第2話
美化委員会と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
前提として、校舎内外の環境美化、すなわち清掃活動を主眼に置いた委員会という知識はあるものとする。その上で、五つの単漢字で構成された言葉を見た時、何を思い浮かべるか。
ひとまず僕の私見を述べるが、これは世間の認識とそうずれてはいないと思う。
地味。あるいは、面倒くさそう。
現実の委員会活動に、地味でもなく面倒くさくもないものなんて存在しない。
けれど、そんな現実を差し引いてなお、美化委員会という言葉に華やかを感じる者は少ないのではないだろうか。
美化。美しくすること、美しく変えること。
掲げる名前はこのように、他の委員会活動に比べて華やかではあるけれど。
名前負けをしているというよりは、名前に引きずられていないとでも言うべきか。美化委員会なのに美化されていないというのは、なかなか皮肉である。
さておき。
僕が通う私立
地味で、面倒くさそう。
ただ、我が校の美化委員会にはあまり他では見ないだろう風習もあった。
「では。年度初めの一斉委員会でもお伝えしましたが、ゴールデンウィークに行われる宿泊美化活動について、改めて詳細を告知いたします」
教壇に立った美化委員会顧問、浅黒い肌がたくましい
主に一年生から上がる不満げな声にやれやれと内心肩をすくめながら、配布されたプリントを手にとり、A4コピー用紙に印刷された文字に目を通した。
大きめのフォントサイズで「宿泊美化活動」と書かれた下には、ゴールデンウィークの初日とその翌日にかけて、学校が所有する合宿施設の清掃を行う旨が書かれていた。
郊外にあるこの建物は、長期休暇の折には学校主催の勉強合宿や、活動熱心な部活による合宿などに利用されている。利用頻度は高めだが、利用される日が特定の時期に集中する。そのため放置期間が長く、こうして年度初めに一度大掃除するというわけだ。
だが、長期休暇の前に業者による本格的な清掃が行われる。
つまり、美化委員会の清掃には実利的な意味はほとんどない。そこにあるのは、美化委員会として書類に残せる活動をしたという見栄だった。わりとこんな理由で、例年になかった活動というものは生えたりする。一番可哀想なのは寝耳に水だったその年の生徒だろう。
とはいえ、生徒側にメリットがない話でもなかった。
参加すれば内申点に加算してくれるという話だし、就活のことを考えると履歴書に書けるネタがあるに越したこともない。それが目的で美化委員会を選ぶ生徒も一定数いる。僕もその一人だ。高校生活も三年目となると、ある程度は先を見据えて行動しなくてはならない。
しっかり見据えられるほど、自分の未来を見通せているわけでもないのだけれど。
とまあ、かくも即物主義な理由で参加を決めている僕であるが、入ってきたばかりの一年生を除いた委員全員がそんなことを考えているわけではない。五割が内申点目当て。リサーチを怠った結果、一年生と同じリアクションとしているのが二割。
「おおっ、ついにきたねえ泊り会!」
残りの三割は、遠足や修学旅行といった集団行事にテンションを上げるタイプ。
僕の隣に座る同級生の
「ともくん、こういうのにわくわくするタイプ?」
プリントを手にしたまま、西藤は愛嬌のある笑顔を向けてきた。
疑問形でありながらも、わくわくしない人間なんていないだろうという確信が端々から感じられる。相変わらずな彼女を一瞥してから、僕は口を開いた。
「去年、勉強合宿に参加したからなあ」
「んーと、つまり新鮮味がないってこと?」
「そういうこと」
「同級生や同じ部活の子達とお泊りするの、何度やっても楽しいと思うけどなあ」
「どうしても不便が勝ってしまってね。ああでも、学校に泊まるのはまたやりたいかな」
「宿泊防災訓練のこと? ともくんの小学校でもやってたんだね」
「いや、僕は中学生の時だったよ。寒い日だったから毛布一枚で寝るのは大変だったけど、夜の学校にいるというシチュエーションにはドキドキした」
日没の関係で夜のようになった学校を見ることはできても、夜の学校には留まれない。
月明かりが辛うじて光源になっていた暗い廊下は、まさに非日常だろう。
絶えず人の声は聞こえていたので、期待していたほど雰囲気はなかった。けれど、トイレに行くと嘘をついて一人探検した真夜中の校舎は、今でも思い出深い。
「不便さは合宿施設の比じゃないだろうけど、ああいうのはまたやってみたいね」
