#3 ふしぎなトンネル

健やかな春の陽気が強まり、阿久更町はどんどん過ごしやすい環境になってきた。

春の定番植物である桜も鮮やかに咲き始め、お花見シーズンの到来を知らせている。特に町の中央を流れる川を挟む桜並木は、満開時は圧巻であり、隕石落下事件に加えて新たな観光スポットとして認知されつつあった。

さて、ところ変わってここは大学。教員学生共に自由な校風を大切にする私立阿久更大学である。そこの二階に鬼怒谷達の講義室があった。

午後の講義を終え、帰宅の準備を進めていた鬼怒谷の元に、秋色がいつものように声をかけてきた。


「よう!鬼怒谷、今日このあと暇かー?」

「ん?どうしたのさ秋色」


今日の鬼怒谷の服装はカジュアルスタイルである。春が深まったため、そろそろ薄着もできるようになってきた。対する秋色はいつものようにラフな格好であり、「Good Panic」とプリントされたクールなTシャツを身につけていた。


「実はちょっと頼みたいことがあってさ、付き合ってくれね?」

「えー...また映画じゃないよね」

「いやいや、相談だよ。そうだん!お前なら解決できるんじゃないかなと思って」

「相談?」


疑問符を浮かべる鬼怒谷。長い付き合いではあるが、秋色から相談事を持ちかけられるのは初めてだった。

秋色は徐ろに振り返り、手招きをする。すると、それに従うように1人の少女が近づいてきた。鬼怒谷はその姿を捉えるなり、言葉を失った。


「実は相談したいのはオレじゃないんだよね。でもいいだろ?」


秋色はそう言って、傍に立つ少女に会話を促した。


「突然ごめんなさいね。秋色くんがあなたのこと話してたから」


申し訳なさそうに告げたその少女は、光莉だった。校内でも男女ともに高い人気を誇る、心優しい美少女である。言わずもがな鬼怒谷も彼女に好意を寄せていたが、こうして面と向かって話すのは入学以来初であった。


「えっ!あっ!?ど、どういうこと!」

「いやぁ実はさ、廊下で友達と喋ってた時な?お前のオカルト趣味のことうっかり話しちゃったんだよな。そしたら偶然光莉さんが聞いてたみたいで」


鬼怒谷に詰め寄られ、慌てて弁解する秋色。しかし反省の色はないようだった。


「お前、光莉さんのこと好きだろ?いいじゃん、会話のネタになって」

「良くないっ!趣味のことだって秘密にしてくれって言ったのに...!」

「じゃあ断るか?」

「そ、それは...!」


コソコソと話し合う二人。

その間、光莉は不思議そうに首を傾げていた。


「ええと...やっぱり、忙しいかしら?」

「いやっ!そ、そんなことないよ!全然時間あるし!」

「本当?良かったぁ」


光莉はほっと一息し、天使のような笑みを見せた。その表情は鬼怒谷と秋色だけでなく、周囲にいた学生達をも魅了していた。


「そ、それで相談ってなに?」

「実は、調べてほしいことがあるの」

「調べてほしいこと?」



光莉に連れられ、鬼怒谷と秋色は学舎を後にした。スクランブル交差点を通って東へ向かうと、大きな商店街へと出る。そこは昔ながらの雰囲気を残しつつもお洒落なカフェやブティックが立ち並び、若者から年配まで幅広い年齢層が行き交うのを見ることが出来た。

