第2話 大国の継承者②
ずっと、ずっと、ずうっと、それは大昔のこと。
かつてこの御伽大国には御伽噺の登場人物達が暮らしていてね、我等がグリム神から授かった偉大で不思議なちから・
そうして月日は流れ、
【不思議の国のアリス】
【白雪姫】
【人魚姫】
そこは様々な御伽噺の子孫達の学び舎。学園に通う子孫達は一族の名誉と栄光、そして
「なので!せいぜい励むと佳いぞ、エルシ・リデル!」
「はあ…………」
だけどエルシときたら、てんでやる気がなくってね。長々と学園のことを話していたハインリヒ女王の言葉なんて右から左に聞き流してたほどにうんざりしていた。女王が大袈裟なくらいに身振り手振りを付け加えながら語るたびに、胸部を締め付けている鉄枷がガチャンガチャンと耳障りな音を立てるものだから、内容を聞き取り難いせいでもあるのだけれどね。まだ何かをくっ喋っているハインリヒ女王を無視して、エルシは室内をぐるぅりと見回したの。
現在、エルシが居るのは継承者育成機関
リデル家は【不思議の国のアリス】の子孫でね、なかでもエルシの姉・エリーシャは
それに引き替えエルシときたら。
双子ゆえか、姉と同じ
けれどエルシはそれで捻くれることも、姉を羨むこともなくってね、ただ純粋にエリーシャを誇らしく思うばかりだった。姉がリデル家の当主になるのだとばかり思っていた。
だからさ、まさかエリーシャが死亡認定されたことによって自分に白羽の矢が立つとは思いもよらなかったの。優秀な
「で、あるからして!……………エルシ・リデル?我の話を聞いておるのか?」
「え?ああ、はい………………何ですか?」
「うむ、これっぽっちも聞いておらぬな」
エルシが上の空であることに漸く気付いたハインリヒ女王はヤレヤレと首を大きく横に振った。
「人の話が聞けない困ったちゃんめが。仕方ない、この美貌と慈悲深さを兼ね備えているハインリヒ様が、もう一度最初から説明してやろうではないか!」
「お願いします」
「佳かろうとも」
そう言ってハインリヒは、「コッホン!」仰々しく、咳払いをひとつ。
「我が
「思ってたより少ないんですね」
「当然だ。たとえ御伽噺の主人公の家系でも、
「世に蔓延る
王家の紋章である蛙のマークが施されたシグネットリングを嵌めた長い人差し指が、エルシをびしりと指差した。
「
「ええと、」アリスは顎に指を添えて考える素振りをした。
「つまり、人手不足ってこと?」
「エルシ・リデル、大正解だ!賢い仔は話が早くて助かるよ」ハインリヒ女王はパチンと指を鳴らし、満足げに頷いた。
「なので!キミも他の学生同様、
そう言うと、ハインリヒ女王は自分の執務机の上に置いてあった何かを掴むとね、それをポーンとエルシに放って投げた。慌ててキャッチしたエルシの手のなかには、青いリボンの付いた鍵が収まっていたの。
「これは?」
「キミの部屋の鍵だ。知っての通り、我が
ハインリヒ女王が応接間の入口にむかって声を掛けると、開けっ放しの扉の向こう側から少年がひょっこりと顔を覗かせた。艶やかな黒髪の少年は、手招きするハインリヒ女王をジト目で睨み付けた。
「至急学園長室にって呼び出しといて、いつまで待たせるんスか。ここの廊下寒くて冷えるし、俺任務帰りでヘトヘトなんスけど」
「エルシ、彼はカタリーナ・スノウ」
少年は腕を擦りながらブルリと体を震わせてたのだけれど、ハインリヒ女王はそれを無視してエルシに微笑みかけた。
「キミの同級生で、寮部屋のお隣さんだ。エリーシャ・リデルの学友でもあるから、世話役にピッタリだと思い任命しといた!何でもカタリーナに聞くと良い、彼は頼りになるぞ」
「自分が面倒見るのダルいだけッスよね?」カタリーナが呆れ顔でいうと、
「ハハハッ!頼りになるぞ!」とハインリヒ女王は笑って誤魔化した。
「ホンット人使い荒いんスから……」
顰め面をするカタリーナをじっと見つめていると、視線に気付いた漆黒の瞳がエルシを射貫いた。長い脚でエルシとの距離を縮めたカタリーナは、皮の手袋を着けたまま右手を差し出した。
「よろしくッス、俺はカタリーナ。ま・そういう訳だから、分かんないことがあれば何でも聞いてくれて構わないッスよ」
「学生寮は
へんてこりん、へんてこりんだなぁ!
