宵世界紀行

有塩 月

宵世界紀行

 寝付けない夜だった。いやに秒針の音だけが大きく響いて、目線は否応なしに時計へ向かってしまう。針は三時を越えている。


 どうにも寝れない夜は、気分転換に外を散歩するに限る。寝床から這い出て重い体を引き摺り、身だしなみなどお構い無しに、乱雑な髪の毛、だらしないスウェット姿のまま外へ出る。


 夜も深まった頃の散歩は好きだ。誰もいなくて自分の足音のみが聞こえてくる。まるで世界に自分だけかの様な錯覚に陥ってしまう。


 恐らく、世界の終末はこれほどに静かなのかも知れない。夜中も世界の終末も、静謐と切なさをはらんだ空気がそこにはあるのだろう。


 そういったとりとめのないことを考えながら、自分の主観ではゴーストタウンと化した町を歩いていた。


 ふと、足を止める。どうやら見知らぬ場所に迷い混んでしまったらしい。どこだここはと見渡すが覚えがない。来た道を引き換えそうと振り返っても、本当に自分はこの道を先ほどまで通っていたのか疑わしくなるほどだった。


 考えごとをしていたとはいえ、歩き慣れた道である。このような所に迷いこむ道理はないはずだが。不思議なこともあるものだ。


 この場所はどこか寂れていた。街灯には蔦が巻き付き、周辺の建物は異国の雰囲気を醸し出している。


 辺りは薄暗い街灯にぼんやりと照らされているだけで、心細い。流石にこのような辺鄙な知らない土地で、所持品もなく一人というのは恐怖を抱いてしまう。


 しかしまぁ、どうせ孤独に歩かなければならないのであれば、ゆっくり家を目指しつつ、楽しむことにしよう。


 何分か歩いたあたりで、食欲をそそる匂いと共に橙色の暖かな光が見えてきた。


 どうやら屋台のようだが、このような人びとが寝ている夜更けに営業というのは、どうにも怪しい。怪しすぎる。


 しかし、悲しいかな三大欲求の食欲に勝てない。ふらふらと虫のように誘われ、屋台に近づいてしまう。


 屋台はラーメン屋で、マスターと大柄な先客が一名いるようだ。


 私も隣に座ろうとした。と同時に私の気配に気づいたのだろう。客がこちらを振り返った。


「ヒッ……!」驚き、尻餅をついてしまう。


 なぜなら、今、私の目に映る存在が人ならざる者だったからだ。


 なんとも形容できぬような見た目をしている。180㎝ほどの球体の様な図体に、全身緑色の様な毛が生えており、マリモに手足が付いた様な生き物に見える。後ろからでは、暗がりもあって、服や帽子も身に付けていたので分からなかったようだ。


「おや、人間が来るとは珍しい」

「しゃ、しゃべ……!」


 喋った。という声は最後まで口からでていかず、ただ口を金魚かのごとく動かすだけになってしまった。


 このような人語を使用する化物に出会った時は、三十六計逃げるに如かずなのだろうが、生憎、腰が抜けて動けない。


「ふむ、大丈夫であるのか?」

 妙な日本語で話しかけ手を差しのべてくる。

 理解不能。本当に、理解不能だ。


「話が通じるのか……?」と、問いかけてみるも、どうやら話が通じるのは、日本語ではなしかけられたことから分かりきっていた。


「ふむふむ、もちろん。ここに人間が迷いこむのは珍しいがあることだ。人間語はいくつか使えるのだ」


 コミュニケーションを取れると理解したら、妙に冷静になった。どこか、現実味が無さすぎて、どこか映画を見ているような気分も拍手をかけたのだろう。


 話せるのなら、文字通り話は早い。コミュニケーションを取れる化物より、理性の通じぬ人間の方が怖いのだから。


「そ、そうですか。で、あなたはどういった生物なのですか?ここに人間が迷い混むというのは?ここはいったい?」

 分からないことが多すぎて、どうにも早口になってしまう。


「どうどう、順番に説明しよう。ふむ……私がどんな生物かと聞かれても困るのだ。人以外の知性ある生き物と答えるしかないだろう。君は自分がどんな生物かと聞かれたら、ホモ・サピエンスと答えるのかね? そもそも生物分類というのは人間が定めたものであり、私は人間から生物分類されていないので、人間に対し、自分がどんな存在かと説明することは……」


