第6話
「鳴宮、鳴宮」
聞き覚えのある声だった。誰だったか?
それを確かめるために目を開ける。
するとそこにいたのは神崎麗華(かんざきれいか)。刑事時代の上司だ。
「ボーっとするな。殺人事件が起こった。現場に行くぞ」
「はい」
麗華さんは花のある美人で刑事としても優秀でまっすぐな正義感を持った人だった。そんな先輩が誇らしくて憧れでもあった。
「おっ、神崎。今回も期待してるぞ」
「俺らの仕事とらないでくれよな」
彼女の同期の刑事が軽口をたたく。
「お前は私に仕事を取られないようにしろ」
「ああ、分かってるって」
そうだ。麗華さんは同期から慕われ、上からは期待されるそんな人だった。なのに。
「ほら」
気が付くと僕はベンチに座り込んでいた。そして僕の後ろに二つある缶コーヒーを一つ差し出している麗華さんがいた。どうやら一つ貰えるらしい。
「ありがとうございます」
缶コーヒーを受け取ると麗華さんは僕の隣に座ってくる。さっきから何かがおかしい。さっきまで殺人事件の現場にいたはずなのになぜか今はこうして彼女とベンチに座り一緒にコーヒーを飲んでいる。意味不明だ。けどそれよりもおかしく意味不明で理解しがたいものを見ている。それは神崎麗華の存在だ。
「どうした?そんな顔して。何か悩み事か?」
「じゃあ逆に訊きますけどこの世に悩み事がない人なんていると思いますか?」
「質問を質問で返すな。キラークイーンに爆破させられるぞ」
そういえばこの人漫画好きだったな。どうでもいいことだが。
「麗華さんって意外とそういうの好きですよね」
「悪いか」
彼女は僕を鋭い目で睨んでくる。なまじ美人なだけあってその視線には異様なまでの目力が込められておりおもわず圧倒される。
「いえ。むしろ好きです」
「君も言うようになったな。むしろ好きです、か。ぷっ」
麗華さんは吹き出しそうになりながらからかってくる。人をからかうのは嫌いではないが人にからかわれるのは好きではない。つまりこの状況は不愉快極まりない。
「僕が言ったのはキラークイーンの方ですよ」
「ほんとにそうか?」
彼女はニヤリと笑う。
「ご想像にお任せします」
「ほぉー。なら君は私とあ~んなことやこ~んなことをにゃんにゃんしたいのだと解釈しておこう」
「色々と古いですしそ~んな解釈はやめてください」
こんな人だが職場では冷静沈着で数々の事件をスピード解決するクールなエリート様を演じている。要は見栄っ張りなのだ。
だがそれが問題だった。もちろん見栄を張ることが問題なのではない。問題だったのは彼女の優秀さだ。彼女は優秀過ぎた。優秀過ぎる人間は時に己の才能のせいで傷付いてしまうことがある。始めは警察組織の人間全員がその優秀さを尊敬していた。期待もしていた。だがそれらの気持ちは時がたつにつれ妬みに変わっていった。
やがて麗華さんは嫌がらせを受けるようになった。
パワハラ、セクハラ、無視されたりそぐわない仕事を押し付けたりと僕が知っているだけでも結構な量だ。そしてそれらはより陰湿なものに変わっていった……。
気がつくと僕は公園にいた。ふとベンチの方に目をやると麗華さんが座っているのが見える。僕は近くの自販機で冷えた缶コーヒーを二つ買って彼女のもとへ行く。
「はい」
僕は麗華さんの後ろに立ちさっきのお返しだと言わんばかりにおでこに缶コーヒーをぴたっとあてる。
「ひゃああ」
彼女は悲鳴をあげ後ろにいる僕を睨んでくる。
「麗華さんってそんな声出すんですね」
絶好のチャンスだと思った。今までからかわれた分を全て返しえしてやろうと思った。
「君の最後の言葉はそれで十分だな」
その言葉には覇気がこもっており多分ここで死ぬのだと予感した。僕としては珍しく素直に謝ろうと思った。土下座しようと思った。
「すいません」
土下座は綺麗に決まった。そして背中には麗華さんの足が置かれていた。否、踏まれていた。僕にはそういう趣味がないため気分が高揚することはなかった。噓偽りなく。
「男が易々と土下座なんてするな」
「そう思うなら一刻も早くこの体制をやめたいので足をどけてください」
そう言うと麗華さんは「まったくこいつは」と言わんばかりのため息を漏らし足をどけた。僕は立ち上がり彼女の隣に座る。すると彼女は「んっ」と言ってこちらに手を伸ばしてくる。どうやらコーヒーは欲しいらしい。
「で、何の用だ?」
彼女は缶コーヒーを受け取り質問してきたので
「最近大丈夫なんですか?」
と単刀直入に要件を述べた。
「前にも言っただろ。質問を質問で返すなって」
「今はそういうのはいいので答えてください」
僕はこの時珍しく真剣だった。と言うとまるで僕が先輩を心配する健気な後輩のようではないか。そう思われるのは不愉快だ。勘違いしてもらっては困る。僕はただ本物の天才である彼女が嫌がらせを受けることに対してどう思うのか興味があっただけだ。
