復讐者ととある彼女
あわい しき
復讐者の遠い記憶
そこには
薄暗い部屋、質素な物しか置かれていないそこは牢獄を連想させる。部屋の中に唯一用意された窓の
ゆっくりと誘われるように女がこちらを振り返る。女は俺の姿を見つけると瞳を大きく見開き驚いているのが見てとれた。だが、それは一瞬のことで女はすぐにその顔に笑みを浮かべる。まるで聖人のようなその笑みは俺という侵入者に慌てることも怯えることもなかった。その様子に
「こんにちは、今日も平和でいい日ですね」
何を言われたのか理解するのに時間がかかった。そしてその顔に浮かぶ笑みに心がどうしようもないくらい妙にざわついた。理解を拒否していた言葉を
女と目が合った。その両目は綺麗な海のような蒼い瞳だった。吸い込まれるようにその瞳に魅入られながら、俺は相反する奇妙な感情が心の中で混ざり合うのを感じた。首にかけている手を握りたい衝動に駆られているというのに、何故だかその手に力が入らなかった。俺の心が女を殺してしまえと囁く。だが体はそれを拒否していた。訳が分からず俺は
「貴方のお名前を教えてはいただけませんか?」
またしてもなんという
女はまるで体に付いた
この女のことといいあの日から
ニコニコとした笑みを崩さないまま女は扉に手を掛ける。ややしばらく扉を押していたが、首を傾げた後に今度は引いた。何度か色々と試した後にどうやっても開かないことに漸く気づいたのか、困ったような表情でこちらを振り返ってきた。
「扉が開かないので、お茶が入れられません」
どこか合っているようで合っていない発言に、俺は本当に脱力してしまった。この女が変な女に完全に変わった瞬間だった。
ただ静かに暮らしていただけだというのに、ある時俺の村は獣でも異形でもなく同じヒトによって滅ぼされた。
容赦なく。
残忍に。
住む土地さえも
ある者は言った。
汚れた魔女を
ある者は俺たちを見下ろして、ただ笑った。
薄汚い生き物と。
果たして俺と奴らにいったいどんな違いがあったというのか。それは殺す必要があるような違いだったというのか。そもそも奴らに俺達を殺す権利などあったというのか。命からがら奴らから逃げ延びた俺は、土地を点々としながらもそんなことを考え続けた。
疑問が幾度となく湧き出ては消える。答えのない思考は苦痛を覚え始め、眠ることさえも妨げた。現実と夢の境界が
それから少しして俺は初めてヒトを殺した。
それは幸せそうな家族だった。その家族は奴らの住む土地から遠く離れた場所でひっそりと隠れるように暮らしていた。明確な目的を持って家族に接触した俺はそこで想定外の状況に陥いることとなった。
一目見てその男が奴らと同じだと気付いた。俺は男を前にあの日を思い出し恐怖した。どんなに決意をしたところであの日の経験を克服したわけではなかった。その事実に忘れかけていることがあった。皮肉なことに男の妻はかつて奴らによって
どす黒いものが俺を支配し、気付けば男を手にかけていた。両手に力いっぱい握っていた物が力を抜いた拍子に落ちる。自分の手や体、顔に飛び散った赤いものがひどく気持ち悪かった。汚い血がかかってしまった。
倒れた体を男の妻が抱きしめている。息も絶え絶えな男の下腹部から血が止めどなく零れる。男の妻が男の傷口に手を当てようとしたとき、男が痛みに耐えながらも妻の耳元で何かを囁いているのが見えた。何を囁いたかはわからないが、男の妻は一瞬驚いた様な顔で男を見た後に、今にも泣きだしそうな悩まし気な表情を浮かべた。そして、女がより一層その体を強く抱いた瞬間男の体は急速に腐敗し最期には砕け散った。男の妻が砕け散ったものを見下ろした後、ゆっくりと顔を上げ表情の読めない顔でじっとこちらを見つめた。そんな様子にどす黒いものの中で
