第3話 歓迎できない出会い

 坂巻さかまきさんとナナオさんが揃って来られたのは、その翌週末だった。ナナオさんはふっと佳鳴かなると視線が合うと、軽く目を伏せて小さく首を振った。先週おっしゃっていたことは解決していないということか。


 ナナオさんは抱えている心配事を坂巻さんに気取られない様にか、浮かない表情は引っ込め、綺麗な笑顔を浮かべている。


「かんぱい!」


「かんぱ〜い!」


 おふたりはいつもの様に生ビールで乾杯され、勢い良くのどを鳴らした。それからおふたりのお話は盛り上がり、佳鳴と千隼ちはやはひとまず良かったとお料理を整える。千隼にも簡単に事情を伝えてあった。


 今日のメインはさけと里芋とししとうの煮物だ。鮭の切り身はお塩と日本酒で臭み抜きをし、お塩で下味を付けて小麦粉をはたき、菜種なたね油で焼き付けてから煮込んでいる。


 小麦粉と、一緒に煮込んでいる里芋のおかげで煮汁に程よいとろみが付き、それが具材に良く絡む。


 煮汁はお出汁をベースにお砂糖と日本酒、お醤油と基本のものである。だからこそ馴染み深く、身体に沁み入るのだ。


 小鉢のひとつ目は、もやしの明太子和えだ。もやしをしんなりと蒸し、ごま油で伸ばした明太子で和えている。


 淡白とも言えるもやしにぴりっとした明太子が絡み、ごま油の香ばしさとコクも相まって良い味わいになるのだ。


 小鉢のもうひとつはブロッコリのくるみ和えである。柔らかく蒸したブロッコリを、砕いたくるみとお砂糖とお醤油、少量のお味噌で作った和え衣で和えた。


 ブロッコリは柔らかく火を通すことで青臭さが無くなり、香ばしくほのかに甘辛い和え衣をまとうことで甘さが引き立った。


「はい、お待たせしました」


 坂巻さんとナナオさんにお出しすると、おふたりは「ありがとう。美味しそう〜」と揃ってほほを和ませた。


「いただきます」


 おふたりが手を合わせて食べ始めた時、また新たなお客さまが来店される。


「いらっしゃいませ」


 佳鳴がドアに視線をやると、ドアを開けて立っていたのは若い女性だった。ブラウンの長い髪を高い位置でツインテールにしていて、ミニ丈の赤いワンピースと相まって若々しい印象である。