鬼怒谷はここと逆方向に住まいがあるのだが、この辺りはよく来たことがあった。ここに無いものは阿久更町のどこにも無い、と称されるほど、町内で最も品揃えがいいのだ。


「おー。週末でもないのにここはやっぱり賑やかだなぁ」


秋色は周囲の活気に煽られたのか、楽しそうな声を上げる。


「秋色、この近くに住んでるもんな。」

「おーよ。光莉さんはどこに住んでんの?」

「私はもう少し奥に行ったところなの。」


秋色の急な質問にも穏やかに答える光莉。その姿を見るだけで、鬼怒谷は心が安らぐのを感じた。その直後、すかさず秋色が肘でつついてくる。


「光莉さんこの辺りに住んでんだって。新情報ゲットだ、やったな」

「...君は何しについてきたの?」

「ええっ、冷たいなぁ!せっかくオレが奥手なお前のために」

「い、言わなくていいからそんなこと!」


慌てて秋色の言葉を遮る鬼怒谷。頬が真っ赤になっているが、それは怒りのせいだけではない。

それを見ていた光莉は、くすりと笑って、


「鬼怒谷くんって、秋色くんととても仲が良いのね。いつもノートと睨めっこしてるイメージだったから、なんだか新鮮だわ」

「えっ、そ、そう?!あ、ありがとう!」

「やっぱり、オカルト関連で仲良くなったの?」

「あ、いや、秋色とは高校の時からの友達で、オカルトはあんまり関係ないかな…」

「へぇ?そうなのね。」

「もしかして光莉さん、そういうのに詳しいの?」

「ううん、私はあんまり...でも、神秘的な場所には興味があるかなぁ」

「そ、そうなんだね!いいと思うよ!」


勘違いから認定されてしまった趣味が、今や鬼怒谷と光莉の会話を繋ぐ軸となっていた。ここまで会話ができる思っていなかった...と、いうより光莉と会話する機会が巡ってきたこと自体に、鬼怒谷は嬉しくて仕方なかった。今だけは、秋色の勘違いに感謝である。

そんな当の本人である秋色はというと、光莉越しに鬼怒谷と目が合うと、爽やかな笑顔と共にサムズアップしてきた。


(うう、ありがとう秋色...!)


鬼怒谷は心の中で合掌した。

その直後、彼の腰部に痛烈な衝撃が走った。まるで何者かに蹴り飛ばされた如き威力であり、その身体は軽々と吹っ飛ばされ、派手に前方向に倒れ込んだ。


「鬼怒谷くん!大丈夫!?」


突然の出来事に困惑する光莉。慌てて傍へ駆け寄ってくる。秋色も何が起こったのかという様子で、驚愕の顔色を浮かべていた。


「あ...う、うん、大丈夫...」


周囲にいた通行人は、その派手な転倒ぶりに気づき、疑念の視線を鬼怒谷に送っていた。嫌な注目を受けてしまい、彼は羞恥心が増幅するのを感じた。

その最中、鬼怒谷は人混みの中に知った顔を見つけてしまった。新聞を片手に怪訝そうな顔をする中年の男の、その奥に。

柱の影にて、誰よりもきつい視線を恨めしそうに送るステラが隠れていた。彼女はその意思に沿ってか反してか、怪力を発揮し、隠れていた柱にビキビキと亀裂を走らせていた。

そんな姿に気付いてしまった鬼怒谷は、思わず顔を引き攣らせた。


「おいおい。本当に大丈夫か?頭でも打ったんじゃねーだろうな。ぼーっとしてるぞ、お前」


心配そうにする秋色の言葉で、鬼怒谷は我に返った。


「あ...う、うん。もう大丈夫だよ。」

「ほんとか?肩貸すぜ」

「大丈夫だって、ちゃんと立てるから…」


そう言って、鬼怒谷は秋色の手を振り払って立ち上がった。しかしふらふらしてしまい、結局秋色の手を借りてしまう。

鬼怒谷はぼんやりする頭で再びステラを探したが、柱に亀裂を残したまま、彼女は既に姿を消していた。


「一体なんだったんだろーな…後ろには誰もいなかったのに」

「あれは相当頭にきてるんだと思う...」

「えっ。それってまさか、霊的なアレか?それとも...お前の頭が手遅れなのか?」

「さーね...」


鬼怒谷は、未だ背後から続く強烈な視線を一人感じつつ、引きつった笑みを零した。



再び歩を進めて商店街を抜ける頃には、鬼怒谷は回復していた。献身的に接してくれる光莉と、秋色の助けによるところが大きかった。

鬼怒谷の不本意で起こった奇行に対しても、嫌な顔一つしない二人に改めて懐の深さを感じるのだが、相変わらず責めるような視線を浴び続けている身としては、心安らぐ暇などなかった。

やがて道は真新しい住宅街から古めかしい家屋の立ち並ぶ場所へと続いていき、前方に大きな山が見え始めた。


「あ...見えてきたわ」


そう言って前方を指す光莉。その先には、これまた古そうなトンネルが斜陽を浴びて佇んでいた。

それはさほど大きなトンネルではないものの、内部は深い闇に包まれ、奥に出口を示す光を見つけることは出来なかった。よく見ると入り口には無数の蔦が走り、苔むしていて、森と一体化しているようである。前にはなぜかバリケードが設置されており、人の立ち入りがないように見えた。


