夜更かし

 ドン

 もう一度叩く音がする。

 もしや親が帰ってきた?

 ばかな、そんなはずはない。だってそうならわざわざ窓ガラスを叩く必要なんてない、玄関から堂々と入ってこればいいんだ。

 まさかドッキリ? あるいは泥棒かも……。

 微動だにできずにリビングで突っ立っていると、ガラスを叩く音だけでなく声も聞こえてきた。

「おーい、起きてんだろ宮脇、開けてくれよ」

 窓の外にいる人物の声は、どこか聞き覚えがあった。

 俺はおそるおそるカーテンの隙間から外を覗く。

「よぅ」

 そう右手を挙げてうちの庭に立っていたのは、うちのクラスの男子の小倉だった。

 小倉はうちの学年でも不良っぽいグループにいる人物で、俺との関わりはほぼ無いと言っていい、最後に話したのはいつかも思い出せないほどだ。

 いつも赤や緑といった派手なTシャツの上によれよれに着崩した制服を着ていて、茶色く汚れたスニーカーを履いている。耳には銀色のピアスがあり、それを隠すように少し伸ばした髪の毛が茶色に染めてあった。

 ただ、不良グループに属しているとはいっても他のやつとは少し違っていて、意外にも学校の授業には毎日出席していてよく顔を見せていた。休み時間にクラスのちょっとやんちゃな野球部の連中とつるんで、掃除用具で野球したりして怒られていたりもしていた。

 学校の先生にとっては、不良みたいな格好の生徒だけど授業にだけは出席して勉強しているので、逆に好感度が高い部類に入るらしかった。ピアスのことを見てないふりしたり、遅刻したり宿題をしてきてなくても言及しなかったりして、先生の中にはこいつに対しては甘い態度を見せる人も多かった。

「お前んとこ、今日は親いないんだろ、泊めてくれよ」

 え、どうして? と思ったけれど、小倉の唐突すぎる要求に俺はどう答えたらいいものかわからずに固まってしまっていた。

「まぁとにかく家に上げてくれよ。頼むよ、凍え死にそうなんだ」

 確かに外は細かな雪がちらついていた。小倉の顔は白ざめていたし、よく見ると手足は震えていた。

 そんな状態を見せられては助けないわけにはいかない。

「わかった、玄関開けるからそっちから入ってこいよ」

 そう伝えると、小倉は何も言わずにうなずいて玄関に回った。

 鍵を開けて招き入れると、オレンジ色の照明に照らされた顔は、さっきよりも幾分か血色が良く見えた。

「こんな夜中にどうしたんだよ」

「いやー悪いな宮脇。今日、親は?」

「今夜は外泊してる。それで、どうして俺の家に来たんだ?」

 小倉は俺から目線を逸らして玄関に突っ立ったままだった。しばらくした後こう言った。

「ちょ悪いんだけど、手とか温めさせてもらっていい?」

 俺はその時の小倉の顔や様子を見て、ある程度の事情を察した。

「まぁ、いいぜ。こっちに石油ストーブがあるんだ」

 俺が小倉をリビングに招き入れて石油ストーブのスイッチを入れると、小倉はその前に腰を下ろして靴下を脱いだ足と手をあてて「ありがてぇ〜なぁ〜」と天国の風呂に入ったような脱力した声を出した。

「ほらよ」

 冷蔵庫にあったお茶をコップに入れて電子レンジで温めて渡してやると「お前、天才か、気が利きすぎか、ジーニアスなのか」と感激して受け取った。

 そしてそれをゆっくりと飲み終えた後に「ふぅ〜」と溜息のような息を吐いた。

 小倉の目には赤く熱されたストーブの光が反射している。じっとストーブの中を見つめながら

「俺ぁ勘違いしてた。お前はもっと金持ちな感じのする冷たいやつかと思ってた」

 そりゃまぁ教室ではあんまり誰とも話してないからな。金持ちオーラは出した覚えがないが。

「今日はたまたま親がいなかったから特別なんだ、いつもはこんなことできないよ。そういえば、どうして俺の家の親がいないって思ったんだ?」

「あー、宮脇ん家、いつもそこに高級車が止まってんじゃん? 今日は無かったから」

「もしかしたら故障して修理に出したのかもしれないよ」

「そうかもな。だけどいつもより親のいない可能性は高い。だからあのガラスを叩いて隠れてたんだ、もし出てきたのがお前だったら『入れてくれ』と言うし、親だったら退散しようと思ってた。まぁ実際は全然誰も出てこないから親はいないんだろうと決め込んで呼びかけたけどな」

 なるほど。何も考えてないようでちゃんと考えてある。そもそも、他の家に車があるとかそういうことまで観察して記憶しているのかこいつは。

「なぁ宮脇、悪いんだけど何か食べるもの無い? 腹減っちゃってさ」

 手足が温まったようで小倉は靴下を履いて立ち上がった。

「無いことはないんだけど、うちの親厳しくてさ、何か食べ物が予期せず減ってるとめちゃくちゃに怒るんだ、狂ったように。もしバレたら反省文と正座しなきゃ」

 俺は小倉が冷蔵庫を無理して開けたりゴネたりして何が何でも食べようとするのではないかとヒヤヒヤしたが、そんな心配に反してこう言った。

「そうか、じゃあ金持ってる? コンビニでも行こうぜ」

「ちょっと待て、まさか俺が奢るのか?」

「近いうちに返す、心配すんなって」

 お金は持ってないわけじゃないけれど、今はこないだ親戚にこっそりお年玉にもらった5千円札しかない。もしこいつに渡したら全部使ってしまわないという保証はない。

「そもそも、深夜にコンビニなんて行ったら補導されるだろ」

「んなわきゃねーだろ、だったら俺は毎日補導されまくりだ。あんなもんはな、堂々としてりゃ誰も何も言わねぇんだよ。そもそも店の物盗ってるわけでもねぇし、悪いことしてないんだから捕まるわけ無いだろ。そんなバカなこと心配すんなって、ちょっと金貸してくれよ。朝から何も食べてなくて死にそうなんだよ」

 うちの学校は月に1回給食が出ない日があって、皆は弁当やパンを持ってくる。今日がその日だったのだ。小倉が「やべー昼飯忘れた!」と騒いでクラスメイトや先生に食べ物を少しずつもらっているところを俺は過去に何度か見ていた。

 だからなんとなく、小倉が朝から何も食べていないということは事実なんじゃないかと思った。そして俺は飯を食べさせてもらえないあの何とも言えないひもじい気持ちを知っている。

「でもさ……」

「俺の顔見知りの店員がいるとこがあるんだ、そこなら100パー大丈夫だ」

「わかったよ。ただし俺も行く、自由に使えるお金は貴重なんだ」

 小倉はきょとんとした顔を見せたが、しばらくして何かを察したような笑みを浮かべた。

「Done、契約成立」

 決して俺は小倉のことを信用したわけではなかった。深夜のコンビニに興味はなかったと言えば嘘になるが、補導されるかもしれないというスリルを味わいたかったわけでもない。

 ただ、こいつには自分と似た"匂い"のようなものがあることを俺は感じ取っていたのだ。

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