コンフィギュレーション

「ゆきー早く先に行っちゃうよー」


「待って、おいていかないで」


「もー真夢、先に行っちゃったよ」


「今行くから待ってぇ」


 雪希は「百合の花のような」と言う比喩が似合う美しいだった。

人見知りで他人の前では寡黙なだったが友達の前ではよく笑い冗談も言うごく普通の女子高生だった。

控え目だが苛められるタイプでは無かったので学校では平穏な日常を送っていた。

尤も雪希の事を多少なりとも知っていれば雪希を虐めようとは絶対に思わないだろう、男女にかかわらず雪希を虐めの対象にした相手は、己の愚かさを思い知らされ雪希にかかわった事を嫌と言うほど後悔するだろう。

 幼い頃から父親に半強制的に始めさせられた格闘技であったが、最初は言われるがままに通っていた道場も、長じるにつれその実戦的な流儀に魅せられ今は自ら進んで通う様に成っていた。

 流派は何処の系統と言う物ではなく、コマンドサンボを軸に、空手、合気道、古武術まで師範が世界中で体得した格闘技を護身の為に再編成した物だった、護身と言っても女性向けのエクササイズの様な型だけの物ではなく、実戦的な技を主体にしていた。

 教義も武道的な精神に重きを措き、試合の勝敗を目的として居ない事が性分にも合った。

 元々勉強も含め他人と競争する様な事は嫌いだった、甘いと言われればそれまでだが、何故、人を蹴落としてまで自分が上に行かなければならないのか意味が分からなかった。

 別に自分の能力をひけらかす必要はないし、競う様な事はしなくとも己の能力を高めるのは難しくないと考えていた。

 だから競技よりも精神的な強さと護身の為の技を養う事を目的としたその流儀が気に入た。

 競い合う事は嫌いでも強くなりたいとは思う、しかし其れは他人より強くなりたいと言う事ではなく、己が愛している者に危険が及んだときに守る事が出来る力が欲しいと思っているだけの事だ。

 競技を目的にしていなくても稽古自体は厳しく、急所攻撃や相手の関節を決め腕を折るような護身の技もふんだんに組み入れられていたし、基礎体力を養う類の鍛錬も多かった。

 メンタルで秀でた雪希は運動能力もずば抜けており、同世代の男の子は言うに及ばず年上の子や大人でさえも雪希のスピードに付いて行く事は難しかった。

 いざ自由組手と成ると雪希は攻撃に対して躊躇する事が無かった、時には手加減せずに相手の腕を折ってしまう事もあった。

 道場の仲間は約束組手ですら雪希の相手に成る事を敬遠した、必然的に相手は師範代クラスになり雪希の技には更に磨きが掛かり、他の道場生との実力差はいっそう開いた。

 今では雪希と真面に戦えるのは師範代の一部と師範本人だけに成ってしまった。

 そんな強靭さと美しさを兼ね備えた雪希を道場の仲間たちは「夜叉姫」と呼び崇拝に近い感情を持って接していた。

 師範に至っては「将来は息子の嫁に成って道場を継いでくれないか」とまで言い出す始末だった。

 息子に将来を約束した相手が居る事を知り諦めはしたのだが、一時は本気で考えていた節がある。

 雪希が格闘技に精通して居る事を知った者は、雪希の佇まいを格闘技の習得過程で身に付けたものだと誤解するかもしれない、しかし実際には幼い頃の精神的外傷トラウマがその性格と立ち居振る舞いに影響を与えており、寧ろ格闘技は子供の頃に有った他人と係る事の恐怖心を打ち消す事に役立っていた。

 雪希自身は意識して居無いが、その複雑に形成された精神は人が気安く触れる事を優しくだが凛として拒絶していた、雪希に興味を持ち近づいた者はその優しげな微笑みの裏に底知れぬ闇を感じ大概は離れて行った、唯一留まったのが紗枝と真夢の二人だけだった。

 雪希とは正反対の社交的な性格の紗枝だったが何故か幼い頃から気が合っていた、紗枝も物静かだが芯の強い雪希の事が好きだった。

 元々は雪希の両親が学生の頃に始めた仕事をサークルで知り合った紗枝の父親が手伝った事がきっかけで、プライベートでも交流する様になり、雪希たちが生まれてからは家族ぐるみの付き合いに成った。

