照らし合わせると、ナナオさんだって「まともでは無い」ことになるでは無いか。


 ナナオさんが怒るのは無理も無い。ナナオさんにとって紗也さんは大事なお友だちだろうが、坂巻さんだって大切なお友だちなのだ。そしてお友だちだからこそ、紗也さんの配慮の無さを咎めたのだ。


 「まとも」の価値観なんて人それぞれである。だが坂巻さんは煮物屋さんでは始終紳士だ。言葉使いは少し荒いところがあるが、誰かに迷惑を掛けたり、傷付けたりなんてしていない。それだけで坂巻さんは「まとも」と言えるのだ。


「なんでそんなに怒るの? 怖い!」


 紗也さんは愕然がくぜんと顔を青くする。店内はいつの間にか静かになっていた。皆さんこの状況で話すのもはばかられる様だ。


「私そんなにおかしいこと言った〜?」


「おかしいし失礼よ」


「そんなぁ〜」


 紗也さんはうなだれる。そして「酷い〜」と悲鳴の様な声を上げて、顔を両手でおおってしまった。泣いてしまっただろうか。


 佳鳴が冷や冷やしていると、ナナオさんが立ち上がって「紗也ちゃん」と寄り添おうとする。だが紗也さんはその手を振り払い、目元をぬぐいながら会計もせずに静かに店を出て行った。


 ナナオさんは紗也さんを追い掛けようとしなかった。紗也さんが立ち去ってから「ふぅ」と少しばかり憂鬱ゆううつそうな溜め息を吐く。


「皆さま、お騒がせしてしまってごめんなさいねぇ」


 ナナオさんはそう言って深く頭を下げる。坂巻さんも立ち上がって「すいませんでした」とならった。すると方々から「大丈夫」「気にしないで」と暖かい言葉が返って来る。


「坂巻くんもナナオさんも、大変だったね」


 そんないたわる様な言葉もあり、おふたりはまたまた深々と腰を折った。


「店長さんとハヤさんもごめんなさいねぇ」


 申し訳無さげに言うナナオさんに、佳鳴は「いいえ」と笑みを浮かべる。


「ナナオさんは当たり前のことをされただけです。お友だちである坂巻さんのために怒って、お友だちである紗也さんをたしなめられたんですよね。大事なことだと思いますよ」


 するとナナオさんはほっとした様に顔を綻ばす。坂巻さんはナナオさんを気遣う様に、ナナオさんの肩を優しく叩いた。


「坂巻くんも本当にごめんなさいねぇ。まさか紗也ちゃんがあんな失礼を言うなんて」


「大丈夫だっての。きわもの扱いされるのには慣れてるしさ」


「そんなのに慣れて欲しく無いわよぅ。本当にごめんねぇ〜」


 坂巻さんはあっけらかんと言うが、ナナオさんは頭を抱えてしまった。


「本当に大丈夫だからさ。それより友だちがはしも付けなかった料理、俺が食って金払うからよ」


 坂巻さんが言って器を引き寄せると、ナナオさんは顔を上げて「そんなの駄目よぅ!」と叫んだ。


「食べるのはもちろん良いけど、お金は私が払うから! なんなら坂巻くんが注文した分も払うから!」


 ナナオさんが懇願こんがんする様に言うが、坂巻さんは「いやいや」と事もなげに応える。


「自分で食った分は自分で払うって」


「でも……、ふたり分食べきれる?」


「食い切れなかったら包んでもらって、明日の朝飯にする」


「そう、そうね。でもそれなら、やっぱり紗也ちゃんの分はせめて私に支払わせて。お詫びにもならないけど、けじめとして」


「本当に気にしなくて大丈夫なんだけどなぁ」


 坂巻さんはやはりけろりとしている。嫌な思いはしたのだろうが、ナナオさんが悪いわけでは無いのだから、ナナオさんに悪感情はまるで無いのだろう。


「じゃ、お言葉に甘えるかな。ありがとうな」


 坂巻さんはそう言って、白い歯を見せる。とても魅力的な笑顔だった。女性人気が高いのも頷ける。ナナオさんはほっとした様に口角を上げた。


「良かったわぁ〜。店長さん、紗也ちゃんの伝票、私によろしくね〜」


「はい。かしこまりました」


 佳鳴はナナオさんと紗也さんの伝票をひとまとめにし、ほとんど残されていたスクリュードライバーを回収して処分した。


「でもさ、ナナオ、俺のせいで連れ無くしちまったかもな。悪い」


「あら、それこそ坂巻くんのせいじゃ無いわよぅ〜。あの子もねぇ、恋愛が関わらなかったら良い子なんだけどねぇ〜。だから他のお友だちが皆離れちゃって。せめて私だけはって思ってたんだけど〜。今日もねぇ、坂巻くんに会えたらと思って、お昼ごろから駅と坂巻くんの家あたりをうろうろしてたんだって。そしたら私と待ち合わせしてたからラッキーって思ったんだってぇ」


