第2話 一方通行にしかならない思い

 坂巻さかまきさんとナナオさんは、それぞれおひとりで来られることもある。


 坂巻さんは煮物屋さんと最寄り駅が同じなので、良く来てくださるのだが、ナナオさんは数駅とはいえ電車に乗らなければならず、そう頻繁ひんぱんでは無い。


 そんなナナオさんが、昨日から続けて今日の日曜日も来店された。しかもおひとりだった。


 ドアを開けてお顔をのぞかせたナナオさんは、なんだかお元気が無い様に見える。だがこちらからお客さまに踏み込むことはできない。佳鳴かなる千隼ちはやも普段通りにお出迎えした。


 ナナオさんは空いている席に掛けて、憂鬱ゆううつそうに「はぁ」と息を吐いた。掌を頬に当てひじを付いてしまい、なんとも気怠けだるそうに見える。


 それでも佳鳴はいつもの様におしぼりをお渡しした。


「今日はどうされますか?」


 佳鳴が笑顔でお伺いすると、ナナオさんはメニューも見ずに「お酒で。生ビールちょうだい」と怠そうな声を上げた。


「はい。かしこまりました」


 佳鳴が生ビールを作り、千隼が料理を整える。


 今日のメインは豚肉ときゃべつ、人参としめじの豆乳味噌煮込みだ。彩りには塩茹でしたいんげん豆を添えた。


 豆乳とお味噌は同じ大豆から作られているので、その相性は抜群だ。いつもより濃く出したお出汁も使い、ちゃんと和食に仕上がっている。


 スライスされた豚肉はもちろんお野菜も、とろみのある煮汁をたっぷりと持ち上げ、そのまろやかな旨味を口に運ぶ。


 お味噌のおかげでこっくりとしつつ、豆乳でさっぱりといただける一品だ。


 小鉢のひとつはしらすとわかめの酢の物である。塩抜きをした塩蔵えんぞうわかめとしらすを合わせ、合わせ酢で和えたシンプルな一品だ。


 わかめのしゃきしゃきした歯ごたえと、しらすのほのかな塩分が心地よい。口の中をさっぱりとさせてくれる。


 小鉢もうひとつはこんにゃくとごぼうのきんぴらだ。こんにゃくは突きこんにゃくを使い、ごぼうはこんにゃくに合わせて太めの千切りにしている。


 仕上げにたっぷりのすり白ごまを使い、甘くも香ばしい一品に仕上がった。


「生ビール、お待たせしました」


 まずは飲み物を提供する。


「ありがとう〜」


 ナナオさんは顔を上げて笑みを浮かべ、生ビールのタンブラーを受け取った。さっそく口を付けて一気に数口を飲み干す。


「ぷはぁ!」


 その瞬間は、ナナオさんのご機嫌も上向きになった。だがタンブラーを置くと、また表情を曇らせた。


「お料理お待たせしました。お元気が無さそうですけど、どうかされました?」


 ナナオさんは心が女性だからこそ、少しばかり察してちゃんなところがあったなと、思い出した佳鳴は問い掛けた。今日は話を聞いて欲しくて、おひとりで来られたのかも知れない。


「……聞いてくれる?」


「はい」


 佳鳴が小首を傾げて微笑むと、ナナオさんは「あ〜」と机に突っ伏す勢いで前のめりになった。


「私、女友だちがいるんだけどぉ」


「はい」


「その子に今日、ランチで恋愛相談されたのね」


「あら、お好きな人でもできたんですか?」


「そう。凄っごい格好良い人だって、写真隠し撮りしたって見せてもらったんだけどねぇ〜」


 隠し撮りは褒められたものでは無いが、ひとまず棚上げすることにしよう。


「格好良かったですか?」


 するとナナオさんがぎゅっと顔をしかめてしまった。


「そりゃあ格好良かったわよ〜。だって通勤中の坂巻くんだったんだものぉ〜」


「あら!」


 佳鳴は驚いて目を丸くする。写真はつり革に掴まって満員電車に揺られている、スーツ姿の坂巻さんの横顔だったそうだ。


「世間は狭いですねぇ」


「そうなのよねぇ〜。通勤の電車で見初みそめたらしいんだけどね。まぁそれは良いの。問題はその友だちよぉ。ちょっと恋愛に関しては粘着質って言うか、ストーカーじみたところがあって」


 そのせりふに、佳鳴はつい顔をしかめそうになってしまう。だがどうにかこらえ、ごまかす様に「あら」と口元を手で押さえる。


「そんなだから、その子の友だちって私ぐらいしかいなくてねぇ〜。せめて私ぐらいはって思って」


 そんなせりふに、ナナオさんのふところの深さと情の厚さが見て取れる。


「それさえ無かったら良い子だからねぇ。まぁ付き合ってるんだけどぉ」


「ナナオさんが坂巻さんとお友だちだって言うのは?」


「言ってないわ」


 ナナオさんはまゆをしかめて首を振った。


「そんなこと言おうもんなら、ぐいぐい来るの目に見えてるもの。今でさえ尾行したりしてるのに」


「び、尾行? お友だちが坂巻さんをですか?」


「そう」


 佳鳴は唖然あぜんとしてしまう。それは確かに度が過ぎているかも知れない。


「一目惚れしたのが出社途中の電車だったんですって。すぐに会社に電話して午前休取って、仕事場突き止めて、次の日に早退して会社の前で張り込んで、家まで付けたって。もう呆れるしか無くって」


 それは度が過ぎているで済む話だろうか。あまりのことに佳鳴は目を見張った。


「そ、それでまさか坂巻さんのお家に乗り込んだりとかは」


「それはさすがにしてないって。そんなことしたら警戒されるってあの子も判ってるからねぇ〜。ただそれ以上は難しくて、あの子もどうしたもんかって思ってるみたい。さすがに休みの日とか家の前で張ってたら不審者だからね。通報されかねないもん」


「現実的なのは、やっぱり通勤途中の電車でしょうか」


「そうね。とにかく私にできることは、友だちの暴走を抑えることだけだからねぇ。偶然街中とかで会っちゃったら突貫しかねないし。確実に振られるのが分かってるからって言うのもあるんだけど、とにかく落ち着いて欲しいなぁ。坂巻くんにも迷惑掛けたく無いし」


「でも坂巻さんおモテになるでしょうから、あしらいも慣れてらっしゃるんじゃ無いですか?」


「そうなんだけどぉ」


 そう言いつつナナオさんは溜め息を吐いた。


「それだけ嫌な思いもしてるみたいでねぇ〜。余計なお世話かも知れないけど、坂巻くんには彼氏と幸せになって欲しいのよ。友だちの気持ちも分かるんだけど、熱くなると周りが見えなくなっちゃうから」


「でも、お友だちさんに諦めろ、なんて言えませんものねぇ」


「そうよねぇ。とりあえず友だちの気持ちも尊重しつつ、落ち着いてもらわなきゃ」


「このことは、もちろん坂巻さんには内緒ですよね?」


「もちろん。聞いて欲しくてつい来ちゃったけど、秘密でよろしくねぇ。余計な心配掛けたく無いし。あ、ハヤさんは別ね」


「分かりました」


 佳鳴が頷くと、ナナオさんは「ありがとう」と溜め息混じりに言い、メインの煮物を口に含んでふにゃりとほほを緩めた。


「こんな時でも煮物屋さんのご飯美味しい〜」


「ありがとうございます」


 佳鳴はにっこりと微笑んだ。

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