 友達以上の関係を築いていた二人だったが、雪希の父親が失踪した後は少しずつ疎遠になってしまった。

 中学も別々に成ってしまい、同じ高校に進学が決まり以前の様な関係に戻るまで暫くの間は殆ど連絡も取らずにいた。

 高校ではクラスが違うことも有るが他の女子の様に休み時間にお互いのクラスを行き来する様な事はしなかった、屋上に増築された倉庫に見つけた三、四人が座れる程度の隙間に昼食時間に集まる事が学校内での接点だった、そんなせいもあり紗枝たちの仲を詳しく知る者は少なかった。

 逆に学校以外では暇が有れば一緒に過ごした、紗枝、雪希、真夢達にとってお互いは肉親以上の存在だった。

 普段は紗枝か真夢の家に集まる事が多く雪希の家を訪問する事は極稀であった。

 母親との関係が微妙な雪希は二人の何方かの家で過ごす事が多く、月の3分の1は紗枝の家に居た、雪希の母親は娘の行動に口を出す事は殆ど無かったし紗枝達の家ならば大概は外泊を許していた、時には連泊する事もあり紗枝の家から登校する日も珍しくは無かった。

 紗枝の母親も自分の娘の外泊には口煩かったが、友達が泊まりに来ることは寧ろ歓迎している様子だった。

雪希の母とは昔からの知り合いと言う事もあり、どちらかと言えばそれを口実に長電話に興じる事の方が嬉しかった様だ。


 そんな雪希に変化が見え始めたのは、あのゲームをインストールしてからだ。

 スマートフォンは雪希も紗枝と同時期に持たされていた。

 非常時の連絡用と所在確認の為と言うのが理由だったと思う、当時は二人ともそんな事の意味は理解していなかったが、紗枝は親の愛情を感じたのかスマートフォンを持っていると何故だか安心できた事を覚えている。

 当時はまだスマートフォンの普及率も低く、持っていない子はインストール出来る豊富な無料ゲームと手軽さを羨ましがったが、雪希はゲームには殆ど興味を示さなかった。

 其れから数年が経ちスマートフォンは既に電話と言うより携帯型電話機付コンピューターと言っても良い程に進化していた、OSも携帯用では無くコンピュータ用そのものだ、現にGworker社のOSはコンピュータ用のOSをモディファイした物を搭載していた。

 アプリも更に豊富になり無料でダウンロード出来るものでも高機能な物も有り、電話やゲーム以外でもビジネス端末と使い道は多岐にわたった。

 雪希が初めてインストールしたのは、無料の恋人育成ゲームだった。  

 紗枝にはその事が信じられなかった。

 ゲーム自体で遊ぶ事も少ないのに、恋人育成ゲームなんて普段の雪希から想像も付かない。

 自分の恋人を子供から育てる、悪趣味なゲームだ。

 聡明な雪希が興味を持つ筈が無い。


 その日も何時もの火曜日の常でスタバに寄り道をしていた。

 火曜日は真夢も含め三人とも時間が空いているので何時も学校帰りにスタバで飽きるまで話してから帰るのを日課にしていた。

 今日は真夢が母親と買い物に行くからと先に帰って行ったので二人で寄る事にした。 

「紗枝ちゃんスマートフォン見せて」

 紗枝のスマートフォンはつい最近機種変更をしたばかりの最新型だった。

「良いよ、はい」

「やっぱり新しいのは良いね、私のは型も古いしもう傷だらけだよ私も機種変しようかな」

「珍しいじゃない雪希が新しいもの欲しがるなんて、そんな物興味ないと思ってた」

「うん、今のはインカメラが付いてないから」

「インカメラなんて何で必要なの」

「此の待ち受けやっぱり可愛いね」

 雪希は紗枝の質問を遮るように話題を変えた、紗枝もそれ以上は聞かなかった。

「えっ」

 アプリは紗枝がスマートフォンを持ち始めた頃に初めてインストールした物だった、何度か機種変更もしたが其の都度再インストールをしていた、

 犬が画面の中を行ったり来たりしながら色々な物を拾ってきては置いて行く、画面をダブルタップすると、飛んでいったボールを拾ってくる、ゲット犬(ワン)とか言うふざけた名前のアプリだ。