「わ、わかったわかった、わかりました。ならここはどんな場所なのですか? 家に帰りたいのですが」


 長くなりそうなので遮って別の質問をすることにした。すると、緑の化物、面倒くさいのでマリモと心のなかで呼ぶことにする。マリモは思案しているのか目を細め、一言一言を丁寧に語り始めた。


「ここがどこか……。それは人によって答えは変化するだろう……。夢の中なのか、宵闇と朝の狭間なのか……」


 ゆっくりと語られるその言葉は、どこか真実味を帯びていて、一言一句を噛み締めるように聞き入ってしまう魅力があった。

 確かにこのような出来事、夢でなければおかしいだろう。もしくは幻覚を見ているかだ。


 一筋の汗が伝う。生唾を飲み込んで、次に紡がれる言葉を待つ。


「それはお前ねぇんのみえいるむにぇ……」

 急に日本語でなくなり、異界の言語による精神攻撃でも始まったのかと思った。が、どうやらただ、寝ているだけのようだ。目を細め、ゆっくりと語っていたのは、単純に睡魔に負けかけていたようである。


「あ、あの起きてもらいたいのですが」

 おっかなびっくり体に触れ、揺らしてみる。

「んぁ? あ、あぁ起きている。起きているともよ」

 嘘だ。絶対に寝ていた。わざとらしく咳払いをして、目を擦っている。


「で、えぇとどこまで話したか、そう、ここがどんな場所かだが、まぁ、お前さんの見ている夢だよ。そう解釈してもらって問題ない。じきに覚める」

 なるほどなるほど。つねったが、痛覚が存在していることが分かっただけだった。


「いや、そう言われても。確かに非現実的で夢のようですが、つねると痛い上に意識がはっきりしているのですが」


 夢だと解釈しろと言われても、いささか暴論に過ぎる。確かに夢だと解釈しなければやってられない状況ではあるが。


「そのような夢もあるだろう。ここには夜中から夜が明けるまでの時間、希に人間が迷い混むことがある。結局、人間に理解することはできぬ異世界のようなものだ。なら夢ということにしても問題ないだろう。人間は分からぬものを分かるように、解釈するのは得意だろう」


 なんとまぁ、身も蓋もないことを言うものだ。確かに人間はそのように文明を築いてきたのかも知れないが。


 とりあえずは、ここが夢であろうと、異世界であろうと家に帰れなければ困る。


「う~ん。ともかく、この夢、異世界とやらはどうやって脱出できるのですか」


「そうだな、朝が昇れば自然と戻れるだろう。それまで観光でもするとよい。意外とここに来た人間からは人気である。ここのラーメン屋のように人間の食べ物もあるぞ。お土産屋もな」


 存外、人間に染まっているというか俗物的である。しかしラーメン屋と聞いて思い出したかのように食欲がでてくる。そういえば突然の事態にすっかり忘れていたが、マリモだけでなくマスターもいたのだった。


 店主は一見人間のようだったが、肌は赤茶色で、とても小さく130㎝ほどで、顔は50代の様に見える出で立ちだった。踏み台を使っているのだが、カウンターで隠れ、平均的な身長に見えていた。今まで、私とマリモの会話にまったく入って来なかったことから、相当に無口なのだろう。


「味は一つだ」マスターは端的にそれだけ言う。私が戸惑っているとマリモが「あぁ、よろしく頼むぞ」と一言だけ、私の代わりに注文してしまう。


 しばらくするとオーソドックスな醤油ラーメンがでてきた。空腹、しかもこの時間にラーメンというのは、実に甘美で背徳的ですらある。


「これを食べたら、黄泉戸喫よもつへぐいの様にこの場所に縛られ、永遠に抜け出せないみたいなことではないでしょうね」


 いかんせんどこか非現実な状況と、マリモなどが敵意のないこともあいまって気を抜いてしまいそうになる。しかしここが知らぬ場所で、隣にいるのは、訳の分からない生命体だというのは事実なのだから、疑って損はしないはず。


 知性ある生き物ということは口では何とでも言えるのだから、物語の様に騙されて自分が食されてしまっては元も子もない。

 これが夢だと断じられれば楽なのだろうが。


「その、ヨモツヘグイというのは分からないが、このラーメンを食べて、何かがあるわけではないぞ。しかし、私の言葉を保証するものは無いのだから、ここに来る人間は腹をくくって食べる人間と、疑って食べない慎重な人間に分かれるがの」


