第48話 血の繋がりはないけれど……

(――いつの間に!?)


 咄嗟のことで、優斗は抱えていた少年から手を離してしまった。


 幸い、少年は転ぶことなく体勢を立て直した。

 しかし残り1つとなった優斗のパンを抱え、路地の向こうに走り去ってしまった。


「ああ、パンが……」


 がっくり肩を落とした。

 今すぐ少年を追えば、パンは取り戻せる。


 しかし、突如現われた青年がそれを許してはくれなさそうだった。


「タクムに乱暴しやがって、覚悟が出来てんだろうな!?」

「乱暴? いえ、僕はただ自分のパンを取り戻し――」

「問答無用だ!!」

「――ッ!」


 誤解を解こうとした優斗に、青年が殴りかかってきた。

 その攻撃を、寸前のところで回避する。


(この人……冒険者だ!)


 その動きの機敏さから、優斗は相手が一般市民でないことを理解する。

 青年は、かなり素早かった。


 しかし、目にも留まらぬほどではない。

 優斗は慎重に相手の攻撃を回避しながら、口を開く。


「僕はあの子に、パンを盗られたんです」

「嘘吐いてんじゃねぇよ!」

「嘘じゃないです。パンを持って歩いていたら、急にあの子が僕からパンを奪って……」


 回避しながら、優斗は必死の思いで説明を続けた。

 青年の攻撃は、なかなか苛烈だった。


 この戦闘力は、Eランクではない。

 DかCか、そのあたりだろうと優斗は冷静に分析した。


 ここまで冷静に分析出来ているのは、今朝方にとんでもない化物冒険者と戦ったばかりだからだ。


 クラトスとの戦闘を経験した優斗は、突発的な対人戦にも取り乱すことはなかった。


「ん、なに? それは、マジか?」

「マジです」


 優斗の必死の説明が通じたか。

 青年の手が止まった。


 そこからの青年の行動は、早かった。

 優斗の目の前で、深々と頭を下げる。


「す、すんませんでしたっ! 今すぐ、タクムから取り返しますんで」

「いえ、いいですよ」


 少年が盗ったのは、結局50ガルドパン1つだけだった。

 それくらいなら、なんてことはない。


 パンを抱えて通りを歩いていた、優斗の油断が招いた結果だ。

 勉強代だと思うことにする。


「でも、それじゃあ……」

「その代わり、あなたのことを教えて頂けますか?」

「俺? 俺はダナンってDランクの冒険者だ」

「もしかして、斥候をされてます?」

「あ、ああ。よくわかったな」


 やはり、と優斗は思った。

 ダナンと名乗った青年は、冒険者だった。


 そして、優斗が想像したとおり、斥候職についていた。


 斥候はその名の通り、魔物からの襲撃を警戒するのが主な役割だ。


 ベースダンジョン11階以降からは、罠が出現する。

 その罠を解除するのも、斥候の仕事である。


 優斗がダナンが斥候だと気づいたきっかけは、気配の薄さだ。

 優斗は少年にパンを奪われてから、常時周囲を警戒していた。

 奪い返したパンを、再び奪われかえされてはかなわないからだ。


 その警戒網に、ダナンが引っかからなかった。

 攻撃されるまで、優斗はダナンに気づけなかったのだ。


 これは、多くの斥候が持つ隠密スキルによるものだと優斗は考えた。


 また、ダナンは針を使った攻撃を行った。

 斥候の武器は、ナイフやスリングショットだ。

 近接戦闘はあまり行わず、中距離攻撃を行う。


 ダナンの針は非常に珍しいが、斥候らしい攻撃手段だと言える。


「僕は優斗です。ダナンさんと同じ、冒険者です」

「ランクはCか?」

「えっ、どうしてわかったんですか?」

「そりゃ、俺の攻撃をあんだけ綺麗に躱されたらな」


 ダナンが苦笑を浮かべ、肩を竦めた。


「それで、ダナンさん」

「お、おう」


 優斗が切り出すと、ダナンが僅かに身構えた。

 物を盗った見返りに、とんでもないことを要求されるとでも考えているのだろう。


「物は相談なんですけど――」


          ○


 ユートと別れたあと、ダナンは自分が暮らしている空き家に歩みを進めていた。


 年の離れた弟タクムが、冒険者ユートから物を盗んだと聞いた時は、それはそれは肝の冷える思いがした。


 だが驚くべき事に、ユートはタクムの所業をあっさり許してくれた。

 相手が悪いと、タクムの首を落とすまで止まらない場合だってあったのだ。


 それを考えると、最高の結果だった。