 特に気に入っていた訳ではないが容量も小さく邪魔になるほどではなかったしインストールしていないと何となく落ち着かなかったので今迄続けていた。

 ただ最近になって犬が話しかけて来るような気がして、少し気味が悪く成ったので先日雪希に見せた後でアンインストールしたはずだった。

 母親にその事を言っても「何も聞こえないじゃない、気のせいよ」と相手にしてくれなかった。

 注意をして聞いてみると確かに何も聞こえない、しかし気を抜いていると空耳のように聞こえて来る。  

「あれ、これ消したはず、でもこのアプリなんか変なんだ」

「何で、何処が」

「何か話し声が聞こえる様な気がするの、一寸気味が悪いから消したつもりだったんだけど」

「なんで、可愛いと思うよ。私もこれ入れよ」

 暫く紗枝のスマホの画面を見つめていた雪希が呟いた。

「ねぇ、私も聞こえるかも」

「やっぱり聞こえるでしょ、何て言ったか分かる」

「分からなかった、でも今何か聞こえた、何だか聞き覚えのある声」

「ね、気味悪いでしょインストールするの止めておいた方が良いよ」

「うん、でも何だか凄く気に成るの何処で聞いた声だろう、少し頭が痛くなってきた」

 紗枝にスマホを返すと雪希はそのまま黙り込んでしまった。

「雪希、大丈夫」 

「うん、ゴメン今日は帰るね」

「大丈夫、家まで送るよ」

「うん大丈夫だから、折角の火曜日なんだから、真夢は買い物が終われば暇な筈だから電話してみたら」

「良いよ火曜日はまた来るし、送っていくよ」

「良いの、紗枝ちゃんはゆっくりして行って、子供じゃないし一人で帰れるから」

 雪希が嫌がる時はちゃんとした理由が有る事を紗枝は分かっていた、雪希は頑固ではなかったから何時もは雪希の方が折れていたし主導権は大概紗枝に有った。

 只し、雪希が駄目と決めれば絶対に駄目だった其れは最後通告だ、だから何時も必要以上には押し付ける事はなかった。

 踏み込まず、裏切らず、決して見捨てないそれが三人の不文律だった。

「分かった、でも途中で何か有ったら直ぐに電話してね、約束だよ」

「うん有難う、今日はゴメンね」

 そう言うと雪希は帰ってしまった。

「真夢に電話しようかな、如何しよう」

 一人に成ってしまった紗枝は今から真夢を呼ぼうか迷っていた。

 真夢は雪希の中学校からの同級生で今では紗枝とも親密な関係を築いていた。

 少しだけ考えてから真夢に電話をかけた。

「真夢いま何処、まだスタバに居るんだけど良かったら来ない」

「如何したのゆきちゃんと一緒じゃないの」

「うん、さっきまで一緒だったんだけど、具合が悪いって先に帰っちゃったの」

「いまお母さんと買い物の途中だから、後一時間位掛かるけど待てる?」

「一時間かぁ、分かった体空いたらもう一度電話ちょうだい」

「分かった、良いよ」

 ちょうど一時間して真夢から電話があった、殆どの事がいい加減で適当な真夢だったが紗枝と雪希との約束だけは絶対に破らなかった、多分普通の人とは物事のプラオリティが異なっているのだと思う。

「サァちゃん、まだスタバにいるの」

「うん、居るよ」

「今お母さんと帰る処だから後二十分くらい待って」

「うん分かった、待ってるね」

 電話を切って二十分後、真夢の姿がスタバの入り口に現れた。

「真夢、こっちだよ」

 走って来たらしく額に薄らと汗をかき、息も弾ませていた。

 こんな時の真夢は本当に可愛かった、女の紗枝ですら少しドキドキした。

「m(__)m待った」

 真夢が謝る時の癖で携帯の絵文字の真似をした、但しこの真似をする時は悪いと思って居ない。

「時間丁度だよ、何時も言っているでしょ少しくらい遅れても良いからって、無理して走って転んで怪我でもしたらどおするの」

 紗枝はからかう様に言った、実際あの走り方で転ばずに走れる事は奇跡に近い。

「何よ人を年寄みたいに言って、そりゃサァちゃんに比べたら鈍いし、走るのだって遅いけど」

「いや、私に比べてじゃ無いから、世間一般的にだからね、其れにね自分で思っているほど遅くはないよ、走り方が変なんだよ」

 不思議と真夢の足は遅くなかった、あの走り方であれだけ早く走れるのだから真面な走り方をしたら紗枝や雪希よりも早く成るかもしれないと二人で走り方を教えたのだが全く変わることは無かった、1ヶ月ほど教えたが無理だと言う結論に至り止める事にした。

