第3話 豚汁の思い出

 買い物を終えた星野ほしのさんは、家に帰り着くなりさっそく調理に取り掛かる。まずは買ってきたばかりの計量カップを洗う。


「計量カップはお持ちですか? 無いのでしたら、100円均一のお店にもありますから。当店にもありますけど、少しお高いですから」


 スーパーの店員さんがそうこっそり教えてくれたので、星野さんはスーパーを出てすぐに向かい、調理器具コーナーに置いてあったそれを買った。


 鍋を出す。使いやすいテフロン加工のものだ。それを火に掛けて、サラダ油を垂らす。そこに豚肉を入れるとじゅうと音がして、星野さんは少しびっくりしてしまう。


 もちろんそうなることは知っているのだが、慣れていないので驚いてしまったのだ。


 木べらを使って炒めて行く。肉の色がしっかりと変わったら、軽量カップで量ったおいた水を入れ、冷凍の豚汁の具を入れた。


 この作り方は、スーパーの店員さんが教えてくれた方法だ。豚肉は炒めてから煮ると、あくが出にくいのだと言う。出ないことは無いが、そう気にすることは無いらしい。


 さて、味噌である。星野さんは学校で習った通りに、昆布とかつお節から取るつもりでメモ用紙に書いていたのだが、店員さんがまた教えてくれた。


「今は粉末のお出汁もあるんですよ。お湯に溶かすだけなんです。でもそうですねぇ、お出汁入りのお味噌も、今はいろいろとあるんですよ」


 そう言って店員さんが案内してくれた味噌売り場には、確かに「だし入り」と書いてある味噌がいくつかあった。その中から店員さんが手にしたのは、ボトルに入ったものだった。


「これは液体のお味噌なんです。もちろんお出汁も入っていますよ。溶かなくて良いので、とっても手軽に使えるんですよ。これなら余ってしまっても、例えばお椀に乾燥わかめを入れて湯をそそいで、この液体お味噌を入れたら、わかめのお味噌汁が出来ますよ」


 また出てきた便利なものに、星野さんは「うわぁ」と声を上げる。


「すごいですね。家庭科の授業ではお出汁を取って、野菜を切ってお肉を切って、お味噌を溶いてって習いましたけど、こんな便利なものがあるんですね」


「はい。授業ではお料理の基本を教えてくれるので、こうした便利なものは使わないと思いますよ。もしこれからもお料理をされるのでしたら、冷凍のお野菜などもありますから、売り場で見てみてください。包丁に慣れるまでは便利で手軽に使えると思いますよ」


 星野さんは計量カップで液体味噌を量る。使った水に合った量だ。それを鍋に加えて、再沸騰したら豚汁の完成だ。火を止めておいて、父親が帰って来たら温め直そう。


 そう思っていたら、慌ただしく大きな音を立てて家のドアが開いた。どたどたと足音をさせてキッチンに飛び込んで来たのは父親だった。


「お父さん、お帰り」


「あ、ああ、ただいま。お前、晩ご飯作ってくれるって」


 父親は戸惑っている様だ。買い物から帰って来てすぐ、父親にSNSでメッセージを送っておいたのだ。


 晩ご飯僕が作るから、買い物はしなくて大丈夫だよ。


「お父さんびっくりして、駅から走っちゃったよ」


「はは。もう出来てるよ」


 豚汁は火を消したばかりなのでまだ熱い。温め直す必要は無いだろう。それをお椀に注ぎ、茶碗に炊き立てのご飯を盛る。


 豚汁を作る前に、米を仕掛けておいた。星野家では無洗米を使っている。水の量さえ間違わなければ、あとは炊飯器が美味しく炊いてくれる。


 それに白菜の浅漬けを添えた。これもスーパーの定員さんの案である。


「お米と豚汁だけだと、葉物のお野菜が少ないですねぇ。白菜のお漬物をご一緒にいかがですか?」


 そうして奨めてくれたのは、プラスチック容器に入った、カットされた浅漬けだった。これは漬け汁を適当に切りながら、小鉢に入れるだけである。


 そうして整えた食卓。白米と豚汁、白菜の浅漬け。包丁は使っていない。味付けも液体味噌に頼った。とても質素な献立だ。だがほかほかと湯気を上げ、芳しい香りを漂わせるそれは、とても食欲をそそった。


 それを見た父親は、表情を輝かせた。


「すごいなぁ! 本当に美味しそうだなぁ!」


 父親はにこにこと嬉しそうに言う。星野さんは「そんな、大げさだよ」と照れた。


「さ、冷めないうちに食べよう、お父さん」


「ああ、そうだな」


 父親はスーツを着替えるのも惜しいと言う様に、ネクタイを緩めながらジャケットを脱いでいそいそとダイニングテーブルに掛ける。星野さんもその正面に座った。


「いただきます」


 言いながらさっそく箸とお椀を手にし、ずずっと豚汁をすする。すると父親は泣き笑いの様な表情を浮かべた。


「美味しい、美味しいなぁ。本当に美味しいなぁ……! お父さん、こんな美味しい豚汁食べたの初めてだよ……!」


「だから大げさなんだって」


 星野さんは苦笑して言いながら、嬉しくてたまらなかった。こんなにも父親が喜んでくれるなんて思わなかった。


 どうにか豚汁はちゃんと作ることが出来た。決められた分量と火加減、時間で作ったのだから、失敗する方が難しいのではあるが。


 野菜は冷凍なので、生のものとは食感が違う様に感じられる。だが液体味噌が本当に良い仕事をしてくれていた。豚肉や野菜を見事にまとめ上げてくれている。お出汁のふくよかさもしっかりとあって、我ながら美味しい豚汁に仕上がっていた。


 父親はにこにこと「美味しい美味しい」と言いながら、あっという間に1杯目の豚汁を平らげてしまった。


「なぁ、お代わりあるかな」


「1杯ずつあるよ。お父さん、ご飯とお漬物も食べてよ」


「ああ。ご飯もちゃんと炊けてるな。すごいな!」


「炊飯器のスイッチ入れただけだよ」


 星野さんは父親からお椀を受け取ると、お代わりを入れるために立ち上がる。そうしてお代わりを渡すと、今度はちゃんと米と浅漬けにも箸を付ける。


「今度、お父さんにも作り方を教えてくれよ。いつもはお父さんの方が帰りが早いからな。今度はお父さんが作るよ」


「うん。スーパーの定員さんにいろいろ教えてもらったんだ。だから僕でも作れたんだよ。あのね」


 星野さんが冷凍の豚汁の具や出汁入り液体味噌の話をすると、父親は「へぇ!」と目を白黒させながら、楽しそうに星野さんの話に聞き入った。

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