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  • No.001-優しさへの応援コメント

    問題は、自分が優しくされた時、その人に好き嫌い関係なく感謝出来るか否かである。

    作者からの返信

    私は他人が自分に対して何か行動を起こしてきて、自分の為になったと思ったら感謝しています。

  • No.001-優しさへの応援コメント

    自分の中で、自分が他人から嬉しいと思うような良いことをされたとき、他人に対して都合がいいこと(他人からの評価やお礼などのことです)がある、他人はその自分への都合によって優しさなどの良しあしを決めている⋯⋯そんなことを考えることがあります。

    そのようなこともあり、優しさに対して「なぜそのようなことをするのか」と考えたとき、自分であれ他人であれそのようなことが多々起こります。


    そんな中、そのような「自分への見返り」を気にせずに優しさを与えてくることが、ほんの少しだけあるんですね。

    自分の中では、そのような「都合を気にせずに送る手伝いや気遣い」のことを『優しさ』だと、そのように解釈しています。


    長文すみません。

    作者からの返信

    それを、しっかりと気づけるかが難しいところではありますよね。他人の事を100%理解できるなら本当にそうかを確かめられるけど、100%理解できないところが、他人と関わることの面白さでもあり、危うさでもあると思います。要するに自分が思っている相手の意思と相手の意思が本当の意味で一致しているかどうかを、他人である限り判断できないと思っているので、本当の意味でそれを感じることが出来るのは、2つの意思が1つの意思に統合されない限り訪れないのかなと私は思いました。ですが感じ方は人それぞれなので、あなたの考える優しさも優しさの1つと言ったところですね。長文大歓迎です。

  • No.001-優しさへの応援コメント

    優しさとは、他者の被ったことをあたかも我が身にふりかかったかのように感じる能力かと考えています。

    作者からの返信

    確かに、それも一理ありますね。その場合、優しさは共感性の一部分と考えるのが妥当なのかも。数学の集合のように、被るのが哲学の面白いところ

    編集済