第2話 青天の霹靂

 バーバー冨樫とがしの娘さん、冨樫里奈りなさんが煮物屋さんに来られる曜日はまちまちである。


 冨樫さんいわく「うちが休みの前日に来れるのがいちばん嬉しいんですけどもね」なのだが、煮物屋さんが月曜日定休、バーバー冨樫が火曜日定休なので、申し訳無いがそれは叶わなかった。


 だが理容室の閉店はそう遅く無いので、無理なくお酒も楽しんで行かれる。


 佳鳴かなる千隼ちはやがバーバー冨樫で髪を整えてもらった数日後、現れた冨樫さんは何か様子がおかしかった。


 いつもは仕事終わりの充実感満載と言った様子の笑顔なのだが、今日はどこかぼぅっとして、手に持っているのもむき出しの折り畳み財布だけだった。普段はスマートフォンなども入れた小さなショルダーバッグをお持ちなのだが。


「いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ〜」


 それでも佳鳴と千隼はいつもの通りに冨樫さんを迎える。冨樫さんは呆然とした表情のままふらふらと店内に入り、空いている椅子にふらりと掛けた。


 佳鳴がおしぼりを渡すと慣れた流れの様に手を拭くが、その手が途中で止まってしまう。そしてその手元をぼーっと見つめていた。


 佳鳴はさすがに見かねてしまって「冨樫さん」と声を掛ける。すると冨樫さんはゆるりと顔を上げる。佳鳴と視線が合うと「店長さぁん」と泣きそうな顔になった。


「どうかされたんですか?」


 佳鳴が優しく聞くと、冨樫さんは「店長さん、私、どうしよう」と訴え掛ける。


 これでは注文を聞くどころでは無さそうだ。飲み物でも飲んで落ち着いて欲しいと千隼が水を用意する。


「ひとまずどうぞ」


 千隼がお出しすると、冨樫さんは「あ……ありがとうございます」とグラスを手にする。そして傾けると一気に半分ほどが喉に流し込まれた。冨樫さんは「はぁっ」と大きく息を吐く。


「お、落ち着きました。ありがとうございます。えっと、酎ハイのレモンください」


「はい。お待ちくださいね」


 佳鳴はタンブラーに氷、焼酎、レモン汁、炭酸水を入れて軽くステアする。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


 冨樫さんはさっそく口を付ける。喉は水で潤っているのだろう、ちびりと含んだ。


 今日のメインはかれいともやしとにらの煮物である。かれいは焼き色を付けてから煮込み、もやしとにらはしゃきしゃきとした歯応えを残す様にさっと火を通している。


 小鉢のひとつはズッキーニとパプリカのカレーソテーだ。パプリカは赤と黄色を使って彩り良く。味付けにカレー粉と少量のケチャップ、塩とこしょうを使っている。


 小鉢もうひとつは小松菜と人参の白和えだ。豆の味を出したいので木綿豆腐をしっかりと水切りし、食べ応えが出る様に、ある程度形を残す様にして木べらで潰してからすりごまなどで味付けをし、さっと茹でた人参と小松菜を和えた。


 お料理をお出しすると、冨樫さんは「いただきます」と手を合わせ、白和えを口に運ぶ。そしてほっこりと表情を綻ばせた。


「癒される〜。優しいのにお豆腐の味がしっかりしてるのが嬉しい〜」


 続けてカレーソテー、煮物も「美味しいなぁ〜」とじっくりと噛みしめる。そして酎ハイレモンをぐいとあおると「はぁ」と心地よさげな息を吐いた。


 しかしその表情はまた曇ってしまう。冨樫さんは箸を置いた。


「あの……」


 冨樫さんは口にするが、すぐに言い淀んでしまう。少しためらう様に、だがまたゆっくりと口を開いた。


「あの、お母さんに「店ぐのか?」って聞かれちゃって」


 そのせりふに佳鳴は驚く。佳鳴も継ぐつもりなのだろうと思い込んでいたからだ。どういう経緯かは聞いていないが美容師そして理容師になり、実家の店を手伝っているのだから。


「違うんですか?」


 佳鳴が聞くと、冨樫さんは「判らないんです……」と力無く答える。


「考えたことも無かったんです。お母さんは私が理容師になって冨樫のお店に入ったから、そのつもりでいるんだろうと思ったって言うんですけど、そんなつもり無くて」


 冨樫さんは落ち込んだ様に目を伏せる。


「理容師になったのは、確かにお祖母ちゃんとお母さんの影響があったと思います。生まれた時からお店があったから、小さな頃から自分もそうなるんだろうなって漠然と思ってて。だから理容師になるのに抵抗とかは無かったです。学校も楽しかったし。お店の手伝いをしてるのは、正直就職活動が面倒だったって理由で……。跡を継ぐなんて考えたことも無かったんです」