 真夢の運動神経は切れている上に頑固だった。

「もう良いでしょ私の運動神経はハワイでバカンスしてるのよ、それよりゆきちゃんは一人で帰して大丈夫だったの具合が悪かったんじゃないの」

 具合が悪いと言っていた雪希を一人で帰した紗枝に腹を立てていた真夢は少しだけ咎める様に言った。

「うんゴメン、でも一人が良かったみたい、送るって言ったんだけど・・・・・」

 口ごもった紗枝を見て真夢は全てを理解した。 

「ゴメンね、サァちゃんを責めてる訳じゃないのよ、雪希が駄目って言ったのね、きっと何か一人に成りたい理由があったのよ」

 真夢も雪希の性格は十分理解している、多分自分が側にいても雪希の事を一人で帰すことに成ったで有ろう事は分かっている。

 真夢は話題を自分の事に変えた。

「そうだサァちゃんに聞きたい事があったんだ」

 そう言うとプログラミングのハンドブックを鞄から出してきた。

「あのね此処なんだけど、どうもポインタの所が良く分からないの」

 最近はスッカリ紗枝に感化され自分もハッカーになるとプログラミングを勉強し始めた所だった。

「真夢はPHPとかjavascriptは出来たんだっけ、そうねあの手のスクリプト系の言語ではポインタと言う言葉を使わないからね」

「まったく何よポインタって犬じゃあるまいし私は猫派なの、誰がこんなの考えたのよ、理解できない自分が馬鹿に思えてきたわ」

 そう言っても真夢の頭は悪くない全国模試でもトップを取るほどだ、それも授業以外で勉強をしている所を見たことが無い、正に天才と言う言葉がぴったりだった、学校の勉強だけで言ったら紗枝も雪希も真夢には勝てる気がしなかった。ただしIQは三人ともに飛びぬけて高く、恐らく三人をあわせれば楽に500は越えているだろう。

「真夢が馬鹿だったら私たちは如何したら良いのよ、まだ始めてから1週間も経っていないじゃない、落ち込まなくても大丈夫よみんな大概はポインタの理解で躓くから、中には数年立っても間違えて理解している人だって居るんだから、でもね此れからハッカーとしての腕を磨くならC言語やC++を覚える事は絶対に必要よ、其れにはポインタの概念を理解する事は避けられ無いわよ」 