 結論から言うと、私は前者だった。

 私は食欲には抗えない人間のようで、恐る恐る口を付け、何か変わったものが入ってないどころか美味いことが分かると、一気に完食してしまった。


「ご馳走様でした。なるほど、これで分かりました。あなた達は悪い……人? いや悪い生き物ではないと。なぜなら美味しいご飯を人に与えるものに悪いものはいないからです」


 現実のラーメン屋よりも数段上だった。これで確信した。良からぬことは考えてないと。美味しいご飯は正義であると。


「う、うむなるほど。幾人かの人間を見てきたが、ここまで食欲に忠実な人間も珍しい」

 まるで私が食べ物のことしか脳にない人間だと思われているようで、不本意だ。自分だって食事以外にも色々と思考している。多分。


 ここである重大なことに気がついてしまう。

「あ、その、今気がつきました。すみません持ち合わせがないのですが」

 困った、これでは無銭飲食になってしまう。ここまで美味しい物を食べさせてもらっておいて、対価を払えないのは、私にとって万死に値する。


「金は気にするな。片付ける」

 マスターはそう呟いて、私の目の前にあるどんぶりを片付けた。

「いや、しかし流石にただというのは」

「気にするでない。どちらにせよ人間の金はここでは無価値での。ここは自分に任せなせぇ」


 マリモが安定しない口調でそう言うと、恐らくこの世界での貨幣の様なものをマスターに渡していた。

 はからずも、奢ってもらってしまった。


「いや、すみません、本当にありがとうございます」未知の生命体とはいえ、この恩は忘れないことにしよう。


 しかし、まだまだ、分からないことだらけなのだが、警戒心も薄れ、打ち解けてしまったようにも思える。

 あまつさえ、奢ってもらうなど。


「うむうむ。では行くか」

「どこに行くのですか?」

「この世界を案内するのだな。観光である」

 そう言えば自然と帰れるまで、観光でもしておけ。などと言っていた気がする。

 もう既にこの場所に慣れ始めていた。人間は慣れる生き物だとは言うが、特異なことであっても慣れてしまうのはどこか恐ろしい。


「分かりました。では、お願いします」

 帰り方は未だに分からない。朝になれば自然と帰れるとはいっているが本当のことかどうか。しかし、手掛かりは目の前のマリモしかいないのだ。どちらにせよ付いていくしかないだろう。


 2人、いや1人と1体? で、マスターにお礼を言うと、歩き出した。


「うむうむ。しかし、言うのもなんだが、ここまでトントン拍子に話が進むのはなかなか無いことだ。普通の人間はもう少しパニックになるものだと思っていたが」

「なら、私が普通ではないのでしょう。まぁ、奢ってもらいましたので、今更、疑いませんよ。疑おうが信じようが、この場所を知っているのはあなた達だけですので、付いていく以外の選択肢は難しいです」


 確かに普通の精神状態で無いことは認める。今まで、物語などで変わった状況に直面した主人公達を見て、ここまで冷静に行動できるはずが無いだろう。と思っていたが、人間は余りにも自分のキャパシティを越えた、異質な現象に巻き込まれると一周回って冷静になってしまうようだ。


 そういったこととは別に、私自身が危機感が不足していること、相手に私に危害を加えることはないと確信してるのもあるだろうが。


 今の心境は半ばヤケクソであるとも表現していい。どうせ状況を理解できないのならば、どうにでもなってしまえ。


「随分と肝の座った人間である」

「そうですかね。ところで、ここは希に人間が迷い混むと言っていましたね。その影響で先ほど言っていたお土産屋やラーメン屋というものがあるのですか?」

「その通りだ。人間が迷い混み、人間の話を聞いて、人間の文化を取り入れる。いつからかは分からぬが、このようなことが昔から行われている。だから、人間が迷い混んだら危害を加えるべからず、この世界を案内すべし、と取り決めがある」


 どうやら、この世界は人ではない魑魅魍魎のような生物が住み、昔から、どれほど昔からかは分からないが、人間と交流して、文化を紡ぎあげてきたというわけか。


 夢か現か。事実は小説より奇なり。今、私が直面しているのは夢であろうと、フィクションであろうと、ある意味で"現実"だ。矛盾しているようだが、夢でも醒めるまでは虚構ではなく、現実なのだ。ならば今いるこの世界を現実だと断じても問題ないだろう。