 常連さんでは無い。多分初めてのお客さまだ。佳鳴が席に案内しようとした時、女性が「ナナオちゃぁーん!」と甲高い声を上げた。


 佳鳴も、奥で接客していた千隼も驚いたが、当のナナオさんはそれ以上に驚愕きょうがくし、口に含んだお料理を喉に詰めそうになったのか、目を白黒させながら胸を叩いた。


 慌ててビールで飲み下し、顔を上げて女性を見ると、「紗也さやちゃん!?」と口元を押さえた。


 紗也ちゃんと呼ばれた女性は小走りでナナオさんに駆け寄り、空いていた隣の席に掛けることも無く、腰をかがめてひそひそと何かを耳打ちしている。


 紗也さんのふくれた表情からナナオさんを咎めている様に見え、それを受けるナナオさんは困った様に眉根を寄せて苦笑いだ。


 やがて紗也さんの気が済んだのか腰を上げ、まるでスキップでもする様な勢いで坂巻さんの横に回り込んだ。坂巻さんの横も空いていて、紗也さんはそこに腰を降ろした。


 そして坂巻さんに寄り添う様に距離を詰め、甘えた声を出した。


「坂巻さんって言うんですかぁ〜? 私ぃ、ナナオちゃんの親友の水森みずもり紗也って言いますぅ〜」


「あ、どうも」


 坂巻さんは特に動じることも無く、素っ気ない返事をするだけだった。ただ身体は紗也さんを避ける様に、わずかにナナオさんの方に傾いている。


 佳鳴は紗也さんの行動を見ながら、距離感がおかしな方だなと感じていた。坂巻さんが不愉快な思いをする様ならどうしようかと思考を巡らす。


 だがすぐ近くにお友だちのナナオさんがおられるのだから、お任せするのがいちばんなのだろう。


「駅前でナナオちゃんと一緒の坂巻さんを見付けてぇ、追い掛けて来ちゃいましたぁ〜。私たち、朝の電車でいつも会ってるんですよぉ〜」


「あ、紗也ちゃん、注文どうする? このお店はね」


 ナナオさんが少し慌てた様に身を乗り出して言うと、紗也さんは話をさえぎられたからか少しばかり不機嫌を表し、だがすぐに笑顔になると坂巻さんに向けた。


「坂巻さぁん、このお店のこと教えてくださぁ〜い」


 あからさまな好意をき出しにして、紗也さんはしなを作る。坂巻さんはそんな女性に慣れているのか、引き気味ながらも「ああ、はい」と煮物屋さんのシステムを説明する。


「え〜? そうなんですかぁ? おもしろーい」


 紗也さんはそんなことを言いながらころころ笑う。そして坂巻さんに差し出されたドリンクメニューを眺めて「あ〜ん」と弱った様な声を上げた。


「カクテルが無ぁ〜い。私、カクテルが好きなのに〜」


 ナナオさんはやれやれと言う様に小さく息を吐き、坂巻さんは我関せずと言う風に生ビールを傾ける。


 ナナオさんが佳鳴と千隼を見て、謝る様に手を合わせた。佳鳴は「大丈夫ですよ」の意味を込めてふわりと微笑んだ。千隼も穏やかな表情で小さく頷いている。


「お客さま、スクリュードライバーかシャンディガフか、コークハイならお作りできますよ」


 佳鳴はぱっと思い付いたカクテルを口にした。


 ビールはあるし、ウォッカもサワーに使っているものがあった。ウィスキーハイボールで使用している。オレンジジュースとジンジャーエール、コーラもソフトドリンクで揃えている。


 紗也さんは佳鳴の言葉に「あ、じゃあスクリュードライバーくださ〜い」と機嫌を直した。


「はい。ではお酒でよろしいですね? ご飯とお味噌汁は無しで」


「は〜い。私ぃ、そんなにたくさん食べられないしぃ〜」


 今時カクテルを飲む少食の女性が可愛いと思われているのかどうかは疑問だが、この紗也さんはそう信じている様だ。


 佳鳴は笑顔を浮かべながらも、心中は「はいはい」と少し呆れ気味になっている。


 異性へのアプローチ方法はいろいろあるだろうし、自分のやりたい様に、自信のあるやり方で良いと思うのだが、それが相手の不快を誘うのであれば逆効果だ。


 特に坂巻さんは同性愛者だ。女性が嫌いという話は聞いたことは無いし、佳鳴とも普通に話してくれるが、こうした接し方をされるのはどうなのだろう。


 佳鳴はやや戸惑いながらも紗也さんのお料理を用意する。スクリュードライバーは千隼が作ってくれた。


 佳鳴ができたお料理をお渡ししようとすると、紗也さんはスクリュードライバーのグラスを手に、とろける様な表情を坂巻さんに向けている。


 坂巻さんは端正なお顔立ちだから、一目惚れをされてしまうのも分かる。だが坂巻さんの人となりを知らないままで、良くここまで入れこめるものだなぁと、佳鳴は感心するやら呆れるやら、少し微笑ましいやら。


「お料理お待たせしましたー」


 紗也さんに声を掛けると、紗也さんの視線が一瞬こっちを向いた。だがまたすぐに坂巻さんに戻ってしまう。佳鳴は溜め息を吐きたいのを堪え、上半身を伸ばしてカウンタにお料理を置いて行った。


 紗也さんの乱入で、坂巻さんとナナオさんの口数はすっかりと減ってしまった。ナナオさんは申し訳無さげに肩を落とし、食欲も無くしてしまったのか、ほとんどおはしが進んでいない。生ビールだけが着々と減って行く。


 坂巻さんは食べ進めてはいるが、先ほどまで浮かべていた楽しげな笑顔は影も無い。むしろ仏頂面ぶっちょうづらに見えてしまう。


 だがやはり紗也さんはうっとりとした表情で坂巻さんを見つめていた。ナナオさんが「ストーカーじみたところがある」とおっしゃっていたぐらいだから、こうとなったら周りが見えないのだろう。


「坂巻さんってぇ、彼女はいるんですかぁ〜?」


 紗也さんが上目遣いでくと、坂巻さんは「……いや」とぽつりと応える。確かに「彼女」はおられないが。


「じゃあぁ〜、私なんかどうですかぁ〜? 今度ふたりで会ってくださ〜い」


 思った以上にストレートな告白だった。ことを性急に進めたがるのも、こういう女性の特徴なのだろうか。


「私ぃ、尽くすタイプなんですぅ〜」


 どうにも紗也さんの「良い女像」は一昔前のイメージがある。今でもそれらが可愛いと思う男性もいるとは思うが。


 すると坂巻さんの横で、ナナオさんがぶるぶると小さく首を振った。それは否定にも見える。だがナナオさんから聞いた紗也さん像、そして実際にお会いしてみて感じることとして、紗也さんはきっと過剰かじょうな尽くすタイプなのだろう。束縛したり、いつでも一緒にいようとしたりと、相手に重いと思わせてしまうタイプだ。


 本人は相手のためにそれを良しとしているのだろうが、独りよがりになってしまったら相手は幸せでは無い。だが本人はそれが判らないのだろう。だからやりすぎてしまうのだ。


 坂巻さんはちらりと紗也さんを見やる。視線が合ったのか、紗也さんの顔がぱぁっと輝いた。


「俺、付き合ってる人がいるんで」


「……え? 彼女いないんですよね?」


 坂巻さんのぶっきらぼうな返事に、紗也さんはきょとんとして首を傾げた。

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