第30話


 出発前に準備を整えた。

 と言っても、荷物のことじゃない。そんなものはアイテムボックスに入っている。

 ここで言う準備はペルカの特性のことだ。

 いつでも変えられる【自由欄】は不意打ちを防げそうな『聞き耳』をセットして、あとはペルカの判断で適宜変更してもらうことにする。

 ここはあまり心配していない。ペルカなら上手くやってくれるし。

 問題は【限定欄】のほうだ。

 日に三度、好きな特性をセットするチャンス。朝食、昼食、夕食の時間に限り実行可能。

 これまではあまりそれを生かすことを考えてこなかった。

 いや、色々なものを食べて制限時間を延ばすことばかりに意識が向いていたと言ったほうが正しいか。あと、鍛錬の札の節約。

 こうして初めての場所に向かうためにバランスを考えてセットするのは初の経験だ。

 とりあえず、昨日の夕食は鳥肉だったので、『飛行』がセットされている。本日の夕食の時間までに5時間27分の使用が可能。

 ここは特に文句はない。

『飛行』は実によく使う特性だし、山頂から足を滑らせて落ちることを考えるとセットしておきたかった。

 今日の夕食の時間まで待てば新しい特性がセットできるがそこまでする価値のある特性は持ってないし、第一そんな遅い時間では登るこちらが凍え死んでしまう。日が落ちた山は寒すぎるのだ。

 で、残りふたつの特性だが。

 朝食は起きてすぐ外に出て山頂を見た後、向かった時のことを考えて『跳躍』をセットしておいた。

 初めて行く場所になるし、そうでなくても足場は悪いだろうし、動けるようにしておくに越したことはない。

 で、最後に昼食。

 これがめちゃくちゃ悩んだ。

 残る特性は、【自由欄】に登録されているのは『突進』『淡水呼吸』『俊足』『鳥の目』『隠密』『聞き耳』『暗視』。この中から選ばないといけない。【ランダム欄】は登録されないからね。仕方ないね。

 雪山登山にもっと適したものがあれば絶対そっちを選んでたけど、ないものはしょうがないので消去法で選ぶことにする。

 結局『隠密』になった。

 基本的には【自由欄】の『聞き耳』で常におかしな音がしないか神経を尖らせて、危険な動物がいれば『隠密』で隠れ、見つかったら『跳躍』や『飛行』で逃げることにした。完全に逃げ切り型だ。

 そもそも行く目的が原因の調査なので、偵察用の特性になるのは当然の気もする。

 最後に何かあったらすぐに逃げてほしいとペルカに頼んでおく。

≪了解した≫

「――よし」

 もぐもぐとコノハムシの燻製を食べながらのペルカの返事を聞いて、頷く。これで準備は整った。

 札は今日だけでは使い切れないほどあるし、時間をかけてもこれ以上のことはできないだろう。

 ……ちなみにコノハムシとは『隠密』の特性を持った、木の葉にそっくりな虫のことだ。『鳥の目』がなければ見つけられないだろうと思うくらい木の葉と見分けがつかない。

 わりと使えそうな特性で、できればガンガン食べて使用時間を増やしたいのだが、少量ずつ肉を食べられる獣類と違い、虫類は一食ごとに一匹使ってしまうという欠点がある。秋の間にせっせと狩ってアイテムボックスに入れたが、最近その数も少なくなってきた。こうして使う時もちょっとだけためらった。

