第3話 心を彩るもの

 翌日の火曜日。煮物屋さんはまた営業を始める。門又かどまたさんが来られたのは19時になろうと言う頃だった。


 門又さんは佳鳴かなるから受け取ったおしぼりで手を拭き、焼酎の水割りを注文したところで佳鳴の首元に気が付いた。


「あれ、店長さん、そのネックレス」


「あ、はい」


 佳鳴はつい照れて、小さく笑ってしまう。


「昨日のお休みに買っちゃいました」


「へえぇ、良いわねぇ。凄いかわいい。店長さんにとても良く似合ってるし、その色だと確かにカジュアルな服でも浮かないね。何て石なの?」


「ターコイズ、トルコ石なんです。この色だったらあまり服を選ばないかなって思いまして。なのでそう言っていただいてほっとしてます」


「土台は金なんだね。うん、その方がかわいい。良いの見付けたね」


「ありがとうございます」


 佳鳴が昨日見付けたのは、ターコイズが1粒使われたシンプルなネックレスだった。18金の円形プレートにはめ込まれたターコイズブルーは鈍く、しかし可愛らしく輝き、ベースの金色が控えめに彩りを添えていた。


 自分のことの様に笑顔で褒めてくれる門又さんに、佳鳴は嬉しくなってしまって、満面の笑みを浮かべた。




 それから約2週間後、仕込みをしている煮物屋さんの固定電話が鳴る。ちょうど手が空いた千隼ちはやが受話器を上げた。


「はい、煮物屋さんでございます。あ、こんにちは。いえ、こちらこそいつもありがとうございます。……はい、はい、分かりました。伝えておきますね。はい、失礼いたします」


 そうして受話器を置くと、味噌を溶いていた佳鳴に声を掛ける。


「姉ちゃん、山形やまがたさんから。出来たってさ」


「今夜から大丈夫なのかな」


「そう言ってた」


「了解っと」


 そして味噌を溶き終えた佳鳴は、鍋の中身をお玉でぐるりとかき混ぜた。




 それは翌日のことだった。19時半ごろに門又さんは現れた。


「こんばんは〜。ちょっと残業になっちゃった。疲れた〜」


 そう言いながら溜め息を吐く門又さん。佳鳴は「いらっしゃいませ。お疲れさまです」とおしぼりを渡した。


「ありがとう。麦焼酎の水割りでお願い」


「かしこまりました」


 今日のメインは豚ばら肉とえびと白菜と椎茸の旨煮だ。絹さやで彩りを添えている。


 小鉢は豆腐と生わかめのごま和えと、トマトと玉ねぎのマリネである。


 先にドリンクを用意し、料理を整えて門又さんに提供する。


「お待たせしました」


「ありがとう」


 門又さんは焼酎の水割りで唇を湿らせ、さっそくはしを手にする。マリネを口に放り込み、「いいなぁ。さっぱりしててお酒に合う〜」と目を細めた。


「千隼、お水補充するね」


「おう」


 佳鳴は冷蔵庫からボトルを出してバックヤードに入る。ミネラルウオーターや炭酸水などのストックはそこにあるのだ。


 もう空に近いボトルに、ペットボトルからミネラルウオーターを注ぐ。水割りを作る時は、この水を使うのである。


 そして佳鳴は、マナーモードに設定してあるスマートフォンに手を伸ばした。




 それから数分後のことである。またお客さまが訪れる。


「いらっしゃいませ」


「こ、こんばんは」


 そう言って息を切らすのは山形さんである。山形さんはまっすぐに門又さんの元へと向かった。


「か、門又さん、こんばんは」


「あ、山形くん。こんばんは」


 顔をわずかに赤くして緊張した様子の山形さんに、門又さんはにこやかに応える。


「こんばんは、あ、あの」


 山形さんは胸元に掛けたボディバッグからごそごそと、包装された細長い箱を取り出す。


「これ!」


 それを両手で持って、門又さんに差し出した。


「ん?」


 門又さんは小首を傾げる。


「あの、門又さんに受け取って欲しくて。あの」


「え、私に? え、なんで」


 門又さんは戸惑ってしまう。それはそうだろう。この店で1度会っただけのさして親しい訳でも無い人から何かをもらう理由が無い。中身は何か分からないが、赤い包装紙できれいに包装されたそれは、飴ひとつもらうのとは訳が違う。