 しかし、その程度で許してくれるなんて、どういうつもりだ? とも感じている。


 窃盗は、言うまでもなく悪事だ。

 それ相応の落とし前は付けさせられても、ダナンは仕方ないと考えていた。

 それがないのが、どうにも腑に落ちない。


「まさか、とんでもないパーティってわけじゃないだろうな……」


 ダナンがユートに相談されたのは、パーティへの加入についてだ。

 ユートはダナンをパーティに誘いたいと申し出た。


 無論、正式なパーティではない。一時的に加入するだけである。

 そこになにか、裏があるのでは? と感じてしまう。


「まあ、それならそれでいいさ……」


 タクムが無事なら、ダナンはどんなことにも耐えられる。


 ダナンはタクムと血のつながりがない。

 スラムの道ばたに放置されていたタクムを、ダナンが拾ったのだ。


 タクムは、まだ目も空かないような赤子だった。


 はじめはこんな赤子を育てられるはずがない。

 ダナンはそう考えていた。

 自分の目の前で死なれるのは嫌だから、どこかに捨ててしまおうとも……。


 しかし、捨てようとしたダナンの指を、タクムがぎゅっと握りしめた。

 指一本握るのにやっとな程、タクムの手は小さかった。


 それほど小さな手なのに、簡単には引き剥がせないほど、力強い。


 この瞬間、ダナンはタクムに、絆されてしまった。


 それ以降、ダナンはタクムのために奔走した。

 お腹を減らせばいろんな店に頭を下げて、赤子用の食事を作って貰った。

 タクムが泣けば、何故泣いているのかが判らず右往左往した。


 タクムが高熱を出した日なんて、ダナンは一睡も出来なかった。


 小さなタクムを育てるために、ダナンは一生懸命お金を稼いだ。

 様々なパーティに加入して、斥候として働いた。


 だが、斥候は荷物持ちの次に報酬が低い。

 Dランクの冒険者とはいえ、自分が暮らしつつ、タクムを満足に育てられるだけのお金を稼ぐのは難しかった。


 それでもダナンは諦めなかった。

 諦めずに、なんとかお金をやりくりしてタクムを育て続けた。


 目に入れても痛くないとは、このことなのだとダナンは感じた。

 しかしダナンはその当時14歳だった。父親になるにはまだまだ早い。


 父親というよりも兄として、ダナンは弟を、貧乏ながらも大切に育んだ。


 タクムが5歳になる頃には、十分な時間を割いてダンジョンに潜れるようになった。

 その分、収入が増えた。

 これでタクムにお腹いっぱい、食べ物を食べさせられる。


 そう思っていた、矢先だった。

 タクムに、病気があることが判明した。


 最初は、風邪だと思っていた。

 タクムは決まって夜になると熱を出すのだ。


 少し寝れば治る。

 そう思っていたが、いつまで経っても治らない。


 熱が出るせいで、タクムの体力が奪われていく。

 日に日に痩せ細っていくタクムを、なけなしのガルドをはたいて、医者に診せた。


『おそらく、魔力病だとは思いますが……治療手段はここにはありません』


 ――魔力病。

 体内の魔力が強すぎる者、あるいは外部からの魔力に影響を受け過ぎる者が発症する、完治の難しい病だ。


 その病名を聞いたとき、ダナンは心臓が止まる思いがした。

 しかし、すぐに気を取り戻して医者に尋ねる。


『先生、タクムはどうやったら治るんだ?』

『……一つだけ、可能性がありますが、完治するかはわかりません』

『教えてくれ、先生! タクムは俺の、大切な弟なんだ!!』


 魔力病に罹患したと判明してから、タクムは5年生きている。

 今年で10歳だ。


 だが、未だに魔力病は完治していない。

 タクムを治すために必要な薬が、なかなか手に入らないのだ。


「百万ガルド……」


 それが、薬の購入に必要な金額だった。

 通常の冒険者ならば、数年励めば稼げる額だ。


 だがダナンはタクムと二人暮らしだったし、なにより報酬の安い斥候職だということもあって、まったくお金が貯まっていなかった。


 ダナンが寝床にしている空き家に戻ると、目を輝かせたタクムが駆け寄ってきた。


「兄貴、お帰り。ねえ、見てよこれ!!」


 そう言って差しだしたのは、悪名高い50ガルドパンだった。

 そのパンを見た瞬間、ダナンの心に鈍い痛みが走った。


(やっぱり、ユートから盗みを働いたのか、タクム……)


