「海の上で」 (2)
「どうでしたか白井少佐は?」
「かなり黒ね」
白井少佐との事情聴取を終えた冴子は宇品分遣隊の詰所に戻り、佐々木と白井について話す。
「自分もそう思います。港湾作業隊に話を聞くと司令部業務隊に関わる物資には触れなかったそうです」
佐々木は冴子が白井と話している間に宇品にある陸軍の港で船舶からの荷物の積み下ろしなどの作業を行う港湾作業隊の将兵に聞き込みをしていた。
「司令部業務隊は何かを運んでいた。物資の横領や隠匿かしら」
「その線だと思います。物資が不正に持ち出さてないか部下が司令部の需品部に宇品倉庫管理隊を調べています」
白井少佐が怪しいのは分かった。
だが、司令部業務隊が何をしていたのか分からない。
それが岡田少尉と高野伍長の死にどう繋がるかも。
「後は末松がどれだけ情報を集められたか」
正午を過ぎ、冴子は宇品に戻って来た末松と三宅とで詰所の会議室で昼食にした。
「白井少佐は取引もやっていたと」
末松が立ち寄ったコンビニで買った弁当で三人は昼食にする。
冴子は三宅に頼んでいた海鮮醤油パスタとササミのサラダを食べている。三宅は豚カルビ丼に味噌ラーメンのカップ麺、末松は幕の内弁当を食べている。
「象牙や薬物などを甲田組に売り込んでいたらしいです」
食べながら話す末松の声はどこか調子が低い。
「もう少し情報が引き出せそうだったのですが」
末松はケン坊の機嫌を損ねて聞き取りが中断してしまった事を悔やんでいた。
「ああいう連中から根掘り葉掘りなんて聞けない。概要が分かっただけでも上等よ」
「そうですか」
末松はよく分からないがそうだと一応は理解するようにした。
「午後は呉に行く」
「分かりました」
三宅は味噌ラーメンを喰いながら答える。
「大尉、海軍に聞きに行くんですか?」
末松がサバの塩焼きをつまみながら尋ねる。
「そう。笹井軍曹が言う通りなら海軍も何か知っている筈よ」
「海軍は素直に話してくれるでしょうか?」
「海軍にも死傷者が出ていたらこちら(陸軍)に話をしたい筈よ」
「しかし、海軍に死傷者も何も損害が無ければ藪蛇になるような気がしますが」
三宅が案じる。
「でもここで捜査を進めても進展は難しいわ。海軍が関係しているかどうか確認するだけでも成果はある」
昼食と休憩をしてから冴子達は民間の宇品港からカーフェリーに七三式も乗せて呉へ向かう。
冴子はデッキに出て宇品沖の海面を眺める。
どこで岡田少尉らが乗った連絡艇が銃撃を受けたのかと現場を探す。
フェリーの航路は宇品島と金輪島の間を通り、似島を右手に眺めながら峠島の前を通る。次いで江田島と安芸郡小屋浦や呉市天応・吉浦の間を抜けて呉港に入る航路だ。
宇品と呉の間は島々と安芸郡と呉市の陸地に挟まれた海域である。
所々に住民が住み、沿岸には国道や鉄道が走っている。
密度は高くないが人が居る。また沖に停泊する船舶もある。そんな所で銃撃が起きていたのだろうか?
銃撃があったなら目撃者が居るだろう。少なくとも音を聞いた人間は居る筈だ。
そう考える冴子を乗せたフェリーは呉港に到着する。
呉市は海軍の軍港がある。遠目でも埠頭に停泊する海軍の艦艇が眺められる。
そのせいか民間の呉港は呉の中心部から離れた川原石に作られた。冴子にとっては広島に来て最初の任務でドイツとソ連から逃げて来た少女達を米軍に引き渡した場所でもある。
それを少し思い出しながら冴子は七三式に乗り三宅の運転で呉市の陸地に降りる。
二河大橋を渡り呉駅の前を通る。
呉駅の南側は海軍の軍用地だが北側は民間の企業や商店に住宅が並ぶ。
その街を海軍の制服を着た将兵が歩く。歩く一般人にしても呉海軍工廠や呉鎮守府などで働く技術者や軍属が多い。まさに海軍の街だ。
昭和橋を越えて本通り一丁目の交差点を右に曲がり呉線高架橋の下を通るとすぐに海軍の警備詰所がある。
海軍軍用地と民間地区の境だ。
「中国管区憲兵隊の神楽坂冴子陸軍大尉だ。呉鎮守府の警務隊隊長に会いたい」
警備に立つ海軍兵に冴子は車内から申告する。海軍兵はすぐに上官に報告し、その上官は警務隊へ連絡をした。
「警務隊の坂堂少佐がお会いするそうです。鎮守府へ向かってください」
「ご苦労」
冴子は敬礼して詰所の前を去る。