「門又さんの言葉が嬉しかったので! お願いします、受け取って欲しいです」


「私なんか言ったっけ?」


 門又さんは困惑する。山形さんは「はい」と大きく頷いた。


「門又さんにとっては忘れてしまう様な些細ささいなことだったのかも知れないですが、僕にとってはそうでは無かったんです。だ、だから」


 山形さんは必死で訴える。それにほだされたのか、門又さんはためらいつつも手を伸ばした。


「じゃあ受け取るね。ありがとう」


 箱が門又さんの手に渡ると、山形さんは心底ほっとした様に頬を緩めた。


「受け取ってもらえて良かったです。じゃあ失礼しますね」


 笑顔になった山形さんはきびすを返す。「え、ご飯は?」と言う門又さんのせりふを背に、山形さんは煮物屋さんを出て行った。


「え、私にこれをくれるためだけに来たの?」


「みたいですねぇ」


「ん? 確かに私はここにしょっちゅう来るけど、今日来ることは何で知ったんだろう。知ってたみたいだったよね」


「外から見えたんじゃ無いですか?」


「手前にもお客さんいるのに?」


「まぁまぁ、細かいことは良いじゃ無いですか」


 いぶかしむ門又さんを、佳鳴はやんわりとなだめる。


「んー、気になるけど、まぁ良いか。中身なんだろう」


 門又さんは丁寧ていねいに包装紙をがして行く。出て来たのは白い箱。それを開けるとベロア調の箱が出て来た。


「ん、これまさか」


 その箱を開けると、出て来たのはネックレスだった。銀色のチェーンに繋がれているのは、同じ銀色に縁取られた赤い石。門又さんは「わぁ」と声を上げる。


「かわいい。これ赤い石、私の指輪の石と似てる。もしかして同じ珊瑚さんご? チェーンは、は、嘘、プラチナ!?」


 ネックレスの受け金具のプレートを見た門又さんは大いに驚く。そこにはベースの金属がプラチナであることを示す記号が刻印されている筈だ。


「えええ? 何でこんな高価なものくれるの? え? 何で?」


 門又さんはすっかりと慌ててしまう。


「山形さん、相当嬉しかったみたいですねぇ」


 佳鳴が言うと、門又さんはカウンタに突っ伏してしまった。


「本当に何でぇ〜? 私何を言ったんだろう〜」


 佳鳴と千隼は目を見合わせて、「ふふ」笑みをこぼした。




 佳鳴と山形さんがデパートで遭遇そうぐうし、相談を聞くためにカフェに場を移すと、山形さんは門又さんにお礼がしたいのだと言った。


「僕が宝石とかを好きなことをおかしく無いって、格好良いって言ってくれて、本当に嬉しかったんです」


 男性でもアクセサリーを着ける人は多い。だがやはり宝石は女性が主に着けるものだと言う印象がある様だ。


 小さなころから宝石に興味があった山形さんは、心ない男子から「女みたい」と散々からかわれたのだと言う。女子から笑われることもあったらしい。


 そういう差別の様なものは大きくなるにつれ少なくなって来るだろうが、山形さんは幼い頃の記憶がずっと引っかかっていて、大っぴらにするのを止めていた。


 だから門又さんの言葉は、山形さんにとっては救われたとも言えるだろう。


 ……と山形さんは力説していたが、それだけでは無いのではないかと佳鳴は読んでいる。


 それを山形さん本人が気付いているかどうかは判らないが。


 門又さんは左手の薬指に指輪をしていたので、誤解が生じているかも知れないし。


 そこで無自覚の山形さんから受けた相談は、どんなデザインだったらあの指輪と一緒に着けてもらえるかということだった。


 なので佳鳴はシンプルな赤珊瑚のネックレスを提案した。自分が買ったものを参考にすすめたのだ。


 ダイヤモンドを使ったものも考えたが、あまりデザインがかけ離れてしまっては意味が無いし、何より高価になってしまうので、お礼として渡すには重すぎる。


 プラチナがそもそも高価なものだから、それで充分だ。


 そして山形さんの転職先と言うのが、彫金スタジオなのだ。山形さんは彫金師の卵なのである。


 大学を出て一般企業に就職したのだが、やはり宝石が好きで、それに携わる仕事に就きたいと、思い切って転職したのだった。


 なので、山形さんが門又さんに渡したのは山形さんのお手製、それも初めての作品なのだった。


 佳鳴はまだ慌てふためく門又さんを見て、そっと微笑む。これは先々が楽しみかも知れない。こっそりと見守らせてもらおうと思った。

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