旅するこぐま
くらげ
旅するこぐま
ポーラは小さな女の子です。生まれたときからずっと、エジンバラの病院で暮らしています。
病室の窓から見えるのは、毎日変わらぬ同じ景色。外に出られないポーラは退屈な日々を過ごしていました。
そんなある朝のことでした。ポーラが目を覚ますと、窓辺に飾っておいた仔熊のぬいぐるみが見当たりません。
「あら、フェルカがいなくなっちゃったわ」
よく見ると、仔熊のフェルカが座っていた場所には、一枚のメモが置いてありました。
『ちょっと旅に行ってきます フェルカ』
そんな書き置きを残して、黒い布製の彼は旅に出掛けたようです。
☆ ☆ ☆
フェルカが窓辺からいなくなって数日後、ポーラの元に一通の手紙が届きました。
親愛なるポーラへ
僕は今、エジンバラから遠く離れたロンドンに来ています。
記念写真を同封しておきます。
君の友達 フェルカより
写真を見ると、ポーラが編んだ赤いマフラーを巻いたフェルカと、ウェストミンスター宮殿の大時計台が映っていました。
「うふふ。フェルカったら、楽しそうね」
ビッグ・ベンの前で澄まし顔のフェルカを見て、ポーラも何だか楽しい気持ちになりました。
☆ ☆ ☆
「フェルカを連れ出したのは、院長先生でしょう?」
久し振りに姿を見せた院長先生に、ポーラは訊きました。
ちょうどぬいぐるみがいなくなった朝、院長先生はロンドンの学会に出掛けていった。
ナースさんからそう聞いていたのです。
「さあ、何のことかな?」
院長先生はニヤリと笑って答えました。どうやらポーラの予想は当たっているようです。
でも、院長先生は病院に帰ってきたのに、フェルカは帰ってきません。
はて、彼は一体どこに?
☆ ☆ ☆
またしばらくして、再びポーラ宛の手紙が届きました。
親愛なるポーラへ
世界一の大都会ニューヨークにやって来ました。
君に神様の祝福がありますように。
旅するフェルカより
フェルカと自由の女神が一緒に映った写真も同封です。
「まあ素敵。今度はアメリカに行ったのね」
その次の手紙は、日本から。
親愛なるポーラへ
シンカンセンはとっても速いです。
駅弁も美味しいです。
あなたと一緒に食べたいな。
時速三百キロの車内より愛を込めて フェルカ
「まあ、美味しそうなお弁当ね。私も食べたいわ」
☆ ☆ ☆
その後も、およそ週に一度くらい、世界を股に掛けて旅しているフェルカから手紙が届きました。
オーストラリアのウルル、エジプトのスフィンクス、ボリビアのウユニ塩湖などなど、世界中の色々な観光名所から写真が送られてくるのです。それは病院暮らしのポーラにとって、一番の楽しみになりました。
それらの手紙の多くは英語で書かれていましたが、中にはスペイン語だったりアラビア語だったり、はたまたポーラの知らない不思議な文字で書かれたものもありました。そんなとき、ポーラは院長先生と一緒に辞書で調べて手紙を読みました。
やがてポーラの部屋はたくさんの写真で彩られ、ポーラは病室にいながら、フェルカと一緒に世界中を旅している気分になりました。
☆ ☆ ☆
ところが、あるときから、フェルカからの手紙が途絶えてしまいました。
最後に送られてきた手紙、それは香港からのものでしたが、どうやら風に飛ばされて、彼は海に落ちてしまったようなのです。その文面には、謝罪の言葉が並べられていました。
「気にしないでください。彼は泳ぎが上手だし、きっと無事に帰ってきますから」
ポーラは手紙の差出人、ティンティンさんにそのような手紙を送りました。
とはいえ、フェルカからの手紙が届かなくなって一月が経ち、三月が経ち、そして半年が経とうとしていました。
「もうフェルカには会えないのかな……」
窓の外を見つめながら、ポーラは寂しく思っていました。
☆ ☆ ☆
ところが、再び手紙は届いたのです。そのときのポーラの喜びようったら!
しかも、差し出された場所は、なんとカナダのバンクーバー。フェルカは太平洋を渡る旅を成し遂げていたのです。
「すごいすごい! 海の神様がフェルカを運んでくれたのね!」
それからまた、世界中の優しい手から手へと受け継がれ、フェルカの旅は続きました。
☆ ☆ ☆
やがてフェルカが旅立ってからちょうど一年が経った頃、彼はポーラのいる病院に帰ってきました。
院長先生はぬいぐるみの背中に貼り付けてあったカード――病院の住所などを記した説明書き――を剥がし、彼をポーラの部屋へ持っていきました。
「おかえりフェルカ! たくさんのお手紙ありがとうね!」
フェルカを抱き締めて、一年振りの再会を喜ぶポーラ。
とても長い旅だったので、彼の身体にはいくつか糸がほつれた跡がありましたが、どこかの『親切なお医者さん』が、丁寧に手当てをしてくれていました。
そして、おそらく世界で一番長い距離を移動したであろう、赤いマフラーを巻いたぬいぐるみの仔熊は、またいつもの窓辺に座りました。
☆ ☆ ☆
ポーラには夢があります。
それは、いつか病気を克服して、写真で見た世界中の場所を訪れること。世界中にできた友達に会いに行くこと。
もちろん、案内役のフェルカも一緒にね。
早くポーラの夢が叶いますように……。
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