姫様の休日(13)

 マルコスは藤原興産広島ホテルの階段を駆け上がっていた。

 時々会うホテルの従業員はマルコス達を見るや逃げるように避ける。阻む者は居なかった。

 それ故にマルコスは早くカイラを手中に収めねばと焦る。

 ホテル内の静かな様子は明らかに侵入者である自分達を察知しているからだと分かる。

 ホテル側は下手な抵抗はせず、警察なり軍隊が到着するまでやり過ごすようだ。それだと混乱に乗じて切り抜けると言う都合の良い環境は望めない。

 これで失敗したらもう後が無いな。

 マルコスは部下達へ何度目かの「急げ!」と促し、自分の苛立ちが出てしまった。

 ようやく30階にある最上階へ着く。

 誰もが息を切らして喘ぐ。マルコスは皆の息が整ってから前進を再開する。

 (誰も居ないのか?ここも静か過ぎる)

 最上階はしんと静まっていた。あたかも誰も居ないように。

 しかし、ドアは開け放たれている。

 (罠か?)

 開いたドアはマルコス達を誘導しているのではと思えてくる。

 「お客様、ようこそ当ホテルへ。私は支配人の藤原です」

 あたかも影からいきなり現れたように藤原がマルコス達の前で挨拶をした。

 気配なく現れた藤原にマルコス達は驚きつつ、敵意を見せる。

 「奥でカイラ殿下がお待ちです。ご案内します」

 藤原はマルコス達の殺気に臆する事無く平然と背中を見せ、マルコス達を導く。

 「あれは敵だ。すぐにやらないと」

 レイエスがマルコスへ言う。

 確かに敵かもしれない。だが、今は戦争中ではない。

 相手とは戦うだけでは無い、会って話すのも作戦行動の内だとマルコスは考えていた。

 「まあ待て、殿下が会おうと言うのだ」

 マルコスはレイエスを宥める。

 レイエスは不満を顔に出しながらもマルコスに従い、カイラと会う事にする。


 リビングルームに通されたマルコスは、ソファーに座るカイラと対面する。冴子はカイラの右隣に立ち、マルコス達を睨み警戒している。

 「では、ごゆっくり」

 藤原がマルコス達から離れる。

 妙な沈黙を置いて、マルコスが口を開く。

 「殿下、私はベニグノ・マルコス陸軍大佐です。お初にお目にかかります。先ほどはご無礼を致しました」

 マルコスは立ったまま軽く頭を下げて挨拶する。

 「そうね、無礼ね。あんな目に遭わせて」

 カイラは座ったまま、マルコスを見上げながら言う。その声色と目は冷ややかだった。

 「殿下を日本軍からお救いするには、このような方法しか無かったのです。どうかご理解を」

 「私は助けて貰おうとは思っていない」

 「殿下は騙されています。日本は貴方を利用しようといているのです、ですからこうしてお迎えに来たのです」

 カイラとマルコスはミルダナオの言葉で話している。

 ミルダナオ語が分からない冴子でも、どんな会話をしているかは察していた。

 マルコスはカイラを連れだそうと説得しているのだろう。それをカイラは聞き入れず、否と言っているのだろうと。

 事実そうだった。

 いきなり襲撃された事でカイラはマルコスへ好感は微塵もない。

 「皆様、喉が乾いていませんか?お飲物をどうぞ」

 藤原がマルコス達やカイラ・冴子も含めた数を揃えた緑茶の入ったコップを金属の銀色トレイに載せてやって来た。

 マルコスは無言でトレイからコップを受け取り茶をあおる様に飲み干す。すぐに「お前達も飲め」とレイエスら部下達へも勧める。

 冴子はカイラの分を先に取って渡し、自分のも取って飲む。

 「大佐、あなたが王族を管理下に置き、自らがミルダナオの実権を握ろうとしているのは本当ですか?」

 カイラは皆が茶を飲み、一息ついた時にマルコスへ尋ねる。

 マルコスは目つきが再び険しくなる。

 「そうです。我々の同志達による新しい政府がミルダナオを変えるのです」

 マルコスは重い雰囲気を身に纏いカイラへ答える。

 カイラは敵意を含んだ冷たい視線をマルコスへ向ける。

 冴子はミルダナオ語が分かる藤原から、カイラとマルコスが何を話しているかを聞いた。

 「大佐、理由を聞いても宜しいかしら?新しい政府を作る理由を」

 カイラの問いにマルコスは「はい、ご説明します」と快諾する。

 「殿下には失礼ですが、ミルダナオは王族の為にあるのでは無いのです。国民の為にミルダナオと言う国はあるのです」