「わかったわ、絶対に理解してやるんだから覚悟しなさい馬鹿犬め」

「そんなに意気込まなくたって真夢なら直ぐに理解できるわよ、今度神木さんに教えてくれる様に頼んであげる、その方が私から教わるよりも真夢もやる気が出るでしょ」

「えっぇー神木様にお願いして頂けるのですか、サァ様有難うございます、絶対ですよ忘れたら許しません事よ」

「分かったわよ大げさね、真理ネェを通せば絶対に大丈夫だから」

「ぐぅっ、真理子様ですか其れは痛し痒しですね」

「そっか真理ネェは真夢の天敵だもんね、と言うより恋敵かな」

「ふっっ真理子様など恐るるに足らぬわ」

 行き成り立ち上がると周りの目など気にせず吼えるように言う。

「此のわらわの若さと美貌で必ずや神木様の心を射止めてくりゃる」

「なによそれ、アンタいったい何処の人よ、良いから分かったから座って恥ずかしいでしょ、それに勇ましい事言ってる割には涙目なんだけど」

 真夢は腰かけるとため息を付きながら呟く「私、可愛いと思うんだけどなぁ」

「ねぇ神木様は真理子様の事好きなのかな」

「うーん其処は微妙ね、本人は認めないけど真理ネェは間違いなく好きだとは思うけどね、でもあの二人の事は良く分からないわ、二人とも十分すぎるほど屈折してるから」

 そう言う紗枝も違う意味で十分屈折している。

 二人にしてみれば「お前に言われたくないし」と返すだろう。

「じゃあまだ付き合っているって訳じゃないのね、付け入る隙は十分に有りかぁ」

「ネェ頼んであげるけどちゃんと教わってよ変な方向にずれないでよ、真理ネェに怒られるからね」

「ババァやきもちやくからな」

「あー言ってやろう、真理ネェにボコボコにされるよ、知らないんだ」

「サァ様嘘です今のは無しでございますぅ真理子様には何卒ご内密に、おねげぇしますだお代官さまぁ」

「ほんとアンタ何処の人よ、分かった言わないよ、その代わりストロベリーチーズケーキフラペチーノおごって」

「かしこまりで御座います、只今お持ちいたします」

「チョコレートチップ付きでね」

「ははー何なりと」




 数日後、帰りの電車で一緒になった雪希は新型のスマートフォンを手にしていた。

「小母さん良いって言ったんだ」

「うちのお母さんは私が言えばなんでも聞いてくれるから」

「良いなぁ、優しいお母さんで羨ましいな」

「そんなんじゃないよ、お母さんは私の事に無関心なだけ、欲しい物さえ与えておけば大人しくしてると思っているの、お母さんは仕事の事以外如何だっていいの」

「そんな事言うもんじゃないよ、お母さんだって女手ひとつで大変なんだよ、普通の母子家庭だったら雪希みたいに贅沢できないよ」

「私は贅沢なんてしたくないし何も欲しくない」

 雪希と母親の仲はあまり上手く行ってなかった、直接ぶつかる事はなかったがどちらかと言うと母親が雪希のことを避けているように感じられた。雪希自身は母親の事が好きだし、働く母親を尊敬していた。ただ十代特有の屈折した精神がその気持ちを素直に表現する事を阻んでいた。

「犬の壁紙インストールしたの?」

「ううん、しなかった」

 トリガーの機能しか持たない壁紙アプリの役目は既に終わっていた、目的のアプリを起動するために十数年間を気付かれずに紗枝のスマホに潜伏し雪希のスマホでアプリを起動させた今はもう必要は無かった。

「でもね面白いゲーム見つけたよ、クリアーすると理想の彼氏が出来るんだって」

 ゲームは最初に赤ん坊が登場しておねだりをしてくる、要求に答えてやると少しずつ成長する、赤ん坊の満足度によって容姿や性格が違ってくる、最高の満足を与えれば最高の理想の彼氏が出来る概ねそんな感じだ。  

「何それ、そんなのに興味有ったの意外なんだけど、で、やって見たの、まだ彼氏は出来て無いみたいだけど」

 何時もなら紗枝は雪希のやる事に腹など立てたりはしない。でも其の時は何故だかイラついた。

「ううんまだインストールしただけ、始めるのに恋敵の登録が必要なんだって」

 自分以外にゲームをインストールしたスマートフォンの登録が必要らしい。

「私は嫌よ、彼氏なんか要らないから」

 本音だった、潔癖症気味な紗枝は男嫌いで通っていたし、事実あの間抜けな生き物は大嫌いだった。  

「ほんとの彼氏が出来るわけじゃないもの、2次元での話よゲームのキャラクター」

「そんなの分かってる、ゲームだか何だか知らないけど、そう言うの嫌いだから、くだらない」

「分かってるって紗枝ちゃんがそう言うの嫌いだって、昨日真夢にメールしたから多分登録してくれると思う」

 真夢なら多分付き合うだろう、お人好しだし何より其の手のゲームが大好物だ。

「今から真夢の所に行くけど紗枝ちゃんも行く?」

 今日は両親と三人で外で夕食を取る約束をしていた日だった、断れない訳ではなかったが普段忙しい父と三人で一緒に居られる少ない時間だった。

「ごめん今日はお父さんの研究室に行かないといけないの、土曜だし午前中で授業が終わるから、昨日約束しちゃったの」  

 食事くらいで雪希の誘いを断ったのを知られたくなかったので、理由を微妙に濁した。

「紗枝ちゃんが唯一好きな男性だもんね」

「変な事言わないでよ、バカ」

「でも紗枝ちゃんは凄いよね、お父さんの手伝いでプログラムとか作っちゃうんでしょ」

 父親の文雄は紗枝が幼かった頃は家で仕事をする事が多かった。

 そんな父親の膝の上で過す事が好きだった紗枝は自然とプログラム言語を覚えてしまった、紗枝のプログラミングに対する学習能力の高さは文雄を驚かせた。

 一見プログラミングと言うと理数系の能力だけを考えがちだが其れだけではなかった、文系の能力も必要だったし想像力や発想力も必要だ、紗枝はその全てを兼ね備えていた特に驚くべきは其のIQの高さだった。

