「海の上で」(11)

 「岡田少尉は生きているそうね」

 夕方、冴子は中国管区憲兵隊本部内で拘留中の佐々木を呼び出した。

 岡田少尉が生きていると言う情報は有川に続いて、笹井を事情聴取していた呉海軍警務隊の坂堂からも届いた。

 「呉の海軍警務隊で自供した笹井軍曹が言うには、アンタが岡田少尉の死を誤魔化したようじゃない」

 冴子がこう言うと佐々木は深いため息を吐いた。

 「しゃべったのかアイツ」

 佐々木は悪態を晒す。 

 「岡田少尉が生きていたと言う情報は別の筋からも来ている。笹井軍曹が自供しなくても、すぐに分かる」

 冴子は笹井を冷たく見ながら言う。

 「そうか、どっちにしてもバレるか」

 佐々木は諦めの顔になった。

 「笹井軍曹の言う通りです。俺が岡田少尉の死を偽装したんです」

 「認めたわね。では何故黙っていた?」

 冴子は自分の取り調べの時に話さなかったのか問いただす。

 「そりゃバラしたら俺が殺されるからですよ」

 佐々木は開き直りの態度だ。

 「そう言われたのか?」

 「そうです。宇品に戻って来た岡田少尉は<俺が死んだ事にするんだ。誰にも言うな。誰かに言ったら殺すぞ>と言われたんです。それで岡田少尉の死亡を報告して、遺体を運ぶふりをして岡田少尉を逃がしました」

