第4話 思い出した大切なこと
そうっとドアを開けおずおずといった様子で入って来られた駒田さん。
「ご無沙汰していますね、駒田さん。あれから体調はいかがですか?」
佳鳴が聞くと、駒田さんは「お、覚えていてくださいましたか」とほっと顔を綻ばす。
「ええ、もちろんです。本当にお辛そうでしたから心配していたんですよ」
「ありがとうございます。あの時は本当にご迷惑をお掛けしました。お礼もなんですが、あの、座っても良いですか? 今日は食事もさせていただこうかと思って」
「あら、ありがとうございます。お気になさらないでくださいね。そのご様子ですと体調もすっかりとよろしい様ですね。本当に良かったです」
前に来られた時に白かった顔色は血色が良くなり、沈んでいた
「はい、本当にお陰さまで」
駒田さんは笑顔で言うとカウンタに掛ける。佳鳴からおしぼりを受け取って手を拭いた。
「教えていただいた通りの食事を続けていたら、体調も体重もすっかりと落ち着いて。姿勢にも気を付けて。あの……」
駒田さんは照れた様に少し目を伏せて、ふわりと微笑んだ。
「あの時あのお豆腐の雑炊をいただかなかったら、私、食事の美味しさを思い出せなかったと思います。食べることの大切さも。あの優しいお雑炊は本当に温かくて、心にも暖かくて美味しくて……。モデルでいようと思ったら身体を保たなきゃいけません。でも昔太ってた時は確かに食事は楽しくて嬉しいものでした。忘れてました。もう太りたくは無いですけど、食べることはちゃんとしなきゃって。本当にありがとうございました」
そう言って駒田さんは深く頭を下げた。佳鳴は「あああ」と慌てる。
「そんな本当に大したことはしていませんから」
「いいえ。私には本当に大切なことでした。このお店のお陰です」
「少しでも駒田さんのお役に立てたのでしたら良かったです。ご注文はどうされますか? 当店はですね」
佳鳴が煮物屋さんのシステムをご説明すると、駒田さんは「あら」と目を丸くした。
「そうなんですね。そう言えば最初にお邪魔させていただいた時、
「はい。ですので糖質高めの食材は抜かせていただきますね」
「あ、いえ、いただきたいです。あの、あれからちゃんとダイエットのことを調べてみて、チートディっていうのを知って。何日かに1度は好きなものを食べて良いんだって。普段の食のストレスの緩和にも良いんですって。なので今日はそのチートディにしようかと」
「そんな大切なお食事をこちらにお任せくださって良いんですか?」
「もちろんです。あんな美味しいお豆腐雑炊を作ってくださったお店ですもん。絶対に他のお料理も美味しいはずだって。お酒も普段は控えてるんですけども、今日は解禁です。私赤ワインが好きなんですよ〜」
「でしたら太りにくいお酒ですから大丈夫ですね。ただうちでは銘柄がお選びいただけなくて。申し訳無いです」
「大丈夫です。甘口も渋いのも好きです」
「ではお酒で、赤ワインとお料理でよろしいですか?」
「はい。お願いします。楽しみです」
駒田さんは期待に満ちた表情でにっこりと笑った。
駒田さんはとても素直な方で、佳鳴の話を聞いた翌日から実践を始めた。煮物屋さんの帰りにコンビニでパックご飯とインスタント味噌汁、乾燥わかめを買い、翌朝から摂り始めた。
最初はやはり白米を食べることにためらいがあった。また太ってしまうのでは無いかと怖くなった。
しかし佳鳴の「お米1膳分のエネルギーなんて1日の活動にも足りません」という言葉を思い出し、思い切ってほかほかの白いご飯をひと口放り込むんだ。するとその美味しさにあらためて開眼し、お味噌汁とともに1パックのご飯をぺろりと食べてしまったのだとのこと。
駒田さんは炊飯器を持っていなかったので、その日の帰りに家電量販店に行って小型の炊飯器を買った。
その炊飯器は1合高速炊きのものだったので、駒田さんは毎朝炊きたてのご飯を頬張った。無洗米にしたので手間はほぼ無い。味噌雑炊にするより白いままのご飯が駒田さんの好みだった。