 そう解釈するとどこか府に落ちて、冷静になり本来の自分の性格がでてきたのか、考えが切り替わった。まだまだ家に戻れないのならば楽しもう。せっかくの非日常だ。もう少しこの世界について知りたくなってくる。


 不思議な世界がどこか片隅にはあって、人間には知られず文化を育み、人間が迷い混み、朝が昇ると帰れる。整理するとこのようなことだろう。


「しかし、人間のお金は流通していないわけですよね? お土産屋があっても買えないような気もしますけど。それに、この世界の特産品が売られているのですよね。持ち帰っても、いや持ち帰れるのですか?」


「少量であれば問題ない。持ち帰れるかどうかはおいおい、身をもって体験できるだろう。それに、お土産は人間が買うのではなく、この場所の住民が買って贈るのでな」


「なぜ、そこまで人間に?」


「人間とは昔から交流があるのでな。娯楽と文化を伝えてくれるよき友人だ。人間に贈り物をすると幸運が訪れるという言い伝えもあるぐらいであるぞ」


「随分と人間に都合が良い言い伝えですね。しかし娯楽と文化を伝える……私が教えられることなどあるか疑問ですが」


「伝えなければならないわけではない。どちらにせよ、近頃は人間が来るのも無くてな。なぜかは分からぬがぱったりと来なくなってしまった。最後に来たのは、いつだったか……」目を細め、思いを馳せるように。どこか、寂しげで物憂げに見えた。


「ともかく、そういったことを伝えていたから、利用価値があると判断され、人間に危害を加えるなと言うルールができたと。この世界の経済や政治はどうなっているのですか? 貨幣や決まりができているということは、上に立つ者がいるのではないですか?」


「質問が多いものは嫌われるぞう。まぁ、そもそも今では、この世界の住民はもう少ないからのう。今はこの世界のことをはなしすぎるのは禁止されていてな」


 文化交流しているというのに、禁止しているというのは矛盾している気がする。今はということは何かあったのだろうか。しかし、"世界の住民が少ない"の言い方にどうにもひっかかる。この世界とやらはそこまで、世界規模で過疎なのだろうか。


 ふと、考えた。よく物語にあるだろう。妖怪や不思議な生き物は、人間の想像力によって形作られると。もしかしたら、この世界は人間の想像力によって作られ、人間の文明が発達して、不思議な物が信じられなくなっていくにつれて、廃れていくのかもしれない。など取り留めのないことを考えたついた。


 笑ってしまうような理屈だが、非現実的な世界に現実的な論理を適用しても、面白くないだろう。自分が上機嫌なのがわかる。高揚していて笑みが勝手に溢れる。どうやら非日常を前に昂っているようだ。


 しかし、禁止されているのならば仕方ない。そもそも、異世界のことなど、話をしただけで知ろうなどおこがましい。謎は謎のままが美しいと誰かが言っていたはずだ。


「あの森を抜けるぞ」

 荒れている道に変わり、開けた場所にでた。目線の先は闇に溶け込んでしまっている。目を凝らすと、道は鬱蒼とした森につづいている。あの森を抜けるとしたらなかなか覚悟が必要そうだ。


「では、先導する。はぐれぬようにな」

 どこからかランタンを取り出し、先に進んでしまう。あわてて追いかけて森のなかに入ると、ランタン以外にも光源があった。光ゴケのような植物とホタルが様々な淡い色彩で発光している。

「これは……圧巻ですね…………美しい」

「我々には見慣れた光景だがね。人間には珍しいだろう」


 木々は雄大さを感じるぐらいにうねり、空の柱のように伸びていて、葉は空を覆うほどに生い茂っていて月明かりさえ届かない。だからこそ発光植物と光の道筋を描くホタルが映える。そのようなコントラストのある風景は、正に異世界然としていて、瞬きすら忘れるほどに幻想的だった。