「わかるわかる。興奮してなかなか寝つけなくてさあ。で、同じような子も何人もいたから、その子達と集まってひそひそおしゃべりとかしたわけですよ。まあ巡回に来た先生に早く寝ろって怒られちゃったんだけど、ともくん達も怒られたクチ?」
「あんまりうろうろするなよって、軽く注意されたくらいかな」
「あっ、探検組か。ともくんってインドアそうなのにたまにアクティブだよね」
「まあ、滅多にないからね」
誰かと行動していたことを前提にする西藤に、あえて否定はせず相槌を打つ。
致命的な齟齬が起きない以上、メリットなどない指摘はしないに限る。沈黙は金だ。
僕の名誉を守るために言うなら、一緒に探検してくれるような友達がいなかったわけではない。あの時は一人で周りたい気分だっただけだ。しかし、「いや僕は一人で探検していたよ」と訂正した前後にそれを付け足してもあまり真実味はないだろう。
虚勢、あるいは虚言の方が、説得力がある。
とはいえ、言葉を呑んだのはそれが主たる理由ではないのだけど。
「そうだよねえ。みんなで夜の学校を探検なんて、なかなかないし」
僕の返答で楽しい思い出でも連想したのか、西藤は無邪気に笑う。サンタから何を貰いたいか相談しているような笑顔を見て、僕は内心肩をすくめるのであった。
そうこれは、言うなればサンタを信じている子供に
一人でいるより大勢でいる方が楽しいし、みんなもそう思っている。そんな夢物語みたいなことを世界の真理だと認識していそうなのが西藤明梨という少女だった。
良くも悪くもまっすぐ育った彼女は、一人でいる方が心安らぐ人間はもちろん、一人でいることを余儀なくされた人間はフィクションの存在なのだ。ともすれば、幽霊や妖怪の方がよっぽどリアリティーがあるのかもしれない。
類は友を呼ぶように僕の周りにはひねくれた思考回路の持ち主が多いので、彼女みたいな人種と友人になるのはなかなか得難い経験だった。
一年のころから同じクラスというだけなんだけど、世の中どう転ぶかわからない。
ちなみにともくんというのは、僕のあだ名である。
名字にも名前にも「とも」と読める漢字が入っているため――苗字の方は厳密に言うと違うのだけど――幼稚園のころからずっとその二文字が入った呼び名で通っている。響きがいいためか、名字も名前も正式に呼んでくれる人はほとんどいないのが密かな悩みだが。
「そういえば」
不意に、話題転換に定評のある言い回しが差し出された。
プリントに戻りかけていた意識が、再び西藤の方へと向けられる。
「ともくん、彼女さんは誘わないの?」
「えっ?」
まのぬけた声とともに、首を傾げる。
確かに僕には彼女――すなわち恋人と呼べる立ち位置の知人がいるが、このタイミングでその存在に言及されるとは思わなかった。
首を傾げる僕に、西藤はプリントの一部分を指し示す。
注意事項の下には、在校生を一人まで誘っても可、という一文が添えられていた。
なるほどと頷く。
僕の彼女は志友高校の二学年に在籍しているから、条件には合う。
合うけれど。
「うーん」
「そこの二人、話を聞きなさい」
小さく唸った僕に被せるように、とうとう私語が咎められた。
視線を前に向ければ、甲斐田先生が腕を組んでおかんむりだった。
僕達は仲良く頭を下げて謝意を示し、それ以上のお咎めを回避する。甲斐田先生は小さく肩をすくめた後、プリントの内容を読み上げ始めた。
朗読からほどなくして、隣から制服の裾を引っ張られる。
同じ轍を踏まないように目線だけ向ければ、プリントが机の上をスライドしてきた。
『さそわないの?』
さっきされた問いかけが、省エネ版で繰り返される。
少し考えた後、ペンケースからシャープペンを取り出した。自分のプリントにさらさらと返信を書いてから、そっと西藤に見せる。
『こえはかけてみる』
誘うということは、すなわち委員会活動を手伝わせることである。
それを考えると、正直声をかけるのに気乗りしない。
しかし、彼女と過ごす時間が増えるのはやぶさかではなかった。
加えてそれが――例え委員会活動の一環だとしても――学年の違う僕と彼女では叶わない宿泊行事になるのだから、なおさらだった。僕も高校生なので、学生の時でしか体験できないシチュエーションを恋人と過ごしたい願望はある。
案外、それを見透かしたからこそ、こうして提案してきたのかもしれない。
西藤明梨という同級生は、そういう女の子なのだから。
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