第8話

 結局、雨嶋に「先輩がせっかく奢ってくれるんだから決心が鈍らないうちに行きましょうよ」と言われたので仕方なく飯に行くことになった。その間、この状況を打開するための方法を色々と思案したが結局無策のまま店に着いてしまった。いや着いていなかった。着きはしたが開いていなかった。恐らくこの暑さが影響しているのだろう。いきなりここまで暑くなったら従業員も働いている場合ではないだろうからな。それにもう人がそこそこいそうな時間帯になっていたはずだが外を歩いているのは僕らぐらいのものだ。これも暑さの影響だろう。その後も店を回ったがどこも開いておらずそのため一時間ばかし炎天下の中にさらされたがなんとか店を見つけ今に至る。


「店、閉まってましたね」


「いきなりこの暑さだしどこの店も対応できなかったんだろう。まあ結果的には冷房がきいている店に入れたんだ。結果オーライだろう」


「そうですね」


 とか言いながら雨嶋はパンケーキを口に運ぶ。やれやれほんとに結果オーライだった。こいつと回った店は大体がきちんと正装しなくては入れなさそうなところばかりだった。つまりは僕なんかが行ったら財布が破産どころでは済まなくなるような店ばかりだった。危ない。危ない。


「で、昨日のこと話してくださいよ」


「さて何のことだったかな」


 この暑さのせいで策を思案することもままならず無策のままだ。だからこうやってとぼけることしかできなかった。


「先輩ちょっと失礼します」


「ん?」


 雨嶋は席を立ち僕の前に来た。何をするつもりだ?そう考えようとした瞬間僕の腹に激痛が走った。腹を殴られた。雨嶋に。


「いきなり何するんだ」


「私全然強く殴ってませんよ。なのに、そこまで痛がるってことは元々ダメージがあったってことじゃないですか?」


「……」


「その沈黙は……やっぱり無理したんですね」

  

 雨嶋は悲しそうにそう言った。


「そりゃあ先輩は気を遣って私に隠して解決したんだと思いますけど。それが気にいりません。なんで気を遣うんですか?ちゃんと言ってくださいよ。私ってそんなに信用ないですか?」


 随分と怒っている様子だった。


「だからって殴るな」


「それはごめんなさい。でも――」


「悪かった」


「え?」


「だから悪かったと言っているだろう。これからは無茶する時はちゃんとお前に報告することにしよう」


 この件は僕の方に不備がある。確かに依頼を一日でスピード解決したがそのことで依頼人にあらぬ不安をかけさせてしまったのならプロとして完璧とは言えない。だから謝罪した。


「本当ですか?」


「嘘つきの神様に誓おう」


 噓つきの神様なんているか分からないし神様なんて信じたことはないがそう言った。


「それじゃあ、あらためて昨日のことは本当にありがとうございました」


 さっきは怒っていたのに次は感謝か。情緒不安定か?


「感謝する必要はないぞ。こっちは仕事なんだからな」


 そうだ。仕事だ。仕事でやっただけだ。ボランティアというわけではない。だから感謝する必要はない。


「それでこれ謝礼です」


 雨嶋はカバンから封筒を出してきた。結構分厚い封筒だった。


「雨嶋。今、先輩が後輩のお前に飯を奢っているんだぞ。ここでお礼なんて貰ったらかっこがつかないじゃないか」


「でもそういうわけには――」


「だがお前がどうしてもお礼をしたいというなら……そうだな。デザートでも奢って貰おうか」


 もちろんデザートはこの店で一番高いものを選んでやった。当然だろう。ごちそうになるのだからな。


「そういえば昨日のストーカー、あれは何者だったんだ?」


 特に話すこともなかったので気になっていたことを訊いてみた。警察に捕まったのだ。名前だとか職業だとかは分かっただろう。と思ったが……。


「分かりません」


 ん?どういうことだ?


「なにしろ完全黙秘を貫いているので」


「黙秘だろうが何だろうが所持品検査で車の免許証とか出てくるだろ?」


「それが何も持っていなかったんです」


 何だ?それは。それではまるで最初からこうなることを予期して正体を隠すために何も持っていなかったようではないか。いや考えすぎか。でも何も持っていなかったことに関しては不自然を通り越して不気味とも言える。まだ取り調べ中のため今後何かわかるかもしれないがこの調子だとそれも期待できないだろう。まあストーカーの謎はこれから解いていくことにしよう。噓だ。もうストーカーをなんとかしろという依頼は達成している。達成した依頼をわざわざ長引かせることはないだろう。まあこの僕に後輩を気遣う良心があれば別だが。


「それにしても先輩。ちゃんと夢を叶えたんですね」


 夢?


「学生のとき言ってたじゃないですか。ヒーローになりたいって」


 ああ。そうか。そういえば学生の頃から言っていたな。よくそんな嘘か本当か分からないことを信じていたな。


「夢といえば目を閉じて見るほうの夢だが一、二週間ぐらい前に変な夢を見たぞ」


 ん?一、二週間ぐらい前?と、少しもやっとしたが少しだったのでスルーした。夢の話をしたのはただの雑談だ。あまり話したくはなかったが昨夜メテオさんに話したところから色々と吹っ切れた。


「どうだ。変な夢だろう?」


「そうですね。馬鹿みたいな夢です」


 と言って雨嶋は儚げに笑った。なぜ彼女がこんな表情をしたのか今の僕には知る由もないというか知らない。


「それにしても先輩って本当に友達いないですよね」


 雨嶋はいきなり悪口を言い始めた。


「藪から棒に何だ?悪口は影で言うものだぞ」


「そういう捻くれたことしか言えないから友達ができないんですよ」


 それは分かっていることだ。自覚していることだ。今更言われることではない。


「あっ、けど一人いましたね」


「ん?何が?」


「先輩の友達らしき人ですよ」


 らしき人?


「覚えていないんですか?名前は佳華、佳華真音(けいかしおん)先輩です」


「佳華真音?」


「先輩と同学年で私同様途中で引っ越した人です」


「ほう」


 しばらく時間が経ったので店を出ることにした。本音を言うとあの炎天下には出たくなかったのだが仕方がない。


「さてお会計払って貰いますよ」


 後輩はうきうきだった。唇にクリームをつけて。


「まずその顔をどうにかしろ。唇にそんなものつけていたら恥ずかしくて一緒に歩けないだろう」


 雨嶋は「はぁ?」とか言いながら手鏡で自分の顔を見ると顔を赤くしていた。そして「ハンカチ。ハンカチ」とそそっかしくポケットやカバンを探していたがなかなか見つからないらしい。やれやれ。


「ほら」


 彼女にハンカチを渡す。


「あっ、ありがとうございます。ハンカチなんてよく持ってましたね」


「男はな。いついかなるときもハンカチを持ってないと駄目なんだよ」


 そう。これは確かあいつに……ん?あいつとは誰だ?僕はこの教えを誰から学んだのだろう?

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