「海の上で」 (10)

 坂堂達は逮捕した笹井を呉の警務隊本部に連行した。

 「あまり時間がないのでね。早速あの晩に何が起きたか話して貰おうか」

 取調室で坂堂は笹井をせき立てるように言った。時間は正午を過ぎていたが、昼飯を食べる事無く取り調べを始める。

 冴子が気を利かせ、現行犯逮捕をしたとはいえ海軍警務隊が陸軍兵士を拘束できる時間はそう長くない。

 笹井はバツの悪いような顔をする。

 坂堂が聴きたいのが多井少尉や高田中尉を死傷させた事件が起きた晩の事だ。

 笹井はその場に居た当事者だ。

 そして坂堂と倉田は高田中尉と多井少尉の上官や同僚である事は笹井には分かった。

 遺族を前にした犯人と言う構図になっている。

 笹井は自分が置かれた立場がそうだと悟りバツが悪い思いになる。しかし何を自分がしていたか語らねば、坂堂と倉田は許さない事も分かっている。

 「あの晩、俺は連絡艇の操船をしていた。岡田少尉と高野伍長を乗せて江田島の西の沖に向かった。小黒神島の近くまで行けと岡田少尉に指示を受けて」

 笹井は語り始めた。

 「何をしに行くか、岡田少尉から指示はあったか?」

 坂堂は尋ねる。

 「海軍と取引をしに行くと聞いた。でも、海軍がおかしい様子だったら撃ち殺すとも言っていた」

 笹井の証言に坂堂はこちらの捜査に岡田が気づいていたのかと思った。

 「つまり、銃撃をしたのは取引をしようとしていた海軍将兵が警務隊だと気づいたからか?」

 「それは分からない。岡田少尉が撃てと言った。だから、俺も撃った…」

 静かな間が起きる。

 笹井は気まずさを感じて背中に冷や汗が流れた。

 「撃つ前の状況は憶えているか?」

 坂堂は噴出しそうな感情を抑えて尋ねる。

 「海軍の船と合流して、岡田少尉が海軍と話していた。岡田少尉の隣には高野伍長が居て海軍の方を見ていた。俺は操舵室に居て船を出すまで待っていたよ。少しの間、岡田少尉は海軍と話し込んでいた。そしたらいきなり岡田少尉は「撃て!撃ち殺せ!」と大声で言ったんだ」

 「岡田少尉と海軍側との話は聞いてないのか?」

 「聞こえなかった」

 坂堂は笹井が嘘を言っているかと思ったが、真相を知っていても岡田少尉に罪を被せれば良いのだ。わざわざ嘘を言う要素が無い。おそらく笹井の証言は本当であろうと坂堂は思えた。

 「岡田少尉が撃てと命じた時に素直に従ったのか?」

 「そうだ。岡田少尉は上官だし、この裏仕事の親分だ。逆らえないよ」

 笹井の答えに取り調べに同席している倉田は何か言いたげだが、軍隊と言う上下の規則の縛りに、違法な活動をする集団としての上下関係が更に笹井を縛ったのは容易に想像できた。

 「岡田少尉が撃てと命じてから、どうなりましたか?」

 「海軍も撃ち返して来て、まず高野伍長が倒れて、次に岡田少尉が倒れた。倒れた岡田少尉が船を出せ、と命じたから俺は撃つのをやめて連絡艇を発進させて、その場から逃げたんだ。江田島の北の沖に来たぐらいで海軍が追って来ないと分かった。そこで高野伍長と岡田少尉がどうなっているか見たんだ」

 「そこで死亡したのを確認した?」

 「高野伍長が死んだのは確認した。でも岡田少尉は死んでなかった」

 「岡田少尉は宇品に着いてから死んだ?」

 「いや、岡田少尉は死んでない」

 「どういう事だ?憲兵隊は岡田少尉が死亡したと確認したそうじゃないか」

 坂堂は当惑した。

 「俺達の裏仕事もやっている憲兵の佐々木中尉が上手くやったらしい。宇品に着く前に岡田少尉は自分を死んだ事にするぞと言った。海軍の追跡をかわす為にと言っていた」

 「そうだったのか」

 坂堂は岡田少尉の悪党ぶりにため息が出た。

 「海軍さん。岡田少尉が生きているのは秘密なんだ。もしも言ったら俺は岡田少尉に殺される。守ってくれないか?」

 笹井は坂堂に頭を下げた。

 「いや、それは陸軍の憲兵さんに言うべきだ。私達ではそこまで出来ない」

 坂堂はすまなそうに答えた。すると笹井は困った顔になる。

 「心配するな、陸軍の憲兵に引き渡すまでは守ってやる」

 笹井の様子に坂堂は仕方なくそう答えた。それは本心で、冴子への不義理をしない為だ。



 冴子は白井少佐の取り調べを一旦終えて、昼食にしていた時だった。

 有川から電話がかかる。

 「大尉、大変です」

 冴子が着信に応じるや有川は血相を変えたように言う。

 「どうした?」

 「岡田少尉が生きています」

 「本当に!?」

 死んだ筈の人間が生きている。確かに驚く情報だ。

 「佐々木中尉が何かしたとは思いますが、岡田少尉が生きているのが分かりました」

 「どうやって分かった?直に見たのか?」

 「協力者からです。岡田少尉が闇で満州国のパスポートを買ったと、ついさっき報せがありました」

 「身分を偽装して高飛びするつもりね」

 「そうだと思います」

 岡田少尉は裏社会で偽りの身分を買い、満州の民に成りすまして日本から逃亡しようとしている。

 この速報は冷静な有川も慌てさせたのだ。

 「大尉、岡田少尉はすぐにでも出発する筈です。空港に手配をするべきかと」

 「そうね。すぐに手配をするわ。情報ありがとう」

 冴子は電話を切ると、すぐに吉川の所へ駆けこむ。

 「丁度良かった。司令官と呉警務隊の隊長が話し合って事件を自分達で始末をすると決まったのだよ」

 訪れた冴子に吉川は事件に関して上の動向を伝えた。

 「それよりも、岡田少尉が生きていました」

 「なんだと!?」

 「しかも、身分を偽装して外地へ逃亡を図るつもりです。空港への手配をお願いします」

 冴子は畳み掛けるように吉川へ強く言う。

 吉川は冴子に気圧されながらも、冴子が述べた事を脳内で噛み砕いてから理解する。

 「言った事は本当だな?」

 突然の事であり吉川は冴子に確認する。

 「はい。有川中尉からの報告ですので正確かと」

 「そうか、確かなんだな。では司令官から中国地方各地の空港へ手配を出せるように、すぐに具申をする」

 「ありがとうございます」

 こうして中国軍管区憲兵隊司令官から岡田少尉を出国させないように要請が出された。

 有川は岡田少尉が黄安徳と言う名前のパスポートを買ったと報せた。その名前も要請と共に中国地方各地の空港へ伝えられた。

 上手く行けば出入国管理で止められ、空港警察が捕まえるだろう。

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