 いやもちろん必要な時に惜しむ気はないけど、今回は念のためって意味合いが強いから。

 やっぱりこの能力使いづらいよね…………。

 特性の種類も使用時間も、まだまだ少ないことに溜め息しか出ない。

 ペルカは頑張ってくれてるけどさあ…………でもさあ…………。

≪食べ終わった≫

 聞こえてきた報告に立ち上がる。

 思うところはあったけど切り替えることにした。

 今、私は山の第一の着地地点にいる。

 辺りの雪は取り払っているので寒さはそれほどでもない。

 第二地点に比べて吹く風も弱く、氷の粒も流れてこないので、体感的には山の麓とあまり変わりない。

 なので計画に備えて先立つように出発して、ここでペルカに昼食をとってもらい、『隠密』をセットさせた。

 これからは時間勝負だ。

 日が沈むまでに頂上を偵察して帰ってこなければ。

『飛行』で飛び降りるだけなら1時間と少しでいいけれど、初めて行く場所なのだ。何が起こって時間がとられても不思議じゃない。

 本来は第二地点から地続きに登っていき、時間がかかるようなら一泊して、ゆっくり目指すつもりだった。なので時期は雪が溶けた頃を考えていた。

 だが今回目に見える異常が起こり、特攻することになったので、そんなルートは通っていられない。具体的には『飛行』と『跳躍』でゴリ押しになる。

 頂上付近の雪が溶けた場所を昇っていけば少しは楽になるだろう。

 …………うん。よし。確認終わり。

 行くか。

 新たに『飛行の札』を使い、飛び立つ。

 ペルカには待機してもらっている。動き出すのは第二地点についてからだ。

 そこからはもうペルカの能力と身体能力と判断力に任せるしかない。

 大丈夫。

 彼女ならきっと期待に応えてくれる。

 ここ一年弱、最も近い場所で彼女を見て、共に手を取り合ってきた私が断言してやる。

 ペルカは口数こそ少ないけど、私が馬鹿やりそうになった時とか自分が疑問に思ったことは、わりとすぐに確認してくる。無理な要望をしそうになった時もだ。

 でも今回、彼女は特に何も言ってこない。

 それはつまり、強行軍にも見えるこの特攻は無理ではないと判断しているということだ。

 頂上に行って様子を確認して、日が落ちるまでに帰ってくるのは、今の自分には不可能ではないと。そういった確固とした自信があるのだろう。

 なら、信じて任せるだけだ。

 とりあえず私にできることをするため、第二着地地点まできっちり送り届けることに集中する。

 麓のほうと違い、やはりこの山の上層はいつもいつも風が強い。氷の粒が舞って目が痛い。

 それでも突っ切る。

 内面世界でじっと私の行動を見つめるペルカに応えるように、最短距離で、滑るように飛び上がっていった。




 第二地点で予定通りペルカと交代する。

 するとすぐに顔を持ち上げ、雪というハンデなんてないように軽やかに走り出した。

 地肌が見えている場所までぐるりと回り込み、そこから飛んだり跳ねたりして登っていく。文字通りの行動ってとこがちょっと面白い。

 下から見上げる分には山の地肌が剥き出しで、歩くだけなら難しくないように思えるが、ここでも吹雪が邪魔をした。

 吹きつける風が別の場所から氷の粒を大量に運んでくるので、ひたすら視界が悪いのだ。足を下ろす場所が固い地面か柔らかい雪の上かも、氷の幕が覆い隠してくる。テレビ画面の砂嵐のようにざらざらと目の前を流れて視界を邪魔されていた。

 こうなると目を使って登るのを諦めて、足の感覚だけでゆっくりと登りそうなものだが、そこは戦闘特化のペルカ。モノが違った。

 ちらりとよく見えない周囲に顔を向けると、その一瞬で判断したのか、ぴょいっと『飛行』で足元がしっかりとした場所に飛んでいく。近ければ『跳躍』で、遠ければ『飛行』でと、自由自在に。ひょい、ぴょいっと。

 どうやらペルカは一瞬での状況判断力にも優れているらしい。

 すごいぞ。流石だ! と内面世界から湧き立つ。拍手もしてしまう。

 パートナーが優秀なのはいいことだ。

 こういった機会でもないと、私とペルカ、どちらがどれくらいのことができるのかよくわからないからな。

 本人もどう動けるかなんて口で説明するのは難しいだろうし。

 なので、久しぶりに見るペルカの全力駆動をわくわくしながら見守ってしまう。

 足取りはしっかりしていて、思ったよりずっと早く目的地に着きそうだ。

 もうずっと前から裸足だけど、荒れた道を歩いただけでは足の裏の皮膚を傷つけなくなったように、雪にもなんらかの耐性を得たらしい。丈の短い毛皮を体に巻きつけただけの格好なのに、私のように寒さに震えたりしていない。

 その頼もしすぎる様子に、この先に何が待ち受けようとペルカなら何も心配ないと思ってしまう。

 ――――けど。

 もう少しで頂上が見えてくるという辺りで、ぴたりと足を止める。

≪…………?≫

 邪魔になるといけないからと声は出さないようにしていたが、そのまま何もしないで固まっているので、つい念話で聞いてしまう。

≪どうしたの?≫

≪……なにか≫

≪ん?≫

≪気配が、する≫

 はあ。気配。

『聞き耳』でわかったとかじゃなくて?