 マルコスの言葉にカイラは揺れず「では、王族を倒すのが目的か?」と尋ねる。

 「そうではありません。我ら新しい政府の管理下で暮らして頂きます。ただし政務はしなくて結構です」

 「つまり、王族は何もせず大人しくしていろと?」

 カイラはマルコスを睨む。

 「そうなります。そうでなければ国家を新しくはできません」

 「ミルダナオの何を新しくするのだ?」

 「日本の影響力を低下させます。まずは日本企業に取られている鉱山や油田の権利を取り返します。これは日本企業と王族が仲が良いから我々がするのです」

 カイラは返す言葉を見い出せない。

 まだ子供とはいえ、ミルダナオで日本企業の影響力が大きいのは知っている。

 知識として日本とミルダナオの関係は知っていたが、王宮に日本企業からのプレゼントが何度も届くのをカイラは見ていた。

 そのプレゼントに毎度喜ぶ王族の皆も見ていた。

 王族と日本企業の繋がりが良好なのは知っていた。

 だから返す言葉が見あたらない。

 「殿下、どうです?我々に任せてくれませんか?」

 言葉に詰まるカイラを見て、マルコスは望みを言った。

 「それはダメだ」

 カイラは即答した。マルコスは機嫌の悪そうな顔になる。

 「殿下、お分かり頂けないのですな。残念です」

 「そうではない。国を変える必要はある。ただし、お前達と私とでだ」

 カイラはマルコスを真っ直ぐ見て言う。その目に冷たさは無い。

 「そのお気持ちは本当ですか?この場をやり過ごす為で言ったのならば、私は許しませんよ」

 「本当だ。お前達と帰国してからミルダナオの為に働きたい」

 語るカイラをマルコスは見つめる。本心なのかを見定める為に。

 「つまり、私達を殿下の臣下としてお使いになると?」

 「そうなる。不服か?」

 「我らの理念に反します。我らは自分達で政治を担うのですから」

 「私は王族の務めを果たしたいのだ。王女として働かせて欲しい」

 「王女の務め?」

 「私は疎まれて政務はおろか、重要な晩餐会や来賓の場に呼ばれる事は無かった。私は何も王族として果たしていない」

 今度はマルコスが黙る。何かを考えているようだ。

 「大佐、迷う事はないですよ。さっさと始末するべきです」

 そこへレイエスが進み出てマルコスに言う。

 「それはダメだ」

 マルコスはレイエスの意見に反対した。

 「何故だ?こいつら王族がデカくて綺麗な王宮に住む為に俺達庶民がどれだけ苦しんだか知っているだろ?こいつにも罪がある」

 レイエスは語りながら感情が高ぶり、拳銃をカイラへ向けた。

 冴子はすぐさまカイラの前に出て守る構えをする。

 「待て、殺してはならんと命じただろ!」

 マルコスは怒鳴ってレイエスを抑えようとする。

 「こいつは殺すべきだ。大佐はこいつに騙されそうになっている!」

 「何を言ってるんだ、とにかく銃を降ろせ!」

 マルコスはレイエスの拳銃を持つ右手を押さえて無理矢理下げようとする。

 「大尉、あのレイエスと言う人と話したい。前を開けてください」

 カイラは日本語で冴子へ言う。その声はいつも冴子へ話す声色よりも固いものだ。

 「できません。殿下に銃を向けたのですから」

 冴子は譲らない。むしろ冴子はすぐにでもカイラを引っ張ってここから脱出したかった。

 だが、カイラの王女としての立ち振る舞いを見て守りつつ様子を見る事にした。

 マルコスとレイエスはカイラへの考えを巡り言い争いになっていた。

 レイエスは拳銃をカイラへ向けようとし、マルコスに抑えられていた。その様子をマルコスの兵隊達は困惑しながら眺めている。

 どっちの味方をするべきか悩んでいる様子だった。

 「大佐、邪魔をするならアンタも罪人だ!」

 「馬鹿を言うな!上官に逆らうな!」

 レイエスは怒りをマルコスへ直に向ける。

 だがマルコスは相変わらず上官としてレイエスを抑え込もうとする。

 「お前は上官じゃねえ!」

 マルコスの右手を振り払い、レイエスは拳銃を撃つ。

 レイエスの銃撃はマルコスの腹部に命中した。マルコスは押されたように背中から倒れた。

 「なんて事を…」

 カイラは目の前で起きた悲劇に唖然とした。

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