仕方なしに俺は母親そっくりな娘を盾に男の妻へ要求を突き付けた。いや最初は懇願したのだが男の妻が首を縦に振ることはなく、そうせざる負えなかった。女は俺に嫌悪の混じった表情を向けていたが、他に方法がない以上仲間であろうと批判を受け入れる気はなかった。
流石に娘を盾に取られてはどうしようもないと諦めたのか、男の妻は黙りこむと今度はその要求をのむ返答をした。俺は
ほっとしたのも束の間、男の妻は予想に反した行動に出た。俺が目的にしていた力を俺ではなく女に譲ったのだ。消える
それでも俺は復讐を諦めなかった。
幸か不幸か。
それから俺は数十年経ったとき偶然にも成長した娘とあの時から何も変わらない女を見つけた。
女はあの時の復讐心を何処へやってしまったのか娘と二人幸せそうにひっそりと暮らしていた。まるでかつての夫婦のような状況だと俺は思った。そして俺と女の状況の差が炎を
なぜ繰り返すのか。
あの女は
しかし、女は死ななかった。異様な事に少し冷静になった俺はこの女が最初から普通でなかった可能性に気が付いた。女は随分と俺が切望する力について詳しかった。それはもしかして女自身もそれに深く関係があったからではないのか。
そんなことを考えていたが、思考は中断された。ゆらりと起き上がった女が笑い出したのだ。俺が与えた致命傷はまるで最初からなかったかのように治癒していた。次にどう出るのかと身構えていると、女は晴れ晴れとした表情で俺に力を譲った。それは突然で女の行動の意味が俺には理解できなかった。
呆然としている俺をよそに女は消えていった。女は最期まで笑い続け、それがひどく不気味だった。だが、改めて力を得たことを実感するとそんなことはもうどうでもよくなってしまった。
これでやっと奴らに復讐できる。
「それであなたの気持ちは少し晴れましたか?」
向かい合って座っていた女がそう俺に言葉を掛けてくる。その表情はどこまでも読めないもので、少なくとも同情しているようには見えない。女の言葉に否定の言葉を返す。
晴れるわけがない。なぜなら。
「貴方は私達に対する復讐を終えていないのだから」
そう返され苦々しい気持ちになった。女はまるで俺の考えていることはお見通しだぞと言わんばかりの表情で俺は思わず拳を強く握った。あの家族や女の顔が妙に頭の中でちらついた。今更になって何故気にしているのか。
知った口を聞くな。一体お前に何がわかるというのか。お前のような女には何もわからない。
怒鳴り声への返答は「そうですね」という言葉だった。あっさりとした返答にじれったい様な胸を
「では聞きますが今の貴方は復讐をすればそれで救われるのですか?」
救われる?
俺が?
突然の質問に俺は言葉に詰まった。答えられない。救われると答えてしまえばいい、なのにどうしてもそれができなかった。女から妙なプレッシャーを感じた。
俺の為じゃないのに、俺が救われるはずがない。
「自分の為でないのだとすれば一体誰の為なのですか?」
純粋に疑問を持ったのだろう。好奇心旺盛な子供のように女は質問を投げかけている。
だがそんなの決まっている。死んでいった村人達の為だ。
「復讐することが、どうして村人達の為になるのですか?」
女が目を
奴らに自分たちと同じ苦痛を味合わせてやるんだ。心が晴れるだろう?