「ここ...もしかして廃トンネルってやつ?」

「そうなの。昔は使われていたらしいんだけれど、ちょっと気味の悪いことが起こっているから、近所の人が塞いでしまったの」


トンネルの前に立つと、まるでそれが呼吸しているかの如く、辺りの風がその中へ引き込まれていった。


「い、言われてみれば気味の悪い感じがするね」


鬼怒谷は背筋が冷たくなるのを感じた。それは背後の視線とはまた別の恐ろしさである。

それを聞いた光莉は、やっぱり、と言うように困った表情を浮かべた。


「昨日、この傍を通ったらね、この辺りの子達がいて、トンネルの前でいろいろ話していたのよ。その時は気に止めなかったんだけれど、夜になって、そのうちの一人の子のお母さんから連絡が回ってきたの。子供が帰ってこないから、見てないかって...」

「うお、それってまさか...か、神隠しに遭ったとか?」


秋色が恐る恐る言うと、光莉は頷いた。


「すぐに近所の人達と集まって、トンネルに行ったの。もちろん中も探したのよ。でもその子...樹くんっていうんだけど、見つからなかったの。誘拐かもしれないと思って、警察に連絡したんだけど、なんだか嫌な感じがするのよ...」

「な、なるほど...それで僕に相談したいって言ったんだね」

「そうなのよ。そういうのに詳しい鬼怒谷くんなら、何かわかるんじゃないかと思って...」


鬼怒谷は薄々気づいていたことが明確になり、光莉に倣って頷いていた。

しかし内心では、予想以上にオカルトめいた内容を聞かされて気が動転しまくっていた。秋色の勘違いが発端のため、もちろん鬼怒谷に霊感などありはしない。あったとしても人並みだろう。もしこれが本当の神隠しであれば、彼がどうこうできるレベルの話ではない。