「なあ鳴宮。君は何で刑事になったんだ?」
「だからそういうのはいいって――」
「いいから答えろ」
なぜそんな話をしなくてはならないのか疑問だったが質問には答えてくれるようだったので正直に答えることにした。
「僕、昔からヒーローになりたかったんです。どんなに辛いことがあっても、どんな恐怖に苛まれようとも、笑顔で人々を助けるヒーローに」
「は?ヒーロー?ぶっ、はっはっはっ」
大爆笑された。
自分から言えと言っといてなんて酷い人なのだろう。僕の周りはあの後輩といい酷い人間ばかりだ。そう思った。でもよくよく考えたら僕もろくな人間ではないので人のことは言えない、とも思った。
「成る程。ヒーローに憧れてそれに近しい刑事になったというわけだな」
「まあそんな感じです」
「そうか。実は私もそうなんだ」
「何がです?」
「ヒーロー」
「え?」
「とは言っても君みたいにヒーローを目指していたわけではなく単純に人助けがしたかったんだが君の話を聞いて確信したよ。私もヒーローになりたかったんだと」
彼女はそう言って更に続けた。
「ヒーローはどんなつらいことがあっても笑顔で人を救うんだろう?だから大丈夫だ」
彼女は胸を張り堂々と笑顔でそう言った。そんな顔でそんなこと言われた何も言い返せないじゃないか、と柄にもなくそう思ってしまった。
「それにしても君が人を救うヒーローになりたいだなんて意外だな。何でヒーローに憧れたんだ?」
麗華さんは微笑みながら訊いてくる。この微笑みは人を馬鹿にするようなものではなくなんというか暖かい微笑みだった。
「僕、ガキの頃事故で両親を亡くしましてね。僕みたいの人間でもその時は心を痛めましてボーっとしていたんでしょう。車が行きかう道路に飛び込んでしまったんです」
「で?死んだのか?」
「ならここにいる僕は誰なんですか?」
今思うとこれは僕がしている話の主導権を握らせないための言動なのかもしれない。確かにこの人と話しているときは終始翻弄されていたのを覚えている。まあ単に両親が死んだことを申し訳なく思っての気遣いなのかもしれないがどちらにしろよくできた人だ。
「その時ある人に助けられましてね」
「ある人?」
「名前もわからない通りすがりの人でした」
「ほう。通りすがりの仮面ライダーだったんだな」
前言撤回。この人にあるのは気遣いではなく悪意だ。ここで過剰に反応してもこの人の思う壺なのであえて無視した。
「その人はその日、結婚式を上げる予定で急いでいたらしいんですけど、「どうした?浮かない顔して。何か悩みがあるんだったら聞いてやるぞ」って言ってくれたので僕はそれに頷きました。それから両親が死んで悲しかったこと不安だったことを色々と聞いてくれました。その後「人生には悲しいことや不安なことで満ち溢れている。でも絶対にそれだけじゃない。だから前を向け。今は泣いたっていい。でもその後真っ直ぐに前を向ける男になれ」って言われてその時不思議と頑張ろうって気持ちになったんです。それで訊いてみたんです。なぜそこまで見ず知らずの僕を気にかけてくれるのか。そしたら「困っている人を助けるのは当然だ。俺、ヒーロー目指しているんだ。けどこの時間は不味いな。嫁さんに怒られる」と笑顔でそう語るその人の姿に柄にもなく憧れたんです」
一通り話終えた後
「まあ嘘かもしれませんけど」
と付け足した。当然だ。嘘なのだからな。
「ふーん。そうか」
と、麗華さんはしっかりと頷き
「ヒーローになるというのは相手に感謝されたかどうかだ。助けた後にお礼の一つでも貰えれば君はヒーローさ。だからもしその恩人に会う機会があるのならお礼の一つでも言ってやれ」
と続けた。
結局この時僕は彼女に嫌がらせを受けてどう思っているのかを訊くことができなかった。いなされ誤魔化された。まあそれは見栄っ張りな彼女らしい振る舞いだったのだが何も聞けなかったことが悔しかった。情けない話である。
「そういえば君はなぜ私のことを下の名前で呼ぶんだ?」
「僕、下の名前で呼べる間柄の人間がいなかったんですよ。だから誰かを下の名前で呼んでみたかった。理由はそれだけです」
「君は所々に地雷が埋まっているな」
本当に情けない話だ。
気が付くとそこはさっきまでいたはずのベンチではなく路地裏のような場所で目の前には拳銃を持った男がいた。その男は銃口をこちらに向いており僕も男に銃口を向けていた。
そろそろ理解してきた。これが夢なのだと。最初からそう思っていたのだろうがこれを、麗華さんと話しているこの時を、夢だと思いたくなかった、のかもしれない。だがそれも終わりだ。そう思うのも終わりだしこの夢もそろそろ終わる。
