第4話 大国の継承者④

「つ……疲れたぁ………!」


 寮舎内の長い廊下を、エルシはまるで亀のようにのろのろと歩いていたの。

 あのあと童話学園フェアリアに戻る途中で連絡が入り、エルシとカタリーナはヴィランズを退治しに郊外へと赴いた。今まで屋敷の外に出たことのなかったエルシは遠出したことがなくってね。あちこち歩き回ったせいでくたくたになってしまった。エルシ達が寮舎に辿り着く頃には、すっかり日が暮れていた。


「じゃあ俺、ハインリヒ女王に報告してくるッスね」


と言ったカタリーナと別れたのはついさっき。教えられた通りに廊下を進んでゆくと、エルシはある部屋の前に辿り着いた。

 ハート、ダイヤ、スペードに、クローバー。ドアにはトランプのマークで縁取られたネームプレートが掛かっていて、エルシは一目で分かったの。ここは姉のエリーシャが使っていた部屋だってね。それだけで疲れなんて吹っ飛んだ(「もしかすると、この部屋にエリーシャがいなくなった原因の手掛かりがあるかもしれない!」って考えてさ)。たちまちに心が軽くなったエルシは、早速ドアノブを捻ったの。


 猫のぬいぐるみ。

 うさぎ型の壁時計。

 きのこの形を模したテーブルの上に、置かれたままのアフタヌーンティーセットとケーキスタンド。

 ベッドサイドテーブルの上に並んだ無数の小瓶には、色とりどりの液体が入っていた。


「うわぁ…………」


 室内を見回したエルシは、自然と声を漏らしたの。その空間はエリーシャのお気に入りの家具や小物で満たされていた。どれもリデル家の屋敷から持ち出した姉の私物で、エルシもよく知る物ばかり。ハインリヒ女王の配慮なのか、室内はエリーシャがいなくなった時のままで置いてあるようだった。もしかすると、姉が行方不明になったのは嘘で、今すぐにでもドアを開けてエリーシャが入ってくるのではと、思い違いしそうになるほど生活感に溢れている。ティータイムの途中で呼び出されたのか、カップに入っている紅茶までもがそのままだ。


「さすがに紅茶は捨ててよ……」

とエルシ。ハインリヒ女王のいい加減さに少しばかし呆れた。


 その時ね、ある場所がエルシの目に止まったの。それは薄い水色のレースカーテンで覆われた天窓付きベッドで、エリーシャのお気に入りのひとつだ。エルシはベッドを凝視した。


 今、確かにカーテンの奥で、何かが動いたのだ。

 どくんと心臓が跳ねる。

 まさか。

 もしかして。

 期待と願望の入り交じった感情を胸に、エルシはカーテンを勢いよく開いた。


「ッエリーシャ!」




 眼下に見下ろす真っ白なシーツの上に、碧く美しい髪が広がっていた。

 ベッドに転がるのは艶美な姿態の少女。

 微動だにしないその姿に、エルシはちょっぴり心配になったの。寝ているだけだよね、死んじゃあいないよね?しばらくじっと見ていると、長い睫毛がふるふると震え、そして開いた。海より深く空のように澄んだ碧色の瞳がエルシの姿を捉えた。


「お帰り、なさい」


 少女が頬笑む。愛おしいげに囁かれた言葉に、


「…………ただいま」

つられてエルシも笑みを浮かべた。

 そして。



「誰ですか!?」


 エルシは目を白黒させながら飛び上がったの。打ち上げられたロケットみたいに勢いよく跳ねたせいで、エルシは尻餅をついた。


 全然知らない人がいた。

 全然知らない人が、姉のベッドでうたた寝していた。

 ひょっとして部屋を間違えた?いやでも家具も小物もエリーシャの私物だしなあ。エルシが自問自答していると、少女はゆっくりと身を起こした。


「新入りさん、かしら……?」


「あ、うん。エルシ・リデルです」


「………そう、………貴方が、ね」

と少女、

「可愛い人………青のリボンが、とっても、似合って、る」

と言うと、エルシの項を指差した。エルシの肩まで伸びた髪を緩く結わえる青いリボンは、幼い頃にエリーシャが誕生日プレゼントにと贈ってくれたものだ。姉とお揃いの物がほしいと駄々を捏ねたエルシに、エリーシャは自分の宝物だった青いリボンをくれたのだ。


