復讐者ととある彼女

あわい しき

復讐者の遠い記憶


 そこには偶々たまたまたどり着いた。

 薄暗い部屋、質素な物しか置かれていないそこは牢獄を連想させる。部屋の中に唯一用意された窓のふちに腰を掛けた女は押し込められた籠の中の鳥という名に相応ふさわしいように思えた。それが女に抱いた最初の印象だった。

 ゆっくりと誘われるように女がこちらを振り返る。女は俺の姿を見つけると瞳を大きく見開き驚いているのが見てとれた。だが、それは一瞬のことで女はすぐにその顔に笑みを浮かべる。まるで聖人のようなその笑みは俺という侵入者に慌てることも怯えることもなかった。その様子に拍子ひょうし抜けするが自分にも理由がわからない違和感を覚えてしまった。

「こんにちは、今日も平和でいい日ですね」

 何を言われたのか理解するのに時間がかかった。そしてその顔に浮かぶ笑みに心がどうしようもないくらい妙にざわついた。理解を拒否していた言葉をようやく呑み込んだ時、頭の中で何かが弾けた気がした。気付いた時には女のまだ幼い顔が目の前にあった。俺の無骨ぶこつな両手は女の白い首を掴んでいる。俺が力を入れてしまえば容易に折れてしまうだろう細く華奢きゃしゃなものだった。だが女は状況に反してさして驚いた様子もなく、抵抗すらする様子はなかった。

 女と目が合った。その両目は綺麗な海のような蒼い瞳だった。吸い込まれるようにその瞳に魅入られながら、俺は相反する奇妙な感情が心の中で混ざり合うのを感じた。首にかけている手を握りたい衝動に駆られているというのに、何故だかその手に力が入らなかった。俺の心が女を殺してしまえと囁く。だが体はそれを拒否していた。訳が分からず俺は憤悶ふんもんする。

「貴方のお名前を教えてはいただけませんか?」

 またしてもなんという暢気のんきなことをいうこの女には危機感とか死の恐怖というものが存在しないのか。女の言葉に呆気あっけにとられた俺はすぐに自分の行動が馬鹿々々しくなってきた。それはあれほどまでに自分を支配していたどす黒い囁きを忘れてしまうほどだった。同時にその言葉に既視感を覚える。それは気のせいなどではなく、はっきりと昔どこかで同じことがあったと確信していた。だがそれを思い出すことはなく、思い出せないせいなのか胸が締め付けられる思いがした。この胸の痛みがなんなのか俺には分からなかった。

 女はまるで体に付いたちりでも払うように添えられただけの俺の手をけると、立ち尽くす俺の横を通り抜けていった。俺は一連の行動をただ目で追うことしかできない。

 この女のことといいあの日から可笑おかしなことばかりで、頭が思うようについていかない。そんな風に混乱している俺をよそに「お茶でもしましょうか」と飄々ひょうひょうとした様子で言ったのは女だった。ひょっとして俺はこの女に馬鹿にされているのだろうか。

 ニコニコとした笑みを崩さないまま女は扉に手を掛ける。ややしばらく扉を押していたが、首を傾げた後に今度は引いた。何度か色々と試した後にどうやっても開かないことに漸く気づいたのか、困ったような表情でこちらを振り返ってきた。

「扉が開かないので、お茶が入れられません」

 どこか合っているようで合っていない発言に、俺は本当に脱力してしまった。この女が変な女に完全に変わった瞬間だった。


 ただ静かに暮らしていただけだというのに、ある時俺の村は獣でも異形でもなく同じヒトによって滅ぼされた。

 容赦なく。

 残忍に。

 住む土地さえもことごとく奴らは奪い去った。

 ある者は言った。

 崇拝すうはいと。

 ある者は俺たちを見下ろして、ただ笑った。

 と。

 果たして俺と奴らにいったいどんな違いがあったというのか。それは殺す必要があるような違いだったというのか。そもそも奴らに俺達を殺す権利などあったというのか。命からがら奴らから逃げ延びた俺は、土地を点々としながらもそんなことを考え続けた。

 疑問が幾度となく湧き出ては消える。答えのない思考は苦痛を覚え始め、眠ることさえも妨げた。現実と夢の境界が曖昧あいまいなまま眠りにつくと、今度は悪夢に悩まされた。いつしか悪夢と思考によりうつらうつらとした浅い眠りにしかつけなくなり、それは徐々に体を蝕んでいく。意識が散漫さんまんとなり更に正常な判断ですらとることは困難になりつつあった。同時に悲嘆に暮れていた心は深い怒りに代わり憎悪となった。そうしていつしか憎悪は、どうにかして奴らに俺と同じ気持ちを味合わせてやりたいというどす黒いものに変わった。そこからはなんともすっきりしたもので、一度決意したら自問自答することはなくなり、俺はその日気絶するように久しぶりの深い眠りについた。悪夢は見ることはなく、代わりに奴らを皆殺しにする気分のいい夢を見ることができた。