とはいえ、光莉の期待を裏切るわけにもいかない。それは鬼怒谷にとって、何を置いても遂行しなければならないことだった。


「二人とも、ちょっと待っててくれる?」


そう言い残し、彼は秋色達の言葉を振り切って走り出した。

トンネルから少し距離を起き、古い家屋の影に駆け込むと、鬼怒谷は辺りを見回した。


「ステラ!いるんだろ?ちょっと出てきてくれないかな!」


そう言って回ると、


「なんだよ、騒々しいな」


と、いかにも不機嫌な声と顔をしたステラが電柱の影から現れた。


「あぁ、やっぱりいたんだ。良かった...」

「そりゃいるだろうよ。私はお前を監視しているんだから」

「う...うん。そうだよね。ごめんなさい...」


ステラの怒れる形相に、思わず謝罪する鬼怒谷。彼女は鼻を鳴らして、再び電柱の影に身を隠そうとした。


「あ!待って!」

「なんだよ?」

「君にちょっとだけ、協力してほしいことがあるんだけど...」

「あ?」


ステラは露骨に嫌そうな顔をするが、ここで引き下がるわけにはいかない。鬼怒谷は間髪入れず話し出した。


「実はこの辺りの子供が行方不明になってるらしくて、一緒にあのトンネルを調べてくれないか?」

「はぁ?なんで私がそんなことしなくちゃいけないんだよ。」

「そ、それは…ほら、行方不明の子を探さないとさ」

「いーや、私にはわかるぞ。お前あの女と仲良くなりたいから、私を利用しようとしているんだろ」

「ち、違うよ!頼まれたから断れなくて...!」


そうは言いつつも、痛いところをつかれてしまった鬼怒谷は狼狽する。いろいろ捲し立てて弁明するが、ステラはすっかり白けた目をこちらに向けていた。


「あー、あほらし。私は絶対に協力しないよ。お前が襲われる時以外はな。」

「そ、そんなこと言わないでさ。手伝ってくれたらちゃんとお礼するから!」

「人間がくれるものなんてぜーんぜん興味ないな」

「うう...」


何を言っても突っぱねるステラに、鬼怒谷は困ってしまった。どうすれば彼女の興味を惹けるのか。

現場の緊張感も相まって、脳が激しく活性化する。そうして引き出される記憶の中から、鬼怒谷はあることを思い出した。


「あ...あのさ、この間君にあげたあのお菓子のこと、覚えてる?」


そう尋ねると、ステラは初めて反応を見せた。

彼女は踵を返して姿を消そうとしていた矢先だった。鬼怒谷の言葉を聞くなりぴたりと足を止め、少しだけ振り向く。


「ふわふわのやつか?それとも中身が出たやつ?」

「うん...その両方を兼ね揃えたやつだね。あれ、君すごく気に入ってたよね」

「そんなこと言ったか?全然覚えてないけど」


惚けた言葉を連ねるステラであるが、明らかに話題に食いついている様子だった。鬼怒谷は、好機とばかりに話し続ける。


「あれね、シュークリームっていうんだ。」

「...ふーん」

「もし手伝ってくれたら買ってくるけど、どうかな?」


鬼怒谷の言葉を聞いたステラは、ぐらりという効果音が可視化できるくらいに理性をぐらつかせた。小さく唸り声を上げ、真剣な面持ちで歩き回っている。


「うー...確かにあれは美味しかったが...でも、そんなもので釣られるわけには...」


ぶつぶつと呟き、ステラは葛藤していた。プライドを取るか、一瞬の幸福を取るか、その瀬戸際で揺れている。しかしまだ自尊心が勝っているようで、なかなか返事をしてくれない。

そこで鬼怒谷は、もう一押ししてみることにした。


「二つならどう?」

「二つ!?そ、そんなにあるものなのか?」

「うん。」

「いやっ...でも...私は...!」

「じゃあ三つ」

「そこまで言うなら仕方ないな」


あっさりとステラは釣れた。口では仕方ないと言いつつ、その目はキラキラと輝いている。

彼女の快諾を受けて、鬼怒谷はほっと胸を撫で下ろした。


「良かった!ありがとうステラ!」

「ふん、今回は特別だからな。」


とはいえ嬉しそうにするステラ。そのわくわくぶりに、先程の険悪な状況が嘘だったように思えた。


「そんじゃあさくっと調べるか。あいつらに見られるわけにはいかないから、私は姿を消していくからな。何かあったらあいつらの見えないところで呼ぶんだぞ!」


ステラはそう言い残し、再び風景に同化した。彼女の気配をさっぱり感じなくなる。しかし、それでも一人きりで行くよりもずっと心強くなった。

鬼怒谷は様々な出来事が折り重なって緊張する心を、深呼吸によって落ち着けた。そう、本番はここからである。

彼は戦場にでも赴くように、意を決して戻っていった。



鬼怒谷が戻ってくると、秋色と光莉はトンネルから少し離れた場所に移動していた。二人は設置されていた木造ベンチに腰掛け、何やら楽しそうに話をしていた。


「お待たせっ...て、何を話してたの?」

「おー、おかえり鬼怒谷?。いやな、今オレらの高校の時の思い出で盛り上がってたとこなんだ」

「うん。生物の時間にボルボックスを育てたって聞いて、びっくりしちゃった」

「ほんとに何の話をしてたの...?」

「私はシーモンキーだったわ」

「そ、そうなんだぁ。斬新だね!」


斬新すぎる会話に鬼怒谷は思わず苦笑した。そこへ秋色が立ち上がり、彼を隅の方へ連れていくと、そっと耳打ちをした。


「安心しろよ、二年の時の枕投げ窓破壊事件と三年の時の缶ジュース爆発事件は話したが、お前の株が下がるようなことは言ってないぜ」

「...わざわざ教えてくれてありがとう。てかそれ、僕じゃなくて君がやったことだからね」


秋色のから回った親切心を受けて、鬼怒谷は気持ちのこもらない感謝の言葉を述べた。


「それじゃあ、トンネルに行きましょうか」

「えっ。光莉さんも来るの?」

「うん、鬼怒谷くん一人にお願いするのは悪いから」

「そ、それは大丈夫だよ!全然悪くないよ!むしろ一人の方がありがたいっていうか...ひ、光莉さんを危険な目に遭わすわけにはいかないからさ!」


必死で説得する鬼怒谷。光莉の気持ちはとても嬉しかったが、今はステラが力になってくれている。せっかくやる気になった彼女の機嫌を損ねたくはない。というかそんなことになったら恐ろしい報復が待っているだろう。

