「姫様の休日」(1)

 神楽坂冴子憲兵大尉をはじめ、中国管区憲兵隊の特別捜査警務隊の面々がこの日の朝に会議室に集められた。

 「おはよう、こうして集まって貰ったのは来日する来賓についてだ」

 特別捜査警務隊の吉川恒郎少佐が入室する。

 来賓する外国からの重要人物は憲兵隊にとって護衛対象になる。そうした来賓について会議で伝達されるのは珍しい事では無い。

 「来賓するのはミルダナオ王国の第三王女であるカイラ・リサール殿下だ」

 集まる面々が少しざわつく。

 「知っていると思うがミルダナオは現在、王位を巡り混乱状態にある」

 報道で誰もがミルダナオで騒乱が起きているのを知っていた。国王が後継指名をせずに崩御した為に、王子達と王女達が軍人や政治家も巻き込み王位を巡る争いをしている。

 まだ派閥形成と、小競り合いぐらいしか起きていないが、内戦に突入するのは時間の問題だった。

 そんな時期に来るのだから訳ありなのは誰にも明らかであった。

 「カイラ王女の来賓は親善や視察ではない、混乱状態の祖国からの一時退避だ。だが、カイラ王女にも王位継承の問題で何者かの手が伸びる可能性がある。その為にカイラ王女の警護する事となった」

 「それは、広島に王女が来るのですか?」

 冴子が尋ねる。

 「そうだ。中央憲兵隊司令部からの御指名だ。各国の関係者が多い東京や大阪よりも地方の広島なら良いだろうとの事だ」

 吉川の返答に冴子はかつての中央憲兵隊司令部での上司である大原の顔がよぎる。

 (私が居るから広島に王女を行かせたのか?)