 それから少しして俺は

 それは幸せそうな家族だった。その家族は奴らの住む土地から遠く離れた場所でひっそりと隠れるように暮らしていた。明確な目的を持って家族に接触した俺はそこで想定外の状況に陥いることとなった。

 一目見てその男が奴らと同じだと気付いた。俺は男を前にあの日を思い出し恐怖した。どんなに決意をしたところであの日の経験を克服したわけではなかった。その事実に忘れかけていることがあった。皮肉なことに男の妻はかつて奴らによっておとしめられ俺達が信仰していたモノの一人だったのだ。俺はそれを思い出すと衝撃の状況に混乱し、戸惑いを隠せずにいた。同時に悲しみと絶望にさいなまれた。

 どす黒いものが俺を支配し、気付けば男を手にかけていた。両手に力いっぱい握っていた物が力を抜いた拍子に落ちる。自分の手や体、顔に飛び散った赤いものがひどく気持ち悪かった。汚い血がかかってしまった。

 倒れた体を男の妻が抱きしめている。息も絶え絶えな男の下腹部から血が止めどなく零れる。男の妻が男の傷口に手を当てようとしたとき、男が痛みに耐えながらも妻の耳元で何かを囁いているのが見えた。何を囁いたかはわからないが、男の妻は一瞬驚いた様な顔で男を見た後に、今にも泣きだしそうな悩まし気な表情を浮かべた。そして、女がより一層その体を強く抱いた瞬間男の体は急速に腐敗し最期には砕け散った。男の妻が砕け散ったものを見下ろした後、ゆっくりと顔を上げ表情の読めない顔でじっとこちらを見つめた。そんな様子にどす黒いものの中で憐憫れんびんと胸の痛みが一瞬だけ生まれた。目を背けるようにかたわらの女を見ると、女はひどく驚き狼狽うろたえているように見えた。どうしたのかと思い声を掛けようとしたが、その前に女がこちらを睨みつけ俺を責付せつく。

 仕方なしに俺は母親そっくりな娘を盾に男の妻へ要求を突き付けた。いや最初は懇願したのだが男の妻が首を縦に振ることはなく、そうせざる負えなかった。女は俺に嫌悪の混じった表情を向けていたが、他に方法がない以上仲間であろうと批判を受け入れる気はなかった。

 流石に娘を盾に取られてはどうしようもないと諦めたのか、男の妻は黙りこむと今度はその要求をのむ返答をした。俺は安堵あんどした。

 ほっとしたのも束の間、男の妻は予想に反した行動に出た。俺が目的にしていた力を俺ではなく女に譲ったのだ。消える間際まぎわ自身の娘を女に託す言葉を残した。他にも何か言っていたが意味が分からず、俺はそれを呆然と聞き流してしまった。とめる間もなく女と娘は消えてしまった。信用していたはずの女がそれだけのり取りで俺をあっさりと裏切った瞬間だった。わざわざこの手を染め、信仰心さえもどぶに捨てたのいうのに散々な結果となり俺はその場に立ち尽くすしかできなかった。

 それでも俺は復讐を諦めなかった。

 幸か不幸か。

 それから俺は数十年経ったとき偶然にも成長した娘とあの時から何も変わらない女を見つけた。

 女はあの時の復讐心を何処へやってしまったのか娘と二人幸せそうにひっそりと暮らしていた。まるでかつての夫婦のような状況だと俺は思った。そして俺と女の状況の差が炎をあおったのを、客観的に感じた。この時俺はどんな事になろうとも自分が求める結果をつかみ取ることしか考えていなかった。これは通過点に過ぎない。今は奴らの姿を見かけても恐怖する心さえなかった。もう何者も俺の行動を止めることはできなくなっていたのだ。俺自身にでさえ。

 なぜ繰り返すのか。

 あの女はかつての娘の母のように力を娘に譲り娘をどこかへ飛ばしてしまった。思わず女を殺してしまった。

 しかし、女は死ななかった。異様な事に少し冷静になった俺はこの女が最初から普通でなかった可能性に気が付いた。女は随分と俺が切望する力について詳しかった。それはもしかして女自身もそれに深く関係があったからではないのか。