「そろそろ抜けるぞ」

 あっというまだった。目を奪われながらも舗装のされていないみ歩いていたら、もう森の終わりまで来ていたらしい。

「もうですか。そういえばどこへ向かうか聞いてい……」

 言葉は最後まで発せられなかった。


 トンネルを抜けるとそこは雪国だった。ならぬ、森を抜けるとそこは街だった。とでも言おうか。

 人とは違う様々な奇妙な生物がひしめき、活気に溢れている。


 悪路はベージュの石畳で舗装された大きな道に変わり、石造りの建物が所狭しと存在している。大通りである自分達がいる場所を直進すると噴水広場と大鐘の設置された時計台がある。


 そこかしこから露店商の呼び声と奇っ怪な形をした楽器の音色が聞こえてくる。明かりは街灯ではなく、提灯で照らされ、赤いぼんやりとした光を放つ提灯が並ぶ様は、賑やかであるのにどこか儚さを感じる綺麗さだった。


「ここが、この世界の、街だの」

「このような時間なのにとても賑やかで、美しいですね……」


 軽い感動を覚えながら呟くと、そういえば、ここに来てから随分と時間が過ぎていたことに気がついた。


「気がついたかね? それはここが異世界だからだと思えばいい。時間も違うとだけ言っておこう」


 なるほど、時間が明らかに経っているのに夜が明けないのは、ここが異世界で時間の流れが違うからだと。いちいち疑問に思わず異世界だからと流したほうがよさそうだ。


「ではこれを被っておけ、人間が久しぶりにいるとわかったら面倒くさいことになって、満足に移動できんからな」

 猪の被り物の様な物を投げ渡して来た。どうやらこれを被ってこの世界の住民の振りをしろということだろう。意外と伸縮性がある。被り終えるとマリモが歩きだした。


「では行くぞ」

 異国風の賑わいを見せるメインストリートを進む。様々な物が雑多に飾られている露店商の市場のようだ。角が生えたもの。3mもの巨体を持つもの。毛むくじゃらのもの。あらゆる生き物が商品を物色している。


「凄い……物語の中に入っているようだ」

「なかなかいいものだろう」

 と、感動していると何者かが近づいてきた。


〇〇〓〓∥∥! 〓〇〇〝〝〝〓〓〓〓!おぉ旦那! お久し振りですね!

 どうやらマリモの知り合いのようだ。豚が二足歩行しているかのような生き物に見える。しかし何を言っているのかさっぱり分からない。


◆◆ΩΩ、◎◎◎◎◇◆◆久しぶりだな、調子はどうなのだ

▼▼◆◆□□★★○○! ♯♯、〓〓?いやぁぼちぼち稼いでますぜ! ところで、そちらは?

 いきなり、指をさされ驚いてしまう。


∴∴∴≫≫。≪≪≪∬ÅÅ∮●○○〓知り合いでな。街で一杯やろうと思ってな

●●●○、◯◎◎? 〓〓λλ∝≡≡?なるほど。どうです? いいもの仕入れてますぜ。見ていきません?


 豚の風体をした生物は、背負っていた籠をこちらに見せてくる。様々な品が入っているがどういう意図だろうか。戸惑っていると、マリモが注意するように豚を小突いた。


⇔⇔、∝√√√≒⊥⊥∩∩⊂⊂≦≠≠≠これ、人の知り合いにいきなり商売話をするでない

●、◆◆〓〓〓。◇◇◇、◯◯◯ΩΩいや、すみません。それでは自分、取引があるので

≒≒、∮∮では、またな


 恐らく商豚だったのだろう。去っていく背中を見つめていると、高鳴っていた心臓が何とか鳴りを潜めた。


「堂々とするがよい。あまりおどおどしていると、不審に思われるぞ」

「そう言われましてもね。こればっかりは仕方ないです」


「ふむ、そうか。まぁいきなり戸惑わせてすまなかったな。悪い奴ではないのだが。ともかくこのように人と同じく様々な奴がいるのでな」

 基本的に人間とあまり変わらないのだろう。文化も街も、色々な者がいることも。


 そこから、人? 混みを縫って、一つの店の前でとまった。

◯、ÅÅ∬≫≫どれ、これを一つ

∝●●あいよ

 マリモは店主と一言二言交わして何かを買ったようだ。


「では、一度街から離れるか」

「はい」

 もう少しこの街を見てみたいが、一人で回るわけにも行かない。

 

 そこから、様々な場所を回った。そのどれもが美しく、およそ普通では見られぬような奇妙な光景だった。


 桜に似た植物が周囲に群生している、水が滝壺から空へ落ちる荘厳な滝。草木に侵食された天まで届くような岩遺跡群。寒冷地でもないのに波の形を保ったままに凍ってしまっている海岸。虹色の砂に覆われた砂漠。