 ダナンはどこかで『タクムはそんなことする奴じゃない』と考えていた。

 きっと、自分が他の少年とタクムを見間違えたのだろう。

 ユートからパンを盗んだのは他の少年だったんだ……と。


 けれど、その僅かな希望が脆くも崩れ去ってしまった。


「タクム……。どうして、パンを盗んだんだ」

「ぬ、盗んでないよ。これは……お、落ちてたんだ!」

「嘘を吐くな。オレは、お前が盗んだ奴に捕らえられるところを見てた」

「あ、あれは、兄貴が助けてくれたんだ……」

「なんでパンを盗んだんだよ。オレは毎日腹一杯、タクムに食わせてるだろ」

「それは……」


 タクムが観念するように顔を下げた。

 しかし、次に顔を上げた時、タクムは怒るような表情を浮かべていた。


「だって、兄貴は全然食べてないじゃんか! オイラ、知ってるんだ。オイラがパンを沢山食べてるのに、兄貴、全然なんにも食べてないって!!」

「い、いや、それは……別の所で食べてきてるからで……」

「兄貴はオイラに、嘘を吐くなって言った。だから兄貴も、嘘を吐くなよ!」

「…………」


 立場が逆転しまった。

 問い詰める側だったダナンは、いまやタクムに追い詰められる側に回っている。


「兄貴、お金がないんだろ? 毎日オイラに腹いっぱい食べさせてくれてるから……」

「それは違う」

「じゃあなんで食べないんだよ!? このままじゃ、兄貴が……」


 そこまで口にしたタクムの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。

 何故泣いているのかわからないダナンは、タクムの涙におろおろとする。


「兄貴が……お腹すかせて死んじゃう……うわぁぁぁあああん!!」

「いや、死なないから……、それくらいじゃ死なないから、大丈夫だから」


 ダナンは必死にタクムを慰める。


 タクムが何故盗みを働いたか?

 その原因を、ダナンは理解した。


 タクムはお腹をすかせたダナンに、お腹いっぱい食べ物を食べさせたかったのだ。

 その強い思いがひしひしと伝わり、ダナンの目に涙が浮かぶ。


 ダナンはふとタクムの異変に気がついた。

 体温が高い。


(しまった……。興奮して熱が上がったか!!)


 タクムの鳴き声がみるみる小さくなっていく。

 ダナンは慌ててタクムを抱え、ベッドに向かった。


 タクムは抵抗するが、その力は酷く弱かった。

 目もうつろで、焦点が合っていない。


「タクム。俺のことを考えてくれて、ありがとな。兄ちゃん、すごく嬉しかったよ。でも、本当に大丈夫だから。こう見えて、兄ちゃんは強いんだぜ?」

「ほんと……?」

「ああ、もちろんだ。喉が渇いたろ? さあ、これを飲め」


 ダナンがタクムの口元に、回復薬を添えた。

 瓶を傾けると、タクムは素直に回復薬を口に含み、コクコクと喉を鳴らした。


 回復薬を飲み終えたタクムは、まるで糸が切れるように眠りに就いた。


「……いつもより、発熱が早くなってる」


 タクムの寝顔を見ながら、ダナンは奥歯を噛みしめた。


 タクムが魔力病による発熱を起こすのは、決まって陽が落ちてからだ。


 熱があがると、ダナンはタクムに回復薬を飲ませる。

 1本千ガルドの薬だ。


 これで、魔力病による体へのダメージを軽減させる。


 しかし、軽減するだけだ。

 根本的な治癒には至らない。


 ダナンがお金を稼いでもほとんど手元に残らない理由は、毎日回復薬を購入しているためだった。


 タクムを治療するために、なんとしてでもお金は貯めなければいけない。

 だが、回復薬を購入しなければ、タクムはすぐに衰弱死してしまう。


 悩んだ末にダナンが出した結論が、自分の食費を削ることだった。

 だが、それもつい先ほどタクムに見抜かれてしまった。


 もうこれ以上、タクムの前で節制するのは難しい。


(あれだけ心配されたとあっちゃ、食わないわけにはいかないからな……)


 ダナンはタクムの頬に残る涙の後を、親指で拭った。


 タクムの部屋を出たダナンは、ユートとのやりとりを思い出していた。


 ユートは言った。

 自分のパーティに入れば、報酬は頭割りにすると。

 それが本当かどうかは、パーティに入って確かめるしかない。


 だがもし本当の話ならば――。


「お金が、貯まるかもしれねぇ……」


 タクムに残された時間は少ない。

 ユートからの誘いは、ダナンに回ってきた最後のチャンスだった。


 このチャンスを、なんとしてでもものにしたかった。

 絶対に100万ガルドを貯める。


 兄貴のことを考えて涙する――こんなにも可愛い弟の人生を、こんなところで、決して終わらせるわけにはいかない。


「待ってろタクム。兄ちゃん、絶対にお前のことを救ってやるからな!」

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