 紗枝の才能を見込んでいた文雄は今の地位に就いたときに自分の仕事を手伝わせてみる事にした。

 本格的に学習を開始した紗枝はあっと言う間に一流の開発者(ハッカー)に育ってしまった、其の能力は文雄を凌ぐほどだったが、ある意味で紗枝は父親の期待を裏切ってしまった、当初文雄はセキュリティーチェックの為に紗枝にハッキングをさせ、開発したソフトをよりセキュリティ性の高いものに仕上げようと考えていた、しかし紗枝は優秀すぎた、どんなセキュリティでも悉く破ってしまいその穴埋めの為に開発者の多くの手が割かれる事に成り本来の開発が進まなくなってしまった。

 紗枝が優秀すぎたがために開発が頓挫してしまうという思ってもいなかった事態に陥ってしまった文雄は本部に掛け合い雪希を開発の中心に置くことにより頓挫した開発を軌道に乗せた。


「大した事無いよ、雪希もお母さんの会社がソフト開発会社なんだから覚えてみれば良いじゃない、将来役に立つでしょ」

「私は無理だよバカだし、完全文系だから、それに会社は関係ないから」

 実際には雪希も可也の知識を持っていた、本当は母親の事を尊敬している雪希にとって母親の仕事は一番の興味の対象だった。

 只、彼女は少しだけ屈折していた。

「そんなこと無いでしょ、私より成績だって全然良いじゃない」

「駄目々」

「性に合わないって事ね」

「紗枝ちゃんは好きなの?」

「うん、プログラムのロジックを考えたりハッキングの方法を考えているときはワクワクする」

「えー、紗枝ちゃんハッカーなの、ハッキングなんてしちゃうの、怖くない?警察に捕まったりしないの?」

 正確に言えばハッカーやハッキングと言うのは高度な技術を持った技術者やその技術をさす言葉であり善悪の要素を持っているわけではない、ごく一部の技術者の中に反社会的な行為を行う者が存在していた為に誤解を生み一般の人には悪い印象を与える言葉になってしまった。

 善悪の区別をするので有ればホワイトハットとブラックハットと言い換えた言葉が有る。

「ハッキングって言っても悪い事だけじゃないのよ、それにシュミレーションだけだから大丈夫よ」

「でも何でそんな事するの?」

「セキュリティーソフトの開発の為らしいよ、私は頼まれた事するだけだから詳しくは知らないの、企業秘密なんだって」

 実際には一般企業ではなく実体は国家機関でありその活動内容は全て国家機密であった。

 紗枝も会社の事はネットワークのセキュリティ関係の会社とだけ教えられており仕事の内容についても一部しか知らされてはいなかった。

 防衛省サイバーテロ対策研究準備室、其れが表向きの正式な名称だ。

この組織自体も秘匿性が高かったが本当の闇はその上の組織に有った。


陸上幕僚監部運用支援情報部別班電子戦略別働部隊


此方が本体であり研究準備室は隠れ蓑に過ぎなかった、最悪活動が一般に知れる様な事が有ったとしても全て研究準備室が実行した事に成る要は捨て駒の役目も担っていた。

 紗枝の父は其処の室長だった、表立って設立されたサイバー空間防衛隊が、ネットワークの監視及びサイバー攻撃に関する情報収集・調査研究に主眼を置いているのに対し此方はサイバー戦略から攻撃用ウィルスや駆除ソフトの開発を行い、時には某国に対して演習と称して実際にサイバー攻撃を仕掛けると言った事も行っている実戦の戦闘部隊だった。

 表に出る事は無いがサイバー空間において某国との戦いは既に始まっていた。

 以上のような性格上なるべく目立たない様に部署名も研究準備室としては要るが研究員は全て民間から雇用された名立たるハッカーの集団であり現在の日本においては最強のサイバー戦闘部隊であった。

 裏で彼らはこう呼ばれていたGC「電脳の門番(Gatekeeper of Cyber)」

「じゃまたね」 

「ねぇ、雪希」

「何」

「あのさ、・・・・・」頭の中で何かが紗枝の言葉を遮った。

 ソレは既にあの時から紗枝の思考に影響を与えていた。

 電車のドアが閉まる。

 自分の都合で断ったくせに何故だか妙に気になった、たかがゲームなのに本当は付いて行って止めさせたかった。

 なんでゲーム程度の事でこんな気持ちに成るのだろう、雪希があんな低俗なゲームに興味を持ったせいなのか、其れだけではない嫌な予感に胸がざわめく。

 駅のホームを歩く雪希の後ろ姿を紗枝はじっと見つめていた。

 紗枝はこの時一緒に行ってゲームを止めさせなかった事を一生後悔する。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る