「ありがとう、これは僕の宝物なんだ」


 大好きなエリーシャに貰ったこの青いリボンが自分によく似合っていると褒められ、エルシは素直に嬉しかった。


「私は、セーレン」

と名乗った少女がベッドから降りた。そして尻餅をついたままのエルシに跨がり、膝の上に腰を下ろした。


「あのう、セーレン?ええと…………重いんだけど」

とエルシが困惑気味に言う。


「可愛い人って、素敵」

とセーレン。


「無視?」


「素敵ね……」


 当然の如く無視された。まるで聞こえていないようだ。この距離でそんなわけないだろうとエルシは不思議に思ってね。眉を顰めるエルシを眼前に、セーレンの頬にほんのりと赤みがさした。


「貴方を見てると、胸が、ドキドキするの。これって、もしかして………」

とセーレンが自分の胸元に手を添えた。


「えっ心不全?大丈夫なの?」

とエルシ。てっきり自分のせいで病気になったのかと心配したの。だけどセーレンはその反応が気に食わなかったみたいでね、


「ロマンチックじゃ、ないわ」

って言うと、エルシの左の頬をバチンと平手打ちした。


「あぐぇっ!!?」


 これにはエルシもすっかり驚いて、防御する間もなくやられたの。はずみで後ろに倒れそうになったエルシの胸倉を、セーレンの細い手が掴んで支える。引き寄せると今度は右の頬を打った。


「うぐぇっ!!?」


「これが、恋なのね」


 セーレンがうっとりとエルシに見とれる。今し方の横暴な振舞いなんて無かったかのように、エルシの腫れた頬を撫でた。


「あら、赤くなってる…………大丈、夫?」


「ぼ、暴力反応ッ!!」


 我にかえったエルシが叫ぶ。

 お姉ちゃんにも打たれたことないのに!

 あまりの痛みで目にいっぱいの涙を浮かべるエルシに、セーレンは目を細めた。


「ねぇ………エルシ、私と、恋する?」


「え…………しないけど」


「そうね。私も、好きよ」


「聞いてる?」


 エルシはとうとう困り果てた。これじゃあ埒があかないや。これっぽっちも聞く耳持たずなセーレンをどう対処すればいいのやらってね。誰でもいいから助けておくれよ。迫り来るセーレンの唇から逃げようと背中を反らしながら、藁にもすがる思いでエルシは願った。




「おおーい、エルシ~!いるッスかー?」


 すると、開けっ放しのドアの向こうからパタパタと足音が聞こえてね。間を置かず、見知った美丈夫がひょっこりと顔を出した。


「言い忘れてたんスけ、ど…………あれ?」

とカタリーナ。泣きそうになっているエルシと、その元凶である少女に気付いた。


「セーレンじゃないスか。いつ出張から戻ったんだよ」


「カタリーナ……」

とセーレンが顔をあげた。その顔は不機嫌そうに歪んでいる。


「カタリーナ……!いいところに、ぐぇえっ!?」


エルシが助けを求めようとしたが、


「邪魔、しないで?」


蛇のように首に巻き付いたセーレンの腕に阻まれた。カタリーナはぎゅうぎゅうとくっつく2人を見下ろしてね、溜息をついたの。


「セーレンてば、まぁた一目惚れしてんスか?」

とカタリーナ。


「これが、私の原動力、だもの」

とセーレン。


「飽きないッスねぇ」


「あら、……恋って、素敵よ……?」


「はいはい。それ聞き飽きたッス」


 ヤレヤレと、カタリーナが首を横に振る。どうやらカタリーナとセーレンのやり取りは何時もの事のようだ。


「あのう…………」

と、そこでエルシが口を挟んだ。ようやっとセーレンの腕の拘束を解いたところだった。


「せめて彼女を退かせてから、喋ってくれないかな?」





「はい、注目ぅ~ッス!」


 と声高らかに宣言したカタリーナが両手で指差す。長い指が示す先にはエリーシャのベッドに我が物顔で座る、セーレンの姿。何故かカーペットの上に正座させられているエルシは、言われるがままに2人を見上げたの。


