第47話 パン泥棒

 壁でぶよぶよと、黒っぽい謎の物体が蠢いていた。

 優斗は恐る恐る、その物体に近づいていく。


 すると優斗は、謎の物体の正体に気がついた。


「あっ、スライムだ」


 その物体は、黒い色が付いたスライムだった。

 しかし、スライムは通常透明である。


「黒いスライムって、珍しいです」

「そうだね。色の付いたスライムとなると、有名なのはダンジョンの深い場所で出てくるカオススライムとかがいるけど……」


 優斗は僅かに身構える。

 カオススライムは、Bランクの魔物である。


 現在の優斗らが戦えば、決してただでは済まない。

 しかし目の前のスライムからは、Bランクの魔物という雰囲気は感じない。


 試しに優斗は、ピノをバッグから取り出した。

 突然光を浴びたからか、ピノが慌てたように透明な体をぷにぷにと動かした。


(……かわいい)


 ピノの様子にほっこりしながら、優斗は両者を見比べる。

 ピノと黒いスライムの違いは、色だけだ。


 色以外、特別な違いは見当たらない。


「うーん?」


 優斗はピノを肩に乗せて、試しにスライムを軽く指でなぞった。

 スライムをなぞっても、指に色がつくことはなかった。


 体の表面に色が付いているわけではなさそうだ。


 優斗はスライムに触れた指を鼻に近づけた。


「――くさっ!」


 指から、強烈なヘドロの臭いがした。

 間違いない、水源を汚染していた原因は、このスライムだ。


「エリス、これと同じ黒いスライムを探して」

「わかった、です!」


 そこから優斗らは迅速に、黒いスライムを探し回った。

 水源には、全部で20の黒いスライムが生息していた。


「こんなに居たか……」

「これは、すごいです」


 集めたスライムを前にして、優斗は眉根を寄せた。

 スライムは水を浄化する。なので、水場に生息していても、本来は無害なはずだ。


 何故このように変質してしまったのかが、わからない。

 食料はコケと水くらいなので、スライムが変質する要素はない。

 少なくとも、優斗はスライムが変質しそうななにかを見つけられなかった。


「ユートさん、これはどうする、です?」

「ひとまず、袋詰めにして運び出そう」


 優斗はこの場で処分しようかと考えたが、スライムには魔術しか通用しない。


 物理的な攻撃はほとんどダメージが与えられないし、もし攻撃して汚染源たるスライムの体が水源に入ってしまえば目も当てられない。


 かといって優斗が修得している魔術はライトニングのみだ。

 下手をすれば、水源が破壊されかねない。

 この場で処理するのは不可能だ。


 なので優斗は、スライムを麻袋に詰めていく。

 後ほどこれをダンジョンで、一気に処分してしまう予定だ。


 スライムを回収し終えた優斗らは水源を出て、一路パン屋へと向かった。


「ああ、ありがとうねぇ! これで、パン屋を続けられるよ」


 原因の報告を行うと、パン屋の女将さんが目に涙を浮かべて喜んだ。


「水が美味しくなくなったら、もうパン屋を廃業するしかなくなっちゃうからね……。そうならなくて、本当に良かったよ」

「僕もこのパン屋が大好きなので、依頼が上手くいって良かったです」


 女将さんの言葉に優斗は安堵の息を吐いた。

 このお店がなくなったら、優斗はなにを食べて暮らせば良いのか頭を抱えていたところだった。


 報酬の1000ガルドと、パン100個を貰った。

 優斗は両手にパンを抱え、鼻歌を歌いながら店を出た。


「これで食費50日分が浮いた! ……って、そうだ。エリスと分配しないと!!」


 分配は大切だ。

 これをおざなりにしてしまえば、パーティが瓦解してしまう。


 はっとして優斗は口を開く。


「今回も、半分こしようか」

「い、いえ。わたしはパンは、いらない、です……」

「えっ、そう? でも、二人で分けても25日分の食事代が浮くんだよ?」

「いい、です」


 エリスが首を振る。

 そこまで言うなら、仕方がない。

 優斗はパンをすべてもらい受けることにして、その代わりエリスに千ガルドを渡した。


 一旦ギルドに赴いて、依頼完了の報告を行う。

 その後、優斗は袋詰めにした黒いスライムに、ダンジョン内でライトニングを放って処分した。


 スライムはなんの抵抗もなく、魔術を浴びて溶けて消えた。


「やっぱり、色が違うだけで普通のスライムだったか……」


 すべての作業が完了した後。優斗はエリスと別れ、ぼろアパートに向かう。


「~~♪」


 両手にパンを抱えた優斗の足取りは軽い。

 それもそうだ。

 100食分の食費が浮いたのだから。


 優斗が鼻歌を歌いながら道を歩いていた、その時だった。


 ――ドン!


 優斗の体に、なにかが当たった。


「ん?」


 衝撃に気づいた優斗が視線を下ろした。

 そこには、エリスよりも幼いだろう少年がいた。


 少年は優斗にぶつかったまま、素早く路地裏へと駆けていった。

 その姿を首を傾げて見送った優斗は、自らが手にしていたパンが減少していることに気がついた。


「――しまった。パンが盗られた!!」


 気づいた優斗は、すぐさま追いかける。

 優斗が暮らしているマンションのある区域は、食うに困った者も暮らしている。


 スリや強盗は日常茶飯事である。

(そんな区域にあるからこそ、優斗のアパートはとても家賃が低いのだが)


 そのような場所を、沢山の食料を抱えて無警戒に歩いていたため、優斗は狙われてしまったのだ。


(くっ、パンはインベントリに入れておけばよかった!)


 迂闊だった。

 犯人を追いかけながら、優斗はパンをインベントリに収納する。

 即座に気配察知を意識して、犯人の気配を探す。


 ――いた!


 レベルアップした身体能力にものをいわせ、優斗は全速力で犯人を追いかける。


 角を3度曲がった頃、優斗は犯人を間合いに捕らえた。

 地面を蹴り、手を伸ばす。


「捕まえた!」

「わっ!」


 肩を押さえると、犯人の少年が転びそうになった。

 そこをすかさず抱きかかえる。


 優斗に気づいた少年が、じたばた手足を動かすが、もう襲い。

 優斗は逃がすつもりなんて毛頭無かった。


「僕から盗ったパンを返して」

「い、いやだ。これはオイラのだ!」

「はいはい」


 嫌がる相手から、無理矢理パンを奪い返す。


 他人からものを盗ってはいけない、なんて口にする気は、優斗にはさらさらない。

 こうでもしなければ生きられない人が、クロノスには沢山いるのだ。


 そのような者に『他人からものを盗るな』と言うことは、相手に『飢え死にしろ』と言うのと同義である。

 そんな無責任な発言が出来る優斗ではない。


 優斗も、かつては少年側の人間だった。

 無論、盗みを働いた経験は一度もないが……。


 10年前のことだ。

 口減らしのために孤児院を出てから、優斗は毎日食べ物に困っていた。

 優斗は水を飲んで何日も飢えを凌いだこともあった。


 毎日が必死だった。

 毎日『もう二度と眼が覚めないかもしれない』と、死を覚悟して眠った。


 そういう経験がある優斗は、少年を叱る気にはなれない。

 盗まれた物が、ちゃんと戻ってくればそれで良かった。


「や、やめろよ!」

「はいはい。これが最後の一個だね」


 優斗が少年からパンをすべて取り返そうとした、その時だった。


「テメェ、タクムから離れやがれ!!」


 優斗は殺気を感じて、その場から即座に離脱した。

 次の瞬間。

 優斗が立っていた空間を、細長い針が通過した。

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