 そんなことを考えていたが、思考は中断された。ゆらりと起き上がった女が笑い出したのだ。俺が与えた致命傷はまるで最初からなかったかのように治癒していた。次にどう出るのかと身構えていると、女は晴れ晴れとした表情で俺に力を譲った。それは突然で女の行動の意味が俺には理解できなかった。

 呆然としている俺をよそに女は消えていった。女は最期まで笑い続け、それがひどく不気味だった。だが、改めて力を得たことを実感するとそんなことはもうどうでもよくなってしまった。

 これでやっと奴らに復讐できる。


「それであなたの気持ちは少し晴れましたか?」

 向かい合って座っていた女がそう俺に言葉を掛けてくる。その表情はどこまでも読めないもので、少なくとも同情しているようには見えない。女の言葉に否定の言葉を返す。

 晴れるわけがない。なぜなら。

「貴方は私達に対する復讐を終えていないのだから」

 そう返され苦々しい気持ちになった。女はまるで俺の考えていることはお見通しだぞと言わんばかりの表情で俺は思わず拳を強く握った。あの家族や女の顔が妙に頭の中でちらついた。今更になって何故気にしているのか。

 知った口を聞くな。一体お前に何がわかるというのか。お前のような女には何もわからない。

 怒鳴り声への返答は「そうですね」という言葉だった。あっさりとした返答にじれったい様な胸をむしりたくなるなんとも言いがたい気持ちが生まれる。

「では聞きますが今の貴方は復讐をすればそれで救われるのですか?」

 救われる?

 俺が?

 突然の質問に俺は言葉に詰まった。答えられない。救われると答えてしまえばいい、なのにどうしてもそれができなかった。女から妙なプレッシャーを感じた。

 俺の為じゃないのに、俺が救われるはずがない。

「自分の為でないのだとすれば一体誰の為なのですか?」

 純粋に疑問を持ったのだろう。好奇心旺盛な子供のように女は質問を投げかけている。

 だがそんなの決まっている。死んでいった村人達の為だ。

「復讐することが、どうして村人達の為になるのですか?」

 女が目をしばたかせ、悪意なく本当にわからないというように聞いてくる。

 奴らに自分たちと同じ苦痛を味合わせてやるんだ。心が晴れるだろう?

「死んだヒトがどうやってそれを知って心を晴らすというのですか?」

 あまりにも現実的な質問に、怒りがふつふつと沸いてくる。こんな質問にどんな意味があるというのか。

「純粋な疑問ですよ。私は貴女に興味があるのです」

 興味という言葉をあっけらかんと真面目に語る女に思わずポカンとしてしまった。この女は何を言い出すのか。

 すると俺が唖然としているのに慌てたのか女は「あまり普通のヒトとお話をしたことがないので、いっぱい話を聞いてみたかったのです。ええと、気分を害されてしまったのならごめんなさい」と早口に話す。女は本当に申し訳なさそうにその顔を歪めて謝罪していた。そんな女の様子に俺は今度は戸惑った。

 女が百面相している間に今の言葉を冷静に噛み砕く。

 ああ、そうか。本当に悪意なんてなくてこの女は俺と話したかっただけなのか。嫌な女だと思いかけていたが、そう気付いた瞬間からスーっと俺の中に残っていた熱が引いていくのを感じた。

 黙り込んだ俺に対して女は申し訳なさそうな顔のまま今更ながら俺の顔をうかがおうとしていた。そんな様子にどす黒いものは反応しない。

「私とお友達になってはくれませんか」

 は?と、思わず本当に素っ頓狂とんきょうな声が出た。女にそんな様子はどんな風に映ったのか、ひどく嬉しそうに笑った。やっぱり馬鹿にされている気がしてならない。

「また来てくださいね。お友達ですからいつでも歓迎します」

 随分とお友達という部分を強調するセリフに、俺は顔を歪める。俺とお前は友達じゃない。

「じゃあ、お友達になりましょう」

 女は存外にしつこかった。本当に変な女だと心底思った。大体男女二人きりで初めて会うヒトにそんなことを言い出すなんて箱入りにもほどがあるだろう。危機感というものが本当にないのか。逆に心配になる。俺はそうして逃げ出すように聖都を後にした。

 それから数日聖都から離れまたいろいろな土地を訪れた。女と話し終える頃には復讐心へはどこへやら消え去ってしまったというのに、女と会わない日々が続くと破壊衝動が俺の中に戻ってきた。そしてその度に都市を訪れるが、結局何かが邪魔をして何もできないまま途方に暮れた。訳の分からない状況に何度も葛藤する。せっかく力を得てもこれでは何の意味もなかった。