「ここに御わす美少女は、世間知らずな箱入りお嬢様ことセーレン・クリスチャン。さっき言ってたもう1人の同級生ッス」


「よろしくね……」

とセーレンが上品に笑った。


「性別問わず・種族問わず・誰彼構わず、年中一目惚れしてる超絶恋愛体質だから、適当にあしらっていいッスよ。でないと散々な目にあうッスから」

とカタリーナは白い目でセーレンを見た。どうやら過去に散々な目にあったらしい。


「編入初日で、疲れた、でしょ?………もう、寝る?添い寝、する?」

とセーレン。真っ白なシーツを艶かしい手付きで撫でた。


「結構です」

エルシが即座に首を横に振った。


「じゃあ………私は右側で、寝るから、貴方は、左側ね……」


「意思の疎通が出来てない感がすごい」

エルシが唖然としていると、


「大体いつもこんな感じッスよ」

とカタリーナが通信端末を弄りながら、どうでも良さそうに答えた。すっかりやり取りに飽きたらしい。


「つーかセーレンは人の部屋で何してたんスか?」

と、通信端末から顔をあげたカタリーナが思い出したように言った。


「そっ、!そうだよ!この人、僕より先に部屋に居たんだ!」

とエルシが身を乗り出してセーレンを指さしたの。エルシの告発にカタリーナが嫌な顔をした。


「ホントに何してんスか…………勝手に人の部屋に入っちゃダメって、あれほど教えたでしょーが」


「だって…………何だか、エリーシャに、会いたく、なっちゃったの……」


 途端にセーレンの目に涙が浮かんだ。哀愁を帯びた声色に、察したカタリーナが静かに頷いた。


「そっか、セーレンはエリーシャに付き纏ったッスもんね」


「………………………友達じゃなくて!?」


 エルシが目を剥いた。カタリーナがしみじみと言うものだから、一瞬聞き間違えたのかと思ったの。


「あれは友達って言うにゃ、あまりにも一方的だったッス」


「エリーシャとは、仲良し、なの…………」

と強い口調でセーレンが否定した。


「だから、エリーシャの、残り香を嗅いで………寂しさを紛らわせて、いたの」

と言うと、パタリとベッドの上に倒れ込んだ。手繰り寄せたシーツの波にセーレンが顔を埋めた。


 深く、深く、深く、深ぁく。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 吸って、吸って、吸って、息を止めたの。


「嗚呼、……ローズの、残り香が…………とっても、素敵……」


 顔をあげたセーレンが恍惚とした表情を浮かべた。エルシはちょっとの間だけセーレンの奇行を見つめた後に、縋るようにカタリーナを見遣った。


「………………ストーカーだよね?」


「大体いつもこんな感じッスよ」



「ところでさ、」

とエルシ。慣れない正座で痺れた足がそろそろ限界を迎えそうだった。


「カタリーナは僕に何か用事があったんじゃないの?」


 エルシは足を崩し、膝を抱えて座り直してからカタリーナに声をかけた。ビーズソファに腰掛けてすっかり寛いでいた美丈夫は、「あ・そうだったッス」

と言ってローテーブルのケーキスタンドに乗っていたクッキーを口に放り込んだ(「それずっと置きっぱなしだったやつ……」とエルシは思ったけど時すでに遅しってやつだ)。もさもさと小麦粉の塊を噛み砕いて飲み込むと、立ち上がって両手を広げてね。カタリーナは室内を見回すように、その場でくるぅりと回ってみせた。


「見りゃ分かるだろうけど、この部屋の家具はエリーシャが使っていたものをそのままにしてあるんスよ。置いてあるものは全部女物だから、必要なら申請出せば入れ替えて貰えるッスよ~って、言い忘れてたから伝えに来たんス」


「もし手離すなら、私に、譲って……ね……?」

とセーレンがシーツから顔をあげた。


「手離す…………」

と言って、エルシも室内を見回したの。家具も小物もクローゼットに仕舞ってあるだろう服も、全て姉エリーシャの持ち物だ。エルシの物なんて何ひとつない。双子といえど、個々の人間だ。性別も違う。男と女だ。勝手が違うだろうことは容易に想像できた。それでもね、エルシにはエリーシャのお気に入りを手離す気なんてさらさらなかったの。だってリデル家の者達はエリーシャが死んだと思っていて、継承者ライブラをエルシに代替すると彼女の私物を全て処分してしまった。姉に甘え垂れていたエルシを自立させる為か、はたまたエルシの姉探しを諦めさせる為か。エリーシャの痕跡をこれっぽっちも残さず消してしまったの。もうリデル家の屋敷しにはエリーシャとの思い出はない。


「わざわざ教えてくれてありがとう。でも僕は、このままでいいや」


 だからせめて、この部屋に残ったエリーシャの物は置いておきたい。きっと何かが姉の行方を知る手掛かりになる筈だと、エルシは信じている。エルシは四つん這いになってローテーブルに近付くと、その下に転がっているぬいぐるみへと手を伸ばした。飼い猫にそっくりな黒猫のぬいぐるみを引き寄せるとね、エルシはそっと撫でたの。


「このままの方が、姉さんをより近く感じるから」


 エリーシャのぬいぐるみを愛しげに撫でるエルシの姿に、カタリーナとセーレンは顔を寄せてコソコソと話した。


「……シスコン、かしら?」


「重度ッスねぇ…………」


「シスコンって、素敵……」


「ええ……?セーレンのときめきポイント、謎すぎんスけど」

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