第39話 それはあまりにも大きな代償1

 暗闇の中、薄らぼんやりと目に映るのはまだら模様の見慣れた天井。俺の部屋のベッドに仰向けに横たわると見えるその天井が今、俺を押し潰すように迫ってきては寸前のところで止まり遠ざかっていくを繰り返している。


 体は動かせず視線も固定されたままだが意識ははっきりとしている俺は、これが夢だと自覚している。そしてこの夢が、体調不良を知らせる夢だということも。


 だからこの意味の分からない摩訶不思議な現象もいずれ終わることを知っている……そう、こんな風に。


 突然現れた白く小さな球体が居場所を求めるように空中を漂いやがて視線の先で止まり発光する。その光は照らすにしてはあまりにも強く、目に見える景色を白一色に染め上げた。


     ***


 目覚めは酷く気だるいものだった。体は熱い、なのに寒さに震える風邪ならではの矛盾。


 こうなった原因は考えるまでもない。あれだけ雨に濡れれば体調にも影響する。



「……風邪ひいた時にみる夢ってどうして毎回同じなんだろうか」



 ベッドに身を沈め天を見つめながらそう呟いた。けれど独り言ではない。



「言われてみればそうだね。私も風邪の時は意味が分からない変な夢、必ずみるよ」



 同意を示したのは一つ下の我が妹、花川理瑚はなかわりこ。俺の不調を知り、朝食と薬を部屋まで届けに来てくれた。



「ちなみにどんな夢なんだ?」

「ん? えっとね、お兄ちゃんがただ微笑みかけてくるだけの夢」

「え、それだけ? なんかこう話しかけてきたりしないのか?」

「ううんなにも。ほんと意味わかんないよね」



 朝食をテーブルに並べる理瑚は思い出しでもしたのかクスッと笑う。確かに意味が分からない……でも何故だろ、夢の中の俺に向けてとわかりつつもちょっと傷つく。



「それより学校には休むって連絡してある?」

「おう」と俺は理瑚に目を向け頷くと「ならよかった」と安堵が返ってきた。

「――お薬は食後に飲んで。それと汗かいたままだと思うから、下着の替え用意しとくね」

「何から何まで悪いな。助かる」



 慣れた様子でクローゼットへと向かう理瑚の背に俺は礼を言った。



「ううん気にしないで。こういう時はお互い様、だよ」

「……そうだな」



 気が滅入ってるのか理瑚の優しさに頬が緩んでしまう。


 多忙な両親は昔から家を離れていることが多く、俺達兄妹は幼い頃から〝自分のことは自分で〟が無意識に定着していた。そして片方が倒れたらもう片方が肩を貸す、そんな支え合いもどちらから取り決めたわけでもなく行われてきた。今のように俺が駄目なら理瑚が、反対に理瑚が駄目になったら俺がといった具合に。


 とはいえ理瑚だってもう高校生、兄とはいえ男の部屋に踏み入るのは抵抗があるだろう年頃、だというのに下着の用意まで……。



「理瑚が妹でほんとに良かった」



 嫌味の一つも漏らさず献身的に動いてくれる理瑚に感極まり、素直な気持ちを述懐じゅっかいする。


 しかし理瑚からは何も返ってこない。中々に恥ずかしいセリフを口にした為に、寂しさともどかしさが募る。



「ちょい理瑚、さすがに無視されると悲しいぞ」

「――えッ⁉ あ、な、なんでもないよ! ちょっと、驚いただけだから……」



 俺が反応を欲し呼びかけると、ビクッと肩を上下させ、つっかえつっかえに答えた理瑚。背を向けているせいで表情まではわからないが、動揺しているのは見て取れる。



「……私の見識が狭いだけ、趣味嗜好は人それぞれ……人それぞれなんだから……」



 なにやら一人ブツブツ言い始めた理瑚は、やがて己を鼓舞するように「よしッ」と頷き、下着を胸の前に抱えて傍にくる。



「下着はここに置いとくね。それと、私はもう学校に行かなくちゃだけどなるべく早く帰ってくるから」

「――おう」



 俺は頭の位置をずらす。



「――私がいないからって好き勝手してちゃ駄目だよ? お兄ちゃんは今日一日、安静にしてること、いい?」

「――おう」



 そして元の位置に戻す。



「――よし。じゃあ行ってくるね!」



 ……………………おかしい、絶対におかしい。


 言葉こそ流暢になれど、一切目を合わそうとしなかった理瑚。俺が強引に合わそうとしても流されるように逸らされたことからして、意識して行っているのは間違いないが、だからこそ不可解に思えてならない。



「……ねえお兄ちゃん、一つだけ言ってもいい?」



 ドアノブに手を掛けたまま立ち止まった理瑚は、絞り出すような声でそう断りを入れてきた。



「どうした?」

「……あのね、なにを当たり前のことをって思うかもしれないけど……どれだけ変わっても、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだから」



 なんとも意味深な発言を残して今度こそ出ていった理瑚。


 一人残された俺は閉まった扉を呆然と見つめる。


 ……………………何かあった、絶対に何かあった。


 俺はベッドから起き上がり、ここに来てからの理瑚の行動を振り返る。


 朝食を並べるまでは普通だった。違和感を感じたのはその後、下着の替えを取り出す際にだ。


 すぐさまクローゼットを開け、下着が収納されたチェストの中を覗く――同時に閉ざされていた記憶の蓋も開く。


 ――な、なくなってるッ⁉


 そこにはあるべきはずのものが、誰の目にも触れぬよう奥底に隠していたものが、〝男には不必要なもの〟が消えていた。


 まさか、理瑚は目にしてしまったというのか。


 嫌な汗が額から流れる。風邪だけが原因じゃない発汗。


 もしそうだとしたなら合点がいく。動揺も、自分を言い聞かせるような独り言も、俺が変わってしまったかのような発言も。


 ここにないのならあるとすれば…………俺は恐る恐る振り返り、そして元凶を見つける。


 ベッド近くに置かれていた男物の下着一式と、本間から奪い持って帰ってきてしまった〝ブラジャー〟を。


 ――――いやあああああああああああああああああああああああああああッ‼

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