 そんなどうにもならない悶々もんもんとした気持ち抱えた俺は気付くと誘われるように女の部屋を訪れていた。部屋へ入ると笑顔で女が迎え入れる。なんだか悪いことをしている気分になってひどく罰が悪かった。

 女と話している間は、本当に昔のように何にも脅かされることのない穏やかな気持ちになれた。そんなことを繰り返すうちに女との会話を楽しむ自分がいることに気付いた。もしや女は心に作用する魔法でも使えるのかと疑ったこともあったが何度調べても彼女が魔法を使っている様子はなかった。

 女を殺そうとしたこともあった。が、結果はいつも決まっていた。殺せないのなら憎みたかった。なのにあの女はそれすらも奪い去ろうとする。あの女に会ってはいけない。もう一人の俺が警鐘けいしょうを鳴らす。ここにいてはいけない。

 だが、もう遅かった。足は自然と習慣のように彼女の下へと向かった。いつしか葛藤していたことを忘れ、復讐は頭の片隅へどす黒いものは心の奥底に蓋をして隠すようになっていた。そうして穏やかな彼女との交流が続いた。

 彼女の様子は純粋な子供そのもので、部屋を訪れる度にもてなしが盛大になっていく。さすがにサプライズと称して、紙吹雪を顔面にぶちまけられたときはどうしようかと思ったが、彼女が本当に楽しそうにしているのを見てしまえば、嫌な気持ちや怒りも自然としぼんだ。その笑顔は何かあの蒼に浮かぶ輝く光とは違う美しいもので、もっと見ていたかったのだ。

 しかし、そんな日々も長くは続かない。彼女と出会って丸二年が経っていた。

 その日は彼女の誕生日だった。誕生日を知ったのは偶々たまたまだったのだが、彼女は話した後になぜか後悔したような顔をしていた。何があるのかは知らないが、俺は意趣返いしゅがえしのつもりで彼女を驚かせようとその日いつもより早く部屋を訪れた。

 彼女の周囲には護衛がいくつか配備されているはずなのだが、早く来たからなのかその日は人数が少ないように見えた。きっとこの時間帯は護衛の交代か何かなのだろう。部屋の前にたどり着いた俺はいつものようにノックをして返事も待たずに扉を開ける。

 そして、何も知らない愚かな俺を迎え入れたのは真っ白な法衣を胸を中心に真っ赤に染めた彼女だった。

 俺は呆然とその場に立ち尽くし彼女を見つめる。そこに漂う空気は状況は違えどかつて経験したことのあるものだった。思い出したくもない忌まわしい虐殺の記憶が蘇ってくる。俺は吐き気を催し口許を抑えた。だが空の胃からり上がってくるのは胃液だけで、それでも楽になりたくて何度も吐いた。

 ようやっと吐き気も収まったが、目には涙がにじみのどが焼けつくように痛かった。深呼吸しもう一度辺りを確認する。そこで少しだけ頭が冷えた俺は何かの冗談なのではないかという希望を胸に抱いた。震えた声で彼女の名を呼ぼうとするが、今更俺は彼女の名を知らないことに気付きただ声を掛けた。が、返答はなく床に眠るように倒れる彼女はぴくりとも動かない。それを意識し始めたからなのか、その蒼い瞳がより一層濁って見え、床に広がる赤はより鮮明に映った。

 どう否定しようとも、状況が彼女の命が失われたことを示していた。のろのろと重い足取りで彼女の下へと向かう。汚れることも忘れて彼女の上半身を抱き上げると、体は糸の切れた人形のように力がなくズシリと重かった。ふと胸元をみると錆びだらけの物が視界に入り、やけに印象に残った。が、そんなことはどうでもよく彼女の状態をもっとよく確認するためにも俺はその頬に触れる。温もりはほとんど失われていた。白かった肌も赤い唇も青く変色してしまっている。やはり彼女がその口から音を発することはなかった。

 開いたままのあの蒼い目をそっと閉じ、床に横たえる。俺はふらふらと考えのまとまらない頭でその場を後にした。

 彼女との別れは突然で何が起きたのかその時は彼女の死を自覚することができなかった。ようやっと彼女の死を自覚した時、大分時間が経っており今まで何をしていたのか記憶が曖昧だった。そこからは色々な後悔が頭を駆け巡る。あの時ああしておけばなんてどうにもならないことが頭からこびりついて離れない。

 どうしようもないことに苛まれていた俺は怖れを抱き、彼女がいた聖都から遠い場所を巡った。そして、いまだに立ち直るきざしすらない俺は何かから逃げるように訪れた小大陸で、ある少女に出会ったのだった。


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