≪息は…………聞こえてきた。やはり生き物だ。大型だな≫

 遅れて何かの呼吸が聞こえてきたらしい。

 それはわかったけど、『聞き耳』より先に気配を察知するとか。そんな特性なんてあったっけな?

【ランダム欄】のスキルを見直してみても、やはりない。ということはペルカに搭載されたレーダーのようなものだろうか。

 いや気配ってさあ…………強化された耳より先に感知するって…………なんなのさそれ。

 今までそんなことしてたっけ?

 軽く引きながらも、伝えられた情報から真面目に考えてみる。

 どうもこの先、頂上付近に大型の動物がいるらしい。

 気配とやらはともかく、『聞き耳』で聞こえているなら確実だろう。

 けど念のため、私も『聞き耳の札』を使うことにする。

 この内面世界でペルカの瞳を通じて見える映像からも音は入ってくるので、確認だけなら簡単だ。

 じっと耳をすませていると確かに聞こえてきた。動物のものらしいひそやかな息遣いが。

 でも大型かどうかはわからないな……。

 なんでペルカはそんなことわかるの? 経験の差?

 そんなことを考えていると、どうも向こうの息遣いが変わった。少し深く、ゆっくりになる。

 それから動いて…………立ち上がったのかな?

 なんかこう、深く深く息を吸い込んでいるのだろうか。ごうごうという燃えるような音が小さく混じっている。そしてそれは次第に大きくなる。ごうごう、ごぉうごぉうと。

 あ、音がこっちに近づいてくる。

≪――!≫

 ん? 視界がぶれ――――


 ――――突如、真っ赤に染まった。


 ごっ! ……という音。

 それから何か、シューシューいう音に合わせて視界が白くなっていく。霧というよりお風呂に入った時の水蒸気のようだ。

 え? え??

 何? どうしたの?

 視界は完全に真っ白で役に立たなくなっている。

 幸いなことに『聞き耳』は発動したままだったから、そこから情報を得ようと耳をすませた。

 トン、と軽い音。すぐ近く。それから、

「ゥガルッ!!」

 ――!!!

 獰猛な唸り声が大音量で聞こえて、心臓が飛び跳ねた。

 そんな私を置いて、ザクッという音もする。さっきまでの道程で何度か聞こえてきた、『跳躍』で雪の上に着地した時の音だ。

 つ、つまり…………。避けた? 避けてくれた?

「グルルル…………」

 真っ白なもやが次第に収まり、ざらついた視界ながらも相手の正体が見えてくる。

 それは、白い虎だった。

 少なくとも私にはそう見えた。

 猫を大きくしたような、私の頭なんて一噛みで千切りそうな体格で、全身は主に白。ただあちこちに赤い唐草のような模様がある。顔面にも隈取りのように広がっていた。

 少なくともただの虎には見えない。

 そもそも私が知る虎がこんな雪山にいるわけないし。

 では何か。

 そう自分に問いかけて、この世界にいるらしいトンデモ生物の一種じゃないかなと現実逃避気味に結論を出す。だってわからないし、適当だ。

 あの誘拐犯の馬が日本語を喋ってたぐらいだ。雪山にいる虎ぐらい許容範囲だろう。

 だがその赤い瞳はギラつくように私――もといペルカを睨みつけていた。飛びかかる寸前のような空気が全身から漂っている。

 これは…………怒ってる。確実に。

 縄張りに踏み込んじゃったか……?

 明らかな怒気に内心及び腰になり、ペルカに撤退を提案しようとした瞬間、正面から虎が突っ込んできた。

 ――!!