 冨樫さんは酎ハイで唇を湿らす。


「でも考えてみたら、そう思われるの当たり前ですよね。理容師になっただけじゃ無くて、家の手伝いまでしてるんですから。これが別のお店に行っていたらまた違ったかも知れないですけど。なんで私、思い至れなかったんだろう」


 冨樫さんはまた小さく息を吐いた。


「お家を継がれるの、お嫌なんですか?」


 すると冨樫さんは「ち、違うんです!」と焦った様な声を上げた。


「嫌なんじゃ無いんです。うん、そうです。嫌じゃ無いんですよ。ええっと」


 冨樫さんは少し顔をしかめて考え込む。その間に他のお客さまも来られたので、おしぼりをお出ししたりしながら、佳鳴はできる限り冨樫さんの近くにいる様にした。


 冨樫さんははっと弾かれた様に顔を上げる。


「店長さん、私自信が無いんです。経営のいろはを何も知らない私に務まるのかって。お祖母ちゃんとお母さんが守って来たお店をちゃんと続けることができるのかって。私本当に何も分からないんですけど、経営って難しいですよね? 店長さんとハヤさんは煮物屋さんを経営されてるから、良くご存知ですよね?」


「そうですねぇ。うちの様な飲食店の場合、料理が美味しいって言うのは大前提ですけど、それだけではお店を続けることはできないですねぇ。お客さまに来ていただいて食べていただかないといけませんし」


「ですよね。うちもお客さんに来てもらわないとどうにもならない……。今はきっとお祖母ちゃんとお母さんがいるから、昔からのお客さんが来てくれるんです。待ち合いを広く取ってて、常連さんの井戸端会議の場所になってて」


 それは佳鳴も知っている。髪を切りに行くと、街のお年寄りなどが楽しそうに歓談していたりする。そういうのが地元に根付いた店なのだろうと、佳鳴も煮物屋さんをそういうお店にしたいと毎度思うものだ。


「で、お客さんがいなかったら思い立った様に「顔当ててもらおうかな」なんて言ってくれるんですよ。それってお祖母ちゃんとお母さんがお店を大事にしてきたから、大事に育てて来たからですよね。もちろんそれは売り上げとか、そういうのがあるからだと思うんですけど。それが無かったらお店を続けて行けないですよね。私がそれを受け継いで行けるのか、不安しか無いです」


 冨樫さんは言うと泣きそうな顔を覆ってしまった。


 佳鳴は千隼とこの煮物屋さんを始めた。先達の話もお伺いしたし様々なお店を参考にさせていただいたが、それでもふたりで立ち上げ、試行錯誤し、どうにかここまでやって来た。


 今でこそこうしてお客さまにも来ていただけて、常連さんもたくさんいてくださるが、それこそオープン当初はほとんどお客さまが来られない日もあった。


 最初はそれも見越して少なく仕込んだりもしていたが、それでも家の冷凍庫に捌けなかった料理が入れられたりもちょっちゅうあった。


 この煮物屋さんの営業形態が悪かったのか、それとも少しでも美味しいものをと努力したことは自己満足だったのか、悩んだり心が折れそうになったこともあった。


 それでも飲食店を持つのはふたりの夢だったから、なけなしの広報費からフライヤーを作って昼間に駅前で配布したり、ネットやローカル雑誌に小さいながらも広告を打ち出したりした。


 そうしたことが身を結んだのか、少しずつお客さまが増えて来て、今ではささやかな店ながらも満席になることだってあるのだ。


 煮物屋さんのカウンタがお客さまで埋め尽くされた時には、本当に嬉しくて涙が出そうになったものだ。閉店後には千隼とふたりで大喜びし、開けた缶ビールは本当に美味しかった。


 だから跡を継ぐことの重責は佳鳴には理解が及ばない。そして跡を継がせるという話も、ふたりにその当てがあるわけでは無い。


 それでも佳鳴には分かることがある。それはやはり佳鳴が経営者だからなのだ。


「冨樫さん、お母さまとお祖母さまがされている、されて来たことを、そのままなぞる必要は無いんですよ」


 佳鳴が言うと、冨樫さんはおずおずと手を開き、「え……?」と小さな声をもらした。

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