赤い壁の海軍下士官兵集会所と新兵が掛け声を上げさせながら訓練している様子が見える呉海兵団の敷地の間を抜けると山の上に立つ赤煉瓦の呉鎮守府の庁舎が見える。
瀬戸内海を中心に東は大阪湾と紀伊水道、西は関門海峡や豊後水道坂、南は四国沖の全域までの範囲にある第二階軍区を管轄するのが呉鎮守府だ。
その呉鎮守府を青山門から入る。
青山門の詰所に居る警務隊に来意を伝える。
「あそこの四角い建物が警務隊本部になります。あそこの前に停めてください」
そう指示を受けて冴子の乗る七三式は三宅の運転でゆっくりと進む。
白い石畳の路面の向こうに赤煉瓦の壁に御影石の柱廊玄関で織り成す鎮守府の庁舎が立つ。静けさもあり荘厳な雰囲気が冴子や末松の緊張感を高める。
鎮守府庁舎の向かい側に立つ黒い三角屋根のある四角い赤煉瓦の建物が呉鎮守府警務隊本部だ。
警務隊は帝国海軍の憲兵隊と言える組織だ。
各鎮守府や警備府ごとに置かれて憲兵隊同様に将兵の犯罪の取り締まりやテロ活動の阻止を任務としている。
陸軍の憲兵と違うのはあくまで海軍に関わる事件やテロを扱う範囲に限定し、陸軍憲兵のような国の脅威と見ればどこでも足を踏み入れる事は無いところだろう。
これは対テロ対策に陸軍と内務省が権限争いをしているのを見て巻き込まれまいとする考えがあったからだ。
そんな警務隊と憲兵隊は接点があまり無いが関係が良好であると言う訳では無い。関係が薄いと言うのが実態と言える。
だから冴子も今回が初めて会う呉の警務隊に少し緊張している。
停めた七三式に三宅を残し、冴子は末松と共に警務隊本部に入る。
見慣れない陸軍の憲兵が来た事に警務隊の誰もが奇異の目を向けて来る。そんな中から一人の中尉が歩み出る。
「神楽坂大尉ですね。自分は呉警務隊捜査隊副官の倉田中尉です」
目つきが凛々しい真面目そうな女性士官が敬礼して申告する。
「捜査隊長の部屋へ案内します」
倉田に促されて冴子と末松は捜査隊隊長の部屋へ通された。
「中国管区憲兵隊の神楽坂大尉です。急な面会に応じて頂き感謝します」
捜査隊長へ冴子は敬礼して申告と謝意を述べる。
その捜査隊長である坂堂沙耶少佐は自分の事務机の上で手を組みながら冴子の申告を聞いていた。
後ろに丸く編んだ髪型に切れ長の険しい目をした女性士官だ。
纏う雰囲気が修羅場を幾度も経験しているように冴子には見えた。
「私が呉鎮守府警務隊の捜査隊長である坂堂少佐だ。神楽坂大尉、よく来てくれた」
険しい目に比べて坂堂はにこやかに挨拶をする。
「本当によく来てくれた。こちらから連絡をしようかと思っていた時だったのでね」
「そうでしたか」
冴子は坂堂がどういう考えでそう言っているのか分からず、そう答える。
「貴官は知っているだろうか?ウチとそちらの船舶兵が撃ち合いになったのを」
坂堂が切り出した言葉に冴子は手間が省けたと思った。
言葉を選んで探り合いをするつもりでいたがそれが省けたのだ。
「知っています。むしろその事件の捜査で伺ったのです」
「やはり。そうで無ければ普段から付き合いの無い陸軍憲兵はここに来ない」
話が早いとお互いは思えた。
「陸軍は岡田少尉と高野伍長の二名が死亡し、笹井軍曹が重傷で今も意識不明です。その笹井軍曹が海軍にやられたと言っています。それが本当なのか調べに来たのです」
冴子は呉へ来た目的を伝える。
「そちらは三人が死傷か。こちらは一人が死亡し、一人が重傷だ。死亡したのは多井少尉で、重傷は高田中尉だ」
冴子は一瞬言葉を失う。
同じ皇軍が撃ち合い死傷者が双方に出ている。これはややっこしい事件だと。
「事件当日は高田中尉を含めた三人は内火艇、海軍の連絡艇のような小型船だ。それで岡田少尉との待ち合わせに出発した。呉に戻った時は二人が死傷し、無事だった合田兵曹長が事件について報告をした」
「待ち合わせとは何ですか?」
冴子は海軍と岡田少尉がどんな関係にあるのか尋ねる。
「密輸品の受け取りだよ。捜査の為にね」
「まさか貴官は船舶兵の密輸を知っていたのですか?」
「そうだ。知ったのは三カ月だがね」
海軍警務隊が知っていて陸軍憲兵隊が知らない。
それに冴子は遅れを感じて気恥ずかしい思いになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます