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 メリーエルの伯父であるシュピッケルは、お気に入りのウイスキーをカットグラスに注ぎ、暖炉のそばの揺り椅子に腰かけた。


 パチパチと薪が爆ぜる音が静かに響く、夜更けである。


 一日の終わりに、こうして書斎の暖炉の前で酒の飲むのが、最近のシュピッケルのお気に入りだ。


 王都は今、社交シーズンの真っ只中。愛娘のカーミラは今日、男爵家のダンスペーティーに出かけているが、おそらくそろそろもどってくる時間だ。


 コンコンと書斎の扉がノックされて、シュピッケルは顔をあげた。


 入ってきたのは、妻であるロクサーナだ。


「あなた、カーミラの新しいドレスですけど」


「ああ、お前の好きにしていいぞ」


「いえ、そうではなく、マダム・エリザのお店に頼んだのですけど、断られてしまいましたの。今年はもう、予約でいっぱいだと」


 マダム・エリザはここ数年、王都で流行している仕立て屋だった。彼女のデザインしたドレスを着てパーティーに出席するのが貴族の令嬢たちの間でのステータスとなっていて、来月開かれる城のダンスパーティーでは、カーミラのためにマダム・エリザのドレスを新調する予定だったのだ。


「カーミラったら楽しみにしていたのですもの、きっとがっかりするわ」


 ロクサーナはおっとりと頬に手を当てる。


 がっかりするだけならいいが、カーミラはおそらくいつものように癇癪を起こすだろうと予想したシュピッケルは、苦い顔だ。


「殿下の目にとまるためにだって――、流行のドレスを着て行かないと」


「殿下か……」


 シュピッケルの眉間にぐっと皺が寄る。


 ロマリエ王国の第四王子であるハーロイド王子。年頃の未婚の王子たちの中で、唯一婚約者を持たない、今年十九歳になる麗しの王子は、今年の社交界で一番注目されている男と言っても過言ではない。


 そろそろ婚約を――と考えている国王は、ハーロイドのために頻繁にダンスパーティーを開いており、そのたびに国中の女性が熱い視線を彼に注ぐ。


 しかし、当の彼はというと、誰に対しても穏やかな笑顔は浮かべるものの、そのうちの誰か一人を選ぼうとはしなかった。


 その理由を知っているシュピッケルは、こっそりと舌打ちする。


(せっかくメリーエルを追い出せたというのに……)


 そう、メリーエルはまったく気がついていなかったが、ハーロイドはメリーエルに恋していた。


 社交界に全く顔を出さないメリーエルが、いったいどこで王子と出会ったのだろうと思ったのだが――、どうやら二年前、視察で地方を訪れていた時にうっかり怪我をしたらしく、たまたま居合わせたメリーエルに――おそらくメリーエルは植物の採取かなにかでうろうろしていたのだろうが――けがの手当てをしてもらったことが原因らしい。


 メリーエルの両親は数年前からいなくなっており、ハーロイド王子は、シュピッケルに、何とかメリーエルとの仲を取り持ってくれないだろうかと相談した。


 シュピッケルは、自分の姪とは言え、メリーエルの父は爵位を持たない平民も同然の身で、王子には不釣り合いだと言ったのだが、王子は、自分は第四王子で、父も婚約者の身分にはそれほどこだわらないと言っていると諦めない。


 あわよくば娘が王子の目にとまればいいと考えていたシュピッケルは慌てた。


 なんとかして、メリーエルを王子から遠ざけなくては。それも、可能であれば二度と会えないようにするべきである。


 シュピッケルは考えた末、メリーエルが魔女であることを思い出した。引きこもって薬の研究ばかりしていたからすっかり忘れていたが、魔女はこの国では禁忌である。


 身内から魔女が出ると言うのはなかなか不名誉なものだが、そこは弟が悪い魔女に騙されたことにしておけばいいだろう。


 シュピッケルはこうして、メリーエルと国から追い出すことに成功した――のに。


「ドレスか……、それは困ったな」


 今度はドレスの問題である。


 王家のダンスパーティーに、同じドレスを着ていくのは貴族の令嬢としては恥らしい。毎回ドレスを変えて出席してくれるため、シュピッケルの懐事情には多大なるダメージを与えたが、王子の目にとまるためには仕方がない。


 しかし――、マダム・エリザの最新のドレスを着て目立つという作戦がうまくいかないとすると、どうしたらいいのか。


 カーミラはマダム・エリザのドレスを楽しみにしていたため、もしかしたら臍を曲げてダンスパーティーには出席しないと言い出すかもしれない。


「ほかのドレスではだめなのか?」


 何かほかに、マダム・エリザのドレスにかわるものはないのかと妻に訊ねるが、ロクサーナは困った顔で首を振った。


「どうしても、マダム・エリザのドレスには見劣りしますわ」


「しかしなぁ……、今度のダンスパーティーは、殿下の婚約者選びも兼ねているし……」


「ええ、だから相談しに来たのですわ。何かいい方法はございません? あなた、悪だくみ得意でしょう?」


「な、悪だくみ……!?」


 妻の容赦ない一言に、シュピッケルは顔をひきつらせたが、すぐにぱっと顔を輝かせた。


「マダム・エリザは予約待ちでいっぱいだと言ったのだろう?」


「ええ、そうですわ」


「では、その予約をなくしてしまえばいいじゃないか」


「と、いいますと?」


「予約者に、予約を取り消してもらえばいい」


 すると、シュピッケルは呼び鈴を使って執事を呼びつけた。


「マダム・エリザの店でドレスの予約待ちをしている客の名前を調べられるか?」


「探偵を雇えば、できなくはないと思いますが……」


「では、調べてそのリストをわしにくれ」


「かしこまりました」


 そう言って、執事が出て行くと、シュピッケルはほくほくとした表情を浮かべた。


 あとは、リストの中の気弱そうな貴族を探して、ちょっと脅せばすむだろう。


 シュピッケルは上機嫌でウイスキーのグラスに口をつける。


 そして、景気よくぐいっとグラスの中のウイスキーを飲み干したときだった。


「あ、あ、あな、あなた……!」


 ロクサーナが大きく目を見開き、口をあけ、ふるふると震える指でシュピッケルを指した。


「どうしたんだ、そんなに青い顔をして」


「か、髪……」


「は? 髪……?」


 シュピッケルは何げなく自分の頭に手を伸ばし、ふぁさっとつかんだ何かに眉を寄せる。


 ゆっくりと自分の手を見つめて、指に絡まった無数の髪の毛を見た瞬間、椅子から飛び上がって壁にかけられている鏡まで走った。


「な、な、な……っ」


 シュピッケルは鏡に映る自分の顔を見て、がたがたと震えはじめた。


 最近、頭頂が少し薄くなりはじめたと思ってはいたが、まだたくさん残っていた髪の毛が、ばらばらばらと勢いよく抜け落ちていく。


「あ、あ、ああああああああ――――――!」


 シュピッケルは両手で頭を抱えた。その拍子に、まだ、なん十本という髪の毛が床へと落ちていく。


「どうなっているんだああああああ――――――!」


 シュピッケルの大絶叫が、邸中に響き渡った。

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