 何と不可思議で奇々怪々なのだろう! これほどの土地の特徴も気候も違う場所が、徒歩で行けるほどに密集し、まだ夜すら明けてないのだ。これが、これこそが正に異世界だと断じれる証拠である。


「ここまで、奇妙で綺麗で美しい場所達は初めて見ました。未だにこの世界も貴方のことも分かりませんが、本当にありがとうございます」

「あぁ、古きよき友よ、喜んでもらえたのなら何よりだ」


 今は、高台の平野にいた。空には月が大きく見えており、無数の星が瞬き、絶え間なく流星が表れては消えている。見下ろした先には、先ほどまでにいた街がまるで全体が発光しているかのように、たくさんの提灯の淡い赤色の光に包まれ、巨大な星にも見える。地上の星と頭上の星。星の平野とでも名付けよう。


「では、これを送ろう」

 すると、マリモは小瓶を差し出してきた。

「これは?」

 中には、薄緑の光を放つ植物が入っている。

「そちらの世界にはない植物だ。小瓶を開けたら自動的に枯れるようになっているので、生態系や研究される恐れはない。これを贈り物としよう」


 あぁ、街で買っていたものはこれだったのか。確かお土産を贈ると幸運が訪れるとかいっていたはずだ。このように美しい物を貰えるなど、申し訳なさすら沸いてきてしまう。


「ありがとうございます。大切にしますね」

 私は心からの礼を言うと、深々とお辞儀をした。そういえば。


「そういえば、私はまだ名前すらも言っていなかった気がします」


 そうだ、あちらからは様々なことを話をしてもらったが、私のことはまったく伝えてなかった。基本的なことを失念していた。名前ぐらいは伝えておくべきだ。私が口を開こうとすると、手を挙げて制された。


「よいよい。訪ねてきた人間のことを知らぬのもまた一興。謎は謎のままが美しいというもの。所詮、交わらぬ世界の者同士、どちらも知らぬままがいいだろう。会った証拠はその小瓶だけで十分だろう」


 驚いた。謎は謎のままが美しいなど、私に考え方が似ているのかもしれない。ここに来て妙な共通点を見つけてしまった。確かに、私は目の前の生き物の名前も知らない、未だに夢と思うような状況なのだ。互いに知らぬままが、気楽で、だからこそ美しいのだろう。


「なるほど。分かりました、本当にありがとうございます」

 再度、小瓶を握りしめお礼を言う。


「むぅ……名残惜しいが、夜が明ける」

 急に脈絡もないことを言い出した。しかしその言葉には心当たりがある。


「夜があける、それは――」

 瞬間、朝日が平野の向こうから昇ってきて眩しさに視界を奪われ、柔らかな光に包まれる。何か言われたが、聞き取れなかった。


 朝。けたたましいアラーム。鳥の囀ずり。見知った天井。


 ベッドの上で、夜中に散歩にでかけた時と同じ服装で目が覚めた。混乱を抱えながらも、アラームを止め、時計に目線をやると、七時を指していた。


 おかしい、どこからが夢だったのだろうか変な世界に迷い込んだ所から? それとも、ベッドから這い出て夜の散歩に行くところからだろうか? ベッドで目覚めたということは、全て夢だったのだろう。しかし、妙に現実感のある非現実的な夢だった。さきほどまで、星降る平野にいたはずいたのがハッキリとした感触を伴ってまざまざと思いだせる。


 ともかく、混乱した頭をスッキリさせるため、シャワーを浴びようと起き上がったときだった。硬いフローリングの床に何かが落ちた音がした。確認すると、小瓶だ。中の植物はカーテンの隙間から漏れだした陽光を吸ってキラキラと輝いている。


 それを見た瞬間、笑みが浮かんでいた。

 カーテンと窓を開け、ベランダにでる。

 結局、小瓶があれどあれが夢だったのか分からない。現実だと証明することはできないのだから。


 空を見上げ、小瓶を太陽にかざしそんなことを考えていた。しかし満面の笑みを浮かべて。

 変わったことといえば、これから、真夜中に、あの奇妙な体験に、思いを馳せることが多くなるだろうということだけだった。

 

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