【児童虐待】野田小四女児虐待死 父親初公判【自己愛性パーソナリティ障害】
2019年1月に、千葉県野田市で、小4の栗原心愛ちゃんが虐待を受けて死亡した事件の初公判が、千葉地裁にて開かれた。
児童虐待の原因はケースバイケースで、複合的な要因が重なっているものと思われる。自己愛性パーソナリティ障害も原因の一つとして挙げられている。
この父親の場合も、自己愛性パーソナリティ障害が疑われる。
さらに、パーソナリティ障害はスペクトラムなので、他にも強迫性PDあたりが入っているかもしれない。
父親は冒頭でメモを読み上げ、心愛ちゃんに謝罪した。
この時点で既にナルシスティックではある。娘を亡くした悲劇の父親を演じているように見えなくもない。
ところが、『起訴事実にある暴行の大半を否定した』という。
自身の非を認めず、あくまで自分が正しいと主張するのは、自己愛性パーソナリティ障害の特徴の一つである。彼らは心の内が脆弱で、自身の非を認めると、それが即自分の存在そのものを否定することとなってしまう。そのため彼らは、自身の生存を賭けて、自身の正当性を主張せざるを得ないのである。
自己愛性パーソナリティに限らず、虐待の背後に共通する病理として分離不全があると私は考えている。すなわち、他者との未分化な一体感、或いは幼児的な一体感である。
彼らは、分離―固体化(マーラー)が完遂しておらず、他者と原初的な一体感を抱いている。
そのため、他人を自分の一部、または延長として捉えており、他人が自分の思い通りに動き、自分と同じことを考えていると認識している。
ところが、現実はそうではない。
そして、自分の思い通りにいかないと、いきなりブチ切れる。
相手の考えや感情は、彼らにとっては存在しない。そのため加虐行為がエスカレートする。
彼らは自分が絶対に正しいと感じており、暴行は相手のためだとさえ主張する。
これはブラック企業におけるパワハラやモラハラとも同様である。
相手が自分の子供であれば、完全に自分のモノだと思い込んでいるだろう。
自己愛性パーソナリティ障害における特徴の一部は、この分離不全を念頭に置くと、より理解しやすい。
彼らは幼児期に、発達の一部が停止したままで大人になってしまった。
いわば、大きくなった三歳児のようなものだ。
大きな三歳児vsリアル三歳児がガチで喧嘩しても、リアル三歳児にまず勝ち目はない。
ストーカーやDVも、同様のメカニズムであると思われる。
原因とメカニズムを正確に把握して、加害者に対する適切な治療が行われない限り、虐待が根絶される日は永遠に訪れないであろう。
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