そして仕事がある日のお昼ご飯は、仕事先で出るお弁当やケータリング。お弁当ならおかずを中心に、ケータリングなら糖質の少ないものを選んで腹八分目をいただいた。
夕飯は誰かと外で食べるなら、やはり糖質の少なめのものを選ぶ。お酒は控えめに。
家でならレンジで温野菜を作り、塩こしょうとアマニオイルを掛けて食べた。たまに市販のフレンチドレッシングなども使った。
他のおかずの時には器に盛ったあとにアマニオイルを掛けた。豆腐の味噌雑炊風も野菜などをたっぷり入れてよく作った。
そうしているうちに、駒田さんはおかしな疲れを感じにくくなったのだそうだ。
体重はほんの少しだけ増えた。しかし体調の良さを感じ始めていた駒田さんは、少なくともその体重分身体に無理を強いていたのだと反省した。
それから体重も安定し、駒田さんは元気な毎日を過ごせる様になった。佳鳴の言葉もあって、1キロ程度の変動は気にならなくなった。お肉の脂身も抵抗なく食べられる様になった。
肌の調子が良くなり、化粧乗りも良くなった。髪も艶を取り戻し、トリートメントの頻度が減った。
驚いたのは、その頃からオーディションに受かりやすくなったことだ。同じ美しさであるのなら、不健康な印象より健康的なモデルさんが求められているのだと、駒田さんは痛感する。
そして考え方も以前より前向きになったそうだ。お腹が満ち足りていることの大事さ、食の大切さを駒田さんはしみじみと感じたのだと言う。
その日のメインは鶏もも肉と茄子と厚揚げの煮物だ。鶏の皮から出た脂が茄子をしっとりくたくたにし、お出汁の旨みを吸い上げる。鶏もも肉と厚揚げは煮込む前に皮目を焼き付けて香ばしさも生み出している。彩りは塩茹でしたちんげん菜だ。
小鉢ひとつめはかぼちゃの卵とじ。厚めにスライスしたかぼちゃを煮汁で柔らかく煮て、卵を回し入れて半熟にまとめた。
もうひとつは白菜とちくわのごまポン酢和えだ。白菜の軸は細切りに、葉はざくざくと切って塩を振って水分を絞り、縦に薄く切ったちくわと合わせ、ポン酢と白すりごまで和えた。
「はい。お待たせしました」
佳鳴と千隼が整えた料理をお出しすると、駒田さんは「わぁ……!」と目を輝かせる。
「美味しそう……! いただきます!」
そう言って箸を取ると、さっそく煮物の茄子を口に運ぶ。煮汁が滲み出る茄子をはふはふとじっくり噛み締める。
「あ〜美味しい……! 本当に美味しいですねぇ! とっても優しい味付けなんですね。お出汁がじゅわって滲みて……。ああ、嬉しい!」
駒田さんは嬉しそうに頬を綻ばす。
「やっぱり温かいご飯は美味しいです〜。身も心も暖まりますねぇ〜」
「ご自宅ではあまり温かいお食事はご用意されないんですか?」
「するんですけど、こんな美味しくは作れませんよ〜。ひとりだからどうしても簡単なものばかりになってしまうし、レンジも多用しちゃって」
「レンジは立派な調理器具ですよ。蒸し物も美味しくできますしね。千隼も私も、自分たちが食べるものはレンジ使いますしねぇ」
「え、そうなんですか?」
駒田さんが驚いた様に目を丸くする。
「レンジで作ってそのまま食べて、洗い物を少なくしたくて」
「それはおひとり暮らしの方ならされている方多いと思いますよ。ご世帯でも作る時に使われたり。うちでも大皿をレンジに掛けてそのまま食卓にってよくありますよ」
「そうなんですかぁ。なんだか気が楽になります」
駒田さんはほっとした様に顔を緩ませた。
「調理方法はご自分が気楽にできるもので良いんです。駒田さんがやりやすい様に作られるのが良いですよ。駒田さんの第一はお元気にされながらの美ボディ維持なんですから。それで美味しく食べられたら言うことなしです」
「はい。ありがとうございます」
駒田さんは小首を傾げて笑顔になった。それは生気に溢れたとても美しいものだった。
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