第3話 3人の日

「エプロンはネイビーとかグレイとかの地味なのが良いな。無かったら貸すからね」


 すると青木あおきさんはネイビーのデニム生地のものなら持っているというので、それで大丈夫だと伝える。


「青木さんはドリンクを作るのに慣れてるでしょう? だから基本はそれをお願いしようかな。で、私に付いててくれたら大丈夫だから。お客さま、常連さんも気安く話しかけてくださるからね。青木さん接客にも慣れているだろうから、心配してないよ」


 それでも普段仕事で接するお客さまとはタイプが違うだろうからと青木さんはためらうが、佳鳴かなるは「大丈夫大丈夫」と笑う。


「基本は世間話だからさ。常連さんも変な話振らないから大丈夫だよ」


 そうして青木さんが煮物屋さんのカウンタに立つ日がやって来た。勤めるクラブが休みの日曜日である。翌日は休みを入れたとのこと。


 持参したデニム地のエプロンを着けた青木さんは、緊張しているのか顔がわずかに強張っている。


「本当に良いのかしら。扇木おうぎさんと弟さんの大切なお店なのに迷惑掛けちゃったら」


 そうおろおろする青木さんを、佳鳴も千隼ちはやも「あはは」と笑い飛ばす。


「本当に大丈夫だから」


「はい。常連さん皆優しいですから。あ、俺のことは店ではハヤさんと呼んでください。常連さんはそう呼んでくれるんで」


「わ、分かった。えっと、ハヤさん」


「はい。お願いします」


 千隼は柔らかく、青木さんを安心させる様な笑みを浮かべた。


「さ、ご飯にしよう。青木さんも、お店開いたら6、7時間はトイレ以外休憩無しの立ちっぱなしだから、できたらお米もしっかり食べておいてね」


「うん。お酒は飲まなくて良いんだよね?」


「うん。むしろ飲みたくても飲めないからね」


「あはは。じゃあお米もいただくね」


「じゃあ用意するから座って待ってて」


「あ、何かお手伝い」


「今は大丈夫。お店開店したらがっつり働いてもらうからね」


 そして佳鳴と千隼は並んでまかないを用意する。


 今日のメインは牛すじ肉と蓮根とこんにゃくの煮物だ。彩りは茹でてあく抜きをしたほうれん草である。


 牛すじ肉は昨日の営業中から下茹でしてことことと煮ていたものだ。ひと晩置いて出汁の味もしっかりと沁みている。そこに今日蓮根と下茹でしたこんにゃくを入れて、味付けをしてさらに煮込んだ。


 小鉢、一品は豆腐とおくらのごま和えである。水切りをした木綿豆腐と板ずりをして茹でて小口切りにしたおくらを、白すりごまやごま油、醤油などで作った和え衣で和えた。


 もう一品はブロッコリの海苔和えだ。ブロッコリは小房にして蒸し、海苔をベースに作った和え衣で和えてある。


 お味噌汁はお揚げと椎茸、青ねぎで作った。


 まずはいつもの写真撮影。千隼のスマートフォンからプリンタに送って。


「へぇ、外のメニューはそうやって作ってるのね」


 青木さんは感心した様に撮影した画像を覗き込む。


「そうなんです。最初はデジカメだったんですけど、今はスマホで充分ですから」


「そうよね。かなり綺麗に撮れるもんね。普通に現像もできちゃうし」


「じゃ、食べようか」


 佳鳴と千隼は青木さんを挟んでカウンタに座る。揃って「いただきます」と手を合わせて箸を取った。


 青木さんはまず味噌汁をすすって「ほぅ」と心地よさげな息を吐いた後、艶々つやつやふっくらと炊き上がった白米を口に運ぶ。じっくりと味わってまた「はぁ〜」と息を吐いた。


「炊きたてのご飯食べるのも久しぶりかも。お米ってこんなにも甘くて味わい深くてほっとする味なんだよねぇ。お弁当とかのご飯ってレンジで温めてもこんな風にはならないもんね」


「そうだねぇ。それはどうしてもね」


「こんなの食べちゃうと家でご飯炊こうかって思っちゃう。その前に炊飯器買わなきゃ」


「炊飯器無いの?」


「うん。家を出る時にはほとんどお金が無くて、本当に必要最小限しか用意できなかったの。炊飯器は優先順位が低くて。自炊できる気もしなかったしね」


「電子レンジがあったらそれでも炊けるよ。コンロで土鍋とか」


「そうなの? でも土鍋とか難しそう。やっぱり炊飯器買おう。お味噌汁もだけど、家で温かいの用意するだけでも気分が変わりそう」


「それにお惣菜とか用意するだけでもちゃんとしたご飯だよ。面倒だろうけどお皿に移してね」


「そうする。それだけでちゃんと生活できてるって感じがしそう」


 青木さんは次に煮物に箸を伸ばす。優しい味付けで煮込まれたぷるんと柔らかな牛すじ肉を口に放り込んだ。


「うわっ、とろっとろ。凄っごい。昨日から煮てるって言ってたよね。やっぱり牛すじってそんなに時間掛かるものなの?」


「そうですね。牛すじは煮込んだ分柔らかくなりますかねぇ」


「本当に手間暇掛けてるのね。凄いなぁ。味も凄っごく美味しい」


 青木さんは優しい表情でふんわりと微笑む。


「ありがとうございます」


 千隼はにっこりと笑う。


「小鉢もどっちも美味しい。ブロッコリと海苔って合うのね。この海苔、ご飯に乗せるやつみたいに甘辛じゃ無いのね。ほんのり甘い感じで海苔の風味が強いって言うか」


「ブロッコリそのものの風味を無くしたくないからね。それぐらいがちょうど良いでしょ?」


「お豆腐も水っぽくなって無くてごまの風味が良い。おくらとも合うのね」


「お豆腐はこれでもかってほど水切りしたからね。でもごまと合えるのは出す直前ね。水切りしてもやっぱり水分出ちゃうからね」


「なるほどねぇ。うん、優しくて美味しい」


 青木さんは満足げに目を細め、また「うん」と頷く。


「こんな素敵なご飯を出すお店なんだもんね。まだちょっと緊張するけど、きっちりとお勤めさせてもらうね。不手際があったらどんどん言ってね」


「うん。こちらこそよろしくね」


「お願いします」


 青木さんは「えへへ」とはにかんだ。




 煮物屋さんの営業は無事始まり、青木さんは佳鳴と並んでカウンタに立つ。青木さんは注文が入ったドリンクをせっせと作ってくれた。


「へぇ、店長さんの学生の時の友だちなんですね」


 常連の田淵たぶちさんがビールのグラスを揺らしながら言う。


「はい。在学中はそう親しくできていなかったんですけどもね」


「卒業してから仲良くなったんですか? ありますよねぇ、そういうのも」


 田淵さんの奥さんの沙苗さなえさんがうんうんと頷く。すると青木さんが「あ、あの」と口を開く。


「同級生から扇木さんがお店をされてるって話を聞いて来てみたんです。そしたらとても良いお店で、お料理も美味しくて。今日は扇木さんのご厚意でここに入らせてもらったんです」


「でしょう、良いお店ですよねぇ。僕たち夫婦もすっかりと入り浸っちゃって」


「本当。ここに来たら炊事しなくて良くて上げ膳据え膳で、美味しいご飯が約束されてるからラッキーって思っちゃう」


「俺は沙苗さんが作ってくれる煮物も好きだけどなぁ」


「プロと素人料理を一緒にしちゃ駄目でしょ。ええっと、青木さんでしたよね。普段は何をされているんですか?」


 すると青木さんは「え、あ」と言い淀む。ホステスであることを言いたく無いのだろう。沙苗さんはすぐに空気を読んだ。


「ここのお料理が美味しくて、お家でも組み合わせを真似したりするんですよ。でもなかなか巧くできないんですよねぇ。やっぱりプロって違うなぁ」


「でも沙苗さんのご飯美味しいよ」


「そりゃあヨシくんにも美味しいって思って欲しくて作ってるからね。でもここのご飯と比べちゃ駄目よ。プロの仕事なんだから」


「プロ、ですか」


 青木さんが呟く様に言うと、沙苗さんは「ふふ」と笑みをこぼす。


「どんなお仕事でもお金が発生したらプロなんじゃ無いかって私は思ってますよ。青木さんもお仕事をしてお給料が出ているんでしょう? だったら立派なプロですよ」


「そうなんでしょうか」


「そうですよ。だから私は経理のプロです」


 沙苗さんは言って胸を張った。


「じゃあ俺は営業のプロだ」


 田淵さんはそう言って笑う。


「私、は」


 青木さんが戸惑う様に言葉を切ると、佳鳴は「じゃあ私は小鉢のプロですね」と続けた。


「あはは、店長さん、小鉢のプロって。ここはお料理のプロって言いましょうよ」


「じゃあハヤさんは煮物のプロですね。あれ、ハヤさんって煮物以外も作れますよね?」


「毎日のお昼にいろいろ作ってくれますよ。炒め物とどんぶりとかも。どれも美味しいですよ」


「お料理ができる男性って良いですよね〜。羨ましいです」


「あれっ、俺の雲行きが怪しくなってきた?!」


 沙苗さんのせりふに田淵さんが慌てると、沙苗さんは「あはは」と笑う。青木さんもつられる様に「ふふ」と楽しそうな笑みを漏らした。


 そうして他の常連さんも巻き込んで他愛の無い話をしているうちに、青木さんの緊張も解けた様で顔には笑顔が浮かんでいた。

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