第3話 人と人の思いやり

 戸惑う様な、そしてどこかすがる様な表情で、冨樫とがしさんは佳鳴かなるを見つめる。佳鳴はにっこりと笑みを浮かべた。


「お店に関わらず、何かをしようとすると、必ずその方の色、カラーというものが多からず少なからず出るものだと思うんです。今のバーバー冨樫さんは、お祖母さまが経営されて来た理容室の色が濃く出ていますよね」


「……はい」


「それは、お母さまが美容師の免許を取られても、あまり変えておられませんよね」


「はい。お母さんが、お祖母ちゃんが守って来たお店をそのまま引き継ぎたいからって。女性のお客さまももちろん歓迎ですけど、今でも多いのはお爺ちゃんとか若くても男性のお客さまとかが多くて。だから継ぐとしたら私もって」


「他の方がされていることをそのままなぞることは、ある意味簡単で、ある意味とても難しいものだと思います。同じ工程を踏むことはできるかも知れません。でも結果は変わってくることがあると思いますよ」


「どういうことですか?」


 それは社会人経験があれば味わうこともあると思う。だが冨樫さんは外で就職をせずに実家の庇護下ひごかのままなのだ。


「人が違う。それが全てです」


 ふたりの人がかつて成功したと言う工程を辿って別々に活動をしたとする。しかしその結果は明暗を分けた。それはなぜか。単純なことだ。人なのだ。


「人同士の信頼関係、その方への誠意、真摯さ、そういうものでしょうか。お祖母さまはお祖母さまのやり方でお店を続けてこられて、お母さまはお母さまのやり方でお店を引き継いでこられた。例えお母さまがお祖母さまのお店そのままにされたいと思っていても、そこに違いは必ず出て来ていると思います。冨樫さんにはおふたりが同じことをされていると思いますか?」


「私にはそう見えます。細かいところは違うかも知れませんけど。あれ、でも」


 冨樫さんは顔を傾げる。


「……違うのかな。お祖母ちゃんとお母さん。あれ?」


「お祖母さまとお母さまは性格も違うでしょう?」


「はい。お祖母ちゃんは優しくて穏やかで、お母さんは豪快なところがあって、……あ」


 そこで冨樫さんは何かに気付いた様に目を開いた。


「違う。そうだ、お祖母ちゃんもお母さんも、元々の性格とかを隠したりごまかしたりせずに、素のままで、でも気遣いながらお客さまに接してる感じがします。でもお客さまたちは皆それを笑って受け入れてくれて」


「はい。それがお祖母さまとお母さまの誠意なのだと思います。そうしてお客さまを真摯に大切にされているんです。なので同じ接し方で無くても良いんですね。それはあくまでも表面上のことだけですから」


「じゃあ私はどうしたら良いんだろう。何ができるんだろう」


「冨樫さんならではのやり方が必ずあると思いますよ。冨樫さん、今来られているお年寄りのお客さまから、お孫さんの様に可愛がっていただいてますよね」


「はい。まだ私が若くて、お客さまがご贔屓ひいきにしてるお祖母ちゃんの孫だからだと思います」


「それだけじゃ無いと思いますよ。きっと冨樫さんはお相手さんのふところに入られるのがお上手なんだと思います。それはお客さま仕事をするのにはとても素晴らしい才能だと思いますよ。冨樫さんがお祖母さまやお母さまの様にされたいのでしたら、おふたりを良くご覧になって参考にされるのは良いと思いますけども、冨樫さんがお持ちの良い部分が失われるのは残念かなと思います」


 冨樫さんがこの煮物屋さんに来られる時の笑顔。仕事が充実しているからこそ出ているものだ。もちろん全てが順調では無いだろう。失敗することだってあると思う。そうして反省をしても充実感がそれを上回るのだ。それは冨樫さんにとって幸いである。


 しかしそれは冨樫さんが経営者側に立っていないことのあかしでもある。跡を継ぐことを決めたら少しのかげりが出てしまうかも知れない。ただ楽しいだけでは済まなくなる。でもそれは冨樫さんの成長だ。それがお店の維持には必要なことだ。


 冨樫さんはまだ跡を継ぐと決めたわけでは無い。だが嫌では無く不安だとおっしゃっているのだから、お母さまから言われて心は傾いているのでは無いだろうか。


 そして冨樫さんの話は無意識なのだと思うが、全て継ぐことを仮定したものだ。これまでは考えたことが無かったのかも知れないが、現実としてその可能性が見えたからこそ生じる不安なのだ。


 だが佳鳴が無責任に背中を押すことはできない。それはお祖母さまとお母さまがすべきことだ。冨樫さんのお家のことだし、なにせ冨樫さんの人生に関わることなのだ。だから経営者のはしくれとして佳鳴が言えるのはここまでだ。


「お祖母さまとお母さまと、お話をされてはどうですか? 私は冨樫さんがご実家をとても大切にされている様に思えます。それがいちばん大切なことだと思いますよ」


 すると冨樫さんは少し興奮した様に頬を赤らめて「はい!」と頷いた。


「私、実家のお店が大好きです。だからお祖母ちゃんとお母さんとちゃんと話し合ってみます。今日はお母さんに言われてどうしたら良いのか判らなくて、逃げる様にここに来てしまったんですけど、そんなんじゃだめですよね。帰ったらちゃんとします。じゃあご飯しっかり食べなきゃ。酎ハイレモンお代わりください」


 話しているうちにタンブラーは氷だけになっていた。冨樫さんは言いながらタンブラーを差し出す。


「はい。お待ちくださいませ」


 佳鳴はそれを受け取る。そして冨樫さんは「話を聞いてくれてありがとうございました」とぺこりと頭を下げた。


「いいえ、とんでもありませんよ」


 佳鳴は言ってにっこりと笑った。

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