第7話 静かな朝に
第1発見者は私だった。2学期が始まったばかりの小3の秋、帰宅して私はすぐ、冷蔵庫のプリンを食べてもいいか聞こうとして普段は立ち入らない母親の仕事部屋に入った。
ドアを開けてすぐ目に入ったのは、麻縄にかかった首吊り死体だった。
暗い部屋で、死体の後ろに書きかけの小説を表示させるノートパソコンの無機質な光が、やけに印象に残っていた。
教室には、彼だけがいることを期待していつもの時間に家を出た。
少しづつ壁が掲示物で埋まってきた教室の1番後ろの席に、白刃君は変わらない表情で座っていた。手には初めて会った時に読んでいたのと同じ青い文庫本。真剣に読んでいるように見えて視線は全く動いてないし、ページを繰る音も聞こえてこない。内容なんてどうでもいいのかもしれない。ただ、「常に虚空を見つめているヤバい奴」というイメージを持たれないように本を持っているだけで。
そんな君に今日も朝の挨拶をする。別に友達というわけでもないけれど。
「おはよう白刃君」そうすれば1秒後に返してくれる。「おはよう」
昨日の藤原君の言葉を思い出す。同情の目で見るのはやめて欲しい、だったかな。
過去というフィルターを通してみても、白刃君の、冷たくて暗くて大人しくて、勉強しなくてもテストで満点取れる羨ましい系天才の美男子というイメージが崩れることは無い。むしろ嫌われてないと知って喜ばしいくらいだ。
「…………」
喜ばしいけど、話題がない。休日の過ごし方でも聞いてみようか。家族の話はやめておこう。余計なことを言いかねないし言われかねない。好きな教科はなんだろう。無さそうだ。好きな芸能人は? そもそもテレビ見るのか。雪女って本当にいると思う? いきなりこんな話を持ちかける私がやばいのではないか。不老不死って興味ある? 本格的にヤバい奴だ。
だったら中学どこだったか……いや、この話もだめだ。
巡り巡って、最初の案を採用することにした。
「白刃君って、休日何してるの?」
「……別に何も」
終わった。会話。藤原君や葵衣ちゃんはいつもどうやってこの人と会話してるんだろう。
それから、20分後に藤原君が来るまで私達はお互い一言も話さなかった。
「蛍~どうすればいいと思う?」
「何で私に聞くんだ。そもそも何でまた来た」
雪もほとんど解けかかった白雪山の屋敷にて、こたつでみかんを囲みながら私は今朝の話を蛍と雪蛍さんに聞かせた。
雪蛍さんは3つ目のみかんを器用にりんご剥きして、蛍はみかんの白いスジを取る派らしく、全ての白いスジを捨て去らんと数分は格闘している。そして、見えないけどこたつの中にはあの2本のしっぽを持った猫。
この部屋にいる人間は私だけという事実を無視すれば、絵に描いたような団欒風景だった。
「夏夜ちゃんはその男子と仲良くなりたいの?」
「……一応、隣の席ですし、私の友達とも仲良いみたいですし、新学期に新しい友達作るいい機会かなって」
つるつるになったみかんを食べながら蛍が面倒くさそうに助言をしてくれる。
「脈絡もなく話しかけて仲良くなろうなんてハードル高すぎるだろ」
「……あ、」
確かに。私は今まで、こちらから積極的に話しかけて仲良くなることしか考えていなかった。段階を踏まずにグイグイいって警戒しないわけもなかったのだ。白刃君みたいな人なら特に。
「なるほど……じゃあ、最初は葵衣ちゃんや藤原君と3人か4人でグループみたいな感じでそれとなく……」
「解決出来そう?」
「はい、ありがとう蛍、雪蛍さん! ちょっと時間はいるかもしれませんが、仲良くなれそうです!」
「それは良かった」
「……人間のことはわからん」
こたつでみかんを囲んだこの状況、早めにお暇しないと出るのも億劫になってしまいそうで、すっと立ち上がった私を雪蛍さんが呼び止めた。
「ちょっと待って夏夜ちゃん」
「あ、はい。どうしましたか?」
「これ、この前言ったおすすめの本。私が読んだ中でも最高に面白いよ。読んだことなかったら、貸すから読んでみて」
心のどこかで、雪蛍さんがおすすめしてくる本が誰の書いたものか、私は予期していたのかもしれない。それほどに誇れて、名の知れた作家。大して驚きはしなかった。
そもそもこの部屋に入った時から雪蛍さんの傍らに置かれていたから。見慣れた表紙。飽きるほど見たその名前。実家の、あの部屋にもまだあるかもしれない。父親があの部屋をあのままにしていたらの話だけれど。
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