森の魔女と少年
緑月文人
第1話
静かな森の奥に一人の魔女が住んでいた。
『魔女』といっても鼻の曲がった老婆ではなく、顔立ちからすれば10代半ばほど。長い髪は降り積もった雪のように真っ白で、瞳は純度の高い紅玉をはめ込んだように赤い。
魔女は、人とかかわることが嫌いだった。
自分の姿を見た瞬間息をのみ、何か気持ち悪いものを見たように目をそらし、ひそひそとささやかれることがたまらなく不快だったから。
人とかかわることは嫌いだが、自分のことはさらに嫌いだ。
陰気な性格と、それにふさわしい薄気味悪い容姿。誇れるようなものなど何一つないのだから。
たまに魔法で作った薬を売りながら静かに、なるべく人とかかわらぬように暮らしてたある日。
一人の少年が小屋の近くにやってきた。どこかでけがをしたらしく、血が滴る足を抑えてうずくまっている。
放っておこうか、と魔女は一瞬考えたが、さっさと手当してここを離れてもらった方がいいだろうと考えて、声をかけた。
声を聴いて振り向いた少年の目が驚いたように丸くなる。真昼の空のように涼やかで明るい青い色の目は、きらきらと澄んだ光をたたえてまっすぐに魔女を見てくる。短くまとめた明るい栗毛によく映える色合いだった。
不思議な眼差しだ。
嫌悪も恐怖も侮蔑も無い。
まるで朝焼けのきれいに澄んだ光でも見るような、うれしくもまぶしそうな表情だ。
どうしてそんな眼をするんだろう――と疑問に思いつつ
「けがの手当てをするから、じっとしていなさい」
ぶっきらぼうに告げながら、魔女は傷口を観察して手早く処置を済ませていく。
「ありがとう」
手当を終えると、少年からお礼を言われ魔女は驚いて目を見張る。
今まで、手当をしたり薬を渡したりしたことはあったが礼は言われなかった。
ほかの人間はただ代金を手渡して逃げるように去るのみだった。
とはいえ、それに不満や怒りを覚えたことはない。
彼女にとってはいつものこと、当たり前のこと。
そして――仕方のないことなのだ。
そうだ。当たり前のことにいちいち怒ったり嘆いたりしても仕方ない。
「お礼に今度何か持ってくるよ、何がいい?」
「……え?」
と少年に聞かれてまたも驚いてしまう。
「また怪我をするかもしれないでしょう。手当をするのが面倒だから、もう来ないでください」
魔女は戸惑いを隠すようにことさら不愛想に答えてさっさと小屋に帰り、ドアに鍵をかける。少年がドアをたたいても知らんぷりで済ませていた。
数日後、魔女が薬草を取りに外へ出ると、本当に少年がやってきた。
手には菓子を携えている。戸惑う魔女にあれこれと話しかけて、魔女がもう帰れと追い返すまで居座っていた。
数日後に少年はまた現れた。食べ物や飲み物を渡して、勝手にあれやこれやと話しかけてくる。
魔女が仕方なく会話に応じると何故かひどく嬉しそうに笑みをこぼした。笑みに細まる空色の瞳は、明るく優しい光をたたえていた。
自分とは違う瞳がひどくまぶしく感じられて、魔女は思わず目をそらした。
目をそらしはしたものの、決して不快だとは思わなかった。
むしろ逆だ。これまで感じたことのない奇妙な感覚が二つある。
澄んだぬるま湯がゆっくりと内側に注ぎ込まれていくような、不思議な気持ち。
もう一つは、凍てつく冬に耐えきった森が春を迎えるのを見る時に近い。白一色に覆われていた景色がゆっくりと、瑞々しくも鮮やかな色に満ちていくのを眺める時に沸き起こる気持ちに。
「私を気味が悪いと思わないのですか?」
ある日、魔女が少年に問いをぶつけると少年は驚いたように目を見張った。
「どうして?」
「普通の人とはいろいろ違うと、気持ち悪いと感じるものでしょう」
「普通の人だってそれぞれ違うところを持ってるよ。それをいちいち気味悪がってても仕方ないし、勿体ないじゃないか」
「勿体ない?」
「自分にはないものを持ってる人って、すごいと思ったり、憧れたり、一緒にいて楽しいと思わない?」
「……たとえそう思っても、違う者同士はうまくいきませんよ」
魔女が目をそらしながら言うと
「そんなことないと思うけどな」
少年はそう言ってほら、と空を指さす。
ちょうど夕闇が訪れて、あたりを包みこんでいた。夕焼けの茜色と薄闇の藍色が混ざり合い溶け合って、スミレの花びらを溶かしたような色合いの夕闇だった。
「ね、違う色でも混ざり合って、こんなにきれいな景色を生み出すことができるんだから」
魔女が言葉を返すことができず黙り込んでいると、少年がのぞき込む。
「どうしたの?」
「いえ……何でもありません」
そう言って魔女は
「もう遅いですから、帰りなさい」
そう言って魔女は、少年を家の近くまで送っていった。
「ありがとう。また今度遊びに行くね」
「……」
魔女が黙していると
「……もう来ちゃダメ?」
と少年は少し不安そうに尋ねてくる。明るい晴天色の瞳が、ほんの少し不安そうに陰っている。
それがなんだかたまらなく嫌で思わず、言葉が口をついて出る。
「……いえ。私も自分と違う人と一緒にいるのは楽しいです」
……ああ、そうか。
唐突に魔女は自分の気持ちに気づいた。春を迎えた森が美しく色づくのを見るように、少年と接するのを『楽しい』と感じていたのだ。
魔女が答えると少年の顔が屈託なく笑み崩れて、空色の瞳も透けるように明るい光を取り戻す。
「じゃあまた明日!」
「……はい、また明日」
そう答えると、淡い空色の瞳が嬉しそうに笑う。
明るくて、柔らかくて、どこまでも澄んだ光がその中に満ちていた。
ほっと思わず息を吐く。
澄んだぬるま湯につかるように、体の内がじわじわと温まるような気持ち。
ああ、『安堵』していたんだ。
今まで感じていた気持ちに気づいて、魔女は改めて少年のまなざしを見つめる。
この目が好きだ。自分とは違うからだろう。
自分の瞳は大嫌いだ。気味が悪い色合いで、愛想が無くて冷ややかで。
鏡がないから確かめることができないが、今の自分の瞳にはどんな眼光が宿っているのだろう。
目の前の少年と同じとはいかずとも、少しは似た眼差しになっているといいな。
そう思いながら、魔女は口元を緩めて帰路についた。
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