光莉は一瞬驚いた表情を見せたが、心配そうに眉をひそめた。


「そう…無理はしないでね、鬼怒谷くん」

「あ、ありがとう…あ、秋色もここで光莉さんと待っててくれる?」

「えっ。マジ?本当に一人で行くのか?」

「うん」

「わかった...そう言うのなら待ってるぜ!全力で!」


意外にも秋色はあっさりと承諾した。秋色はこう見えて怖いものが苦手なのである。トンネルの前に来た時から既に彼の腰が引けていたことは、長い付き合いのある鬼怒谷は見抜いていた。


「じゃあ、行ってくるね」


二人に見送られながら、鬼怒谷はバリケードを超えた。携帯電話のランプを使い、トンネルの奥を照らしてみる。光はブラックホールの如き闇の中に吸い込まれていくばかりで、向こうに何があるのか全くわからなかった。

トンネルはコンクリートだけでなく、レンガによっても構成されていた。老朽化で形成されたらしい隙間からは植物の根が伸びており、内部までびっしりと覆っていた。

まだ振り返れば、入り口が見える。秋色と光莉の姿が見える。鬼怒谷は、少なくとも二人が見えなくなる位置まで移動していった。

三分ほど歩いたところで、ちょうどそのポイントがやってきた。振り向いても前を向いても薄暗く、下手をすればどちらが入ってきた方向かわからなくなるほどにそこの闇は深まっている。

鬼怒谷は暗闇に向かって、声を上げた。


「ステラ、いる?ここなら出てきても大丈夫だよ」


しかし、彼の声はトンネルを反響して消失。彼女の姿は現れなかった。

もう一度呼んでみるが、反応はない。


「あれ...ステラ?ど、どこにいるの?」


急に心細くなり、鬼怒谷の心臓は少しずつ脈拍数を上げた。

その時、背後から何かの気配を感じた。ひたひたと近づく存在感に、鬼怒谷の緊張はより一層高まっていく。

耐えきれずその方向にライトを向けるが、そこには何もおらず...。

そのタイミングで、鬼怒谷の首に何かが掴まった。


「うわあっ!?」


思わず叫び声を上げる鬼怒谷。しかしその口はすぐに塞がれた。


「しっ!でかい声を出すんじゃないよ!」


捕まってきたのはステラであった。彼女は怒ったような台詞を発したが、声色の中に笑いのニュアンスを含んでおり、肩が笑っていた。


「ス、ステラ!何するんだよ!」

「わはは。お前があまりにもビビってるもんだから、ついやりたくなってしまったのだ」


そう言うと、ステラは地上に降り立った。


「ふぅ、やっぱりステルスしない方が調子いい。おら行くぞー」

「うう、心臓に悪いよ...」


ステラに引き連れられる形で、鬼怒谷はトンネルを進んだ。かなり歩いたとは思うが、未だ前方は暗闇のままだった。それはそれで非常に不気味で、彼女と二人とはいえ不安が募った。


「ね、ねぇ。ステラ」

「んー?なんだ」

「君は怖くないの?こういうところ」

「怖がってちゃ生きていけないよ。洞窟に地下、どこでだって適応しないと。ま、最終的には力さえありゃなんとかなるしな」

「ふーん...」

「おい、なんだその反応。」

「納得したんだよ。君が強いのは知ってるし、たぶんどこに行っても平気なんだろうなって」

「私のことを知らないくせに、よく言うよ。まぁ、全くハズレとも言わないけどな」


ステラはからからと笑った。今まで殆ど怖い顔を続けてきた彼女の、新しい表情であった。笑う姿は人間の少女と変わらない無邪気なものだった。鬼怒谷は思わずその姿に安心感を覚えた。何が起こるか分からないトンネルを歩いていることも忘れるような、そんな気持ちになる程に。


「さてと...のんびりしていられるのはここまでだ。鬼怒谷、耳を貸せ」

「えっ」


初めて名前を呼ばれ、驚く鬼怒谷。そのせいでステラへの反応が遅れ、彼女から鋭い蹴りをもらってしまう。

蹴りを入れられ、痛みからしゃがみ込んだところで、同じ高さとなったステラに耳を引っ張られる。


「いたたた...!な、なに?」

「いいか、よく聞け。私達はもう奴らの縄張りに入っている。」

「えっ...そうなの?」

「そうだよ。もう少し進めば奴らの罠があるから、お前その罠にかかってこい」

「罠があるのに罠にかかるの...?」

「つべこべ言うな!お前助けたい奴がいるんだろ!さっさと行ってこい!」

「わわわ!わかったよ!わかったから落ち着いて...!」


ステラに無理矢理蹴り出され、先陣を着ることとなる鬼怒谷。当然不安が倍増するが、後ろに怒れる恐怖がスタンバイしていると思うと、震えながらも足が進んだ。

すると、少し歩いたところで空気が変わった。さらに進むと、子供のすすり泣く声が聞こえてくる。


(この声...もしかして...)


