「海の上で」 (4)

 冴子達が呉から広島の中国管区憲兵隊司令部に戻ったのは夕方の6時であった。

 冴子はすぐに、吉川へ報告に向かった。

 冴子は坂堂から聞いた、岡田少尉らが死亡した状況とその原因について報告した。

 陸軍船舶兵が密輸をしていて、海軍警務隊が捜査していた。

 そして両者に死傷者が出てしまった。

 「面倒な事件になったなあ」

 吉川は報告を聞き終えると腕を組んで天井を仰いだ。

 「事件を中央憲兵隊に委ねますか?」

 冴子の問いは事件を現場で留めるか、東京の中央にまで広めるか尋ねる意味があった。

 「正直そうしたい。だが、それも面倒になる」

 吉川は即答しなかった。

 「司令官に報告し、決心を求める。大尉は捜査を続行、ただし事件に関して海軍の部分は他では口外するな」

 吉川は冴子に指示を出した。

 陸海軍の将兵が撃ち合い、死者が出た。

 これは憲兵少佐だけでは荷が重い案件だ。そこで中国管区憲兵隊司令官である世羅大佐の決心を求めると吉川は決めたのだ。

 冴子は吉川の居る特別捜査警務隊長の部屋から隣の特別捜査警務隊の事務室へ入る。

 そこには三宅と末松の他に、捜査から戻っていた有川佳子中尉とその部下達三人が書類仕事をしている。

 「お疲れ様です中尉」

 冴子の方が階級が上だが有川へ敬礼と労いの言葉をかける。

 階級の上下よりも、この中国管区での先輩であるからだ。

 「お疲れ様です大尉殿」

 有川は冴子の礼に応える。

 「大尉は今日は、宇品でしたね」

 有川は品が良かった。中性的な顔立ちは男性にすら見える。

 「ええ、船舶兵が事件を起こして」

 「船舶兵と言えば、悪い噂を聞いています」

 「どんな噂を?」

 「密輸品を船舶兵が売っていると」

 冴子は有川が事件に関わる部分を知っていて内心驚く。

 だが新たな情報が聞けるのだと腹を決める。

 「その船舶兵による密輸が私の事件に関係がある」

 冴子が意を決して言うと有川はどこか納得したような顔になった。

 「有川中尉、詳しく聞きたいのですが」

 冴子は声色を変えた。

 有川は微笑みで返した。

 「河岸は変える必要も無さそうですね」

 有川は周りを見渡す。船舶兵の密輸事案に無関係な者は居なかった。

 「半年前です。船舶兵が密輸品を流しているとタレコミがありました」

 「誰から?」

 「私の協力者からです」

 冴子は有川の協力者について詳しくは訊かない。

 「そのタレコミの情報は上へ報告したのか?」

 「いいえ。宇品分遣隊に伝えました。船舶兵を取り締まるのは彼らの役目ですから」

 「でも、宇品分遣隊は動かなかった」

 「その通りです」

 「それからは?」

 「何度か宇品分遣隊へ捜査の進捗を尋ねました。その度に慎重に捜査を進めているとしか言わなかった。なので宇品分遣隊を調べる事にしたのです」

 「収穫はあった?」

 「船舶兵が甲田組と接触して、密輸品を渡していたのは判明しました。しかし宇品分遣隊に疑わしい所は見つけられませんでした」

 甲田組、あのケン坊の居る暴力団である。そことの関わりを有川は把握していた。

 「大尉が部下を甲田組へ向かわせたのは驚きました。何か情報があったのですか?」

 「甲田組に知り合いが居る。そこから情報が得られないかと思っただけよ」

 「偶然でしたか」

 有川の立ち振る舞いに冴子はどこか気圧される。

 中性的でありながら、妖艶めいた顔も見せる。魔女のような人

 それが有川だった。

 「私達が宇品分遣隊を外から探っている時に事件が起こった次第です。ところで大尉、質問があるのですが」

 「なんでしょう?」

 「大尉達はどうして呉へ行かれたのです?」

 「なぜ知っている?」

 冴子は身構えるような心境になる。

 「船舶兵の事件は私の案件でもあります。大尉はどう探るのか興味があり、この朽木軍曹に動向を見張らせました。勝手をお許し下さい」

 冴子は有川に怒る気持ちは沸かなかった。

 自分も同じ立場なら三宅に見張らせていただろうと。

 その三宅は気配が薄く、目立たない朽木に見張られて追跡されていた事に内心驚いていた。任務柄、不審者の接近や追跡を警戒する三宅。しかし、朽木の存在は察知できなかった。

 「海軍警務隊と会っていた。今回の事件は海軍が絡んでいる」

 吉川から口止めされていたが、有川にかかれば海軍の件は近く分かるだろう。冴子は話す事に決めた。

 「海軍が?」

 有川にとっても意外だったようだ。

 冴子が話す船舶兵が呉の海軍にまで密輸をしていた事、船舶兵の捜査をしている海軍警務隊が船舶兵と撃ち合い死傷者が出た事、どれもを有川は興味深く聞いていた。

 「海軍に死傷者が出たとなると大きな事件になりますね」

 有川は懸念を示した。

 「でも、私と海軍警務隊は事件を小さく収めようと考えている」

 「事件を隠蔽するのですか?」

 有川は棘のある言い方をした。

 「事が大きくなれば、陸軍と海軍の組織同士による手打ちになる。それでは事件の真相は二の次になるからよ」

 「それなら同意できます」

 有川は冴子の考えが分かり、納得する。

 「私は大尉に協力します」

 「感謝する」

 二人の憲兵は同じ事件で手を組む事になった。

 とはいえ、冴子は有川の方が先任や上官に見えて仕方がない。

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