寮へと続く長い廊下を颯爽と歩くカタリーナの背中を追いながら、エルシは首を傾げた。
雪のように白い肌。
血のように赤い頬や唇。
黒檀のように黒い髪を持って生まれた美丈夫。
カタリーナ・スノウはうっかり見惚れてしまうほどに端麗な顔立ちをしているけれど、紛うことなくエルシと同じ男の子でね。
なのに、カタリーナって名前は女性固有名詞に使われるものだし、身に纏う制服は黒いタイトなズボンの上にアシンメトリーな長さの紫色をしたスカートを履いている。さらには、前を歩く彼の足元を彩る真っ赤なピンヒールはどう見ても女物の靴だった。世の中には色んな趣味趣向の人がいるからなぁ、検索すべきではないよなぁ。そう思っていても、エルシはどうにも気になって仕方がなかったの。
「カタリーナはどうして女の子みたいな名前なの?どうしてスカートを履いてるの?どうして女の子の靴を履いてるの?」とエルシが思わずそう尋ねると、長い足がピタリと止まった。
「質問責めッスか?初対面なのにグイグイ来るッスね」振り返った美丈夫が苦笑する。
「カタリーナが何でも聞いていいって言うから」
「まあそっスね」とカタリーナ。
「ざっくり言えば、役作りッスよ」
カタリーナは悪戯に笑って見せた。真っ赤な唇が美しい弧を描いた。
「スノウ家は格式を重んじる厳格な家風でさ、代々当主は
器用に片足立ちしたカタリーナは、ピンヒールがよく見えるように足を上げてみせた。
「この真っ赤なピンヒールは、
「だけれど、窮屈そうだなあ」とちょっぴり同情した。エルシの小さな独り言はカタリーナには届かなかった。
だって名前も服装も言動も、全部ぜぇんぶが最初っから決められているなんて、僕だったらウンザリしちゃうや!
家に縛られて生きるカタリーナの姿が、いつかの姉エリーシャと重なって見えて、エルシは無意識に唇を噛んでいたの。一族の期待を一身に背負っていたエリーシャはとても優秀な
それでも、
御伽噺の一族のなかには
そこでふと、エルシは思ったの。スノウ家の神さまは一体誰なのだろう。
「ねぇ、カタリーナの
PiPiPiPiPiPiPi
カタリーナの制服が突然歌い出したの。軽快な電子音は上着のポケットから聞こえていた。
「ワリィ、ちょい待ち」
カタリーナはエルシを片手で制し、取り出した通信端末を耳に当てた。二三言葉を交わしたかと思えば、長い溜息を吐いたあと、乱暴に端末をポケットに仕舞った。
「ごめん、任務が入ったッス。王都で
カタリーナが面倒くさそうに言った。美男は気怠げなさまも絵になるなあと、エルシはちょっぴり見惚れちゃってね。
「そっか、それは大変だ」
「大変ッスよ~!みぃんな心に闇抱えてるわ、人手も全然足りないわで、俺ら
「そんじゃ・ま、行くッスかね」
「え?…………何で僕も?」エルシがきょとんとすると、「なぁに間抜け面してんスか」カタリーナが思わず笑った。
「ハインリヒ女王に説明されたっスよね?
そう言うとカタリーナは右手で作ったVサインを右目の部分にかざし、ウインクをパッチリ決めたの。
「我等
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