 佐々木は自分が関与した事を白状した。

 「岡田少尉が逃走する先に心当たりは?」

 冴子は行方が分からない岡田少尉の手がかりを佐々木から探り出そうとする。

 「愛人や恋人が居るとは聞かなかった。両親は出身地の茨城県に住んでいるようですね」

 冴子が欲しい情報を得ることは出来なかった。

 両親の自宅へは関東管区憲兵隊へ要請して監視している。

 「中尉、岡田少尉はアンタを殺しに来ると思っている?」

 冴子は話題を変えた。

 佐々木がどれほどに岡田少尉を恐れているのか知りたかったのだ。

 「来るよ。本人じゃなくても、殺し屋を雇って送り込むぐらいはするさ」

 佐々木の顔から開き直りの図々しさが消えて、真顔になる。

 「岡田少尉に殺されそうになった事があったの?」

 冴子は佐々木の様子を見て尋ねる。

 佐々木は嫌な顔をした。

 「そうだ。岡田少尉を怒らせた時にな」


 佐々木は岡田の舎弟と言う立場になってしまった不満が溜まり、岡田に反発した時があった。

 弱みを握られているとはいえ、岡田は階級では下だ。

 ましてや自分は憲兵だ。それがヤクザまがいの少尉に使われている。

 佐々木にとっては不満が溜まる一方だった。

 「やってられるか!何で憲兵の俺がここまでコキ使われるんだ!」

 佐々木は業務隊の倉庫で、岡田からまた仕事を言い渡された時にそう憤懣を爆発させた。

 「あー?俺に逆らうのか?」

 岡田は佐々木が怒りを爆発させても怯む事はない。

 「そうだ!俺はこの仕事はやらねえ!」

 「それなら、ホステスを殴った事をお前の上官に言ってやるぞ」

 「言えばいい!」

 佐々木は怒りに任せて感情のまま言う。

 「いい度胸だ」

 岡田は佐々木に近づく。

 佐々木はその岡田に負けまいと受けて立つ態度を取る。

 「この仕事をしないって事は、憲兵として俺を捕まえる気だな?」

 岡田は近づきながら尋ねる。

 「ああ、捕まえてやる!軍法会議に送ってやる!」

 佐々木は決然と言う。

 だが岡田は何も表情を変えない。出会った当初からの見下す表情そのままで。

 「それなら、生かしておけんな」

 岡田は腰に提げている銃剣を抜いた。

 「何をする!」

 銃剣を持つ岡田に佐々木はたじろぐ。

 岡田は銃剣の剣先を佐々木の顔へ向ける。

 「俺を捕まえるなら殺してやる」

 佐々木の喉へ銃剣の先をくっつける。

 わずかに刺さる剣先が佐々木の喉の皮膚を斬り、血がにじみ出る。

 チクリと痛みを感じる佐々木は、痛み以上に恐怖を抱く。

 岡田は変わらず佐々木を見下した冷めた顔で、銃剣を佐々木の喉元へ向けている。

 躊躇無く、銃剣を押し込んで佐々木の喉を突きそうだ。

 岡田の冷静さが佐々木には恐ろしかった。

 「ぐあ!」

 佐々木は岡田に足を蹴られて尻餅をついて倒れる。

 そこを更に岡田は佐々木の脇腹を蹴った。佐々木は痛みに喘ぎながら倉庫の床をのたうつ。

 「まだ俺に逆らうか?」

 岡田は問う。

 「・・・逆らわないです」

 佐々木は痛みと共に苦虫を噛む。

 「今度俺に逆らったり、裏切ったら本当に殺すぞ。俺を陸軍刑務所にブチ込んでも殺し屋か誰かにお前を殺させる。分かったか?」

 「分かりました・・・」

 こうして佐々木は岡田に逆らえなくなった。

 

 「なるほどね」

 冴子は佐々木の岡田少尉が生きていると言えない事情が理解できた。

 佐々木は岡田に逆らえない事を心身に叩き込まれたのだ。

 「これで俺は裏切り者として殺されてしまう。証人保護で行うような身柄の保護をして欲しい。協力はなんでもしますから」

 憂鬱な顔になった佐々木は、憲兵として知っている知識で保護を求めた。

 「申請してみるわ」

 冴子はこの時に新たな考えが浮かんだ。

 「佐々木を囮にするか。君はなかなかだな」

 冴子は吉川に佐々木を囮に岡田を呼び寄せる作戦を提案した。

 「岡田少尉を招き寄せる駒には最適かと」

 「そうか?岡田にとって佐々木はそこまで大事かね?」

 吉川は佐々木の価値に疑問を持つ。

 佐々木は憲兵での権限を利用されたに過ぎない。岡田の右腕と言う訳でもなく、岡田の集団では一番の下っ端と言う扱いなのだから。

 「佐々木を脱走したようにして、岡田に接触させます。少なくとも居場所ぐらいは掴めるのではないでしょうか」

 冴子は実行する意義を訴える。

 どこへ逃げたか手がかりがない岡田。ならば電話でも人伝でも岡田の居場所を知りたい。冴子はそう考えていた。

 「そう言う事ならよいかもしれん。実行を許可する」

 吉川は冴子の作戦を許可した。

 

 「協力しますけど、ちゃんと守ってくださいよ」

 翌日、佐々木は中央憲兵隊司令部を出て、広島市内の相生通りを私服で歩いていた。

 冴子から渡された携帯電話で佐々木は不安な声で冴子へ訴える。

 「大丈夫、今もアンタを見守っているんだから」

 冴子は佐々木を同じ相生通りを遠くから監視している。

 三宅や末松も別の位置から佐々木を監視している。誰もが軍服ではなく私服だ。

 「では、行きます」

 「了解」

 佐々木は雑踏に混じりながら歩き始めた。

 冴子や三宅・末松も佐々木の動きに合わせて距離を詰めず、歩き出す。

 佐々木は歩きながら携帯電話で岡田に通話を試みる。

 岡田個人の携帯電話の番号を佐々木は知っていた。

 「佐々木か?」

 低く、疑う様子で岡田が電話に出た。

 「はい、憲兵の佐々木です」

 佐々木は少し声を震わせながら答える。

 「どうした?」

 岡田はどこか面倒そうに尋ねる。

 「実は、憲兵隊司令部に怪しまれて逃げているんです。岡田少尉と行動を共にしたいのですが」

 佐々木は冴子が考えた台詞を言う。

 もしも岡田が佐々木が連行されたのを知らなかったら、捕まる前に逃げているという事にしようと。

 「やはりすぐに疑われたか。だがな合流は無理だ」

 「そんな、どうにかなりませんか?」

 岡田が断ると佐々木は食い下がる。

 「無理だ、俺は外地に居る。憲兵から逃げているお前は来れないだろう」

 「そんな、なんとか行きますから場所を教えてくださいよ」

 佐々木は冴子から命じられた居場所を聞き出そうとする。

 「教えねえよ。じゃあな」

 岡田は電話を切った。

 佐々木は困った顔を何処かに居る冴子へ向けて失敗したと無言で伝えた。

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