 視界がぐるりと回転する。

 踏みしめた音がして、またすぐに飛ぶ。いや、跳ぶ? どっちだ?

 地面を蹴る音、音、音。連続で聞こえて、視界をかすめるように虎の牙や爪が通り過ぎる。

 わ、わ!!

 攻撃されてる!! されてる!!!

 だだだ大丈夫???

 というか飛んじゃおうよ。逃げちゃおう。

 そう提案するも、短く返される。

≪逃げる隙がない≫

≪え?≫

 隙がない…………って。

 え。ペルカが?

 いつもいつも野生の動物と相対しながら、軽々と倒していたあのペルカが?

 視界は次々と移り変わる。ペルカが移動し続けているからだ。

 そして虎の姿も消えてはまた現れる。

 ――離れていかない。

 ――逃げられない。

 それを理解して、初めてぞっとする。

 それまでどこか他人事の気分だった。襲われてるけど、ペルカならなんとかしてくれるだろうって。

 でも違った。

 当たり前のことながら、彼女にだって勝てない相手はいる。そのことに今更気づいてしまった。

 じわじわと焦りが忍び寄ってくる。

 時折爪がすぐ目の前を風切り音とともに通り抜けていって、ぞくりとくる。

 ギリギリだ。

 ほんの少し動くのが遅ければざっくりとやられていた。

 え、え、と意味もなく声が漏れ、頭が回らなくなってくる。

 逃げないと。

 でもどうやって?

 倒せばいい。

 それができればペルカがやっているのでは?

 同じようなことが頭の中をぐるぐると巡るばかりで答えが出ない。

 そうして何もできないでいる間にぱっと目の前に赤い色が散り、びくりと肩が跳ねる。

 今、血が。

 怪我、したの?

 避けられなかった?

 ――理解した途端、ぞわり、と背筋が震える。

 あ、あ、と呻くも、まともに声にならない。

 心臓の音がやたらうるさい。ガチガチと自分の歯が鳴っている。

 でも。だって。

 嘘でしょ。

 ペルカがいるのに。

 このままだと。

 死――――

≪――、…………っ!≫

 ペルカがこちらに何かを伝えようとして、通信を打ち切られる感覚がした。視界から外れていた虎を正面に映す。

 ごうごうと、さっき聞いた音がした。

 虎は動いていない。いつでも飛びかかれるように体を伏せてこちらを見つめている。

 なのに、さっきも聞いた、何か燃えるような音、が。

 ごぉうごぉうと大きくなっていく。

 その正体が何かもわからないのに、焦燥感が倍増する。

 頭の隅にピンと張っている一本の糸が、逃げろと強く訴える錯覚を見た。

 おそらくこれが嫌な予感というものだろう。

 誰に言われるでもなく確信した。

 自分の心臓の鼓動が早くなっていく。

 逃げろ逃げろと、頭の中にはそれしかない。

 おそらくペルカにも垂れ流し状態で伝わっているだろうに、動く様子は見えない。機を窺っているのかなんなのか。そんなことしてる間に早く逃げてくれと訴えるも、やはり動かない。

 燃える音がいよいようるさいほどに――なる前にぶつりと途切れた。唐突だった。

 えっ、と息を吐きかけて、気づく。

 そうだ。『聞き耳』の効果が切れたのだ。あのスキル、5分ほどしかもたないから。

 慌ててもう一度取り出そうとして、見えている世界がこれまでの中で最大の勢いでブレた。

「ガアアァッ…………!」

 直後、咆哮とともに視界が真っ赤に染まる。

 風が吹きすさぶ中でばちばちと炎が燃える音がした。

 そう。炎だ。

 この一面の銀世界で、山火事でも起こす気かというくらい大量の炎が渦を巻いて周囲を埋め尽くしている。

 炎は雪を舐め尽くし、じゅわりと蒸発するように消えた場所から地肌が剥き出しになる。

 ――――これだ、と思った。

 雪があれだけ溶けていた原因は間違いなくこれだ。

 この虎が炎で溶かしてしまったのだ。

 じゅうじゅうと蒸発するような音とともに辺りに水蒸気が満ちる。あれだけ大量の雪が一度に溶けたのだ。無理もない。

 ただしそれは虎の姿まで隠してしまうということで、急いでペルカに撤退を指示する。今なら向こうからも見えないから、逃げられる! はず!!

