第4話 光明
煮物屋さんの営業が終わり、
「今日は本当にありがとうね。お仕事手伝わせてもらったのにこんなことを言うのはおかしいかも知れないけど、とても楽しかった」
「だったら良かった。楽しいお仕事があったって良いんだよ。私だってそうだもん」
「俺だってそうですよ。たまーに変な客も来ますけど、基本は常連さんのお陰で良い毎日です」
「楽しい、お仕事」
青木さんがわずかに目を見開く。
「そう。お仕事にも楽しいことってあるものだよ。さ、とっとと片付けちゃおう。そんで飲もうよ」
明日は佳鳴と千隼も休みである。今日の営業の後、青木さんの労いの意味も込めて駅前の深夜営業の居酒屋に行く予定にしていた。日曜日の営業後、佳鳴と千隼がたまに行く店である。
「うん。
煮物屋さん閉店の時点で終電に乗るのは難しいので、青木さんは最寄駅近くにあるビジネスホテルに予約を入れていた。
煮物屋さんでのお手伝いは終電までという話も出たのだが、青木さんが最後までいたいと言ってくれたのだ。
なら扇木家に泊まらないかと誘ったのだが、それは申し訳が無いと辞退されてしまった。佳鳴たちは構わないのだが、ホテルの方が青木さんが気遣うことなくゆっくりできて良いのかも知れない。
「私も」
佳鳴は床を履きながら微笑んだ。
そうして場所を移し、佳鳴と千隼、青木さんは生ビールを注文し、乾杯した。
「あらためて青木さん、今日はありがとう」
「はい。ドリンク作ってもらえるの本当に助かりました」
「ううん、お礼を言うのは私の方よ。仕事をしていて楽しいって思えたの本当に久しぶりだった。それに日当までもらっちゃって。本当に良いの?」
青木さんが脇に置くトートバッグには、使い終わったデニム生地のエプロンと一緒に今日の日当も入れられていた。
青木さんは驚いて首が外れんばかりに振って遠慮されたが。
「当たり前だよ。青木さんはきっちりと仕事をしてくれたんだから、当然の報酬だよ。と言っても時給にしたら最低賃金に近いんだけどね。そこは本当にごめんね」
「ううん、ありがとう。大事に使うね。あ、炊飯器買っちゃおうかな」
青木さんは
そうして話の内容は、自然と仕事のことになって行く。
「お客さんのボトルがほとんどウイスキーだから、仕事以外では飲みたく無いのよねぇ。取り扱ってるブランドはピンキリで、良いお酒も多いのに、味わう余裕も無いの」
「もったいないって思っちゃうねぇ。青木さんはそんなどころじゃ無いんだろうけど」
「俺もウイスキーは好きだからそう思っちゃいますよねぇ」
千隼は2杯目からはハイボールに変えて、ジョッキをぐいと傾けた。
「本当にそう。私、ホステスの仕事を始める前は軽く考えてたところがあったのよねぇ。男性相手に適当に話してにこにこしてたら大金がもらえるとか失礼なこと思ってた」
「どんなお仕事でも大変なものではあるよね。それこそ天職ならともかくねぇ」
「天職、か。どんなものが天職なんだろう」
青木さんは「ふぅ」と首を傾げる。
「まずは楽しい、好きだって思えるかなぁ。例えば企業勤めだったらどうしても業績云々はね、大事だったりもするから。でも業績悪いって人には絶対に別に向いてる仕事があるはずだと思うんだよね。それはその適性を見抜けない上の責任もあるかも知れないね。本人が希望してるんならともかく。そんな時は部署移動願いを出すとか、思い切って転職しちゃっても良いかな、なんて」
「でも転職でお給料が変わって来たら、下がっちゃったらやっぱり厳しいよね」
「どっちを取るかは、それこそ本人次第かな。私は独身だしお金掛かる趣味があるわけじゃ無いけど、お子さんがいて身動き取りにくい人もおられると思うから、それは家族で相談するしかね」
「扇木さんって確か大学出てから就職したよね、新卒で」
「うん」
「じゃあ脱サラしてお店始めたんだ。ハヤさんも?」
「はい。俺も何年か会社勤めしてましたよ」
「じゃあ脱サラする時は、そんなのがあったんじゃ無い?」
佳鳴は「ふふ」と微笑む。千隼も当時を懐かしむ様に目を細めた。
「そうだね、冒険だったよ。安定した会社員からどう転ぶか判らない飲食店経営だからね。いくら蓄えがあってもある程度の借金はできちゃうしね。銀行からの借り入れね。千隼も私もその時の仕事に大きな不満があったわけじゃ無いよ。でも挑戦したかったの。好きなお料理で身を立てるのが夢だったから。ちょっと変わった営業形態でも毎日常連さんが来てくださる様になって、千隼と私にとってはこの煮物屋さんが天職で宝物なんだよ。お仕事は生活のためにするものでもあるけど、やっぱりそれ以上の喜びを求めてしまうんだよねぇ」
「やっぱり思い切りとかって大事なのかしら」
「そういうきっかけとかがあったらね。青木さんは今日うちのお店に立ってくれて、楽しかったって言ってくれたよね」
「うん。それは本当に。でもどうしてそんな親しくも無かった私にここまでしてくれたの?」
青木さんの目が少し戸惑う様に揺れる。佳鳴は青木さんに安心して欲しくて柔らかく微笑んだ。
「青木さんさ、男性がいなかったら生きて行けないって言ってたでしょ」
「あ、うん、そうね。今思うと恥ずかしいこと口走ったなって」
青木さんは苦笑する。佳鳴は「ふふ」と小さく笑った。
「それってね、寂しがりやなのかなって思ったの。それだったら相手が男性と言うかお付き合いで無かったらどうなんだろうって。もちろん男性だからできることもあるけど、そこにこだわるのを止めてみたらどうかなって思ったの。うちのお店はさ、常連さんと私たちが他愛の無い話でいつも盛り上がってるの。毎日そんなだから寂しいって感じる暇も無くて。もちろん誰もがそうじゃ無いとは思うよ。向き不向きもあると思う。でも青木さんはお酒たくさん飲むのはしんどそうだけど、接客の仕事を選んだんだし続いてるんだから、嫌じゃ無いんだろうなって思ったの。だから少し違った形の接客をね、試してみて欲しかったんだ。だから青木さんが楽しかったって言ってくれたら成功かな」
青木さんは少し考え、ゆっくりと口を開く。
「ホストクラブへの支払いがあるから、続けざるを得ないって言うのもあるんだけど、寂しいって言うのはそうなのかも知れない。人肌とかが恋しいとかあるから、だから彼氏が欲しいっていつも思ってたけど、それがホストクラブ通いの原因でもあるから、他に寂しいと思わない何かがあるんだったら、それが良いのかな。でも確かに今日は楽しかった。お客さまが新参の私に気遣ってくださったっていうのもあるとは思うけど、久しぶりにあんなに素直に笑った気がするなぁ」
青木さんは楽しそうに言って目尻を下げる。
「ちょっとね、考えてみたことがあるの。扇木さんとハヤさんがしてくれたこと、絶対に活かせると思う。巧く行ったらだけど。ねぇ、またお店にお邪魔しても良いかな」
そう言う青木さんの表情は、どこかわくわくしている様に見えた。
「もちろんだよ。いつでも来てね。大学出てからでもこうしてお付き合いできるの嬉しいよ」
「私も嬉しいな。ありがとう」
青木さんは嬉しそうに微笑んだ。
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