進むたび増大する子供の泣き声。それに引き寄せられるように、鬼怒谷は歩き続けた。

そしてようやく、暗闇の中に何かが現れた。

それは地面にへたり込み、顔を覆って泣く少年だった。彼は鬼怒谷が近づくまで、気付かず泣き続けていた。


「君...もしかして樹くん?」

「だ、誰?!」

「ええと、僕は、君を探しにここへ来たんだよ」

「本当?悪いのじゃない?」

「うん。」


少年は立ち上がり、鬼怒谷の足にしがみついた。力いっぱい、ぎゅうっと抱きついている。


「うえぇぇん!怖かったよぉぉぉ!!」

「よしよし...もう大丈夫だよ」


鬼怒谷は優しくその背中を撫でた。それを受けて、少年はさらに一層泣き始めてしまった。恐怖のせいではなく、緊張の糸が切れたのだ。


「さぁ、ここから出よう。歩ける?」

「うんっ、歩く...!」


樹少年は涙を拭いて、声を絞り出した。

鬼怒谷はその手を握ってやり、元来た道を引き返した。しかし、十歩ほど歩いたところで、ある異変が二人に立ちはだかった。


「あれ?なんだろう...壁?」


ライトを当ててみると、元来た道のはずなのだが、そこには先ほどはなかった黒い壁のようなものができあがっていた。


「まさか...」


鬼怒谷は直感する。これがステラの言っていた「罠」だ。


「お、お兄ちゃん。どうするの?」

「これ以上は近づかない方がいい気がする。下がろう...」


そう言って振り向くと、そこにも黒い壁があった。それは今まさに、二人の方に迫ってきていた。


「お兄ちゃん!」


少年が悲鳴を上げる。思わず鬼怒谷は彼を守る様に抱きしめた。

迫り来る双璧は、二人に触れられるほどに接近した辺りで正体を表した。

形容しがたい凄まじい声を上げるそれは、まるで鉄格子の中から無数の腕を伸ばしているような異様の姿だった。腕は鬼怒谷と少年を捕らえ、鉄格子の向こうにある口腔へ引きずり込もうとする。


「うわっ!」


引きちぎられそうなほど強い力だった。自分の腕力では、とても振りほどくことができない。

鬼怒谷はなんとか少年だけでも守ろうと、強く抱きしめる。

その瞬間、二人の頭上にステラが現れた。彼女は背中から大樹のように太い腕のようなものを展開し、両脇の怪物に向かって勢いよく掌底を放った。

重いもの同士がぶつかり合って、激しい衝突音が発生する。何かが粉々に砕け、悲痛な叫び声を上げている。その衝撃と振動と絶叫に、鬼怒谷は目を開けられなかった。

やがてメキメキと何かを押し潰す音がトンネル内に広がり、一際おぞましい悲鳴が上がった。それは最後、虫の事切れる時のような鳴き声を発して、空間に再び静寂を戻した。


「...?」


恐る恐る目を開けてみる。そこは先程見た風景とだいぶ変わっていた。

辺りの薄暗さはそのままだが、左右に明るい光が見えた。それは外の光であった。

すぐに鬼怒谷は少年の容態を確認するが、彼は気絶していた。命に別状はなさそうである。

ほっとしたのもつかの間、足元を見ると、何かの残骸が転がっているのに気づいた。先程悲鳴を上げていたものだろうか。見る影もないどころか、一体何だったのかわからないほどにひしゃげていた。

そして、目の前にステラが立っていた。彼女は悠々と、手や肩についた埃をぱたぱたと払っていた。


「ふぅ、終わったよ。早かっただろう?」


そう、自信満々に述べるステラ。

しかし鬼怒谷は何が起こったのか全くわからず、目を白黒させていた。


「お、終わったって...さっきの奴らを倒したのか?」

「そうだよ。今回は報酬のためにお腹を空かせとかないとだから...そのへんの石ころみたく、小さく潰してやったよ。ほら、それ。わからないだろ?」


ステラは足元の黒い塊を蹴った。それは金属質の何かと黒い物体が折り重なってできていた。彼女が言うのだから、先程の怪物で間違いないのだろう。文字通りスクラップにされたのである。


