「姫様の休日」(3)

 「それでは末松少尉、留守を頼みます」

 冴子は武田山の洋館で末松に留守中の警備を任せた。

 この日はカイラと共に広島市へ出かける日だった。

 お忍びで行く事から冴子は軍服ではなく、ジーンズにテーラードの姿だ。これは冴子が持っている私物である。

 「任せてください。こっちよりも大尉が大変ですね」

 末松は冴子を案じる。

 「気遣いありがとう」

 冴子は末松の心遣いに感謝する。

 「大尉、殿下がお待ちです」

 三宅が冴子を促す。三宅もお忍びに同行する為にカーゴパンツにトレーナーを着込んでいる。これも三宅の私物だ。

 大東亜戦争の後は欧米からの新しいファッションの技法や流行はなかなか入らなかったが、経済界の政治力が高まると欧米の文化に対する規制が緩んで日本の服飾業界は貪欲に欧米のファッションを取り入れた。

 それが今では欧米と出回るモノと同じファッションを帝国日本でも着る事ができる理由である。

 「待ちくたびれたじゃない。早く行きましょ」

 カイラは箱型軽乗用車の中で冴子が来るのを待っていた。

 お忍びとあり、姫様だと分かるような恰好にならないようにパーカーを着てスカートを履いた姿だ。更に頭にはキャップ帽も被っている。

 「すみません。すぐに出発します」

 冴子はカイラへ謝りながら車内に入る。三宅も乗り込むと発進する。

 車内はカイラをはじめ冴子に三宅、ラウエルに侍女が一人に運転手を務める広島地区憲兵の伍長の合わせて六人が乗っている。

 「今日はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」

 「広島市の中心部です」

 「へえ」

 冴子の提案にカイラは興味を示す。

 「散策を中心に考えております」

 「散策ねえ」

 散策と聞いて少しカイラは不満げな表情を見せる。

 「警備の為ですのでご理解を」

 冴子はやや顔を引きつらせながらカイラへお願いする。

 「殿下・・・」

 同乗しているラウエルがワガママを言いそうなカイラを嗜める。

 「分かってる、大尉の提案に従います」

 「ご理解ありがとうございます」

 冴子はラウエルへも感謝をした。


 一行を乗せた車は広島城の駐車場に着き、そこで降りる。

 広島城は帝国陸軍第五師団の司令部が置かれる軍の施設だった。それが今では市の公園として一般に解放されている。

 とはいえ広島城北側と東側は多少の縮小があったが陸軍の敷地のままである。

 観光客たちの目を避けるように駐車場の隅で車から降りるとのはカイラと冴子に三宅・ラウエルだ。カイラは冴子と二人で、三宅とラウエルが離れた位置で後に続く。

この四人が二の丸の方から城へ入る。

 「ここは広島城です。毛利輝元と言う武将が建てたお城です」

 冴子がカイラと並んで歩きながら説明する。

 「日本の王宮は水路で囲んでいるの?」

 カイラは冴子と御門橋を歩きながら尋ねる。カイラの住んでいた王宮は塀で囲われていたが堀は無い。

 「これはお堀です。敵が攻めてきても防ぐ為に作られたものです」

 「ここは戦場になったの?」

 「戦場にはなりませんでした。このお城は戦う為よりも、この地域で政治を行う為に建てられたのです」

 「自分達が支配者である事を民に見せる為に?」

 「その通りですね」

 「王宮や城はどこも同じなのね」

 カイラの感想に冴子は苦笑いをするしか無かった。

 二の丸から城に入った一行は本丸に来た。本丸内にある護国神社を回り、そこから日清戦争の時に建てられ、今では県の史跡となっている広島大本営も冴子は見せた。

 まさにカイラを広島城内に連れ回す形になっていた。

 (お疲れのようね。計画通り)

 冴子はカイラの様子を見て、ほそく笑むような思いだった。

 とにかく歩かせる。観光として歩かせる。歩き回る事に慣れていない姫様なら音を上げるだろう。そうなればお忍び警備はすぐに終わる。

 「大尉、少し疲れた」

 カイラは冴子の予想通りに音を上げたようである。

 「では少し戻ってお茶にしましょう」

 冴子は広島大本営から護国神社の前にある茶屋に連れて行く。幸いにして他の観光客が居ない。

 二人は木製の長椅子に並んで座る。

 「ジュースにします?」

 冴子はカイラの注文を尋ねる。

 「何か日本らしいもの」

 カイラの大雑把な注文に冴子は少し悩む。

 「抹茶ラテはいかがです?」

 「それでいい」

 ほどなく飲み物が店員により届けられる。

 カイラは抹茶ラテを、冴子はアイスコーヒーを飲む。

 「大尉、アイスが欲しいわ」

 カイラは抹茶ラテを飲みながらアイスのメニューを見て冴子に言う。

 「どれにします?」

 この茶屋は十種類以上のアイスがあった。

 「あの、日本なんとかと言う物を」

 カイラが指すのは日本酒のアイスだった。酒と言う漢字が読めなかったようだ。

 「ダメです。殿下にはまだお早いです」

 「何故?」

 「あれはお酒をアイスにしたのです。殿下の御歳ではミルダナオでも飲むには早いのでは?」

 「お酒だったのね。それなら仕方ない」

 十五歳のカイラはさすがに諦めた。

 「大尉はお酒を飲むの?」

 「ええ、呑みます」

 「美味い?」

 「美味いですよ。でも、大人になってからじゃないと、美味さは分かりません」

 冴子はカイラが気が変わって日本酒アイスを頼まないようにそう言った。

 「大人か。大尉は大人になって良かったと思う?」

 カイラの質問に冴子は少し考える。

 「良かった事もあります。ですが、辛い事や厳しい事が多いですね」

 「そうなのね。それなら私は子供のままで良い」

 「そうは行きませんよ。嫌でも歳は取るものです」

 冴子は意地悪な笑みをしながら言う。

 「大尉殿、殿下をからかってはいけませんよ」

 冴子へ話しかける声がする。

 「有川中尉か。御苦労様」

 有川だった。チュニックを着てデニムスカートを履いている。

 「殿下、彼女は周囲の警備を担当している有川中尉です」

 冴子は有川が誰なのか構えるカウラに紹介する。

 「はじめまして殿下、憲兵の有川中尉です」

 有川は頭を下げて挨拶をする。

 挨拶を済ませると有川は冴子に報告する。

 「周囲に不審者は居ません」

 「でも警戒は緩めないで」

 「はい」

 冴子は呉海軍警務隊の坂堂が報せたカイラが狙われていると言う情報を憶えていた。

 上官である吉川へ伝えようとも思ったが、海軍からの情報であるし不確かな情報でもある。上へ挙げるには確たるものが足りない。

 だからカイラのお忍び先を中国管区憲兵隊司令部や第五師団の兵営が近い広島城を選んだのだ。

 「ふう。なかなか良かった」

 カイラは白桃アイスを選んび、食べ終わった。

 「お疲れになったでしょう。戻りましょうか」

 冴子はカイラを武田山の洋館へ戻らせようとする。

 「少し疲れたけど、物足りないわ」

 だがカイラの返事は冴子にとって予想外だった。

 「無理は禁物ですよ殿下」

 冴子は諦めない。

 「まだ夕方にもなってないわ。大尉、案内しなさい」

 カイラも諦めない。

 作戦が失敗し、冴子は心中で地団駄を踏む。

 「分かりました。行きましょうか」

 冴子はカイラの求めに応じる事にした。

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