 だが、ペルカから返事は返ってこなかった。

 張り詰めた気配だけが伝わってくる。

 ――どうして。

 見つめていると、がくんと階段から足を踏み外したかのように、視界が一段下がる。

 ピキ、パキ、とかすかな音が聞こえた……気がした。

 急いで『聞き耳の札』を再度使う。

 すると確かに固いものが割れるような音があちこちからしていた。ぎし、と軋むような音も。

 ばきばき。びし、がぎぎ。ぎぃ。

 ばきゃ。

≪――――!!≫

「?!!」

 振り仰いだ先から雪の塊が落ちてきた。

 即座にペルカが反応して跳び下がり、着地した先でまたごすっと地面にあった雪が割れて、体勢が崩れる。

 直接炎に呑まれていなくても、熱波を受けて周囲の雪まで脆くなっていたのだ。

 それを狙っていたのか、虎が正面から唐突に現れた。

 鋭い牙も振り上げた爪も、やけにはっきりとスローモーションのように見える。

 死ぬ、と思った。

 絶対死んだ。私ならどうにもできなかった。

 でも表に出ているのはペルカだった。

 不安定な体勢ながらどうにか地面を蹴りつけたのか、視界が横に流れて回転して、跳ねて、また回った。正直どうなっているのか全然わからない。

 ただ、すぐそこに崖が見えた。

 突っ伏していた体を起こし、躊躇することなく腕の力だけでその向こうに飛び込んでいく。

 ぶわっと吹雪が吹きつけてきた。

 だがそんなもの、もう慣れたものだ。ためらう理由にはならない。『飛行』さえあれば何もない空間は怖くない。

 山肌に沿いながら転げ落ちるように飛んでいく。

 どうやらすぐそこが山の端だったらしい。ペルカはそこを目指していたのだろう。

 それを理解して、止まっていた息を吐き出し、ほっとする。

 よかった。逃げられたのだ。

 あの虎は飛べるようには見えなかったから、ここまでは追いかけてこないだろう。

 助かったよペルカと話しかけて、妙な返答を受けた。

≪…………覚悟しろ≫

 はて、と思う。

 どうも緊張が解けていない念話に聞こえた。

 まるで危険がすぐそこにあるような――――。

 ペルカの視線がゆっくりと上向き、空にあたる方向を映す。

 そこには。

 圧倒的な質量を持つ雪が、のしかかるようにすぐそこまで迫っていた。

「――――」

 声が、出ない。

 飲み込まれるのは時間の問題だと即座にわかってしまった。

 私たちよりもあちらのほうが断然早い。

 なにせこちらは直角に切り立った崖を真っ逆さまに落ちているわけではない。デコボコした山で斜めに沿うように飛んでいるのだ。

 だがあちらは何もかも無視してただひたすらにまっすぐ、雪崩のように襲いかかってくる。

 雪崩。

 そう、雪崩だ。

 あの虎の炎によって熱せられた雪が地滑りを起こしたのだ。数十メートルはある高さとなって壁のように迫り寄ってくる。

 狙って起こされたかどうかなんて、ここに至っては関係ない。

 生き残れなければ死ぬ。

 それがすべてだ。

 覚悟しろとペルカの言った意味がようやくわかる。

 これはもう、運だ。

 もはや私やペルカでどうにかなる自然現象じゃない。

 運を天に任せるしかなかった。

≪……やれるだけはする≫

 それでも足掻こうとするペルカに、はは、と笑う。

「…………ありがとう。頼もしいよ」

 心からそう思う。

 指先は震えるけど、胸を張って言ってやった。

 意識から追い出していたけど、すぐそこまで迫ってきた大質量が地面にぶつかりながら奏でる音が処刑BGMに聞こえて、初めて『聞き耳』を使っていたことを後悔した。

 ゴウゴウとすべてを飲む音が、横からも頭上からも近づいてくる。

 そして。

 ――――すべてが真っ白になり、真っ暗になり、やがて何もわからなくなった。

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