この状況をざっくり説明すると警察官を襲い拳銃を奪った男がいた。それが目の前にいる男だ。動機は不明。だがこの男と対峙して分かった。こいつは狂っている。どうしようもないほどに。僕はこいつを追い詰めた。普段麗華さんとコンビを組んでいる僕だがあの人は他の事件で忙しくアドバイスこそしてくれるがこの事件は僕の担当となった。もちろん追い詰める前に抜かりなく応援は呼んだ。だがそれは一向に到着しなかった。なぜかというと麗華さんが同僚たちの中で完全に孤立してしまっていたからである。もちろんそれだけが理由ではないしそうであってはならない。だが「神崎なら俺らが行く前にどうせ解決するだろう」という考えが広がり強まっていたのは確かだ。しかしこの考えは確かなもので恐らく彼女なら簡単に解決できただろう。だが一つ大きな誤算があった。それはこの場に僕しかいなかったことだ。それを同僚たちは把握していなかった。彼女をいじめ、無視していたから。
「大人しく銃を渡せ」
「なぜだい?俺はこれから多くの人間をこれで殺さなきゃならない。だからこれを渡すわけにはいかない」
意味不明である。幸い麗華さんのアドバイスで死傷者が出る前にこいつを追い詰めることができたが彼女の助言がなかったらこいつが何人殺していたか分かったものじゃない。そう考えるとやはりあの人は規格外の天才だった。
「殺したい?ふざけんな。人の命をなんだと思っている」
僕はこの時かなり感情的になっていた。ここまであっさり人の命を奪うことのできる人間がいることを信じたくなかったし信じられなかった。
「君、鬱陶しいね。とりあえず殺してあげるよ」
そう言った後、男は銃の引き金を弾く。
男には躊躇がなく僕にはそれがあった。そのため一手遅れた。
放たれた弾丸は軌道を変えず僕に向かってくる。
死んだと思った。体も頭もそれを理解し動こうとしない。
「鳴宮」
パンっと押された。
押したのは麗華さんだ。他の事件で忙しかったはずの彼女だ。
そして僕がいたはずの場所に彼女がいた。
彼女は僕の代わりに撃たれた。
「麗華さん、麗華さん」
僕は急いで彼女を抱きかかえ必死に呼びかける。
「鳴、宮」
いつものはきはき堂々とした口調ではなく弱弱しい声が返ってきた。
「気になって見にきたが正解だったな」
彼女の体温が徐々になくなっていくのを感じる。
「正解?何言っているんですか。撃たれたんですよ。早く病院に――」
「私はもう駄目だ。助からない」
「……」
何も返せなかった。返したくなった。彼女が助からないなんて信じたくなかった。
「なあ鳴宮。死ぬ前にこんなこと言うのは本当にずるいと思うが言わしてくれ。この前は見栄を張って大丈夫だと言ったがな。実は全然大丈夫じゃなかった。とても辛かった。死のうとも思った。いつかは君も私を裏切るものだと思っていた。だけど君は私が思っていた以上の馬鹿で。あほで。優しくて。私を裏切るどころか元気づけようとしてくれた。助かったよ」
彼女は今にも途切れそうな声でそう言う。
「その優しさは全部嘘です。僕はただあなたが挫折なんてするのか知りたかっただけです。騙されましたね」
かーっと目頭が熱くなる。こんな時でさえこんなことしか言えない自分に失望した。
「ほら。ちゃんと私を助けれたじゃないか」
その言葉を受け、たまらず首を振る。何もできていない。されたことはたくさんあるが何かをしたことなんて一度もない。
「あれも嘘だって――」
「あれほど長い虚言があるか。馬鹿者」
……。
「なに泣いているんだ。ヒーローが人を救うときは笑ってなきゃいけない、だろ?ほらあいつをどうにかしてこい」
彼女の視線の方を見ると
「人殺しって案外つまんないな。このままいくと俺つかまっちゃうし死んじゃおう」
と言って男が自分の頭に銃口を向けていた。
「……、なってみせますよ。ヒーローに」
「ああ。ぶれるなよ。鳴宮。君はそのままでいい。そのままがいい」
麗華さんは弱々しくも芯は強くそう言って僕の胸に拳を当てた。
「鳴宮……ありがとう。君は、私の――」
彼女は最後の言葉を最後まで伝えることはなく意識を失った。
その後僕は男にとびかかり男の自殺を止めた。
目が覚めた。あれはやはり夢だったらしい。
あの後麗華さんは息を引き取った。とても美しい死に顔だった。彼女の死により職場の人間はかなり動揺していたがすぐに彼女が座っていた座の取り合いが始まった。醜い争いだった。
一方僕は刑事を退職した。組織に縛られることのない職に就こうと思ったのだ。それで探偵になり今にいたる。
今でも思う。僕がもう少し冷静だったらあんな結末にはならなかったのしれない、と。だがそんなことばかり考えていたらあの人に怒られてしまう。
最後にあの見栄っ張りな麗華さんが見栄を張らずに助けられたと言ってくれた。ヒーローになれると言ってくれた。ぶれるなと助言してくれた。だから絶対にぶれない。それが嘘であろうとも。
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