「死んだヒトがどうやってそれを知って心を晴らすというのですか?」
あまりにも現実的な質問に、怒りがふつふつと沸いてくる。こんな質問にどんな意味があるというのか。
「純粋な疑問ですよ。私は貴女に興味があるのです」
興味という言葉をあっけらかんと真面目に語る女に思わずポカンとしてしまった。この女は何を言い出すのか。
すると俺が唖然としているのに慌てたのか女は「あまり普通のヒトとお話をしたことがないので、いっぱい話を聞いてみたかったのです。ええと、気分を害されてしまったのならごめんなさい」と早口に話す。女は本当に申し訳なさそうにその顔を歪めて謝罪していた。そんな女の様子に俺は今度は戸惑った。
女が百面相している間に今の言葉を冷静に噛み砕く。
ああ、そうか。本当に悪意なんてなくてこの女は俺と話したかっただけなのか。嫌な女だと思いかけていたが、そう気付いた瞬間からスーっと俺の中に残っていた熱が引いていくのを感じた。
黙り込んだ俺に対して女は申し訳なさそうな顔のまま今更ながら俺の顔を
「私とお友達になってはくれませんか」
は?と、思わず本当に素っ
「また来てくださいね。お友達ですからいつでも歓迎します」
随分とお友達という部分を強調するセリフに、俺は顔を歪める。俺とお前は友達じゃない。
「じゃあ、お友達になりましょう」
女は存外にしつこかった。本当に変な女だと心底思った。大体男女二人きりで初めて会うヒトにそんなことを言い出すなんて箱入りにもほどがあるだろう。危機感というものが本当にないのか。逆に心配になる。俺はそうして逃げ出すように聖都を後にした。
それから数日聖都から離れまたいろいろな土地を訪れた。女と話し終える頃には復讐心へはどこへやら消え去ってしまったというのに、女と会わない日々が続くと破壊衝動が俺の中に戻ってきた。そしてその度に都市を訪れるが、結局何かが邪魔をして何もできないまま途方に暮れた。訳の分からない状況に何度も葛藤する。せっかく力を得てもこれでは何の意味もなかった。
そんなどうにもならない
女と話している間は、本当に昔のように何にも脅かされることのない穏やかな気持ちになれた。そんなことを繰り返すうちに女との会話を楽しむ自分がいることに気付いた。もしや女は心に作用する魔法でも使えるのかと疑ったこともあったが何度調べても彼女が魔法を使っている様子はなかった。
女を殺そうとしたこともあった。が、結果はいつも決まっていた。殺せないのなら憎みたかった。なのにあの女はそれすらも奪い去ろうとする。あの女に会ってはいけない。もう一人の俺が
だが、もう遅かった。足は自然と習慣のように彼女の下へと向かった。いつしか葛藤していたことを忘れ、復讐は頭の片隅へどす黒いものは心の奥底に蓋をして隠すようになっていた。そうして穏やかな彼女との交流が続いた。
彼女の様子は純粋な子供そのもので、部屋を訪れる度にもてなしが盛大になっていく。さすがにサプライズと称して、紙吹雪を顔面にぶちまけられたときはどうしようかと思ったが、彼女が本当に楽しそうにしているのを見てしまえば、嫌な気持ちや怒りも自然と
しかし、そんな日々も長くは続かない。彼女と出会って丸二年が経っていた。
その日は彼女の誕生日だった。誕生日を知ったのは
彼女の周囲には護衛がいくつか配備されているはずなのだが、早く来たからなのかその日は人数が少ないように見えた。きっとこの時間帯は護衛の交代か何かなのだろう。部屋の前にたどり着いた俺はいつものようにノックをして返事も待たずに扉を開ける。
そして、何も知らない愚かな俺を迎え入れたのは真っ白な法衣を胸を中心に真っ赤に染めた彼女だった。
俺は呆然とその場に立ち尽くし彼女を見つめる。そこに漂う空気は状況は違えどかつて経験したことのあるものだった。思い出したくもない忌まわしい虐殺の記憶が蘇ってくる。俺は吐き気を催し口許を抑えた。だが空の胃から
ようやっと吐き気も収まったが、目には涙が
どう否定しようとも、状況が彼女の命が失われたことを示していた。のろのろと重い足取りで彼女の下へと向かう。汚れることも忘れて彼女の上半身を抱き上げると、体は糸の切れた人形のように力がなくズシリと重かった。ふと胸元をみると錆びだらけの物が視界に入り、やけに印象に残った。が、そんなことはどうでもよく彼女の状態をもっとよく確認するためにも俺はその頬に触れる。温もりはほとんど失われていた。白かった肌も赤い唇も青く変色してしまっている。やはり彼女がその口から音を発することはなかった。
開いたままのあの蒼い目をそっと閉じ、床に横たえる。俺はふらふらと考えのまとまらない頭でその場を後にした。
彼女との別れは突然で何が起きたのかその時は彼女の死を自覚することができなかった。ようやっと彼女の死を自覚した時、大分時間が経っており今まで何をしていたのか記憶が曖昧だった。そこからは色々な後悔が頭を駆け巡る。あの時ああしておけばなんてどうにもならないことが頭からこびりついて離れない。
どうしようもないことに苛まれていた俺は怖れを抱き、彼女がいた聖都から遠い場所を巡った。そして、
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