 面倒を押し付ける大原のやり方を知っているだけにそう冴子は思えた。

 「カイラ王女は今日の夕方に広島空港へ到着する。急であるから神楽坂班を中心に警護隊を組む」

 冴子は急な事に驚く。確かに今は追う事件がひと段落している。

 とはいえ勘が損な役目を押し付けられているぞと警報を出している。

 「了解です。準備します」

 冴子は平静を装いながら答える。


 午後四時

 広島市の西区にある広島空港は陸軍の吉島飛行場から空軍の吉島飛行場を経て、軍民共用の広島空港になっている。

 民間空港もであるが、連合空軍の輸送機も飛来し陸軍航空隊の回転翼機の基地にもなっている。

 だから軍人の姿は珍しくない空港である。

 「来たようですね」

 時間と着陸態勢に入る機体を見て末松が言う。

 着陸して来たのは空軍の機体だった。小型旅客機を要人を乗せる専用機にしたものだ。

 空軍の駐機場で止まった機体からまず空軍の将兵が降りる。

 「陸軍中国管区憲兵隊の神楽坂大尉です」

 冴子は三宅と末松を連れて降りて来た空軍の将校へ挨拶する。

 「貴官がお迎えの方ですね。ご苦労様です」

 中佐であるその空軍将校は敬礼しながら挨拶を返す。

 「ここでも警戒をしているのは危険があるのですか?」

 冴子は降りた空軍兵が銃を構えて周囲を見張っている様子について尋ねる。

 「ここは民間空港でもありますから。念の為です」

 空軍中佐は何程のものではないと言う砕けた姿勢で答えた。

 「では、姫様をお渡しします」

 空軍中佐の合図で機内からカイラ王女と御付きの四人が降りて来た。

 御付きは白髪の老人と女性が三人だ。

 「カイラ殿下、ここからはこの憲兵が警護します」

 空軍中佐がそう告げるとカイラは頷く。

 「はじめまして、私は日本陸軍憲兵隊の神楽坂大尉です。これより殿下の警護を致します」

 冴子は敬礼して申告する。

 カイラは「宜しく頼みます」と短く答える。

 東南アジアのミルダナオ王国の姫であるカイラ

 褐色の肌に後ろに纏められた黒髪にどこか気が強そうな瞳は気高さを感じる。

 「私は侍従長のジョゼフ・ラウエルです。警護に関しては私に報告をして下さい」

 白髪で紺のスーツの男はそう名乗る。

 「分かりました」

 冴子は敬礼しながら答えた。

 「では、お泊り頂く所までお連れします」

 冴子はカイラ達を空軍の駐機場に停めた箱型軽乗用車(我々の世界で言うワンボックスカー)に乗せる。

 「このような車で申し訳ありません。移動を偽装する為でして」

 冴子はラウエルに謝りながら言う。

 「構わんよ。今は安全が一番だ」

 ラウエルはカイラ姫や侍女達で窮屈な座席に座りながら言う。

 カイラは侍女達に挟まれながら外を眺めようとしている。

 「では、出発します」

 冴子達が乗る普通車を先頭に出発する。

 少しでもカイラ姫の動きを悟らせまいと車は民間企業から借りていた。冴子は防弾車に姫達を乗せたかったが、秘匿を第一にした。

 それはある情報を入手したからだ。

 「神楽坂大尉、お姫様がそちらに行くのは御存じですか?」

 呉警務隊の坂堂が昼前に連絡して来た。

 「何故知っている?」

 電話越しとはいえ身構える冴子

 「お姫様を連れ出したのがウチら(海軍)だからです」

 「そういう事、海軍主導の策謀って事かしら?」

 「現地から連れ出す発案をしたのは海軍ですけどね、外務省やら陸軍やら空軍も混じって誰が主導しているか分からない」

 「なるほど、その姫様の警護担当にされたから準備で忙しくてね。そろそろ切るわ」

 「ちょっと待って。それならもう少し伝えたい事がある」

 坂堂は慌てて引き留める。

 「何です?」

 「お姫様は狙われている。これだけは覚えていて」

 「確実な情報が?」

 「残念ながら不確定、だけど確度は高い」

 「ありがとうございます。それでは」

 こうして冴子は急いで民間から自動車を借りる事にした。

 軍用車や憲兵隊が保有する民間車輌では悟られてしまうかもしれないからだ。


 冴子はカイラ達を広島市街より北の安佐南区に連れて行く。

 そこのはある陸軍大将が建てた別荘がある。その陸軍大将が亡くなってからは政治家や軍人などの要人を泊める為の宿泊施設に使用されてる。

 別荘は白い壁で二階建ての西洋館、姫様を泊めるには相応しい場所だ。

 それに立地する武田山は、広がる広島市近郊の市街地にありながら人口が無い山地が存在する。警護対象者を守るには良い場所だ。

 「ここなら不審者の接近も分かりやすそうですね。良い場所だ」

 ラウエルは別荘を見なわしながら感想を述べた。

 別荘の周囲は広島地区憲兵隊の憲兵が警備に立ち、小型無人機が飛んで空からも警戒している。ラウエルはそれも見ての感想だった。

 「では姫様、入りましょう」

 ラウエルに促されてカイラ姫は別荘に侍女達と入っていく。

 「とりあえず、ひと段落ですな」

 三宅が冴子へ話しかける。

 「そうね。姫様も大人しく指示を聞いてくれる性格みたいだし、思ったより楽かもしれないわ」

 「同感です。姫様だけに落ち着いてますね」

 末松も同意する。

 「二人共そう思いますか?」

 三宅は笑みを浮かべて言う。

 「違うと?」

 「結構なお転婆姫であろうと思いますな」

 「軍曹は何故そう分かるんだ?」

 三宅の所見の根拠を末松は求める。

 「目ですよ。目は性格と考えが分かる」

 「目は口ほどに物を言うって訳か」

 末松は納得する。

 「目ねえ」

 冴子は対面した時のカイラの目を思い出す。

 気が強そうな目だった。本当は自己主張が強い性格なのかもしれない。

 冴子は三宅が言った所見が正しいかどうかを、すぐに確かめる事になる。

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