「外の奴らも異変に気づいてやってくるだろう。お前、そいつを渡してさっさと戻ってこい!いいな!」

「あっ!ちょ、ステラ…!」


そう呼び掛けたのも虚しく、ステラはいなくなっていた。おそらく姿を消しただけでまだいるのだろうが、声をかけてももう返事はこなかった。



鬼怒谷がトンネルから出てくると、外の風景はだいぶ変化していた。数台の警察車両が並び、近所の人が集まって様子を伺っている。

何か重大な事件が起こっているかのような状況に、鬼怒谷は愕然とした。


「え...何これ、何が起きてるの...?」


思わず声を漏らすと、その傍に秋色と光莉が駆けてきた。二人とも数分前とは随分違う、心配と困惑に満ちた顔をしていた。しかし鬼怒谷を見るなり、一変して喜びを顕にした。


「鬼怒谷くん!無事だったのね!よかった…!」

「え?う、うん。どうしたの?二人ともそんな顔して」

「そんな顔してーじゃないぜ!こっちは3時間くらい待ってたんだぞ、そりゃこんな顔にもなるわ!」

「さ、3時間?10分くらいじゃないの?」


食い違う話に鬼怒谷は混乱し始める。言われてみれば既に日が落ちており、辺りはトンネル内部のように暗くなっている。しかし、中に入って出てきた時の感覚は、そう経っていないように思った。

秋色は、証拠として携帯電話の時計を見せた。それは確かに、3時間あまりの時間が過ぎていたことを示していた。


「えええ?なんでだろ。行って帰ってきただけなのに」

「お前、神隠しに遭ったんじゃねーか?」

「そうなのかな...」


だとすれば、どのタイミングで巻き込まれたのだろうか。鬼怒谷にはわからなかったが、周りの人間が言うのだから自分の身に何か起きたことは本当なのだろう。


「そ、それで、どうだったんだ?トンネルで何があったんだよ?」

「あ、うん。別に...特に何もなかったよ」


鬼怒谷はたどたどしく嘘をついた。よく見ると全身は埃と土まみれで、何もなかったわけがないことをはっきり語っている。その格好が既に説得力を欠いているのだが、彼の生還を喜ぶ二人は気づいていないようだった。


「それよりほら!見つかったよ、この子。トンネルの中で会ったんだ」


鬼怒谷は自身の足にしがみついた少年を示した。少年はまだ泣きじゃくっていて、知り合いを見るなり、さらに大きな声で泣き出した。

「あー!光莉お姉ちゃんっ!うわぁぁん!」

「樹くん!あぁ、よかった…!」

光莉は震える樹をぎゅっと抱きしめた。やがてその声を聞きつけて、少年の母親が人混みを掻き分けてきた。

樹はそれを見つけるなり、一心不乱に走り出した。女性は驚愕の表情を見せながらも、顔一杯涙で濡らして、彼のことを抱いた。


「あぁ...!ありがとうございます!本当にありがとうございます...!」


母親は感涙を零しながら、笑顔を湛えて言った。大切な息子が帰ってきて、喜びに打ち震えているのだ。それを見て鬼怒谷も、まるで自分のことのように嬉しくて、目尻が熱くなってしまった。


「鬼怒谷くん。私からもありがとう...あの子を見つけてくれて」

「いやいや!僕は大したことはしてないし...!」


鬼怒谷は謙遜の言葉を述べつつも、内心では照れていた。光莉にお礼を言われるなど、一度も考えたことがなかった。喜ぶあまりふらつく鬼怒谷を、すかさず秋色が助ける。


「無理すんなよ!ほら、オレが送ってってやるから今日はもう帰って休め。」

「ありがとう、秋色...」


言われると、急にどっと疲れが押し寄せてきた。ただ一つ、理解し難い超常現象への疑問が残されたが、今は何より休養である。鬼怒谷は秋色に支えられ、トンネルを後にするのだった。


こうして廃トンネルの事件は収束した。これ以降、ここで新たな怪奇は発生していない。それでも町の人は、未だバリケードを置きっぱなしにしている。それが戒めのためなのか、過去に本当の神隠しがあったからなのか、真偽は定かではない。

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