「執念だな。どっちにしても、女ってだけで俺が駄目なんだけどさ」


「そうよねぇ。ああもう、残念だけど、縁が無かったと思うしか無いわね! 飲み直すわよ!」


 ナナオさんは吹っ切る様に言うと、少し残っていたぬるくなった生ビールを飲み干した。


「店長さん、お代わりちょうだい!」


「はい。お待ちくださいね」


 佳鳴は差し出されたタンブラーを受け取ってシンクに置くと、新しいタンブラーを出して生ビールを注いだ。


「お待たせしました〜」


「ありがとう!」


 佳鳴が提供した冷たい生ビールを受け取ったナナオさんは、さっそく口を付けて豪快に喉を鳴らした。


「やっぱり冷たいビールは美味しいわぁ〜。坂巻くんも飲んで! おごっちゃうわよぉ〜」


「だーから、自分の分は自分で払うっての」


 上機嫌になったナナオさんに、坂巻さんは苦笑する。空元気からげんきだと分かっているからだろう。佳鳴ですらそう思うのだから、坂巻さんがかん付かないわけが無い。


 友人を無くすかも知れないのは悲しいことだ。だから人は大事な人と縁を繋ぐために配慮をするし、気配りをし、心を砕く。


 今回紗也さんは恋愛を前にして、それをおこたってしまった。恋も大事だとは思うが、それで周りに心を配れなくなってしまえば、その人の信用は下がってしまう。


 紗也さんは自分を推すために、こともあろうか意中の人であるはずの坂巻さんすら傷付けてしまったのだ。それで良い感情が芽生えるわけが無い。


「店長さん、俺も生お代わりちょうだい」


「はい。お待ちくださいね」


 坂巻さんのタンブラーを引き取り、新しいタンブラーに生ビールをご用意する。


「お待たせしました。あの、坂巻さん、ナナオさん」


「はい?」


「ん?」


 おふたりは顔を上げる。佳鳴は「僭越せんえつですけども」と前置きし、ゆったりと口を開いた。


えんというものは、その人に良く無いものなら、そう遠く無く離れてしまうものだと思うんです。紗也さんはナナオさんにとって大事なお友だちなのかも知れません。でももしかしたら、言い方は良く無いのですけど、ナナオさんのためにならない関係だったのかも知れませんよ」


「私のためにならない縁……」


 ナナオさんが目を丸くしてぽつりと漏らす。佳鳴は「はい」と小さく頷く。


「離れて行ってしまうものを引き止めるかどうかは、難しい選択だと思うんですけど、無理をしなければつなげないのでしたら、それはきっとナナオさんには必要の無いものなんだと思うんです。でも紗也さんからお声掛けがあるのなら、繋ぎ直すべき縁なのかも知れませんね」


 佳鳴が「おかしなことを言ってすいません」と小首を傾げると、坂巻さんが「分かります」と真剣な顔で頷く。


「俺もそう思います。俺が言うのも変だけど、もし無理な関係なら、続けるべきじゃ無いなって。だからさナナオ、多分なる様になるんだよ」


「……ええ」


 ナナオさんも神妙な表情を浮かべる。


「そうよね。私は紗也ちゃんと無理して付き合っているつもりは無かったけど、もしかしたらお互いに気付かないうちに、歪みが出ていたのかも知れないわねぇ。紗也ちゃんの恋愛体質は私もちょっとしんどいなって思ってたし……。そうね、なる様になるのよね、きっと。少し様子を見てみるわ」


 そう言ったあと、ナナオさんは少し気落ちした様に肩をすくめた。


「でも、私もまだまだ狭量きょうりょうねぇ。紗也ちゃんが坂巻くんに言ったことをまだ許せないんだもの。未熟だわぁ」


「そんなわけがありません」


「そんなわけ無いだろ」


 佳鳴と坂巻さんの声が重なり、ふたりは目を見合わせて「ふふ」「はは」と笑みを零す。


「お友だちを悪く言われて、許せないのは当たり前です。ナナオさんがそれだけ坂巻さんを大事に思っておられる証拠では無いですか?」


「そうだぜ。ナナオが言ってくれたの嬉しかったぜ。ありがとうな」


 ふたりがそう力強く言うと、ナナオさんははっと目を見開き、次には細ませて「ありがとうねぇ」とふわりと微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る